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【創作大賞2024応募作】 母・子おる 第一話


【あらすじ】

克巳の姉はスポーツ万能で成績も優秀だったが、突然の事故で亡くなってしまう。その後、父は会社を辞め占い師になるが、その稼ぎを他の女性に貢いだり、資格講座を転々とするばかりで家計を支えようとしない。母は四つのパートを掛け持ちし、何とか切り盛りしていた。
期末テストを受けるため、久しぶりに登校した中学三年生の克巳は、身に覚えのない事件に巻き込まれ、さらにそれが父の犯した現金強奪事件へと繋がっていく。その背後には昭和を代表する名女優 平塚美佐子が絡んでいた。

病に倒れた母の代わりに、克巳は単身小田原へと向かう。克巳の中に眠る夢が導く結末とは一体何なのか。


【本編】

どれだけ不快な目覚めであっても、また変な夢を見たってことで、軽く受け流すよう努力している。時々自分の叫んだ大きな声で起きる時は、動悸が止まらず、しばらくは身動きがとれなかったりもする。先日も母に叩き起こされた時、まだ死んでなくてよかったと思った。というのは刀を持ったおっさんにいきなり追いかけられ、最後は背後から一気に斬られ、倒れたところで起こされたので、夢であることの境界線すらわからず、時代劇みたいにオーバーな立ち回りをしていたと母に突っ込まれた。こっちにしてみりゃ笑い事ではない。毎朝起きることが苦痛で、どうしても夜寝るのが怖くなり、不眠症の影響で学校へも行けなくなったのだ。学校へ行かない本当の理由は、もちろん不眠症のせいだけではない。仮に普通に行けたとしても、周りと同じペースで付いていけない。授業もテストも、かけっこも人との会話も、全て劣っている実感がある。それにいつもクラスの笑い物にされ、馬鹿にされている気がしたのだ。

そうなることを、僕は入学早々から感じており、今考えればその予感が見事に当たっていたとみている。これを先見の明というのか、それとも予知能力というのか、いずれにしても嬉しくないことは確かだ。

今では母も、そのことに関してあまり言わなくなった。その原因となることに、母は少し負い目を感じていたようだが、実際は関係がなく、僕自身の根本的な問題だった。

どこの家にも一つや二つくらい、恥ずかしくて言えないことがある。我が植木家にもそんな問題があったが、ほとんどあいつの責任だと言っても過言ではなかった。


朝昼兼用のミートスパを食べながら、僕は片手に持ったスマホでパズドラをする。見ていないテレビには上沼恵美子のワイドショー番組が映っている。また誰かが不倫をしたらしく、出演者たちがそれぞれの立場でもっともらしい意見を言っていたが、僕の生活には全く関係のないことだった。

そのテレビの前を、母は完全無欠のロックンローラーの格好をしながら何度も往復し、不倫も痴漢も絶対あかんと変な字余りライムで韻を踏み、洗濯物を干したりご飯の用意をしたり、合間に古着のせどりをやったりと、全部で四つのパートを掛け持ちしている余裕のなさを、無意識にかき消そうとしている風に見えた。全体的に薄めの顔立ちはすっぴんだと実年齢より少し老けて見えたり、メイクをすると逆に十以上若く見映えもする。若い頃平安美人とチヤホヤされたこともあるそうだが、それって現代のブスやんかと、あまり納得していないようだ。黙ってたらそれなりだと思うけど、喋るともろに関西のおばちゃんになる。関西の女性は関西弁を誇りに思っている節がある。言葉と発音の中に勝負をかけたプライドが意識せずとも垣間見えるのだ。裏を返せば負けず嫌いの血が脈々と受け継がれているのかもしれない。ある情報サイトによると、負けず嫌いなイメージの都道府県について調査したところ、一位大阪四十二パーセント、二位東京十四パーセント、三位京都五パーセントと、その理由も、自分に自信を持っている人が多そう、なんでも東京に対抗している、阪神ターガースを見てそう思う、などあくまでイメージではあるが圧倒的に強いようだ。古より滋賀安土城の織田信長や大阪城の豊臣秀吉など、戦と関西のイメージもあるようだが、二人とも出身は尾張、現在の愛知県だ。そういう歴史的な意味では、一八三七年江戸後期に大阪の元与力大塩平八郎が起こした反乱がより近いように思える。飢えに喘ぐ民衆たちを救うため、私利私欲を肥やしていた大阪の豪商を襲い、金銭や米を奪おうと立ち上がるも、一日で敢えなく終わってしまい、その後処罰の対象となってしまった歴史的な事件だ。あと世直しという意味では、必殺仕事人の中村主水も関西だ。母を見ていると何故かその系譜を感じてしまう。僕は反対に関西弁を封印するようにしている。母ほどここの土地に愛着もないし、あのむき出しともいえる発音は音楽とも似ていて、音痴の僕は関西人のくせに関西弁のリズムについていけず、母のように戦意もないことで、話すことに抵抗を感じるのだ。まだ関西人だが関西かぶれに勘違いされる方がマシだ。それにしても日曜だというのに、我が家にはゆったりとした休日感がそれほどない。母の変なライムが頭で鳴ってしまうからだろうか。中々のしつこさだ。

