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長生きしてください

「長生きしてください」

私が一番嫌いな言葉はこの「長生きしてください」である。このいかにも若さの上に胡坐をかいたような、「長生きしてください」をきくと、無性に不愉快になる。そしてはっと気づく。自分が18歳の猫を見るような視線。もうすぐ死んでいく生き物をみる視線。猫は自分の寿命なんて考えてない。今日を生きるのに必死なのだ。今日何を食べるか、今水を飲むべきかどうか。明日のことなんか考えない。それなのに、私は猫の平均寿命で今生きているネコのイノチを見ている。

「長生きしてください」の言葉に悪意はない。むしろ善意のかたまりであり、親切で優しい心の発露である。

でも、でも、私は重病でもないのに、明日死にそうもないのに、長生きしたいなんて思ってもいない。息子には、「老母の体調が悪いからと言って休みなさい」とよくいう。休みを取れずに働いている息子の方がよっぽど心配だ。「死ぬなよ、死んじゃだめだよ。」「頑張るなよ、手抜きしなよ」と気合を入れる。気合ってそんなんじゃないよと言われるかもしれないが、私の気合はそんなものだ。

だってさ、自分がずっと生きているつもりの若い人たちが、突然死することがよくあるではないか。夢にも思わなかった人たちの死、これほど悲しいことはない。

命は、若くても高齢でも、同じなのだ。同じその瞬間を生きているのだ。死ぬまで、生きているのだ。死ぬまでの時間、何をなすべきか。大金持ちになりたい人や、趣味で生きたい人、おいしいものを食べたい人、価値観はそれぞれで、イノチに上下なんてない。がんばってください、あなたにしかできないことがきっとある、なんていってほしくない。私は、私のしたいことを知っている。何十年前から知っている、自分の使える時間をちょっと譲ったりして今に至った。それでも、自分のしたいことを、諦めようと思ったことはない。いかに長く生きるかが勝負。心が衰えない限り、蓄積は価値である。10歳や20歳の差が人としての能力の差ではない。見た目の差は確かにあっても、心の差は、年の差分だけ大きいはずだ。

科学技術の目覚ましい進歩。追いつけなくてもどかしい。それでも、私の息子たちは、elevenが出たら、真っ先に導入してくれたし、高額なマニュアル本も送ってくれた。そう、うちの息子たちは、私を高齢者と思っていない。私に長生きしてなんて言ったことがない。そうはいっても、寿命ってものがあるからというと、「あなたは死なないよ」と即答する。そして手に負えない仕事は全部私に押し付けてくる。

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