Rさんはなぜこのタイミングで東京から熊本に移住したのか?
はじめまして!47都道府県を旅したら九州が好きになってこの5月に移住したRさんと申します。今回は自己紹介も兼ねて、東京から熊本にこのタイミングで何故移住したのかをnoteにしてみましたのでお時間ある時に読んでいただけたらと思います。
(登場する企業や人物等は一部伏せております)
自己紹介
出身は岐阜で、名古屋の大学を経て、東京のITベンチャーに新卒入社いたしました。4年ほど働いた後に転職で熊本に移住して今に至ります。
中高は卓球と吹奏楽をやって、吹奏楽ではマーチングバンドガチ勢でした。全国大会やアメリカの大会に行ってたくらいです。
大学生の頃は、「学生が本来やるべきことは授業だ。旅行とか社会人になってもいくらでもいけるし、インターンなんかしなくても社会人はいくらでも仕事できる。学生の頃にしかできないのは授業をとることだ。」をモットーに200単位以上取得して修士でも通じるレベルの論文を書いて卒業しました。
社会人になったら主に営業や人材のCAなどを経て、入社半年後から新規事業の立ち上げとそれに伴ってインサイドセールス(内勤営業)を行いました。新規営業クライアントのうち2割弱のお客様の受注貢献をしました。
社会人をしながら「九州に住んでみたい」というなんとなく頭の片隅にあった思いがあり、「今がこのチャンスだ!」と思い転職して今に至ります。今回のnoteでは順を追ってその転職までの道のりを長文でつらつらと書いていこうと思っております。
初めての九州 初めての福岡
初めて九州に旅立ったのは社会人1年目の冬。航空会社のマイルの期限が切れそうだったので、連休もない中、急遽どこかへ旅立とうと思ったのがきっかけでした。当時行ったことがなかったのが北海道と福岡だったため、どっちに行こうかと考えたのちに「寒いのは好きでない」という理由で福岡に飛んだのがきっかけでした。
その時の旅程は約24時間でした。
土曜の20時過ぎに福岡に到着→ラーメンを食べる→2軒目のラーメンを食べる→クラブに行く→そこで会った人と朝マックする→家で仮眠させてもらう→猫と遊ぶ→日曜の夜のフライトで帰る
こんな人見知りの旅人に色々な人が話しかけてくれて、連絡先も交換して、仮眠の時にご飯出してくれて、「なんていい人がたくさんいるんだ!福岡楽しいな!」って率直に思いました。
2度目の九州、2度目の福岡
2度目の九州は夏、3連休で土曜の夜に長崎着の月曜祝日の夜に福岡初の便で帰るというルートでした。
長崎の思案橋という飲み屋街があるのですが、そこの居酒屋で会った人が2軒目に連れてってくれて、そこで会った人が3軒目に連れて行ってくれてを繰り返したら4軒目では朝の7時。長崎の人は酒が強いので張り合ってたらえらい目に遭いましたね・・・。
そのまま長崎を出て佐賀を観光し、当時のヤフオクドームで試合観戦し、スマホの電池が切れそうだったので喫茶店に駆け込んで充電器借りて、目の前のバスが終バスとあって「このバスは天神に行くのか・・・?」と路線図を見たら網のようになってて分からなくて、目の前にいらっしゃった方に聞いてみたら一緒に降りてくださいました。なんて親切な!そのあとは解散して目の前にあった屋台でラーメン食べながらホークスの祝勝会?的なことをして、クラブ行って朝を迎えました。
3日目はビジネスカンファレンスに参加。ここで知り合った人が、今の会社に入社する時にお手伝いをしてくださいました。他にも昨日、道案内してくださった方の元同僚の方がいらっしゃったりと「世間は狭いな〜。そして福岡やっぱ面白いな!」と思わされました。
3度目の九州、3度目の福岡
福岡が大好きすぎますね。ええ。次も3連休で福岡着で熊本、鹿児島を経由して宮崎発で東京に帰りました。
福岡では以前と同じ屋台で、以前いらっしゃった常連さんがご馳走してくださいました。
その後に熊本。前回のカンファレンスで知り合った方とランチ。急遽声かけたのに会ってくださって本当に感謝です。