ふとトイレに行くと、さっきから洗面所であいつが鏡の前で顔の筋肉を大きく動かし、笑ったり泣いたり変な表情を浮かべたり、時々誰かと喋ったりしている。太い眉毛に大きな目と、がたがたの二枚歯、髭は濃いくせに髪の毛は糸のように細く、シチサンを横から無理くりに前へ流そうとしている。あしたのジョーに憧れた世代とはいえ、これほど強引なトライは気の毒にさえ思えてくる。本人も周りの違和感を薄々感じたようで、最近ではテンガロンハットを被り、ハゲ防止に努めている。どうやらこれから外出するようで、平日の鏡前チェックよりもかなり入念で、どこか浮足だっているように見える。いつもの赤のアロハシャツにぴちぴちのリーバイス、すでに玄関にブーツをきれいに揃えている。

「ほなパパ会合行ってくるで。克巳は今日どないするんや?」

「今日は日曜やし、別に何も…」

しまった、あいつの目つきが曇った。また地雷を踏んでしまったかも。胃の辺りがきいとなる。

「お前なぁ、普段学校も行かんと勉強もせんと、休みの日もダラダラと家で過ごして、えー、どうせスマホでしょーもない動画見て、朝方までテトリスやって、一日の時間潰すだけやろ。そんなんで将来やっていけるとおもてんのか。世の中なめんなよ。ええか、パパが印刷屋辞めて占い師になったのは、やりたいことは必ず実現できるってことを、克巳に証明したかったからやど。克巳にはやりたいことはないんかえ。せめて学校行かんと家おるんなら、なりたい人に近づける努力せえよ。人生なんてあっと言う間やど」

あいつの言うことは毎回スルーするようにしている。中三の僕に将来がどうだと言われても全然入ってこない。どれだけ先の話だ。それに僕は別になめているわけではなく、なりたい人なんていないのだ。あいつを含め、ああいう人にだけはなりたくないという人はたくさんいる。あとパズドラのことをあいつは毎回テトリスという。あいつの言ってることは自分に言うべきことで、僕にはお門違いなのだ。どうせまた占い関係の会合とか言いながら、フェイスブックで知り合った女性に会いに行くのだ。バレてないと本人だけが思っているようだが、こっちはちゃんと証拠を押さえているのだ。

一年前、あいつは何を狂ったのか、五十を前に突然印刷屋の仕事を退職し、心斎橋にある占いの館で霊媒師 嘉納清 かのうせいとしてデビューをした。本名の植木薫 うえきかおるもその容姿とは合っていないが、どこか沖縄ぽいイメージのあるネーミングは一体どこから拝借したのか。いーやあさーさ、あなたの可能性を霊の力で解き起こします。と自己PRに掲載されている。髭面にテンガロンハットとアロハシャツにジーンズ、占い師ぽさが全くないことで店側から指摘を受け、何故かパペットマペットを操るクロコの格好で、対面鑑定をしているのだ。沖縄感ゼロのコンセプトはよく突っ込まれなかったものだ。その格好で鑑定するくらいなら電話鑑定で十分だろと言いたくなる。本人曰く、自分が何倍も大きくなれるんやと、店側から顔出しNGされたことをいい風に捉えているようだ。人気ランキングも二十人中十八位、あいつより下の二人はすでに在籍していないので事実上最下位だ。クチコミ欄を見ると、

"嘉納先生の占いを受けて、お母さんの容態がほんの少しマシになりました。"

"彼とうまく別れることは出来ましたが、先生から言われた新たな恋はまだ始まってません。ま、でも何とか頑張れそうです。"

"起業の時期を占ってもらい、現在順調に軌道にのっています。"

どれも可も不可も無い微妙すぎるコメントの上、クチコミから広がりそうなものもなく、これなら僕でもできるだろとツッコミたくなった。母にあいつの給料を聞いたら、占い師になってから家に全然入れてくれへんからわからんねんと言われた。求人サイトには運営スタッフの待遇、報酬は記載されていたが、占い師は載っておらず、教えてグーに質問してみたところ、鑑定料の半分を店側と折半するとあった。大体が三十分三千円だから、その報酬は一千五百円だ。一日にどれだけ対応できるかにもよるが、仮に十人なら一万五千円だが、毎日そんなに鑑定できるようには思えない。いいとこ五人から十人の間ぐらいだろう。七千五百円から一万五千円の間として一日一万円あればいい方だ。仮に週五日入ったとして、五万円、それを月にすると二十万円で、結局印刷屋時代より確実に下がっているのではないかと勘繰ってしまう。やりたいことをするために、家族を犠牲にするのは絶対いいとは思えない。実際のところ、植木家は母のパート代で成り立っており、あいつの稼いだ金はあいつの懐からどこかへ消え、さらに母のタンス預金に手をつけたり、人から借金をしたりと、とにかくやりたい放題なのだ。

