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よふかしのすきな梟

 梟(フクロウ)にもいろいろな種類がいるけれど、私はメンフクロウの奥まった顔が好き。何より彼らは、とてもおとなしい。シロフクロウもオスはおとなしいけれど、メスはわりと攻撃的だ。孔雀を代表例として動物界ではわりとあたりまえのことだけれど、特に鳥の場合はオスのほうが派手な毛色をしていて、とてもよく働く。

 動物園でバイトしていた2010年前後の当時、分類学に於いて技術革新が起こり、それまでコウノトリ目であったトキ(nipponia nippon)はペリカン目に編入され、これによって、そもそも種類の少なかったコウノトリ目はさらに限定的にコウノトリ科コウノトリだけが残された。
 動物たちの近くで作業をしながら、看板が掛け替えられていくのを眺めていた。ああ、これで希少種であったコウノトリはさらに、トキや他の鳥達の分類からも完全に孤立しまう。

 レッサーパンダは形態的にイヌに近いけれど、分類的にはネコ目イヌ亜目イタチ上科という複雑なものになっている。
 中国表記では小熊猫。いっぽう、パンダは大熊猫と書かれる。パンダはクマ科であって、イタチ上科であるレッサーパンダとは遠縁だ。
 まず原産国である中国では、パンダは幻の生物とされていた。様々な文献の混同によりバクとパンダとが同じ生き物として記述されていたこともある。
 まず中国に於いて【熊猫】と表現されていたのは最初に発見されていた現在の【レッサーパンダ】であり、このあとに現在の【パンダ】である幻の生物が、ただ見た目が似ているというだけで【大熊猫】と称して発見された。
 これが小熊猫・大熊猫という呼称の区分となり、原産地である中国に倣って一般にも“lesser”(より小さい)レッサーパンダ そしてジャイアント(でけぇ)パンダという、分類学的にはまったく的外れな命名に繋がっていく。

 ペンギンも伝記によれば世界的に、今では絶滅しているオオウミガラスとペンギンを総称してペンギンと呼んでいたらしい。現在でも日本のように鳩・雀・ヒヨドリなどと一般人が細かく言い分ける文化は珍しいらしく、単純にbardと言うことが多い。たぶん当時もそんな感じだったんだろう。

 たまに、何かを知った感じで「人間は動物だ」と語る人がいる。
 何をあたりまえのことを言っているのだろう。
 人間が動物じゃなかったら何なんだろう?
 神とでも勘違いしていたのか。

 カバはカバだし、ライオンはライオンだ。
 人間が人間であることは、ことさらに「動物だ」と言わなければいけないほど特別なことだろうか?
 ライオンが吠えるのは「おれはライオンだ」と誰かに伝えるためだろうか?
 生存のために吠えているだけだ。
 人間は人間という動物として理性的に生きているのであって、人間が動物であるからといって他の動物のマネごとをして何をやってもいいわけではない。
 人間は確かに動物だけれど、人間という種類の動物であり、理性というものを生存戦略として必要としているという特徴がある動物なのである。
 おれたちは誰でも、生存のために吠えているだけだ。

 他のどんな生き物も、何も考えずには生きていない。
 逆に言えば、いかに言語を巧みに扱おうとも、たとえばおれのこの文章みたいに、何も創れていないのであるならば、確かに…

 コンビニでアルバイトをしていた頃、ふとしたことでクレーマーに
「そんな仕事しか出来ないなら生きてる意味ないよ」
と言われたことがある。
「この若造が」
「頭おかしいんじゃないの?」
「こんなこと初めてだよ」
「クレーマー扱いしやがって」(←これはクレーマーが必ず言う台詞)
 ほんとうに失礼な御高齢のおふたりだったのだけれど、自分たちでは普通のつもり、つまりは本当の「どうかしてる」人たちだった。
 ひとりのほうのおじさんがギターケースを背負っていた。わりと高価に見えた。御婦人のほうは「わたしは三越で働いてましたけどもあなたのような接客は考えられませんね」と言っていた。おもにおじさんのほうが声を荒らげて、ワンオペ深夜の時間を我が物顔で潰して、後ろの客に迷惑を掛けていた。
「そんなにいやなら来なければいいのに…」
と思いながら、とても悲しい気がしていた。
 私はギターを弾くのが好きだったし、あんまりデパートには行かないけど悪いイメージは無かった。
 ああ、三越の接客業を経験してきた店員さんは、他の店舗の店員にはこんな対応をするんだな、というのがまずひとつあったのと、
 同じギター好きでも、こんなにも心が狭く、そして「生きる意味が無い」と平然と言えるような人がいるんだなということ。
 じゃあ音楽って何なんだろう。
 じゃあ芸術って何なんだろう。
 人の心を平然とレイプ出来るような人間が、どうして殺されずに生きているんだろう?

 彼らは結局、店長まで呼び出して、こちらの時間を2時間ほども奪って説教して帰って行った。
 彼らに今、問いたいことがある。
「あの時の君たちに、生きてる意味あった?」
単純な疑問として、コンビニで2時間も揉めることに何の価値があるんだろう?
反論できない店員に延々と頭を下げさせて、その何が快感なんだろう?
そう、快感なんだと思う。
クレーマーは変態なのだ。
理由があるとすればただひとつ、レイプだけ。
彼らはレイプがしたかっただけ。
そういう動物であっただけ。
ほんとうに、それだけ。
ただ言葉を扱えるだけで人間を気取っている。
そしてクレーマーは、その自分を知らない。

 あれ以来、コンビニやスーパーなどで「明らかに異常な」クレーマーを見つけると、積極的に声を掛けることにしている。
 レイプ犯だからだ。
 真似はしないで欲しいけれど、普通に怒鳴りつけている。めんどくさい時は「死ねよ」とだけ耳元で言う。通報もする。
 自分がどれだけ恥ずかしいことをしているのか、彼らにはわからない。

 そう、そして生きる意味の話。
 以前にも何度か書いたけれど、生きる意味なんて誰にもない。
 私達人間が所有できるのは価値だけであって、意味は与えてもらうもの。

「生きる意味が無い」なんてことが言えるのは神だけであって、
そして神は決してそんなことを言わない。
なぜならばそんな次元に存在していないから。

 意味を語るなら神になれ。
 語れないなら価値を知れ。



 

 

 

 

 

 
 

 

 



 

 

 






 

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