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【創作大賞2024応募作】 母・子おる 最終話


久々にここへ戻ってきた。随分長かったようで、ちょっと前のことのようでもある。

最近ではインバウンドの影響で海外の人の姿をよく見かける。僕はこの長い商店街をひたすら南下し、ある橋へと向かっている。何故そこへ向かっているのか自分でもよくわからない。道行く人から、ココワカリマスカと次々に聞かれる。オメーらスマホ持ってねーのかよ。そんなのグーグルアースで行き先入れればすぐわかんじゃねーか、とは言わず、一応丁寧な応対をする。

「アリガトウゴザイマス。イッパツヤラセテクレマスカ」

一瞬フリーズし、僕はそいつの顔を肘ノックポーズで打つ。

総合格闘技では反則技だが関係ない。相手は後ろに倒れ、体をパタパタしている。

何じゃこれ?

周りに人だかりができ、僕に何かを言っている。いやいやこいつが変な下ネタかましてきたからだよとは言えず、立ち往生していた。

その中からアラブ人のようなターバンを巻いた顔の濃い男性が、僕の腕をぐいっと掴んだ。

「ハヤクシロ、ミンナマッテルンダ」

そうだった。僕はとある橋へ行く約束をしていたのだ。アラブ人とともに商店街を走り抜け、目的の橋に到着する。その橋は普段から待ち合わせの場所として関西人に愛され、別名ひっかけ橋とも呼ばれていた。

橋の中央に人を囲むように、丸い円の形が見えた。その中で誰かが大きな声をあげている。映画などで見る格闘シーンのようだ。僕はその中心の方へ人をかき分け入っていく。

一人の中年男性が十字架に貼り付けられぐったりしている。その前に燃えゆく薪を高らかと持つ女性の相図を、今かと待ち続ける新撰組の衣装をまとった青年たちが、刀に手を置き準備している。

どこからか、ドンドンターンと足踏みする音が響いてくる。

クイーンのウィ・ウィル・ロック・ユーだ。

なにこれ、ミュージカル?

いや新撰組もいるからちょっと違うかも。

長いイントロの後、薪を持った女性が天にそれを放った。

新撰組は一斉に刀を抜き十字架の髭男を叩き斬ろうとする。

かなりスローモーションに見える。

ダンダンターンのボルテージが最上級まで上がった繋ぎ目で、髭男はカッと目を覚まし、十字架で繋がれたチェーンを自力で跳ね飛ばし、上からタイミングよく落ちてきた女性が放った薪をノールックで握りしめ、それをマイクに見たて歌い出す。

♪  道路で騒ぎながらーいつか大物なると叫んでいる少年

泥まみれになって、みっともない格好で、世界中で缶蹴りしてやれ

お前―を。お前―をー、乗らせてやる ♪

待て待て待て、おかしいおかしい。

まずなんでみんな踊ってるの?初めから設定おかしいって。

ジャンヌダルクと新撰組、なにこれ?あとジーザスクライストのこの人、いっつもうちの夢出てくる髭のおっさんやん。

なにがおかしいってクイーンの名曲和訳して、メロディと全然合ってないから早口言葉みたいになってるし。みんな何故かノリノリだし。何よこれ、うちの約束ってこの寸劇見ることやったの?

なぁ誰か教えてよ。何なのこれ?