そこから鹿児島で砂風呂してまったり。
最後は宮崎の青島(鬼の洗濯岩)で、観光客同士仲良くなった人がいてその人とはのちに東京でもランチしました。
九州に行くたびに気持ち良く待遇してくださり、毎度のように新しい人とのつながりや発見などがあり、九州は本当に刺激的なところだなと思いました。
東京に嫌気がさした瞬間
徐々に東京での生活に嫌気がさしてきた頃でした。何故かというと、新型コロナウイルスの影響で東京の生活は私にとって無意味な方向に加速したからです。
・人との繋がりが増えなくなってきた。
・飲食店の閉鎖や時短制限などにより不便さが増した。
個人的には、新型コロナウイルスの猛威が続く以上は東京はミーハーとステータスを求める人以外は、住むメリットがない街だと思っております。ミーハーであれば、新しいものはやはり東京発で来るものが多いし、芸能人との接点を持てるかもしれない、スポーツや演劇などエンターテイメントが充実しているなど、ミーハーであれば希望があります。ステータスも、東京に住んでいることに意味がある、タワーマンションに住むことに意味がある、誰にも成しえない高い年収をとってこそ意味がある、そういう理由があるならば今の東京でも住むメリットは強いです。
しかし、私は特に芸能人などの情報にも疎いし東京にいないと手に入らないものが欲しいかと言われたら別にそこまで強い物欲があるわけではないです。タワーマンションやステータスも一時期は「ええなぁ」と思っていた時もありますが、その道に進んだら今後全てが人とお金やステータスのマウントの取り合いになるところが想像がつきます。子供ができたらどんな場所で教育を受けさせているのか、タワーマンションの何階に住んでいるのか、高級なものを食べているのか、旦那の役職は何?などなど。
また、タワーマンションはセキュリティもばっちりだし眺望もいいし、地盤もしっかりしているし、メリットは大きいです。しかし、機能はいいけれども全部本当に自分に必要かと言われると、別にそうでもないです。一流のコンシェルジュもいらないし、タレントでもないので究極のセキュリティもいらないです。田舎で一軒家買ってサウナつけていた方が個人的には幸福を感じるだろうと思います。
そして新型コロナウイルス以前からの問題でもありますが、満員電車、水道水がまずい、家賃や物価が高い、などなど。新型コロナウイルスの影響で多くのメリットがなくなり、高い金を払っているのになぜ不便さを買っているんだろうと、元々蔓延っていた東京の課題が自分の中で顕在化して、大きな疑問と変わりました。
「じゃあ自分は東京に住んでた今までの理由はなんだったんだろう。」そう考えた時にさまざまな信頼できる人との出会い、東京での人生に一番影響を与えてきたのはまさにこの要素だと思います。もちろん裏切ってくる人や踏み台にしてきた人もたくさんいます。そういう人も含めて出会いだと思っております。次同じ目に遭わなければいいわけですから。しかし、出会いが一気に減った東京ならば残る理由はないし、オンラインでも繋がりはできます。なんなら土地を離れた方が今までと違う価値観の人に出会える、そう思いました。
移住を決意するカフェ
前回、熊本でご飯に急遽ご一緒してくださった方が関東にいらっしゃる機会があったので、スケジュール無理矢理ながら早朝にお時間をくださいました。お誘いしたタイミングでは漠然と「九州、、アリかも?」と思っていたタイミングで、実際お話をしたあとは「よし、行こう」そう思いました。
ちなみに、行こうと決意した理由は「面白そうな仕事があるやん!」ってことです。私が大学卒業後に上京したのも、地元でワクワクする仕事が見つからなかったから、それが東京にあったから上京しました。
地方移住を考えていた時に生き甲斐を見つけられらたら、あとはもう行くしかない、そういうことです。
移住のハードル
