親の愛ってなんだろう?母との関係に感じるモヤモヤ
こんにちは、34歳、外資系企業で働きながら、もうすぐ母になる私です。
子どもを迎える準備を進める中で、自分の子ども時代を振り返ることが増えました。振り返れば、私の母との関係は、少し変わっていて、そしてなかなかハードなものでした。
母には昔から「否定癖」という特徴があり、今でもそれに悩まされることがあります。子ども時代に感じた「自分はダメな人間なんだ」という自己肯定感の低さは、この否定癖に大きく影響されていたのだと思います。今日は、そのエピソードを少し振り返ってみたいと思います。
1. 褒められた記憶がない子ども時代
まず、母から褒められた記憶がほとんどありません。いや、正直に言えば、「一度も褒められたことがない」と感じています。
ちなみに私は一人娘です。きょうだいはいません。ですが、両親とも、授業参観に来たのはおそらく小学校低学年が最後で、中学・高校・大学の入学式、卒業式も姿を見せず。なので、みなさんがよく校門の前で撮った「〇〇高校入学式」みたいな写真がわたしにはありません。部活の父母会なども、部費回収の春にだけ顔をだして、あーなんで親がいちいち関わるの?めんどくさいな、と帰宅後に散々言われました。そんな感じで、親子写真もあまりありません。
特に忘れられないのは、小学生の頃。友人の母親が私のことを「お利口な子ね」「いつも頑張っていて偉い」と褒めてくれた瞬間、私は心の中でガッツポーズをしていました。
でも、その直後、母が笑いながら放った言葉はこれでした。
「うちの子、大した娘じゃないですよ。良い子賢い子のフリしてるだけですよ。ほんと、みなさん、見えてないだけです。」
その瞬間、ガッツポーズはガラスのように砕け散りました。友人の母の言葉に救われた気持ちだったのに、母自身がそれを全力で否定する姿を見て、「私ってそんなに価値のない存在なのかな」と感じました。
「ゆかぴちゃんのお母さんってどんな人?」
母は学校行事へ顔出しすることや、同級生の親同士のコミュニケーションを頑なに拒んでいたため、よく友達からお母さんどんな人?と聞かれていました。子供の頃は、そんな母の対人関係に恥ずかしさや悲しさもありました。
2. 「仕方なく産んだ」と言われた衝撃
さらに強烈だったのは、自分史を作ろう、という学校の課題に取り組む中で、母からこんな言葉を聞いたときです。
「あんたを産んだのは、あんたのおばあちゃんがどうしても子どもを産めってうるさかったからよ。私は子供なんか別に欲しくなかった。仕事もあったし。仕方なく産んだの。」
この言葉を聞いたときのショックは今でも忘れられません。子どもにとって、親から「あなたは望まれて生まれた」と言われることは、何よりの安心感です。それが真逆の言葉を突きつけられることで、子ども心に深い傷が残りました。
3. 幼馴染との再会が台無しに?
最近も、母の否定癖が炸裂した出来事がありました。母の知っている幼馴染と久しぶりに再会し、幼馴染とその娘ちゃんとも写真を撮りました。とても楽しい時間だったので、母にその写真を見せたんです。
すると、母が言ったのはこれ。
「ずいぶん〇〇ちゃん老けたね。うわー、老けてる、子供産んで、やっぱ老けてる。」
楽しかった気持ちが一瞬で吹き飛びました。「コロナぶりに会えてよかったね!」とか、「娘ちゃん、かわいいね!」と言ってほしかったのに、出てきたのは否定的な言葉ばかり。自分の友達まで否定された気がして、母の言葉に心底うんざりしました。
4. 100点で100円、99点で0円のルール
母の厳しさは独特のインセンティブお小遣い制度にも表れていました。中学生まで、テストで100点を取ると100円がもらえるインセンティブがあったのですが、99点だとお小遣いはゼロ。「満点だけが価値がある」という言わんばかりのルール。5教科5科目500点では特別に1000円が貰える、というインセンティブのとき、忘れもしない497点を獲得し、学年一位だったのに、家で号泣したことがありました。その時、母は腹を抱えて笑ってこう言いました。「悔しかったら500点取ればいいんだって。」と。
今思えば、母なりに私を伸ばそうとしていたのかもしれませんが、当時の私にはただの理不尽に感じました。
5. 母の否定癖と向き合うために、そして 私が親になったら
こうした母の否定癖にうんざりしながらも、最近では少しずつ向き合う努力をしています。母の言葉をそのまま受け取るのではなく、「これは母自身の価値観なんだ」と割り切るようにしています。
また、ユーモアを交えて受け流すのも効果的です。例えば、母が「老けたね」と言ったときには、「まあ、みんな年を取るからね!」とさらっと返すようにしています。
母の否定癖から学んだこと。それは、「子どもの努力や存在を否定しない」ことの大切さです。私は、たとえ子どもが失敗しても、「頑張ったね」と認めてあげられる親になりたい。
もちろん、母が私にしてくれたことには感謝もしています。厳しさがあったからこそ、努力することや自己解決力を学ぶことができました。大学を出てからは、5年で数百万の奨学金を返済、金銭的に親を頼ることせず、一生懸命働いて、それなりのキャリアも手に入れました。たくさんの友達に支えられて。
私は、自分の子どもには決して甘やかすのではなく、もう少し優しく、頑張ったことは認めて、そして共感的でありたいと思います。
皆さんの親子関係の中で、心に残るエピソードはありますか?親の否定的な言葉に悩んだ経験や、それをどう乗り越えたのか、ぜひコメントで教えてください!