『生れてはみたけれど』小津安二郎監督があまりにも素晴らしい映画だったので感想文が長くなった
あまりにも上手くできている映画で痺れる。「どうして偉い人には頭を下げないといけないのか?」という疑問から出発して、子供という「序列という世界観がない」純粋な人間と「序列に縛られた世界」の大人である父親という登場人物の対立を通して、観客にその疑問に対して考えさせるといった素晴らしい映画。この映画が素晴らしい点は複数ある。まず、構造の素晴らしさ。この映画は1時間弱を使ってこの物語の設定を観客に提示している。この1時間弱という時間はこの映画90分という全体の長さからしたらかなり長い。私も、後半30分ほどに差し掛かるまでは、この映画の素晴らしさには気づかず、少々退屈をした。しかし、時間をかけてみっちりと設定を示した上で、子供と大人という対立構造を後半で示すことで、上手くその対立構造を描くことができている。前半では、子供たちは父親のことを偉いと考えている。そして、父親の方も子供たちに対して偉ぶっている。それによって、子供は、父親は他の誰よりも偉く、偉いことが全てなのだ、と考えるようになっている。そしてこのテーマが素晴らしいのは、日常と密接している点である。父親はこの世の中で誰よりも偉く、特別な存在なのだという考えはまさに小学校くらいの時は、ほとんどの人々が信じていたのではないか。一方で、どうして父親は自分たち子供に対してそれほど偉ぶっているのか、そんなに父親という存在は偉いのか、大人はどうして自分たち子供達より偉いのか、とも考える。そういった構造をこの映画は物語を利用して上手く表現している。話が少し横道に逸れたので話を少し戻す。この映画の後半では、前半で示された「子供にとって、自分の父親は偉い存在」という構造が揺らいでいく。じゃあ、どうやって揺らぐのか?きっかけは、父親の会社で行われた行事である。そこで子供たちは、今まで偉いと思っていた父親が変な顔をして上司の機嫌を取っている姿を見てしまう。そして、子供たちは今まで偉いと思っていた父親が、「本当は全然偉くないのではないか?」と考えるようになる。これは、多くの人々にとっても体験したことなのではないか。もしないとしても、この構造にある本質「今まで自分が信じていたものがひっくり返る瞬間」はあるのではないか?そう、ここで理解しておくべきは、その具体的な内容ではなく、そこで描かれている本質なのである。その本質の描き方、伝え方がこの映画は痺れるほど上手く、小津安二郎の映画では、その痺れるような本質の描き方をした映画が多い。例えば、「長屋紳士録」がそうである。つまり、一点目で言いたかったことは、「構造の素晴らしさ」である。話は長くなったが、素晴らしいと思った点、二つ目について語ろうと思う。二つ目は、「変化」である。私は、素晴らしい映画、素晴らしい物語に共通している点として、その物語の前と後とで、何が変わったのか?を明確に述べられる点があるか否かと考えている。少々語弊があるので少し訂正させていただくと、「明確」である必要はないと考えている。観客、もしくは読者がその「物語を観る前と観た後で、何かが変わった」、と感じれば良いのである。もう少し具体的に言うと、映画館に入る前と映画館から出てきた後で、少し世界の見え方が変わる映画が、素晴らしい映画なのではないかと考えているのである。そして、そういった物語はどんな物語なのか?と考えると、物語の冒頭と物語の終わりで、登場人物、主に主人公が、何か変化すれば良いのである。それは内面的なものでもいいし、外面的なことでも良いと考える。ただ、やはり内面的な変化がある方が、私の好みではある。理由としては、自分の思考に変化が生まれ、新しい視点で世の中を見ることができるからである。そして、この映画は、その物語の前と後とで変化するというポイントを押さえていたように思う。じゃあ、この映画では物語の冒頭と物語の終わりで何が変化していたのか?それは、主人公である二人の子供が、父親を見る目である。物語の冒頭で、主人公たちは、「父親は偉いものだ」と父親から半強制的に教え込まれる。それは自ら考えた概念ではない。しかし、物語の中盤で「父親は偉いものだ」という今まで疑問にも思ったことがなかった考えが揺らぐ。そして、物語の終わりで、「父親は偉いものだ」という考えに対して自分たちで自ら考え、父親をまた違った見方で見るようになる。ここで重要なのは、物語の始まりと終わりは、外見だけ見れば同じだ、という点である。重要なのは、物語の中で内面的な思考を経て、新たな視点を持つということなのである。これは、「ヒーローズ・ジャーニー」という物語作りの鉄則でもある。最後にこの映画の素晴らしい点は、「テーマ」である。私は、物語におけるテーマ主義のような立場はあまり好みではないが、この映画全体で観客に問いかけようとしている目の付け所はやはり感嘆した。誰もが考えたことはあるが、忘れてしまっている答えのない問い、もしくは目を背けてしまっている現実を観客に思い出させ、問いを投げかける。そういった点がこの映画の素晴らしい点である。これらの他にもより細かく素晴らしい点を挙げると、様々ある。例えば、現代では当たり前になっているサラリーマンという存在に対する情けなさやその途中で経験したであろう挫折や生きづらさや諦め。それらがこの映画のテーマに内包されているように思う。また、最後でナレーターのセリフにある「生れてはみたけれど」というセリフ。この映画のタイトルが上手くセリフの中に含まれていて、その上手さに惚れ惚れした。この他様々この映画の素晴らしい点はあり、挙げればキリがないが、詳細を述べて大枠を見失うと混乱を招きかねないため、ここまでにしようと思う。尚、これまで述べた内容のポイントを以下にまとめる。
・設定を観客に示す
・物語の始まりと終わりでの主人公、もしくは登場人物の内面的変化
・テーマ
・誰もが考えたことはあるが、忘れてしまった答えのない問い、もしくは目を背けてしまっている現実