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私がインフルエンザで思い出すコト

人間も50年続けると、どんな単語からでもエピソードが出てくる。
インフルエンザでは、こんなことだ。

小学生の頃のこと。体育館で行われた全校集会で、私の友達の名前が呼ばれた。
病気の為に転校する事になったそうだ。
変だな?と思った。今までにも転校する人は沢山いたけど、こんなに大勢の前で発表するなんて…

その友達は、正確には同級生の妹だ。とても面倒見の良い優しい姉と人懐っこい明るい妹のコンビで、一緒にいると楽しかった。よく遊んだ。
(ふ〜ん、転校しちゃうんだ)
その時はただ、そう思った。

今考えると、不思議なのだが、妹は転校したが、姉の方はいつも通り教室にいた。けれど
別に、深く考えることなく、なんとも思わず、今まで通りに過ごしていた。

いつもは、学校で遊ぶだけだが、その日は久しぶりに帰宅後、お家まで遊びに行った。
「いらっしゃい!」
姉妹が手をつないで出迎えてくれた。(転校しても家は同じなんだ)あまり考えたことはなかったが、今までの友達の転校は引っ越しと同義語だったので、子どもの頭ではちょっと混乱した。

「いいもの見せてあげる」
妹の方が、ニコニコしながら、ゆっくり自分の机にむかい、真っ白い本を手に持った。
待ち切れなくて、私の方から近づいて覗いてみた。
それは、生まれて初めて見た、点字の本だった。
「これ、なあに?」私が聞くと
「点字。今、覚えているんだよ。」と妹が答える。私は聞く「なんで?」
「だって、私、目が見えないんだもん」

びっくりした。
「ずっと見えてなかったの?」
そんな訳ないのに、確か私はこう尋ねたんだ。姉妹に大笑いされて、
「病気で目が見えなくなって、盲学校に転校したんだよ」
姉の方が教えてくれた。盲学校なんていう学校があることもその日初めて知った。

「何で私のことわかったの?」
「だって、今日遊びに来るって聞いてたし、声で分かるよ。」
私の声を覚えていて、認識してくれたことをとても嬉しく思った事を覚えている。
「顔、覚えてる」
「覚えてるよ」
なぜか、私は感動していた。今でもこの日のことを思い出すと泣けてくる。何故かは分からない。

確か、この後外で遊んだのだが、妹はできないことが増えていた。かくれんぼや鬼ごっこが出来なかった。滑り台も姉の補助がないと怖くて滑れなくなっていた。
でも、ニコニコ笑顔で、楽しそうだった。
その日が、妹と遊んだ最後の日となってしまった。

盲学校での学習や訓練が忙しいとか、私が中学生になったとか、いろんな理由が重なったようだ。

姉の方とは仲良く、中学卒業まで過ごすことができたが、妹の話はしなかった。話題にするのを避けていたわけではないが、恋バナとかテストのこととか、話さなきゃならないことが多すぎたのだ。

私は、妹のことを忘れた事がない。もう、だいぶ大人になってから、人づてに聞いた話では、妹の失明は、インフルエンザ脳症が原因らしい。そうだったのか…

知った時にはショックだった。そして、失明の事実を家族みんなで受け入れて、協力しあっていたあの家族の素晴らしさに心を打たれた。

数年前、たまたま観ていたテレビの街頭インタビューで、見覚えのある顔が映った。あの、同級生の姉の方だ。小さな女の子2人のお母さんになっていた。やっぱり、明るくて優しい話し方をしている。会いたいな、と思った。

妹はどうしているだろう?私のこと、覚えているかしら?彼女の記憶に、目が見える頃に一緒にあそんだ小学生の私の顔がまだ住んでいたら、嬉しい。

街中でインフルエンザの声が聞こえだすと、いつもあの姉妹を思い出す。切なくなる。





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