映画と歩こう『リチャード・ジュエル』
2人死亡、負傷111人。
過激派による釘爆弾は五輪開催の最中、酒とバンド音楽で群衆の賑わうアトランタの公園で爆発した。96年7月27日、真夜中のこと。
この際、爆発の直前にベンチ下へ不審なバッグを発見して、即座に避難を促したのが現場の民間警備員であるリチャード。現場には警察官もいたけれど、最初は彼の言葉を受け流していた。何度もリチャードに促されて応援を呼び、そこに爆発物があることを確認するまでに時間を浪費。
あとでわかるが、これより何分間も前に緊急通報に犯人からの爆破予告の電話が入っている。けれど公園側警備にはこれについての連絡は入らなかった。何が起きているか、最初からそれに気づいて動いていたのはリチャードだけだった。
彼は観客を避難させようと動き続けた。そのおかげで多くの人達が命を失わずに済んだ。
この惨劇の3日後、リチャード・ジュエルは「自作自演の爆弾魔」として新聞に載る。FBIの当時はまだ幼稚なプロファイリングによる「第一発見者を疑え式」犯人像の当てはめ、そしてそれを鵜呑みにした地元紙の扇動だけを目的にしているかのような愚かな報道。
連日連夜、家を取り囲まれストーキングされ、盗聴器を仕掛けられ家財の何もかもを押収され、しかもその後の一切の補償が無い。
ジュエル一家は無罪であるにも関わらず、ただ息子が仕事として
「人々を守ろうとした」というだけで、
公的権力と大衆圧力によって、生活を壊された。
大衆圧力。
誰にもおぼえがあるはずだ。
印象深いのは、島田紳助さんが反社会的勢力と繋がりがある、という報道からだった。
まっちゃんとトークしている時などの話術の楽しい人としての島田紳助は好きだったけれど、ゴールデンの番組でつまらねえ楽曲や妙な企画の立役者として振る舞っているのは気持ち悪いと感じていた。
けれど世間的には「島田紳助は人情的な良い人」だったし、周囲でそれを疑う人はいなかった。というか、私は今もそれに関しては疑っていない。
けれど、マスコミがバッシングを始めると同時に多くの人達が、島田紳助をまるで犯罪者であるかのように責め出した。
ホリエモンの時もそうだった。
私は昔から今までずぅっとホリエモンもひろゆきも嫌いだけれど、その理由は「なんとなく」である。
あの事件の時、ホリエモンを理屈で支持していた人達は同様に理屈で彼を批判する側に回った。ひろゆきに関してもそうだろう。「知らなかったことを知った」、しかもマスコミによって受動的に知らされた、にも関わらず、少なくとも素人の僕らよりは情報のプロであるはずの彼らふたりの高みに立ったかのように、大衆は手のひらを返した。
今なら松本人志がその矢面に立っているように思います。
たとえばアイドルがお泊りデートをしたとか、浮気をした、不倫をしたとか、それについての報道が出るたびに私がまずモラルを疑うのは、その記事のためにその記者はどれだけのストーキングをしてどれだけの盗撮を行ってどれだけのプライバシーを破壊して、取材対象者に異常な恐怖を与えてきたのか、ということ。
ストーキングも盗撮もプライバシーの暴露も、なんらかの条例もしくは法令違反の犯罪のはずです。そもそもあることないこと書いている写真週刊誌について、あんなフィクションについて「本当に信じている大人」が多すぎることがちょっと不思議です。
そろそろ揺り返しの時代が来る
ような気がしています。
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