「2023年11月から始めた、脱ステロイド後の地獄とも言える生活 ①」
本当はこんな体験談を書くつもりはなかった。筆舌に尽くしがたい。
苦しみを文章にすることは並大抵ではないが、これから脱ステロイドをやろうとする人の参考になればと思い、私の個人的体験談として書いてみようと思った。読んでいて気分を害するかもしれないが、興味ある人は読んでみてもらいたい。あくまで私の体験談なので、実践される人は脱ステロイドに理解のある皮膚科医のもとで、きちんと指導を仰いで治療にあたってもらいたいと思う。そうでないと、逆効果になり更に皮膚症状の悪化を招く恐れもあるからだ。
私は昨年2023年の10月くらいから、身体的にとても辛い状況にあった。長年の持病であるアトピー性皮膚炎で使用していたステロイド外用薬の使用をやめた為に、その副作用というかリバウンド症状として、更に酷い皮膚疾患を患い、どうにもこうにも困った身体的状態になっていた。なぜステロイドをやめたかというと、それはただ単に無職で治療費がなかったことと、既に長年使いすぎて塗っても効き目がないことに不満を抱いていたからだった。受診しても効き目がない薬にカネを払っても意味がないと思い、かかっていた皮膚科を見限って行かなくなった。
その後どうなったかと言うと、ステロイドを塗っていた皮膚は綺麗でどうもないのに、なぜかむず痒くなり、痒いところを掻いているうちにみるみる全身が真っ赤になり、ボロボロになり、あちこちが痒くなり、全身が血が出る、汁(浸出液)が出る状態になり、ジュクジュクになったところが渇いては痒くなり、また掻いてはジュクジュクになるという状態を繰り返していた。
ステロイドをやめたのが確か10月の終わり頃だったと思う、実際に酷い状態になったのは11月になり秋も深まって肌寒くなってきてからのことであった。しばらくは痒いの痛いのという状態を繰り返していたが、その状態で風呂に入って身体が火照ると更に痒くなる有様で、風呂から出た途端体中を掻きまくる始末だった。そんな辛い生活が11月から2月くらいまで続いた。風呂にも怖くて入れなくなり、シャワーさえも浴びなくなった。
朝起きると、ベッドの上も下も落屑(らくせつ:皮膚を掻きむしった屑)だらけだった。まず起きると掃除機をかけなければならないくらい屑が散らばっていて汚なかった。下着だけは毎日取り替えたが、綿素材の真っ白の新品のシャツでさえ血や汁であっという間に真っ黄色に変色してしまうくらい酷かった。パンツやシャツは皮膚から剥がれ落ちた落屑で粉だらけ、屑だらけで、下着を取り替える時に脱いだ途端、粉やかさぶたがバラバラと床に散らばった。私の下着は汚くて家族の洗濯物と一緒に洗えないほど汚ないものだった。
1月の極寒の時期になると身体に異変が起きるようになった。寒いので毛布の上に掛け布団を掛けて寝るのが普通だが熱くてしょうがない。おまけに熱くて身体が痒くなってくる。仕方ないので毛布はなしにして、冬用の掛け布団だけで寝ることにした。夜中に目が覚めると、なぜか寝汗をかいている。下着が湿るくらい汗をかいて気持ちが悪いので目が覚める。そのまま着ていると風邪をひきそうなので、夜中の寒い中仕方なく着替えてまた寝た。数時間立つとまた目が覚める。よく見るとまた寝汗をかいている。外気は寒いのになぜ寝汗をかくのか理解不明だった。
ネットで調べてみると、男の更年期障害で体温調節ができなくなり真冬でも寝汗をかくことがあるらしい。52歳になったし更年期になったのか。。それでまた落ち込んだ。皮膚症状が辛いのに更に更年期で気持ち悪い汗をかくようになり、毎晩寝るのが怖くなった。寝てもぐっすり眠れない。毎日不眠の状態が続いた。不眠のまま昼間にクルマを運転していたが、睡魔に襲われて何度も何度もガードレールにぶつかりかけたことがあった。