あたふたしていると、いきなり頭上から大きなマントみたいなものが落ちてきて僕の視界を遮った。

もうええわとツッコミながらマントを弾き飛ばすと、目の前に髭男ではなく、津島さんが不思議そうにこっちを見ていた。

「克巳ちゃん、大丈夫?だいぶうなされてたみたいやけど」

「わ、津島さん、こんな朝早くにどうしたんですか?」

「けんがな、克巳にお礼を持ってきたらしい。その前にパパ特製トマトサンド、早よ起きて食べにおいで」

目を擦りでっかい目脂をり、スマホの時計を見ると、八月二十五日 土曜午前九時だった。


母はいつものように講演会へ行っていた。津島さんが今朝うちに来た理由はあいつの借金のことだ。

いや待てよ、あれはもう解決したはずではなかったのか。

「あの時は克巳ちゃんや志穂さんのおかげで、無事お金も全額戻ってきたし。本当にその節はありがとうございました。随分遅くなったけど、これその時のお礼。」

津島さんからポチ袋をもらった。

「克巳、よかったな。それでパパに何か奢ってくれよ」

「そうでもしないと、泥棒みたいに盗んでとんずらするからなぁ」

おもっきり皮肉を込めてきりっと睨んでやると、あいつは引き攣った笑顔を前掛けで隠そうとした。

それを見た津島さんは僕を宥めようとあたふたしている。どうやらあいつへのあしらいが、母やねーちゃんを超えてきたかもしれない。

結局、あの一連の事件に関して僕は何もしていない。

母が全て丸っと解決させたからだ。

藤沢駅で変な劇団員にナンパされそうになった僕は、その後小田原まで孝四郎さんを迎えに行くつもりだった。しかし母があいつの暴行の罪を訴えた被害者にコンタクトを取ったことで事態が急展開したのだ。

例のインスタに書き込みをしていた溝口だ。母が彼女に接触した時、実は彼女は大阪にいたのだ。被害が遭った場所は藤沢管内にも関わらず、その当日の午後大阪都島区にいたと津島さんから情報を聞きつけ、すぐに行動を起こした母は溝口が新京橋商店街のホルモン焼きによく出入りしていることをキャッチした。店主から溝口の自宅がすぐ近くだと聞いた母は、植木薫の妻であることを隠し、同じ育成講座の生徒だと偽り偶然を装ったのだ。母は溝口からあいつの無実を証言してもらうため、溝口の前日からの行動を先に自分の口で言わせ、それをボイスレコーダーに録音していた。一般的に裁判でボイスレコーダーの効果は証拠にはならないが、マスコミに挙げるとそれよりもさらなる効果があるらしい。つまりあいつに暴行された供述など存在せず、ある人物から借金の肩代わりのため実行するよう命じれたと漏らしたのだ。

急遽東京まで溝口を呼び出したその人物は、あいつと接触して色仕掛けで迫り、乗ってきた時に、自分にはそんな気がなかったとレイプ被害を訴えるよう絵を描いた。それが現行犯逮捕となるよう敢えて密室ではなく、公共の場で行わせ、借金で首が回らない別の生徒にその通報役をやらせたのだ。ただ実際は溝口からいくら色仕掛けで迫られても、あいつは全く興味を示さなかったため、最終的に自作自演でされてもいない被害を訴え、通報役と連携し事件をでっち上げたのだ。結局あいつも溝口たちも全員その人物の手の中で踊らされていたに過ぎなかった。

そんな指示を出す奴は一人しかいない。結局母は溝口が雇われた以上の見返りを彼女に支払い、更生した暁には仕事の世話もしてやると約束したのだ。津島さんから奪った百万円もあいつや野内から取り返すことが出来ず、自分が肩代わりをして全部丸く納めたのだ。その借金はパート先の天空さんから、さらなる上乗せを依頼したのだ。結局植木家はあいつのせいで、さらに借金地獄に陥ることになってしまったのだ。その当の本人は前科がつくことも、懲役に服することも、借金を全額返済することもなく、今は見ての通り主夫として家事全般を請け負っている。この一ヶ月で植木家は母が主軸となり、第一線でバリバリ活躍し、生計を立てることになったのだ。

あの事件以来家族では隠し事をしないようルールを定めた。母が特に小拘ったのは、無理をしないこと、やりたい人がやれることを積極的に取り組むこと、このふたつだった。それが案外功を奏したようで、今のところ植木家はうまく回っているように思う。

それと、あいつと村八との不倫疑惑はどうなったのかも触れておきたい。実は完全なるガセネタだったことがあの翌日に判明していたのだ。

では何故そんなデマが発生したのか?簡単なことだ。それを拡散した人間がいたからだ。

シンママの犬山さんのお母さんはフェイスブックで出会った年下の既婚男性と不倫をしていた。その相手の男は複数の女性と交際していたらしく、それを知り逆上した犬山さんのお母さんは、京都の縁切り神社へ何度も足を運んだものの、結局別れられずどういうわけか、館であいつの占いを偶然にも受けたのだ。

