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【創作】は ら り


峯島佳乃みねしまよしのはある地方都市の百貨店にもう十年も勤めていた。元来地味で目立たないほうだが、気が利いて仕事が早いので、同僚からは重宝がられている。

九月の最終日。
朝礼で係長の鼓舞とも説教ともつかぬ言葉を聞きながら、
(もう十月だ。ハロウィンの装飾に替えなければ)
佳乃はそんなことを考えていた。

月末なこともあって何かと忙しい。その日は客の入りもよく、あっという間に夕方になっていた。
同僚たちはまだ接客中だった。佳乃は小さく切ったメモ紙に『地下倉庫に行ってきます。峯島』と書き、ホワイトボードにテープで貼り付けた。けれど慌てて留めたメモ紙はうまく付かずに、はらりはらりと音もなく舞い落ちて、すっと棚の下の隙間に入ってしまった。
佳乃はそれを知らない。

店内の装飾品は地下の倉庫に保管していた。月に一度装飾品を入れ替えたり、不要な物を詰め込んだりする以外は使われない倉庫で、中は埃っぽく、澱んだ空気が嫌なにおいをさせていた。乱雑に積み上げられた段ボール箱や黄ばんだ紙袋に入った書類、何年前のものかよくわからない備品の箱。
「まったく、いいかげんなんだから」
佳乃は苛立ちながら、高い棚にある箱を取ろうと脚立を立てて上った。『ハロウィン』と書かれた箱に手を伸ばしたが、なかなか届かない。背伸びをして箱に触れたその時、開ききっていなかった脚立がぐらりとバランスを崩し、あっと思う間もなく佳乃はしたたか腰を床に打ちつけた。

「痛い、痛い」
呻きながら立ち上がろうとしたが、激痛で動くこともできない。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか」
誰もいないと知りつつ、佳乃は呼び掛けた。もちろん返事はない。
(どうしよう。でも、メモを貼ってきたんだもの。戻らなければきっと誰かが探しに来てくれる)
そう思うと、動転した心が少し落ち着きを取り戻したようだった。

「峯島さん、もう帰ったのかしら?」
「そういえば見ないわね」
「峯島さん明日休みでしょ。聞きたいことがあったのに」
「何も言わずに帰るなんて珍しいわ」


どれくらい時間がたったのだろう。
佳乃はますます激しくなる痛みと喉の渇きに耐えながら横たわっていた。
(まだメモに気付かないのかしら)
(忙しくて来られないのかもしれない)
(いえ、今頃こちらに向かってるのかも)
佳乃はかすれた声でもう一度呼んだ。
「誰か、誰か、助けてください、助けて」

私がここにいることを誰も知らない。
その時初めて、冷水を浴びせられたような戦慄が佳乃の体を突き抜けた。

二日後。
出勤しない佳乃を皆が案じた。
「峯島さん無断欠勤なんてしたことなかったのにね」
「電話出ない。留守電になっちゃう」
「ラインしてみる」佳乃と仲の良かった川崎なおみは、スマホを取りに行こうとしてふと、売場に飾られているのが九月の装飾コスモスであることに気付いた。

「いやだ、替えてないじゃないの。後でハロウィンに替えなくちゃ」



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