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ぺっぱー。
書き溜めたことを投稿しようとするタイミングが読めずに貯まっていきそうだ。
今日は“かぞく”の話を。
今日あるパートさんの嘆きを聞いたからか、思考がそこにいる。
正直家族ってなんだろうっていう空っぽさがある。
物心付く前は“家族”をしていた記憶媒体には触れたことがある。やんちゃなお兄ちゃん、怖がりな妹の成長を見守る両親。
いつからかそんな形も心も消えていた“家族”。
私はいつも緊張していた。いつ両親が離婚するのか。私はどちらについて行くのだろうか。安心か安定か。
しかし、我慢強い母のお陰で私が成人して社会に出るまでは形式を保ってくれた。とても強い人だと。
父は言葉よりも力で支配して、自分の趣味以外には興味をもたない人間だった。
兄は優秀な人間で、文武両道。
兄妹で小学生からバスケをしていた。
母は兄の試合応援は必ず行っていたが、私の試合にはわざわざ来ることはなかった。
高校時代は競技変更をして、成績を修めたが興味は持たれなかった。この頃には関心されることを諦めていたので、ただ競技に邁進した結果ではある。
…個人的で、集団としての話がでてこないや。
家族である強みって、パッとでてくるものが法的な恩恵。
勝手な理想を私が作っているのかな。
もう少し温かさのあるイメージ…
まあ今は過去として受け入れているから話せるし、なんなら本当に心から家族になりたい人となら“かぞく”っていうのを新しく考えていって、作ればいいと肯定的に考えられるようになった。(稚拙)