何がやりたいことは必ず実現できるだ。何がそれを証明したかっただ。何がなりたい人に近づけることをやれよだ。何が人生なんてあっと言う間だ。お金にルーズな人間に、人を占う資格などない。あいつは人のためにやっているのではなく、その職業を纏う箔をつけたいだけなのだ。人から尊敬される人になりたいと、いつかのフェイスブックの投稿に書き込んでいた。裏を返せば尊敬されない人生を送ってきたということだ。当たり前だろ、自分のことしか考えない人間に、どれだけ真っ当なことを言われても腑に落ちるわけはないし、尊敬などされるはずもない。そもそも尊敬されたい本心とは、女性にモテたいだけなのだ。もっと言えばモテることで女性とやりたいだけなのだ。愛想のつもりでフォローしてくれた綺麗な女性で覆われたニセ友達から、いいねやコメントをもらい、いつもあわよくばのきっかけを探している、ただの変質者じゃねーか。さらに結婚する前からずっとためている大量のエロビデオがそれらを物語っていて、正直あいつが親だとキモさを超えて、ただただ死ぬほど情けなくなるのだ。てか言いたかないが母というパートナーがいるじゃないか。普通結婚したらそういうのは処分するんじゃないのか。あいつのやりたい願望はAVを頼ることで、不倫や犯罪への抑止力になっていると勘違いしているかもしれないが、いつだってあわよくばのきっかけを探しているゲスの極み人間なのだ。それがあいつのSNSを利用する動機であり、占い師は絶対にそのカモフラージュだと僕は見ている。それに加え先月から心理カウンセラーの資格を取るために、高額のお金を払い受講しているのだ。つまりは悪用するための資格なのだろう。
何故僕がそこまで断言できるのか。それはあいつのアカウントとパスワードを知っているからで、リビングに置きっぱなしにしているアイパッドを開けば、いとも簡単にチェックできたからだ。一度ログ履歴のことで、確認されたことがあるが、もちろん知らぬ存ぜぬで通した。それ以上確認するとかえって墓穴を掘ることになることを恐れたのだろう。そのDMの内容は、挨拶から始まり、返信回数が増えていくと、趣味の話を広げようとしたり、相手の容姿を褒め称えたり、相手に子供がいる場合子供を褒めちぎったりと、やり方がとてもこすい。最後は何か悩んでいませんかと得意の占いへと誘導し、外で食事をする約束まで取り付けるのだ。しかも自分好みの女性には金をとっておらず、占いをしてもらったお礼に何らかの意味を含ませるようだ。そのきっかけから会う頻度が高くなった女性とはおそらく何度かやっていることだろう。DMにそれっぽい内容のものをあいつから送信しているのだ。てか消せよ、何嬉しがって履歴残してんだよ。いやちょっと待てよ、今まで何とも思わなかったが、これって俗に言うリベンジポルノの前兆ではないのか。だとしたらあいつ相当やばいことにやるぞ。実はこの証拠をまだ母には伝えていない。勝手に盗み見していることは確かに悪いことだとわかっている。でも不倫しているあいつと、それを盗み見して発見した僕のどっちの罪が重いと問われれば、絶対に前者だろう。おそらくすぐに自分でボロを出すに違いないと僕は踏んでいる。どうしてもあいつに我慢できなくなった時は、そのネタを爆弾として使わせてもらうつもりだ。その時はもちろん母を全力で守る覚悟でいる。

長いトイレから戻り、気を取り直して、食べかけのミートスパに箸をつけようとするも、結局喉を通らず残してしまった。くそ、あいつと絡むことが何よりもストレスだ。三十分前に起きたばかりだというのに、また睡魔が襲ってくる。とりあえず母のせどりの横でパズドラをして気を紛らわすことにする。

ほなぁ、と勢いよく玄関の扉の閉まる音と、自転車のスタンドを蹴る音がほぼ同時に鳴り、音程の届いていないビリー・ジョエル、ストレンジャーの口笛がフェイドアウトしていく。

「あれ?今洗面所でパパと喋ってたんちゃうの?」

「いや、出かけると言ってた」

「何やと、またあのおっさん黙って行こうとしてからに」

母はせどりの婦人服をぽーんと投げ、水屋の引き出しを勢いよく開けた。

「くそ、いつの間に持っていきやがった。あのぼけー」

母は鬼の形相で走って追いかけて行った。その時の足音が今日一でかかった。

すぐに外で人が言い争っている声が聞こえてきた。ああいう時の母はものすごくドスが効いていて怖い。近所の手前やめてほしかったが、すでに頭のおかしい占い師に、ヒステリックババァ、引きこもりの中学生がいる家族だと広く知られている。一年前の春に亡くなったねーちゃんがきっかけで、家族が崩壊したのだろうと、近所からはきっとそういう目で見られているに違いない。

パズドラのやりすぎのせいか、急に目が疲れたので、適当にユーチューブをパラパラと見ていた。ヒカキンの動画はいつ見ても笑える。その次の渡辺真知子の昭和歌謡は母の影響で結構好きだ。映像がかなり古く下の方にずっとノイズがあった。その次に雪山の美しい風景映像が流れてきた。そこは日本のどこかのゲレンデのようだ。カメラワークがコースをリズムよくターンし、颯爽と駆け巡っている様子を捉えている。雪をかき分ける板の感触がとても心地良さそうだ。両サイドからギャラリーの歓声や、日の丸の旗を振るたくさんの人の姿が見える。ゴールまであと二十メートル、十メートル、五メートル、あれ、この臨場感、どうやら僕はVRの世界に突入したみたいだ。なるほどこのゴーグルはそういうことだったのか。自分が何故こんなにも冷静に状況を把握できているのかはわからない。すると一瞬腰の辺りに、ふわっと浮くような軽い振動を覚えた。

