【症例①】シンガポール人-J氏
出会いは7年前の春先、まだ決して暖かくはなかった頃のはず。
新橋の立ち飲み屋で隣で飲んでいて、声をかけられたのがきっかけだった。
彼はいわゆる華僑で、華僑なんて教科書でしか知らなかったので、「ああ、ガチで華僑っているんだ、すごいな」と思ったのを覚えている。
家族の仕事の一部を手伝いつつ、自分でも日本含めアジアのどこかで起業している謎のシンガポール人だった。年は5つほど上で、やたら大人びて見えた。
声をかけられた翌日、翌々日にも食事に行き、なんだかんだ彼は来日期間を延ばし、新潟に行ってみたいとのことで一緒に旅行まで行った。我ながら軽すぎやしないだろうか。足が軽いのか尻が軽いのか、はたまた両方なのか。
出会ってから2週間ほど、1番盛り上がっていたタイミングで彼は帰国していった。
別れの日は友達の家にお邪魔する予定で、見送りにも行かず、比較的メンタルも安定した状態での別れだった。
問題は彼が帰国してからであった。
気持ちよく別れたはずが、彼からは
「I miss you」「I love you」「wanna see you」「我好想你」(君のことを思っているよ的な)を毎日連発し、ベタなラブソングのYouTubeを送ってくるのである。
いまだに、エドシーランのphotographを聞くとなんだか恥ずかしいような、苦しいような、懐かしいような気持ちになる。
結局、分かりやすい愛情表現に騙されやすいアホな私は、会えない距離✖️楽しかった思い出が炎上して(ここ笑うところで大丈夫です)見事メンヘラと化した。
やたらアジアにかぶれていた私は、その後旅行もかねてシンガポールへ二度行き、彼に会った。
(ちなみにシンガポールでは別の男とも会ったが、別の症例として紹介させてほしい。)
彼に会ったけれども、とりあえずカジノ行って、ご飯食べて、それで終わり。夜まで過ごすことを誘われたが、断った。その頃には自分の中で飽きていたのか、消化できていたのだろう。私の良くも悪くもある癖【すぐ忘れる】が仕事をして、彼への思いは消えていった。というか、ある種の諦めのようなものだったと思う。彼をブロックしていた時期もあった。
その後彼も何度か日本に来て、会わないか打診してくれたこともあったが、会うことはなかった。そしてまた、今年の12月に来日する。まだ会うか分からないけど、彼に会う=過去の恋愛が大好きだった自分、に向き合うことのような気がして、自分を俯瞰するような、ある種の幽体離脱に近いものかもしれない。
人生の中で1番どハマりしたのがJだった。もう二度と、あそこまで人を好きになることはないと思う。ちょうど、仕事にも趣味にも恋愛にも友達にも、全てにそれぞれ100%のエネルギーを注げる年齢で、そのタイミングに彼に出会ったことを感謝している。
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