その鑑定結果はやはり別れるべきだと告げられたらしい。

意外にもあいつの容姿と不倫相手がかなり似ていたらしく、犬山さんのお母さんはあいつに夢中になり、嫌がらせのように毎日館へ訪れるようになったのだ。あいつが出演を控え出した時期と確かに合うのだ。犬山さんのお母さんはあいつのストーカーとなり、あいつのことをいつしか付け回すようになったのだ。館まで向かうも犬山さんのお母さんに会うのを恐れたあいつは、心斎橋を徘徊し帰宅する日々を何度か繰り返した。学校へ行くふりをした偽登校はどうやら血筋のようだ。

村八は村八でタロットカードにハマり、別の館の常連だった。次第に自分でもタロットカードの鑑定技術を身につけたいと考えた村八は、あいつが僕の父であることなど知らず、あいつの占い師育成講座を受講していたのだ。その勉強の場として心斎橋のカフェを利用していたが、終わった後、難波駅へ向かう道に怪しげなホテル街があり、後をつけていた犬山さんのお母さんが逆恨みし、二人があたかもホテルへ入っていくような写真を何枚も収め、それを娘に話し拡散させたのだ。ただ犬山さんはあまりにも非協力的だったため、犬山さんのお母さんは自ら問題児である由里香に接触し、拡散させるよう仕向けたのだ。期末の初日、犬山さんが僕を呼び出した後すぐに逃げたことに、由里香たちは後日追求した。犬山さんにも僕にした同じ仕打ちをしたことで、犬山さんは全部カミングアウトしてくれたのだ。自分の母親の罪を晒したことで、犬山さんもかなりキツかっただろう。勇気の決断だ。ひょっとして夏休みが明けて登校しない、いや転校する可能性もある。そんなこともつゆ知らず、美優やのんちゃんたちが何度も僕が小田原にいる時、サインを送ってくれていたのだ。僕は必死であいつの無実を立証するため、そこまで頭が回らなかったのだ。

母は今、あいつと役割を交代し、オンライン講座を行っている。その内容は、あいつのようなネットで被害にあった人への相談窓口として、個人や法人向け相手に活動している。野内は溝口の虚偽の証言が明るみとなり、それを実行するよう指示を出した罪も問われ逮捕された。僕が新宿で野内にされた仕打ちを、劇団孤独のロリータ犬がネットにも拡散し、さらにこれまで野内から被害を受けた人からの声をまとめた母が、それを持って民事でも訴訟を起こす準備もしている。新宿で僕が録音していた音声も少し役に立ったそうだ。

平塚美佐子も被害者の一人ではあるが、彼女は別腹やと母らしい態度でこれ以上巻き込もうとしなかった。あいつと平塚美佐子の旅のツーショットや、何故彼女を監視していたのかの理由は、やはり野内が全て絵を描いていたようだ。自分の弟子が自分の分身とまではならなくても、右腕や参謀役となるよう、そんな共犯関係となる人間を野内は探していたのだ。扱い安く従順なあいつをターゲットにした時点で、野内には見る目がないことがすぐにわかる。きっと飼い犬に手を噛まれたと今頃獄中で思っているだろう。このイメージが野内の中にできていたかどうかはわからないが、マスターが言ってた金のエネルギーの話や、天罰が下される話など、やはり見えない世界には、別の配役された人たちによって、ストーリーが固められているとも考えられる。

思い通りに行かないのも人生だし、思い通りに描こうとイメージするのも人生だろう。

また、母が必ず講演で掲げるテーマに、ニードの重要性についてだ。人を必要とし、人から必要とされる。その逆が世間でまかり通っている。それは自立を促進しているからではなく、疎外感から来ているのだという。孤独を選択する人、選択を余儀なくされてしまった人、疎外感は内側から起こる精神的な病ではあるが、その原因を作っているのは環境であったり、人との関わりだったりするのだ。父が起こした一連のことが、その全ての原因だとフォローしたくはないが、どこかで知らんぷりしていた心当たりは確かに僕にもあったのだ。それは父だけでなく、うちの心にもずっとあったことだ。ねーちゃんの事故以降、特にそうなった気がする。でも植木家は最後の最後でそれに気付かされたのだ。藤沢警察ではあいつのことを酷く罵倒してしまった。あれを思い出すと、僕は胸がきいとなる。

