「崇高な仕事か、傲慢な作業か」
入院している彼女とは、毎日昼過ぎの13時と夜の19時に電話で話すことにした。
付き添いも面会も拒否される為、つながることができるのは電話での会話しかない。私とも友達とも会えなくて、一人ぼっちなのが相当辛いようだった。檻に入れられているような気分だろう。できれば、付き添って身の回りのことをしてあげたいと思った。せめて面会ができればと思うのだが、現実は残酷なものだ。
彼女の訴えをたくさん聞いた。数日前より口もよく回るようになり、よく喋るようになった。倒れる前は普通だったが、今は少し子どものような喋り方になった。
彼女が入っている病院は駅前の結構大きな病院だった。私の家の近くには大学病院があるが、そこには運ばれず、わざわざ駅前の家から遠い病院になぜか入れられた。
大病院ともなると、医師や看護師や職員の数が多い。入院しているフロアの看護師の中には男性もいるし、ベテランもいるし、まだ若い看護師もいるようだった。しかし、ある年増の女性看護師はキツイし、冷たいし、大嫌いだと話した。
彼女の話によれば、喉が渇いて飲み物を貰うのにナースコールで何度も呼ぶのは申し訳ないので、病院用以外に自分用のコップをもう1つ持ってきているから、飲み物を多めにもらっておこうと思っても、そのキツイ看護師は「ダメだ」と言うらしい。彼女が嫌うそのキツイ看護師は、「同じ患者さんに何度も関わってはいられない」という言い分らしい。
この暑い時期に飲み物ももらえないって??喉の渇きを我慢しろと??水分不足は脱水の原因にもなるし人の命にも関わる。何のための看護なのか。何のために夜勤の職員がついているのか。
私は過去に介護職をやったことがあるのでよく知っている。介護士は看護師とも連携したり、患者の情報を共有したりする。だから看護師の人からもいろんな話を聞かされたり、教えてもらったりする。しかし看護師も一人の人間であって、ベテランほどタチの悪い人間が存在する。珍しくとも何ともない。病院にも介護業界にもそういう腐った傲慢な看護師は存在する。患者や利用者をバカにしている人間だ。言葉の暴力、鼻であしらう、影で悪口を言う。看護や介護の世界なんて現実はそんなのばかりだった。
彼女にナースコールで看護師を呼ぶように言って、電話を代わってもらった。電話に出たのは穏やかな口調の男性看護師だった。私はその男性の看護師に彼女から聞いたことを何とか伝えた。一番重要なのは「飲み物をもらえない」ということだ。それに付け加えて、怒りから思わず説教じみたことをまくし立ててしまった。なぜ患者の家族側からこんなことを言わなければならないのか腹が立った。ただ喉が渇くから飲み物がほしいというだけである。こんなことはこっちからお願いすることでも何でもない。介護も看護も利用者や患者の水分補給は特に気を遣うことなのにである。
昼と深夜にオムツ交換などする時に尿の色なども見るはずである。真っ黄色で濃縮であれば水分不足。透明に近くて薄黄色でなければ水分摂りすぎ。そんなことは介護職でも知っているし、看護師の勉強量は介護職の比ではないから言わなくても解っているはずだ。
「あなた達看護師の仕事は忙しくて、一人に構っていられないのはよく解ってますよ。私は介護職をやっていたので、病院の内情も知っていますし、看護師さんがどれほど大変な仕事かも知っていますよ。ただね、患者さんが飲み物が欲しいと訴えているのに、ダメだと言われると聞いてますが、それはどういうことなんですか?あなたたちはかけずり回って仕事をしていて、仕事の合間にお茶やポカリ、コーヒーとかを飲んでいるでしょ?それは自分が飲みたい時に動けるから飲めるでしょうが、自分で動けない患者はどうすればいいのですか?そのためにあなた達が常駐しているのでしょ?ナースコールを呼んで飲み物をもらえなかったり、飲ませてもらえなかったら、患者は我慢するしかないでしょ。あなた達は喉カラカラの状態で仕事できますか?この暑い時期に寝汗もかくし、喉も口内も渇く。そんなの人間の生理作用でしょ。家族側から、こちらから、お願いしないとお茶もいただけないんですか!?水をやってくれとか犬とか猫じゃあるまいし!!」
私は喋っているうちに半泣きになっていた。喉が震えて熱くなって涙が出てきた。彼女に面会もできない腹立たしさもあった。できることなら自分がやってあげたいけど、それができなくてまくし立ててしまった。
「あなたには奥さんや子どもさんがいますよね?その自分の家族や、愛する人が入院したとして、喉が渇いても飲み物も満足に貰えないと訴えたら、あなたは激怒しませんか!?私の言っていることは間違ってますか!?こんなこと一から十まで言わないと解りませんか!?飲み物も貰えないなんて、病院として看護師としてどう考えたっておかしいでしょ!!!!」
とうとう私はその看護師に胸の中のありったけをぶちまけてしまった。その看護師はきっといい人だったと思う。だから少し反省して冷静になった。
「すみません。。これはクレームではありません。私からのお願いです。面会も付き添いもできないんだから、お願いですから、飲み物がほしいと言ったら十分にあげてくださいよ!お願いしますよ!!!」
私の半泣きの訴えは彼に通じたようだった。私は彼女がかわいそうだったから、彼女の気持ちとパートナーとしての自分の気持ちを伝えたかった。
彼はよく傾聴してくれた。そして丁寧に謝罪してくれた。病院の上層部にも私の話を上げて周知してもらうと話した。私はお礼を言って、彼に言い過ぎたことを謝罪した。彼は私の気持ちを解ってくれたようだった。
駅前にあるその大病院の口コミははっきり言って悪かった。大病院は職員も多いのでウケがいい人もいるし悪い人もいる。クレームのような書き込みも多いし、腹いせに書いたコメントもある。これらのコメントは読んだ人間からすると、やはり病院の評判が下がる原因になる。
一生懸命やっている看護師もたくさん存在する。しかし、いくらベテランの看護師であっても、傲慢でやっていることはただの作業のような看護師もいる。看護ではなく、ただの作業である。それはベテランも若手も関係ないことだ。介護の仕事もそれと似たようなところがある。
看護師は社会的地位も給料も高い。ただそれだけのためにやっている人もいる。患者さんの気持ちに寄り添える「崇高な仕事」か、年数的にベテランであっても「傲慢な作業」になるか。それは一人一人の気持ちと行動によるものだとしか言えない。若くても崇高な仕事をしている人もいる。かたや、何十年とやっているベテランでも「傲慢な作業」で終わっている人もいるのは確かだ。
彼女には、ちゃんと看護師さんに頼んでおいたから、飲み物がほしい時はちゃんとナースコールで呼んで飲み物をもらうようにと伝えた。彼女は安心して喜んでいた。患者側があの人怖いからイヤだとか、頼んでもやってくれないとか、人対人である以上、そういうことがつきまとうのはどうしようもない。彼女が早く良くなって、病院を出られる時をじっと待つしかない。私ができることは、毎日電話でよく話して彼女を安心させてあげること、ただそれだけだ。
最近、看護師さんに付き添ってもらって歩いたり、リハビリを受けたりしているらしい。トイレにも手伝ってもらって少しずつ行けるようになってきたそうだ。「早く逢いたい」という思いが、退院できる日を早くしてくれるかもしれない。それを心より願っている。