え、嘘だろ。
ここでまたいつものように、胃の辺りがきいとなり、そのままバランスを崩し、雪だるまのぬいぐるみができるほど回転し、最後は大きな爆発音とともに宙に浮き、そのままゆっくりと頭から雪に突き刺さった。耳元で鳴った摩擦音から、かなり深く埋もれているに違いない。すぐさま駄々をこねる子供のように体を揺さぶってみたが、上半身は雪に埋もれたままびくともしない。側から見れば、犬神家のゲレンデ版といったところか。この後に及んで怖さより恥ずかしさが優り顔から火が吹きそうだった。耳を澄ますと、女性の悲鳴や怒号に、救急車のサイレンの音も聞こえた。さっきの爆発音は一体なんだったのか。

てかこれVRだよね。何なのこの変な演出、もういいよ。誰か止めてくれよ。雪に埋もれた顔面から必死でゴーグルを外そうとしても手が顔のところまで回らない。

「大丈夫ですか?」

頭上、いや地上から女性の声がする。大丈夫なわけねーだろと思いながら、頭が抜けましぇーんと少し戯けて見せたが、向こうからの反応はない。何だよ無視かよ、足が勝手に空を蹴ってしまう。

「ここを持って一気に上げちゃいましょうか」

向こうの話し声は何故かこっちに聞こえている。優しく頼みますよと念を押してみたが、せえのと何人かの掛け声が聞こえ、全然タイミングが揃わず、交互に足を引っ張られ、足の関節が抜けるんじゃないかと思った。馬鹿野郎痛いじゃないかと言ってやりたかったが、助けてもらっている手前、ここは我慢することにした。顔面が火傷するほど、熱くヒリヒリしていたが、体は徐々に地上に上がってきているようだ。さっきより雪に押さえつけられた感がない。

「頸見えてきたで。もうちょいや。」

どこかで聞いたことのある男の声がする。

「行くでー、いっせいのーせと」

勢い余りバックドロップされた格好で投げ出され、首が折れるほど地面に叩きつけられ、喉からおえーと吐きそうになった。僕はすぐにゴーグルを外したが、眩しい太陽の光が直撃し、大きな黒い斑点に遮られ目が開けられない。次第に体力も消耗し、ウェアの汗も冷えてきて風邪を引きそうになった。徐々に視界が戻ってくると、二次災害を恐れた人たちがかなり狼狽し、あちこちで揉みあっている。

あれ、まだVRのままだ。さらに視線を下ろすと、地面がところどころ赤く変色し、その元を辿っていくと胸の辺りと繋がっていた。

どういうこと?いつ?誰に?何で?

てかVRの世界から抜けられなくなったの?

特に体に痛みも傷口もない、まさか誰かの返り血を浴びたのか、状況が全く見えてこない。

ここは暫く様子を伺えと、やけに冷静な自分から言われた気がした。いや言われたのか言ったのかもわからない。板のストッパーを外し、血を隠すように胸に手を当て、体育座りの姿勢で休もうとすると、三時の方角に、仁王立ちのままこっちを見ている黒い影の男が、一瞬口角を上げたように見えた。

さっき助けてくれた人なのか、それとも刺し違えた人で、再度狙うチャンスを窺っているのか、何となく、以前どこかで会ったような気がするが思い出せない。

男は右手に持っているものを隠しながら、ゆっくりとこっちに向かっている。

「あかんがな、こんなとこで油売っとったら」

男は僕の右脇を簡単に抱え、水売りのように担ぎ、リズムよく雪山を下っていく。

油を売る?
男の背中にはライフル銃が装着されており、それが背中に当たり痛かった。

関西弁にライフル銃、端正な顔立ちに無精髭から溢れる笑顔、目の奥は絶望的に悲しい目をしているこの男、誰だっけ。

「心配すな。急所外してるから全然痛ないやろ?でも今度はそうはいかんぞ。」

やはり狙われていたらしい。

「で、例のぶつ、どうなったんや?」

例のぶつ?何のことかさっぱりわからない。ぶつを奪うために、男はここまで追いかけてきたのか。しかも狙撃して連れ戻すとは、やり方がとても乱暴だ。こいつ相当頭が悪いのか、この後あっと驚く解決編を提示してくれるのか。男に抱えられた僕はまるで角川映画、野生の証明の娘役のようだった。このまま楢山節考のように、山に捨てられてしまうのだけは勘弁してほしい。今東映を投影している場合ではない。それに凄くしょーもない。早く打開しなければと、咄嗟に男の腕から飛び降り、銃を奪ってそのまま銃口を向けた。男はゆっくり万歳する格好で後退りした。

「そんなんしても一緒やで。早くぶつだ」

最後まで聞かず、僕は足元目がけ威嚇射撃をしてやった。

男は全く慌てることなく顎を二度ほど突き出した。

ゆっくりその方向へ振り返ると、さっきまでいたギャラリーや、揉めていた人たちが異変を察知し、こっちに視線を向け、落ち着けー、早まるなー、銃を降ろせーと怒鳴っている。

