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ざざざー」と積み木が身体の上に降ってくる音
楽つみ木 徒然 幼児教育的視点
楽つみ木広場ワークショップに参加して
積み木と出会う瞬間、子どもたちは目を閉じていました。出会いというのは、視覚から入ることがほとんどではないでしょうか。楽つみ木広場での積み木との出会いは、積み木に埋もれることから始まります。
「ざざざー」と積み木が身体の上に降ってくる音、ちょっとひんやりとした感覚、やさしい手触り、ひのきの良い香り。子どもたちが想像していたような積み木とは違ったのではないでしょうか。
色がついていない、テカテカもしていない、木のぬくもりがそのままの思ったより小さな積み木。五感が最大限に働くような出会いに工夫されているなと感じました。
正方形、長方形、台形。たった3種類の積み木ですが、組合せ方、アイディア次第で多様なものができ、一つとして全く同じものはできないと思います。
今回のワークショップの中で、考えさせられることがありました。子どもが3種類の積み木の形を見て「何を作ろうかなー」と考えていた際に、あるお父さんが「台形の積み木は円をつくるためのものだよ」と子どもに教えていた場面です。
最初にそう決めつけてしまったら「これは円をつくるための積み木」という固定観念が生まれてしまう、子どもの発想力を1つ潰してしまったと感じました。
積み木の使い方、組み合わせ方に正解はないはずです。大人は、これはこうと決めつける癖があります。
教えることが子どもにとって全ていいことではなく、子どもが自分で発見できるような環境を与えられることが最も大切なのではないかと思いました。
積み木の良さというのは、簡単に崩れてしまうというところにもあるなと思いました。子どもたちは、崩れないように慎重にていねいにやさしく積み木を積んでいきます。
崩れてしまっても、最初からやり直します。うまく積み上げられない際には、向きを変えたり、種類を替えたりしながら何度も何度も試します。
また、最後に積み木を崩す時、作品を「壊す」という言い方はせず、「抱き崩す」という表現がとてもよいなと思いました。
なかなか抱き崩せずに、躊躇している子どもの姿がとても印象的でした。
きっとこの子は一生懸命つくったのだなと思いながら見ていました。形には残らなくても、子どもたちにとって、あの積み木広場の作品は目に焼き付いていると思います。
そして作品が完成した時の喜びや、暗闇の中で光に照らし出される積み木を見たあの驚きはきっと忘れられないものになったはずです。私自身もそうなので。
そして、積み木おじさんの言葉がけというものは、とても勉強になるものばかりでした。
特に、遅れて参加の子どもたちが加わった時の「みんなー。新しいお友達に積み木を3つずつ持ってきてくれる?」という言葉がけが印象的でした。
ただ、新しい友達が来たことを紹介するだけでなく、関わるきっかけをもたせることで違和感なく輪に入れることができ、また「1人3つ」と言うことで、多くの子どもたちの少しずつの協力が必要であること。
これが助け合いの心、チームワークであると感じました。ただ、スタッフが積み木を補充すればいいだけのことを、こういった言葉がけ一つで、チームワークの心を育てられるのだなと感動しました。
子どもの主体性を大切にしつつも、限られた時間の中で、子どもたちが充実感・満足感を感じられる作品を完成させなくてはならない。
どこまで、子どもたちの活動を誘導し、どこまで子どもたちの自由に任せるのか。ファシリテーターというのはとても難しいものだなと改めて思いました。
私は、専門の家庭科教育だけでなく、幼児教育にもとても感心をもっています。
子どもにとっての一番の学びは遊びであると思います。子どもは、大人が思っているよりも自分の力でたくさんのことを学んでいきます。
子どもの気付きや発見を引き出し、想像力を育める環境をどう提供するのかが、幼児教育の中で重要であるものだと思います。
またこれは幼児教育だけでなく、小学校教育でも同じことであると思います。
今回、縁あってこのワークショップに携われたことをとても幸運に思い、感謝しています。
つみ木おじさんの親しみをもてる人柄や考え方、とても素晴らしいものばかりで、今後、教員として子どもとかかわる上で参考にさせていただきたいと思います。
貴重な体験をありがとうございました。
また、機会があればぜひお会いしたいです。