でもそれまでの辛かったことが、長い振りだとしたら、ここからのぼけは相当破壊力のある笑いへと変換される気がしてならない。

あ、そろそろ僕は出かける準備をしなければならない。この後、夏休みの最後の思い出に、藤沢のいちごハウスに向かう予定なのだ。

岸本さんから施設の装飾に、僕のフィギュアを採用したいと依頼を受けたからだ。僕は高校へ進学するかどうか実はまだ決めていない。僕を必要としてくれる人がいるなら、その人のために時間を捧げたい。僕が必要としたい人はいつだってここにいる。そう願うことでいつもその人は僕の側にいてくれる。

小田原での旅の後半、全てを諦めかけた僕は、孝四郎さんが来てくれるよう強く心に念じた。実際に孝四郎さんはそこにいなかったのに、数々の奇跡を僕に起こしてくれたのだ。それは恐れに起因した夢でも希望に満ちた予兆でもなく、僕の心の奥に眠っていた、ある魔法を呼び起こしたに過ぎない。

そのロック解除の番号は、I210

アイニージュウとしている。

その糸を裏で引いていたのは、いつだってわかりにくいノールックパスを出すあの人だろう。

僕にははっきりと見えている。

世の中には見えていないものの方に、大切なことがたくさん隠されているからだ。

母が自身の講演の最後に、ある一曲の歌詞を必ず取り上げている。


現在、過去、未来、

あの人に逢ったなら

私はいつまでも待っていると

誰か伝えて

まるで喜劇じゃないの

ひとりでいい気になって

さめかけたあの人に

意地をはってたなんて

ひとつ曲り角 ひとつまちがえて

迷い道くねくね


迷うことそのものが人生なのだから

すべて喜劇として捉えれば、

楽しまなきゃそんそん

ええじゃないか
ええじゃないか
ええじゃないかほいほい

ずっと思ってたんだけど、
ええじゃないかと
おちゃらかほいと
えらやっちゃえらやっちゃと
どれもおんなじみたいだなぁ。





【あとがき】

最初はかなり抵抗があった。そりゃそうだ。男は外で仕事をし、女が家庭を守る。それが普通だと思っていた。でもまぁ男は外へ出ると仕事の辛さを発散する方法をたくさん持っているが、女が家を守ることの大変さを世の男たちは知らなすぎる。そりゃもうどれだけ退屈かって。朝、妻と娘の弁当を作って、掃除洗濯をして、夕飯の献立を考え買い物へ行って、夕飯の準備をして、二人が帰ってからそれぞれの一日の話を聞きながら一緒に夕飯を食べ、その後片すぐ後片付けをして、そこから寝るまでの時間だけが唯一の自由な時間なのだが、ここんとこ老化もあり、すぐ寝落ちしてしまうのだ。よくまあ志穂は家事と四つのパートを掛け持ちでやっていたもんだ。俺には絶対にできない。起死回生の何かを探そうとしてドツボにハマるのが、これまでの人生で立証済だ。頭脳を使ったことで金儲けができるスキルに俺は憧れていたんだ。いや楽がしたいのが本音だった。あと女性にモテたくてたまらなかったのは、元々俺がモテない人間だったからだ。でも人生で一度だけチヤホヤされた時期があったんだ。もう四十年ほど前のことだが、多分それが良くなかったんだ。こんな俺でもモテるんじゃないかと勘違いをしてしまい、モテない自分を許せなくなり、ずっとモテる自分を演出してきたわけだ。でもそんなもの側から見たらバレバレで、俺にはそんな素質がなかったんだ。いい年をしたおっさんがそんなこと言ってる時点でかなり痛いだろう。でも俺はやっぱりモテたい。若い頃のようにチヤホヤされたいそういう願望ではなく、世の中から必要とされたいんだ。一人娘の宏海が小学三年の時、もうお父さんとは遊ばないと言ったのには本当にショックだった。宏海が成長していくに従い、俺は次第に家に居場所がなくなっていった。宏海はスポーツ万能で中学高校とバスケ、大学ではテニスをするつもりだったが、やはり自分にはバスケしかないと決断し、この夏もロスへ遠征試合に行っているんだ。宏海は我が家の大スターだ。あいつのこれまでの功績はうちの自慢のひとつだ。ただ一つだけ言わせてもらうと、そんなに頑張んなくてもいいぞ。もっと親を頼れと言いたい。いや、俺が頼りないから言えないのか。だったら仕方がない。でもな、強い女は本当は弱いって言うだろ?宏海は俺の娘だ、本当は弱いんじゃないのか。俺がモテる人を演じても、そうじゃないのがバレバレだったみたいに、宏海が強くなればなるほど、心に負担がかかってないか心配なんだよ。ペラペラかもしれないけどもっと頼ってくれよな。