しまった。これでは僕の方が頭のおかしい犯罪者だと誤解されてしまう。

銃口を男に向けたまま、板を再度装着し、慌ててギャラリーの反対の方へ向かった。離れ際男は指先を拳銃に見たて、ウインクをしながら撃つ格好をした。

誰でも彼でもノリツッコミしてくれると思うなよ。

何とか人気のないところまで逃げ果せたものの、そこは凄い高低差のある断崖絶壁だった。とりあえずここまで来たら大丈夫だろうと、板を外しライフルを雪に突き刺し、そのまま仰向けになり休息を取ろうとした。すると崖の先端から、白装束の長い髪の女が這い上がってくる姿が見えた。

何で貞子なんだよ…
すると女は蝗のような動きで、一瞬にして間合いを詰め、徐に長い髪をかき上げ、着けているマスクを外した。こいつもどこかで見た顔だが、何故か思い出せない。

不気味に笑う表情は妖艶でありながら、どこかグラビアアイドルのような眩しいオーラがあり、瞬時に味方か敵かの区別がつかない。そしてその背後からチラチラと黒い人の影が見えた。どうやらまたさっきの無精髭の男のようだ、いつの間に追いつかれたのかわけがわからない。男は無表情で舌を出しながら突っ立っている。無性に込み上げる怒りのまま、側に置いていたライフルをビーチフラッグのように手に取り、すぐさま撃とうとしたが、タッチの差で男に奪われてしまった。

「早よぶつださんかえ」

男は笑みを浮かべながら銃口を額に当ててきた。首の後ろで両手を組みながら、あらゆる思考を巡らせてみた。そもそもぶつって何なのか、そんな頼みなど受けていない

「どこまでも白を切る気かいな」

男は咄嗟にライフルを女に投げ渡し、こっちの腕を強く持ち上げ、崖の方へと引っ張っていく。力いっぱい足掻いてみせても、想像以上に体幹が強く微動だにしない。横で女がライフルをテニスラケットのように、無心でスイングしている。

何それ、てか二人どういう関係性なの。

気が動転していたせいで、あっと言う間に崖っぷしまで追いつめられ、後がなくなってしまった。

遠くの方で鳴る潮の音が、高低差を物語っている。落ちたら完全にアウトだろう。

「ぶつないんやったら、もっかい探してこいや」

「ちょっと待って下さい。さっきからぶつって、一体何なんですかそれ」

「ぶつぶつ言うなぼけ。ぶつって言うたらあれやないかえ」

ぶつぶつ言ってるのはお前で、あれで返すなよ、生理じゃあるまいし、わかんねーから聞いてんだよこっちはよー。

「すいません。本当に知らないんです。てゆーかそもそもあなた誰なんですか?」

「はぁ、どっちや、あれか、わしか」

こいつと話してると頭がおかしくなりそうだ。

「どっちもです」

「ぶつ言うたらあれやないかえ、何回も言わすなぼけ。ほんでお前、わしが誰なんかほんまにわからんのかえ、ぼけとんか」

どういうわけか知ってる筈なのに、一向に出てこない。ずっと何かがおかしい。

「どこかでお会いしましたか?」

「お前なぁ、まじか。重症やで。」

おっさんは胸ポケットから何かを取り出そうとした。それがタバコや身分証明書の類ではなく、大きな膨らみがあったことから、いよいよここで撃たれて死ぬのかと、思わず目を背けた。

「やっぱり美味いわ」

サクサクと軽快な咀嚼音が耳に入り、ゆっくり男の方へ向き直った。

何やらポケットから取り出し、凄い勢いで口元へ運んでいる。

「何ですかそれ」

男の手元に注目した。

「そんなぼけいらんねん、ぶつやろが」

どうやらただのスナック菓子のようだが、何か違法なものでも塗してあるのだろうか。

「やっぱりポテトチップスは最高やなぁ。お前これなぁ、最後の一袋やってんぞ。あれだけ早よ買ってこい言うたのに。これなくなったらわしどないしたらええねん、どう責任とってくれるんや言うてみ」

どうやら僕は男からスナック菓子の買い物を頼まれていたようだ。
何じゃそれ。
そんな約束などしていないし、ただのガキの使いではないか。そもそも何で自分で買わないのだ。やはり違法な細工がしてあり、自分に足が付くのを恐れたからか。

ポテトチップスが違法ドラッグに?
さっぱりわからない。

「まだ時間あるぞ。探してこんかいな」

おっさんはゆっくりと詰め寄り、チェストパスするかのように軽やかに僕の肩を押してきた。

頭の中はクエスチョンのまま、相当間抜けな顔をしながら僕は崖から落ちていった。

人が死ぬ瞬間、すごくスローモーションになると聞いたことがある。

今、その真っ只中だ。過去のことが走馬灯のように駆け巡るとも聞いたことがある。

怒り狂う海の飛沫が、今か今かとカウントダウンしている。到達する前に気絶して即死だろうと思っていた。しかし全然意識を失わず、ホラー映画の実写版のようで、ただただ恐怖の崖が押し寄せ、目の前に迫ってきて声も出ない。すでにかなりちびっている。