移住する上で大変なのは、やはりお金面です。今回は未経験職かつ地方転職なので給与が下がることは必須でした。また、遠距離の引っ越しは手間も労力もかかります。いわゆる生活防衛費(投資や消費などで使っていない、万が一の時に備えている予算)は100万円ぐらいは持っておいた方がいいと言われますが、余裕のある移住をするならそれぐらいはあった方がいいです。
最初、九州に旅行で興味を持っていたときは「給与水準が同じくらいで転職できる時を待とう」「資金にたくさんの余力ができたら、、、」と思っていましたが、そんなタイミングなかなか来ないです。おそらく多くの人が移住で一番最大なネックになるだろうところはその「お金」の部分だと思います。そこはもう「地方に来て400万稼げば、東京の年収600万の生活より豊かになれるはずだ」という意気込みだけで私は行くことにしました。
人生はお金が全てではないです。心が豊かになれるかどうか、私はそれだけが判断軸でした。
熊本の良さ
1LDKなのに家賃が東京の1Kよりも2/3に家賃が下がりました。その上、東京だと700円くらいするだろう唐揚げ弁当が300円台からで買えます。そして水道の水が全て地下水で賄われています。東京の飲食店で必ずと言っていいほど感じていたあのカルキ臭い水。減りましたね。
また、人口が74万人と前住んでいた練馬区と同等の人口で政令指定都市で程よく都市なのでそこまで不便しないのです。
だったら実家帰らないの?
岐阜市も人口は40万人強で名古屋がアクセスすぐです。1Kなら駐車場付きで3万円台でも十分にあります。不便しない土地なので、帰らないの?と思われる人も一定数いらっしゃると思います。結局のところ2つ帰らない理由があります。
・結婚&安泰ダービー
帰省すれば必ずと言っていいほど出てくる話題ですね。結婚こそが最大の幸せの形、結婚こそがゴールだ、だから何歳までに結婚するのか、あいつがもう結婚したのか、意外とあいつって結婚しないんだね、などなど幸せの全ての価値観が結婚になります。個人的にはそんな狭い価値観の中に引き込まれるくらいなら帰らない方がマシだ、そう考えました。それと同様であとは大手や公務員がもてはやされるのは田舎あるあるかもしれないですね。誰が一番の究極の安泰かダービーにも参戦しないといけないのです。
・結局、4年経って自分の考え方も取り巻く市場も変わったが、したい仕事がなかった。
あくまでも個人的な価値観の話なので良い悪いを示唆するつもりは全くありませんが、個人的にこの仕事をやりたい、岐阜に自らを捧げてやりたいことが、就職から4年経った今も全くありませんでした。今後長い目で見れば変わるのかもしれませんし、探し方やアンテナの張り方を変えれば可能性はあるのかもしれませんが、今のところは可能性がないです。帰省も焦るべきではないですし、成り行きやタイミングの要素もあると思うのでそれはそれで良いと思います。
岐阜出身が東京にを経て熊本に移住したまとめ
ざっと一言でおさらいをするならば、自分のキャリアにおける判断軸である「心が豊かになれるかどうか」これに沿うものが、結果的に東京にあって、それを上回るものが熊本にあった、それだけのことです。
ここまでのプロセスの中にたくさんの出会いがあって自らのキャリアを形成しました。ご縁はいつどんなところで起きて、後にどう発展するのかは本当にわかりません。これまでに私に出会って刺激をくださった皆様に改めてお礼を申し上げます。
熊本県外の方へ→熊本に遊びに来てくださればもてなします!
熊本県内の方へ→熊本から一緒に元気を発信していきましょう!
追伸:福岡ソフトバンクホークス
中学生の頃、王監督がホークス最終年の時からホークスが好きです。松田選手や川崎選手きっかけでホークスが好きになった経緯でした。ひょっとしたらこのタイミングから九州へのご縁の伏線だったのかもしれませんね。
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