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カウンセラーの肩書のコト
私は50歳でカウンセラー学院に通い、無事に試験に合格して心理カウンセラーの資格を取得した。しかし、カウンセラーになりたかったわけではない。どういうカウンセラーが良いカウンセリングが出来るのか、それが知りたかったのだ。
その数年前から、なぜか怒りを溜め込んでいる気がして、毎日が楽しくなかった。息子は反抗期だし、私は更年期なんだなぁ、と思っていたが、婦人科の検査では笑っちゃうほど若々しいという。
まあ、毎日暇だし本でも読むか、と心理学の本を片っぱしから読み漁った。そこで目に止まったのは《毒親》。
始めは、イライラして、家族に迷惑をかける自分自身が《毒親》だと思って反省して読んでいたが、徐々に、私は《毒親》育ちだったのだと気が付いた。
私の思考回路はとても複雑で、頭の中でいつも母が監視をしている。例えば何かが欲しい時、(欲しいから買う)が普通だが、私は(これが欲しいけど母はなんて言うだろう?)とまず考える。そして、過去の出来事の中から似たような状況を見つけ出し、(あの時駄目だったから今回も我慢しよう)となる。
母は心配性の過干渉で、自分の理想の子供像があり、それ以外は認めないという教育をしていた。子供の考えより世間一般の常識が大切で「お母さんの言うことを聞いていれば間違いはない」が口癖だった。
今は間違いが多かったとわかる。
私は幼少期から、母の顔色をうかがいながら機嫌のいいタイミングを見計らって、お願い事をするようになっていた。タイミングがずれるとギャンギャン怒られるからだ。
結果、高校も大学も就職先までも母に気を使って決めた。就職は本当にやりたいことがあったのに、反対された、というそれだけで諦めた事をいまだに後悔している。
幼少期に思いを受け止めてもらえないうえに、叩かれたり怒鳴られたりして育つと、反抗するよりも諦める方を選んでしまうものである。その思考が、子供を産んで育てる親になっても抜けずに残ってしまっている。
そのことに気づいた時、すでに母は鬼籍に入っていた。この世に存在しない母に、まだ囚われている自分を何とかしたいと思い、カウンセリングを受けてみたいと考えたのだが、どんなカウンセラーを探せばいいのか分からず、まず自分から勉強してしまおうと思いつき、その結果自分がカウンセラーとなってしまったのだ。
勉強の甲斐あって、頭の中の母はめったに出てこなくなった。すると、連動して怒りが消えた。存在しない母に怯えて、勝手に自分にブレーキをかけて我慢する生き方を選んでいたからイライラしていたのだと、今なら分かる。こんなにも時間を無駄にしたのかと悲しくなる。
ようやく、自分が望むことを自由に出来る。
私の内面の変化にすぐ気づいたのは息子達。もっと早くカウンセラー学院に行って欲しかったと言われる。息子達は、私の怒りでどれだけ理不尽な思いをしたのだろう。申し訳なかった。
母の顔色をうかがって育った私は、人の変化に敏感になった。人の気持ちを察することがわりとできる。
世間に合わせて言う事がコロコロ変わる母の言いつけを、全て守らなければならなかったので、一度聞いたことは完璧に覚えられる。
この2つは学院で皆に褒められた私の長所だ。
ちなみに、何でもすぐに覚えて忘れない私のことを母は「執念深い」と言った。何を頑張っても褒めてくれない母は「子どもは褒めると調子に乗るから褒めない」と言っていた。その他にも「謝ると負けた気がするからゴメンって言わない」など、母の名言は多い。
母は頑張って優等生を創りあげたかったようだが、私は天然で楽観主義だ。これではお互い辛いはすだ。
今は自分らしく、そして新たに気づかせてもらった長所に自信を持って、軽やかに生きることができている。
もう、良いカウンセリングを受けたいとは思わない。
52歳、ようやく、自分が好きだと堂々といえるようになった。