だめだ、もう終わりだ。

岩へと激突する瞬間、体への衝撃はなく、急に学校の教室の光景が、僕の目の前に現れた。

村八こと担任の村田八重子 むらたやえこは、教師二年目でやけに張り切っていた。ふくよかで閉まるとこはしまっていて、ただ塗りたくっただけのメイクでも、男性教諭たちからちやほやされていた。クラスメイトの麻生由里香 あそうゆりかは、黒板に向かって書いている村八目掛け、大きな紙飛行機を飛ばした。由里香はいたずら好きというよりも、誰かれ構わずちょっかいを出す危険人物、一見花屋でバイトしていそうなおとなしい雰囲気だが、その大胆な行動にクラスではかなり敬遠されていた。親の仕事の関係で転校を繰り返し、タフでなければ生きていけないサバイバル術を、誤った方法でしか表現できなかった。村八も由里香も無駄に力を持て余しているタイプで、上からものを言うところが酷似している。村八の後頭部に直撃した紙飛行機は一瞬僕らの目には、突き刺さったように見えた、そのまま勢いよく大の字に倒れ込んだ村八はしばらく微動だにしなかった。様子を見ようと一番前の席の滝本翔太 たきもとしょうたがゆっくり席を立つと、いたたたたたーーーーっと北斗の拳ばりの甲高い声と共にムクっと起き上がり、村八は何故か武藤敬司の決めポーズをしていた。翔太は村八の風圧で三つ後ろの席まで飛ばされ、かなり痛々しかった。村八の表情が静から動へとスイッチが切り変わり、迷うことなく由里香の元へ一直線に走った。

「これ飛ばしたの誰?」

由里香は無言のまま舞台役者のように両手を広げ頭を傾げた。村八は由里香の机を思いっきり叩き、そのまま踵を返しゆっくりと黒板へ戻った。

「あんたら見てたんやろ、正直に言いなさい、これやった人、これ見た人、どっちでもいいから今すぐ言いなさい。先生絶対怒らへんから」

いやいや絶対怒るだろうと誰もが思う中、落ちていた紙飛行機を、一番前の翔太が拾い、それを広げて村八に渡そうとした。小柄で運動音痴な翔太は、癖で眼鏡の真ん中を触るため、一見ガリ勉風に見えるが、それほど頭はよくない。

村八が広げた紙飛行機に、乳輪ドドメ色のお好み焼き”と書かれていた文字がみんなの目に入り、クラス中に笑いが起こった。村八は席に戻ろうとする翔太の二の腕を勢いよく掴み、ぐいっと引っ張った。

「先生僕と違います。落ちてたから渡そうとしただけです」

「ほな何でわざわざ広げんねん。ほんで今みんなこれ見て笑ったよな。お前ら見たことあるんか。最悪ドドメ色のお好みみたいやったら、それの何があかんねん、別にええやないかい、いや先生はもちろんちゃうけどな」

僕らは笑いを堪えるため、下を向いたままだった。

「先生、正直に言うたらええんやろ。教えたるわ。それ投げたんこの子やで」

寝耳に水だった僕は、目が点になった。由里香がいきなり自分のやったことを棚にあげ、僕に罪を擦り付けてきたのだ。凄い勢いで村八が僕の前に来て、いきなり胸ぐらを掴んだ。

「植木さん、あんたがやったんか。どういうつもりやねん。先生あんたに何かしたか?え、何とか言ってみいよ。」

訂正する隙を一切与えてくれないが、僕は必死で無実を訴えようとした。

犯人は由里香だ。花屋は表の姿、裏では人を陥れそれを楽しむ最低なハートブスだ。いや表裏関係なくそういう奴なのだ。僕は彼女が不憫でならなかった。僕こそ由里香に一体何をしたのだ。ここは正直に言うべきだ。

「先生、本当にうちじゃないんです。麻生さんがやったんです。信じてください。」

「は、どういうことよ。どっちがほんまなん。ほな何で最初にそう言わへんかってん。あんたも今頃みっともないで」

正直に言ったのに酷い言われようだった。村八は湯切りでもするかのように、僕の襟元から手を離し、由里香の前に仁王立ちした。

「やっぱりあんたやったんか。まあええわ、あとでゆっくり親も交えて話そうや、楽しみやな」

由里香は上目遣いで村八を睨み、おもいっきり振りかぶり唾を吐いた。そのタイミングが早すぎたため、僕の頬にそれが大量に飛んできた。僕は呆気に取られ固まるしかなかった。

「それ何やの。あんたどれだけ人に迷惑かけるんや。ええ加減にしいや」

村八が今度は由里香の机を叩こうとした時、由里香に足を引っ掛けられ、僕の机に覆い被さるように倒れ込んだ。それがうまい具合に、僕の体を巻き込みサンドイッチ状態にした。しばらく軽い脳震盪のように、ボーとしていた僕は、意識が戻ると村八と目が合い、開口一番こう言われた。

「何やのもう、飛び出し坊やか」

何故かドドメ色を超える大爆笑が起こった。村八もクラスメートもおかしい。由里香は相変わらず笑い転げている。こいつら全員狂ってやがる。無関係の飛び出し坊やまで何故か異常にムカついた。

