和算の大家は時を駆けて
先日、友達が「十二人の死にたい子どもたち」を見たと話しかけてくれました。
そういえばタイミングが会わず映画を観にいけなかったのだった。
あとでゲオに借りに行こう。
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とても興味があったのでしばらく感想を聞いていると、冲方丁って知ってるの?という話題に。
存じております、本は好きなので。
気になったことにはすごく興味を持ってくれる友達なので、私は迷わず 『天地明察』を薦めました。
まって、Amazonの金額がものすごいことになってる!?
あの!定価1800円(税別)ですから!
なんで4980円と1円がある!?
はぁはぁ...取り乱しました。失礼。『天地明察』とは
徳川四代将軍家綱の治世、ある「プロジェクト」が立ちあがる。即ち、日本独自の暦を作り上げること。当時使われていた暦・宣明暦は正確さを失い、ずれが生じ始めていた。改暦の実行者として選ばれたのは渋川春海。碁打ちの名門に生まれた春海は己の境遇に飽き、算術に生き甲斐を見出していた。彼と「天」との壮絶な勝負が今、幕開く―。日本文化を変えた大計画をみずみずしくも重厚に描いた傑作時代小説。第7回本屋大賞受賞作。(「BOOK」データベースより引用)
徳川四代つまり江戸の初期に暦を作る一大プロジェクトを担った渋川春海の生涯を描いた時代小説です。1600年が関ヶ原の戦い、1603年に江戸時代が始まると考えると17世紀中頃に正確な暦を作った人物がいるなんて
中学3年生だった私は感銘を受けて、いまなお時折思い出します。
『天地明察』は文庫本も映画化も
(いま調べて知ったけど)マンガにもなっているのか!?
今度読んでみようかな。
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『天地明察』の中で私が一番印象に残っているのは...
関孝和(せき こうわ/たかかず)
という人物。小説では主人公渋川春海の算術のライバルとして出てくるのですが、群馬県民にはおなじみの人物なんです。
なぜなら
群馬県民にとって小学校時代の必須教養「上毛かるた」の
「わ」の札なのだ!(誰得情報だよこれ)
私が上毛かるたをしていたのは小学生の時で、毎年冬休みに地区の公民館に集められてかるたの特訓をしていたことを覚えています。選ばれた子は大会に出て、賞をもらうと学校で表彰されるのです。
全然強くなかったので、せっかくの冬休みになんで集められるんだろう... こたつでぬくぬくしていたいのに...と思ってました。小学生の私にとって 地域の行事はいかないといけない用事で、何の意味があってするのかを理解していたかと言えば理解していなかったはずです。
だから、上毛かるたの札にはほかにも新島襄や内村鑑三が描かれていたけれども、何をしたのか知ったのは高校の日本史の授業の中ででした。
中学3年生の当時の私にとって「わ」の札は関孝和としか覚えていなかった。これども小説の中に「わ」の札の人が出てきて、その人は主人公のライバルになって、暦作りという壮大なプロジェクトを任された人に影響を与えている(あくまで小説なのでどこまで史実通りかはわかりませんが)。
「わ」の札の人ってすごい人だったんだ。
中学3年生の私にとって、歴史上の人物がかるたを通して「あの人が関わった話なんだ!」と自分ごとになった体験だったのだと今になって思う。
そのおかげで『天地明察』の世界に没入することができたし、歴史を学ぶというのがもっと楽しくなった。
関孝和本人は算術に没頭した人生を送ったつもりかもしれないけれど、私にとっては300年以上の時を駆けて、歴史のおもしろさを教えに来てくれた「わ」の札の人なのです。
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『天地明察』の作者は冲方丁と書いて ”うぶかた とう” と読みます。
冲方先生には申し訳ないのですが、初見では読めないですよね?
かくいう私も『天地明察』を手に取ってから3年ほど
おきかた ちょう
と覚えてました。これは謝るやつですね。
すみませんでした!