一番辛かったのが、布団に入ると途端に脚が痒くなってくる。温まって熱を帯びることもあるのだろうが、とにかく痒い。掻いても掻いても痒みがおさまらず、両足とも汁が出てジュクジュクになる。ジュクジュクになっていてもそれでも痒い。そして両足がベチョベチョとひっつくくらい汁でベタベタになり、冬の寒さのせいもあり、布団の中でもがいていることが何度もあった。トイレにも行けない。ギリギリまで我慢して部屋の片隅に置いてある100均で売っているようなバケツに小便をした。
寒くて頻尿にもなり、トイレまで間に合わなくなった。とにかく尿意をもよおすとすぐに出そうになるのでトイレまで行く余裕がなく漏れそうになる。自分はひょっとして変な病気に罹っているのではないかとさえ思った。52歳の若さでこんな病気になるなんて思いもしなかった。思えば、幼少の頃に患っていたアトピー性皮膚炎よりも壮絶な体験だった。痒いので掻くだけ掻いたはいいが、その後はとんどもなくヒリヒリして今度は痛みに襲われる。首などは引っ掻くと痛くて寒気がしてきて、首に常にタオルを巻き付けていた。外出する時も私服の襟の内側にタオルを巻いていた。なぜかまぶたは腫れ上がり、目がしっかりと開けられず、顔面はカサカサガサガサで粉を吹いて、ヒゲを剃ることもままならず、何とも哀れで汚ない顔をしていた。あまりにカサカサなので、出掛ける時だけは顔にワセリンを塗りたくって、目深に帽子を被って目立たないようにお店などに出掛けたりした。唯一私の楽しみはクルマに乗って出掛けられることであった。
私の母親は私のよき理解者だった。私にとってはそれが救いだった。こんな酷い状態で働けとも言わない。ご飯もちゃんと作ってくれる。洗濯物もいつもちゃんと洗って綺麗な状態にしておいてくれる。同居の妹とは長年色々あって口を聞いていない状態だったが、私がこんな身体になって密かに心配してくれていた。私が昼になっても起きず15時くらいになると、心配になって部屋に見に来たりした。
「調子はどう?大丈夫?ご飯食べる?」
よくそう言って心配してくれた。寝ていても腹は減る。もぞもぞと布団から抜け出して、ジュクジュクになった脚を母に見せた。部屋を掃除した後、私はこのジュクジュクの汚ない脚をまず汚れたガーゼや包帯を新品に取り替えないと次のことが何もできない。母は何とも言えない目も当てられないような表情をした。
私は自分の身体の痒みや現状を母に事細かに話した。話しているうちに、自分が惨めになってきて、喉元と胸が熱くなってきて、終いには自分がいたたまれなくなって涙目になった。こんなことがいつまで続くか分からない。治らなかったら一生地獄だ。死んだほうがマシだと言って、男ながらに母の前で号泣した。痒い、痛い、治らない、仕事どころか普通の生活すらままならない、もうどうしていいか分からなかった。泣けて泣けてしょうがなかった。辛くて辛くて思い切り泣いた。
今までそんな姿を見たことがなかった母は私と同じように泣いて、何も言わず私の肩を何度も何度もさすってくれた。今でもその時のことを思い出すと涙が溢れてくる。何歳になっても子どもにとっては母親という存在はかけがえのない存在であり、本当にありがたい存在なのだと感じた。私は今でも母に感謝している。それ以来、母に対して「ありがとう」という言葉をよく言うようになった。
私はダメな息子だ。52歳ともなれば一家の主として家計を支えていかなければならない存在なのに、私はそれがまったくできていない。家計を支えるどころか家計を圧迫している。親孝行するどころか何とも情けないダメ人間になってしまった。年を取っただけで中身は若い頃と何も変わっていない。時たま死にたくなる。両親には申し訳ない。ダメな息子でゴメンなさい。心の中で何度も何度も謝った。それでも母は私を責めることはしなかったし、私を愛してくれていることを私は理解している。母には感謝しかない。何歳になっても母親とはいいものだ。お母さんありがとう。