「あんたがカットインしてくるからやでほんまに。ボーとしてたらあかんで」

村八はポケットからハンカチを取り出し、僕の頬を拭いてくれようとしたが、僕はその手をパンと弾き、クラスの全員に向けて怒りを露わにした。

「もう一体何なんですか。みんな死んでしまえーーー。」

全身の力を込めてシャウトしたら、目の前にあった赤いカーテンがひらひらと揺れ、その間から見覚えのある人の顔がぼんやり見えてきた。

「克巳おはようさん。いや言うてる場合か、あんたどんだけ寝てんねん。油断も隙もないな。それにまたぶつぶつ言うてたなー。最後はマイコーの雄叫び、ヒーヒー、ホウて言うてたで。ビリージーンかビートイットでも歌ってたんか」

意識朦朧の中、母のわけのわからないツッコミで目を覚ますものの、しばらくは残像に引っ張られて整理がつかない。いつになく今回は二重構造のようだった。そういうばスキーなんかやったことないのにやってたたし、あと誰かに追われてたし、最後は天敵の由里香や村八も出てたなぁ。てかあれは不登校のきっかけになった実話じゃねーか。どういうわけかちょくちょく出てくるんだよなぁ。

徐にスマホを見ると午後二時だった。平日ならちょうど母の二つ目のパートの開始時間だ。

瞼を擦ると痛いほどの目脂、合計十時間ほど微睡んだはずなのに、欠伸が一向に止まらない。あとソファが涎で異常に臭い、皮膚に唾が乾燥していくあの臭さといっしょだ。

以前何かのテレビで、夢は人間の潜在的に眠っているものの象徴だと聞いたことがある。その影響もあり、僕は夢であったことを日記に残すようにしている。起きた直後は鮮明なのに、文字におこそうとした途端、スキーをした、崖から突き落とされた、と断片的な動詞だけで、登場人物もその内容もほとんどを忘れていた。その前は焼却炉に閉じ込められたり、その前の前は痴漢をして捕まったり、その前の前の前は森の奥に埋められ、上からおしっこをかけられたこともある。痴漢以外ほぼ被害者だ。いや痴漢もやっていないし。これらが自分の中に眠っていると言われても、全然納得できない。それを母に相談したら、夢は予知じゃなくて、希望や恐れがぐちゃぐちゃーとわけわからん集合体になって現れるから、そこに意味など求める必要はないと言われた。それでも僕はやってないの映画を見た直後ならまだわかるが、流石に痴漢の冤罪はきつかった。しかも僕はそもそも男性ではない。その設定が破綻しているにも関わらず、夢の中では何故か違和感がないのだ。

かれこれその夢日記も、書き始めて一年以上経過している。主語をすべて、僕で統一しているのは、普段自分のことを、うちと呼んでいるからだ。日記にうちと書くとすぐ身元がバレてしまう。僕と書いていれば、もし誰かに勝手に読まれた時、足が付きにくいからだ。とは言え外に持ち出すことはないため、確率では家族意外にないに等しい。仮に読まれたとしても、文才のないくだらない短編小説でも書いているのだろうと即ページを閉じるに違いない。また見ず知らずの人や数少ない親友が読んだとしても、誰も僕が植木克巳 うえきかつみだと気付かないだろう。ついでに言わせてもらうと、僕の名前は男女兼用でも通じるのだ。姉の宏海 ひろみもそうだったし、あいつも名前だけは薫 かおるとやけに可愛らしく、母だけが志穂 しほといういわゆる女性らしい名前だ。病院で順に呼び出された時、母以外、一瞬の間を経験したことがある。特にあいつは名前と顔のギャップがえぐい。髭を剃り帽子をとり、スーツを着こなし、社会にも貢献し、生活費をきっちり家庭に収めるでもすれば、その名を語ってもいいだろう。しかしあいつはただのピンプで、借金を生むだけのクズ人間だ。

僕はあいつを父親だと認めていない。早く死んでくれと毎日願っているのだ。

あいつもSNSを始めた当初は近所の美味しい豚骨醤油ラーメンを食べてきた、白浜へ家族で旅行へ行ってきた、アメイジング・スパイダーマンの映画を見てきた、和民へ飲みに行ってきた、など誰もが投稿する日常ネタばかりだったのだ。それが何故か本来の自分ではないキャラクターとして、大きく見せようと必死になっていったのだ。男性の場合、権威が全面的に溢れていたり、金持ってる雰囲気を醸し出したり、いいお父さんぶりをアピールしたり、馬鹿みたいに趣味を楽しんでいたり、女性の場合は、複数の美女たちが意味もなく笑いあっていたり、はにかみながら何か食べてたり、着飾った格好で決めポーズしたり、化粧品をわざとらしく使ったりと、男性が異性を意識しているのに対し、女性は明らかに同性からどんな風に見られるかに注力を置いているように窺えた。

そんなどうでもいいことばかり考えている僕の横で、母は録画していたコンフィデンスマンJPをプリッツ片手にニ倍速で見ている。まさみええわぁと役名ではなく、演者のファーストネームを馴れ馴れしく呼ぶ母は、とりあえず連ドラがあれば幸せそうだ。でもさっきあいつが出かけた時、お金がどうとか言ってたがどうなったんだろう。暇だからあいつのフェイスブックでもチェックしてみるか。