それと妻の志穂は、俺にとって一番必要な人だ。俺がやらかした全ての問題を全部解決してくれたんだ。しかも志穂はその経験をアマゾンキンドルで小説化し、さらにネット被害で苦しむ人の個別相談や、今や全国の学校で講演活動も行っているんだ。さらにテレ東から映像化のオファーも来ているようで、俺より頭脳を元手に金儲けができる人だったんだ。でも俺の事件がなければここへ到達することはなかったんだ。お前が言うなと突っ込まれそうだけど、本当の話だからね。あと特筆すべきことは、書籍化した際の、主人公克巳は誰をモデルにしたのか。

志穂は自分の幼少時代だと言った。作中昭和を匂わすものがたくさん出てくるが、俺はやめとけと止めたんだ。今の中学三年生が楢山節考や渡辺真知子さんなんて知るわけないだろうてね。でも志穂は聞かなかった。いいものは時代を超えて受け継がれていくことを伝えたいて聞かないんだよ。

それと今回のテーマでもあるが、志穂が父に抱き続けたことと、俺の邪なものが被って見えたそうだ。つまり幼少期の辛い経験を俺との結婚生活で背負わされていたようだ。でも実は俺も克巳ちゃんと凄く似ているんだ。特に思ったことをすぐ言っちゃったり、小さなことをくよくよ考えたりするところ、でも克巳ちゃんは最後父役の俺を助けようと奔放した。物語の架空の克巳ちゃんと、お母さん役の志穂は実は同一人物で、俺は一人の複数の人から救ってもらったわけだ。

ネタバレついでに言わせてもらうが、植木家に起こった物語の大半は志穂目線で見たもののノンフィクションで、出演者たちのキャラクターは志穂が作った架空の配役で構成されている。だから作中の俺と、今ここにいる俺とは随分雰囲気が違うだろ?

起こったエピソードに次いではもうここでは触れない。

今では志穂の講演会に訪れる人たちの大半が、小説を先に読んだ人たちばかりだそうだ。

俺の生き恥全開な行動によって山あり谷ありあったものの、また家族がひとつになっていく。

これまでの恥の人生も誰かの役に立ったわけだと、そう思いたい。

こんなこと言ってると克巳ちゃん、いや志穂にまた怒られそうだ。

それじゃぼちぼち俺も出掛けなければならない。克巳ちゃんの影響で最近フィギュア作りにハマっているんだ。これからその勉強会へ行くところだ。今日は俺の大好きな紫陽花でも作ってみるか。

ここから先は妻の志穂へバトンを繋ぐ。



パパからバトンをもらいました。薫の妻で宏海の母の志穂です。次女克巳ちゃんこと、私のもう一人の内在する人物の四人家族のドタバタ劇場を最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

作中私のキャラクターが、はちゃめちゃな関西のオカンという位置付けで、読者の一部に気分を害された方もいたそうです。実際の志穂、つまり私はあんなにチャキチャキしておらず、かなり石橋を叩いて割るタイプで、最後に丸っと解決させるような技巧、資質など持ち合わせていません。喫茶ええじゃないかのマスターが言っていた、憧れの存在から生まれた、私にとっての勇気あるおかんなのです。あんなおかんがそばにいてくれたらの願望で作った人物ですが、講演会では一番人気があり、私が講談に立つと参加してくださった方たちは、志穂さんてコテコテの関西人じゃないんですねと、少しがっかりされる方も散見します。

私の性格はほぼ、いや丸々と言っていいほど、克巳ちゃんに近いです。臆病で打たれ弱くて、引きこもりの上、心の中ではいつも口が悪い。わけのわからない夢を見て日記もつけています。作中の夢の話はほぼ実話、いや、夢だから実際ではありませんが、本当に見た夢の数々です。

