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ジコのソンゲン、ご機嫌。

まだ下書きに溜まっている記事のひとつに、
最近希死念慮が消失したような話がある。
詳しい話は、またいつか。

『「自傷的自己愛」の精神分析』斎藤環
という本を読んでいる。

自分だなーと思い手に取ったものだ。
わかるわかる、とは思いながらも、それは以前のわたしだと過去形にできることが多かった。

ここで扱われる話は、リストカットのような物理的な自傷よりも、心理的な自傷。

自分さえ我慢すればいいなら…といった考え。
“高いプライドと低い自信”によって生まれるギャップ。

学生時代同じ船に乗るチームメイトにmはプライド高くてめんどくさいと言われてから自覚したが、昔は本当に色々ややこしい人間だった。
現在は少し落ち着いたと思いたい。


現在は一人暮し。今まで誰かしらと暮らしていた。自分の場所と言える、帰れる場所を持つちからがなかった。
また、1度母親の呪縛から解かれたくて拒絶した甲斐があり、母とは苦しくない距離、互いに頼れる仲を作れつつあったり、
はじめて自分の場所を手にした。

今の職場は否定されない、自分の場所だと言える。
小さなコミュニティなのに派閥的な問題が業務に支障を来す話は耳にするが、私はそこから離れた位置に存在しているので聞き流すのを頑張れば、あとは楽だ。
それもちゃんと上司に弱さを初めて伝えてきているからだと思う。


とにかく
何が言いたいかというと
環境調整のおかげで、わたしの自傷性は激減したのだ。

置かれた場所で咲き誇れないなら
咲ける場所を自分で耕すって大事なんだよって。
助けを求めれば、ヒントをくれる人だっているんだ。足掻けるんだ。