どうやら先週梅田で開かれた二十名は超える何かのパーティの投稿のまま更新されていなかった。ふと何気にピンチアウトすると一番端のほうにあいつが映っていた。真ん中に主催者らしきスキンヘッドに髭面の男がめちゃくちゃ嘘くさい万金の笑顔をしていた。野内修 やないおさむの勝つための帝王学講座という、いかにも胡散臭い大きなプレートが立て掛けられていた。あいつまた変なもんに手を出している。その中にあいつとDMをしている女性も何人かいた。何なんだこの宗教みたいな集会は。僕には参加者の全員の表情が主催者の野内に握られているように見えて仕方がなかった。その一つ前の投稿は、あいつがよく使っている鑑定風景の写真だ。パペットマペットの例の格好をしたあいつが、中年のおばさんを鑑定している宣材写真、いいねは五つだけ。写真撮りますよーとプロカメラマンが指示したようなわざとらしさに満ちている。どうせなら占い師側でなく、占ってもらう側の表情などを載せた方がよりリアルだと思う。その次の投稿は、あいつがニューヨークのマジソンスクエアガーデンの前でエアギターをしている写真があった。さらにいくつか遡ると、フィレンツェのピサの斜塔の前で本を読んでいたり、バルセロナのサグラダファミリアの前でサッカーボールを蹴っていたり、いやいやオメー行ってねーだろ。これまでの大阪北新地や京都祇園で豪遊している偽写真に加え、旅の写真を新たに投稿していた。結構クオリティの高いアプリで加工した偽写真ではあるが、よく被写体の輪郭を見ればそれが偽物だとわかる。あいつは自分を大きく見せるために、よくこの加工アプリを利用し嘘の情報を流しているのだ。占い師、豪遊、カウンセラー、海外旅行、セミナー風景、これらのイメージから人生の成功者だと印象工作しているつもりだが、発想がとても陳腐で説得力がない。もう一度先週の梅田の投稿コメントをチェックすると、いくつか気になるものがあった。

“占い師になるため三ヶ月受講させていただきましたが、普通に本に載ってることばかりで、全く学習になりませんでした。”

“今までで一番内容の薄い受講でした。”

“お金をドブに捨てたと思うことにしました。これを詐欺だと言わずして何といえばいいのか”

タグ付けされていたこともあり、これは野内の講座へのクレームだと思ったが、よく見ると占い師を育成するための講座を、あいつ自身が開催していたようだった。自分もまだ一年にも満たない新米占い師の癖に、何を狂ったのか先生的な立ち位置になっていた。コメント欄には、DMにて回答済とあった。

あーあ、逃げてるのバレバレだ。

さらにそのDMを辿り調べてみると、

“あんないいががりやめてください。こっちが被害者ですわ”

“そんなん言われても、お金は返ってきませんよ”

“詐欺だなんて人聞きが悪い。結果が出なかったのはオタクのやり方が悪いんでしょ”

あーあ、さらに炎上してるよ。てかあいつ本当に占い師なの?カウンセリングしないといけないのはオメーだろ。それすっ飛ばして帝王学だなんて、ばか丸出しじゃねーか。

あいつが稼いだお金や、母から奪ったお金、そして人様から借りたお金は、こういう人たちとの間でぐるぐると回っているのだろう。最終的にそのお金がどこで止まっているのか。そいつが一番の悪で、あいつもこういうクレームを言う人たちも、きっとそのカモなんだと思った。

「おんどれええ加減にせーよ。何回言うたらわかんねん。これが最後や言うたやろが。言いたかないけど宏海のことは誰のせいでもないんや。改めへんねやったら別れるか。一人でやっていけボケナス。」

母はあいつの女性関係のことについては触れないが、お金に関するいい加減なところは毎回ばっさりと切る。家にお金を入れないことでも母はすでに百歩譲っているのだ。我が家は母のパート代で成り立っており、あいつがここにいることはリスク以外のなにものでもない。それでも母は情に深い人だから、あいつに何度もチャンスを与えている。あいつはその都度叱られた飼い犬のようにシュンとして、今はでっかく稼ぐための種まきでいつかは家族三人でグアムに移住したいなどと、その場凌ぎの出まかせを言うのだ。そして喉元過ぎれば熱さを忘れ、母に何度忠告されても、あいつは懲りずにまた講座難民を繰り返すのだ。実は印刷屋を辞め占い師になったのも事後報告で、胡散臭い講座にかかる費用も自分で稼いだお金で賄えず、結局母や人様から拝借し返そうとしないのだ。やりたいことや、なりたい職業になれて本人だけが満足し、家族には負の遺産しか残さない。これを本末転倒というのだろう。

僕はそろそろ爆弾を落とそうか検討しているが、どうしても母の反応が怖くて躊躇してしまうのだ。

「克巳、ええか。目に見えるものが真実とは限らへんねん。何が本当で何が嘘か。」

え、母は僕の心を読んでいたのだろうか。

「ダー子やん、まさみの名台詞やん。お母さんもほんまそう思うわ。」

母はまたテレビに向き直り、プリッツを頬張った。

やっぱまだ言えそうにはない。


第二話へ続く


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