あとパパも言ってましたが、植木家に起こったエピソードは、私が嘗て経験したことを元にしていますが、登場した人物たちは架空の人物ではあるものの、実在する人からかなり影響を受けています。講演会で必ず問われるのは、平塚美佐子は誰をモデルにしたのか。読者の方も薄々気付いていることでしょうから、何故彼女に拘ったのかだけをばらすと、私の永遠の憧れだからです。彼女のはにかんだ笑顔は深い愛に満ち溢れています。喫茶ええじゃないかに映っていた映画は彼女の最高傑作だと言えますが、なぜか主演の俳優と監督だけが賞を受賞しました、彼女のあの笑顔が土台になっていたからだと思うので、作中幾度かその光景を表現したのです。すべてをなかったことにしたり、なかったことをあったことにできる魔法は、彼女そのものだと言っても過言ではありません。私がこの小説を書き上げることができた大きな理由のひとつなのです。
近々テレ東さんで、このフォーマットだけを使用し、不祥事で芸能界を追われた俳優さんで、是非映像化したいと依頼をいただきましたが、私は断固拒否しました。何故ならあの役は彼女でしかありえないからです。

もうここまできたら、物語にも少し触れておきます。

期末テスト初日にあったイジメ事件の再来をきっかけに、克巳は内から外の世界へ羽ばたいていきました。私は克巳ちゃんに、ファイトー頑張れーと、心より強く応援しながら文章を紡いでいきました。母の私はできるだけ緩和剤になり、克巳ちゃんには冒険させてあげたかったのです。中学三年生の女の子に、そこまでさせる母の私は、幼少の頃、父を殺したいほど憎んでいました。克巳ちゃんとの大きな違いは、手放すことも許すこともできなかったのです。野内というラスボス的な存在が私の実際の父に近い存在だったので、物語としては野内を糾弾、裁きを与えるところまで描きましたが、未だに許すことが出来ず、この小説であの世からこの世に引き摺り下ろし、罪を償わせたいと思ってなりません。父が家族を置いてどこかの女性の元へ行ってしまったことと、夫の薫の逃亡事件を紐付けたのですが、その真意は夫婦の横の関係と親子の縦の関係の、すれ違いや行き違い、思い違いのズレを表現したかったのです。原因と結果、因果応報といえば少し固くなりますが、その元となるものは、閉ざした側にあるのだと私はいつも考えます。

作中、母の私が、セックスのことを克巳にカミングアウトするシーンがあります。日本の親子でセックスの話を堂々とオープンにできる家庭をあまり知りません。私もそうです。夫婦ですらセックスレスになるのですから、その原因はいくつもあると思いますが、シンプルに言うと、これも閉ざした側にあります。ロックをかけたのたらロックを解除し、開ければいいのです。何もセックスを私は強要したいわけでなく、体が触れ合うこと、手を握ること、そっと口付けすること、抱きしめ合うこと、それもセックスだと思うのです。

そうしたコミュニケーションをとることで、閉ざしたズレが、そのままズレたままになることは減少するでしょう。私の開催している講演会では、親子の関係性や、夫婦の性についてのズレなどをテーマにすることも多くなっています。

本作を最後まで読んでいただき、しかも不要なネタバレのような内容まで読んでいただいたことで、がっかりされたとしたら、大変申し訳なく思います。

でも私があなたに何か役立てることがあれば、是非使ってください。

私があなたを必要として声をあげた時、

あなたはすでに私のためにとても尽力してくれたのだから。

それではここからの続きは是非、講演会でお話しできることを願っています。

また、いつかお会いできる日を夢見て。



どうも、長女の宏海です。

母からバトンは渡されなかったけど、どうしても最後に言いたくて、勝手に追記しています。

本作ではほとんで出番がありませんでした。

なぜなら死んでいるからです。

ページにして二、三ページほどです。

孝四郎も小田原にいたのかいなかったのか、亡霊的な扱いを受け、私同様もっと使ってあげてほしかったのが正直なところです。

これもあんまり言いたくなかったのですが、由里香のキャラクターが私にとても似ていて、すごい悪人に映っています。ある一場面を強調しただけに過ぎず、そうした人生の失敗、過ちだけをフォーカスするのは酷だと思います。是非成仏させてあげてほしいです。

パパから聞いた話によると過去に、あしたのジョーというボクシング漫画で、相手役の力石徹選手が試合後亡くなるという設定に対し、ファンたちが実際のお葬式を行ったそうです。由里香も成仏、あ、まだ死んでなかったですね。失礼しました。死んでたの私でしたね。私のお葬式も是非盛大に行ってほしいものです。

いやいや、死んでることになってますが蘇生したってことで、母の別の小説で是非活躍させてほしいものです。母が私を死んだ設定にしているのは、私の実生活に影響が出ないよう封印させたと言ってましたが、真意は謎です。あまり母とは折り合いがつかない年頃なので、母も多少面倒くさくなったのかもしれません。

あとパパにはめちゃくちゃ言いたいことがあるんだけど、ひとつだけ言わせてもらうと、私、自分の顔が結構好きなんです。特に目がぱっちりしてるところ。よくパパにそっくりだと言われます。パパがやってきたことは人として最低だと思いますが、きっと反面教師なんだろうと思うようにしています。パパが選んだ道や、考え方、行いの全ての反対に進むことで、いい人生が待っているような気がしてなりません。

ついでだからもう一つだけ言わせてもらうと、いい加減子離れしてよね。私も弱いところあるけど、もし人に相談することがあれば、友達にはするかもしれないけど、父親には絶対しないから。頼りないとかそんなんじゃなく、そういう役回りだから悪く思わないでほしい。

皆さん、克巳もいい子だけど、私、宏海の噂の真相暴露チャンネルも、良かったらお気に入り登録よろしくお願いします。

では最後の最後に、皆さんにお菓子をプレゼントするよう、パパに頼まれていますので、よかったらいただいてくださいね。






ここにオレンジ色に包まれた袋のお菓子があります。

このお菓子は、これまでのことをなかったことにしたり、あったことをなかったりする魔法のスナック菓子です。

どうやら百円ぐらいでこれを買えますが、これで百円は買えないようです。

いつか夢で誰かがそう言っていたような、現実にどこかで見た記憶のような、そんな意味のないことを考えるよりも、僕は誰かに喜んでもらえるなら、それでええじゃないかと、ここ藤沢でご老人方の身の回りのお世話をしたり、躍動感のあるフィギュアを作ったりしながら、今、目の前のやるべきことに集中している。

「克巳ちゃん、いつ来てもここの海は綺麗だねー」

施設で一番高齢の節子おばさんは、僕の作ったフィギュアを優しく撫でている。

僕は節子おばさんの車椅子を押しながら、太平洋から送られてくる眩しい光に目を細めている。

日差しもじりじりと皮膚に直撃してくる。

「節子おばさん、そろそろ戻りましょうか?」

「まだいいじゃない、もう少し光を浴びましょうよ。どうせもうすぐ死ぬんだから」

言葉とは裏腹に節子おばさんは自信に満ちた表情をしている。

「このままだと熱中症になっちゃいますよ。施設に戻りましょ」

僕が車椅子を半回転させた時、節子おばさんの赤い膝掛けが海の彼方へ飛ばされてしまった。

ソーリー、わ、何てこった。ほんとすいません。

僕は節子おばさんに深々と頭を下げ、そのまま膝掛けを取りに行こうと波打ち際まで全力疾走した。

その赤い膝掛けは大きな風にさらされて、まるで意志をもったブーメランのように、僕の方へ舞い戻ってきた。

それに視界を奪われた僕は、必死に足掻きながら何とか振り払うことができた。

何故か目の前には誰も人がおらず、赤いカーテンが閉ざされた状態になっていた。

あれ、節子おばさんどこへ行ったの?

海の設定は?

これってひょってして例のいつものやつか。

僕はゆっくりと前へ進み、その中央からそっと向こう側を覗き込んで見た。

拍手をする音が遠くからフェイドインしてくる。

暗転の後、見覚えのない人たちがこっちを見て笑っている。

不意に後ろを振り返って見たが、誰もいなかった。

僕はこの舞台から、頭が膝につくほどお辞儀をした。

太ももの後ろ辺りがピリッとした。

もうこれぐらいでいいかなぁと思い、頭を上げると観客席の真ん中で、カメラを回していた母の姿だけがあった。




この物語を敬愛する伝説の女優、平塚美佐子に捧げます。




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