♦︎白鳥の飛来から考える
冬といえば,雪を連想する人が多いと思うが,渡り鳥も冬のイメージの一つに数えられるだろう.渡り鳥というと,ハクチョウである.毎年,日本にどれくらいのハクチョウが飛来してくるのだろう?環境省によると,ハクチョウ類として合計65,144羽となっている(2020年4月27日時点の暫定値).ハクチョウ類というのは,オオハクチョウ,コハクチョウ,アメリカコハクチョウ,コブハクチョウ,ハクチョウ類種不明をいう.ハクチョウ類の中では,9割以上がオオハクチョウとコハクチョウである.オオハクチョウは,宮城県,岩手県,北海道に多く,コハクチョウは,新潟県,山形県に多い.私の住んでいる埼玉県では,オオハクチョウ2羽に対して,コハクチョウが142羽で,圧倒的にコハクチョウが多い.埼玉県でのハクチョウの飛来地は,越辺川-飯盛川合流点(冒頭の写真参照)と荒川-川の博物館~植松橋の二箇所である[1].
ところで,オオハクチョウとコハクチョウの違いは何だろう.文字通り,オオハクチョウの方が,コハクチョウより大きい.しかし,これだけで区別するのは難しい.見分け方のうち,クチバシの黄色い部分が大きく(クチバシの半分以上を占める),先が尖って三角形のような形がオオハクチョウ.クチバシの黄色い部分が小さく(クチバシの半分以下),先端が丸か四角なのがコハクチョウ[2,3]というのが,素人には最も分かりやすい.冒頭の写真の中央,最も手前はコハクチョウで,クチバシの黄色い部分に注目されたい.その後方の3羽は,頭から首,背から尾にかけて灰色が混じり幼鳥である.幼鳥は2-3年で白色になる.
「白鳥の初飛来が早いと寒い冬で大雪になる」という説があるそうである.中西朗著,「渡り鳥から見た地球温暖化」では,新潟の瓢湖に飛来するハクチョウの数,時期が新潟気象台の気象データとつきあわせて解析されており,この説はかなり的を射ているという[4].今年(2020年)はどうかというと,滋賀県草津市の琵琶湖では,例年より2カ月も早い初飛来が観測されており[5],長野県安曇野市(御宝殿遊水池)でも,去年よりも4日,例年よりも6日早い初飛来が観測されている[6].2020年の12月16-18日,関越自動車道で多数の車が立ち往生した大雪は記憶に新しい.白鳥の初飛来が早いと,寒い冬で大雪になるというのは当たっているようではあるが……
飛来数については,過去20年間の調査結果の推移を見ると,2001年の約5万300羽から2006年には約8万1,500羽まで増加し,その後2012年には約5万8,600羽まで減少したものの,以降は概ね7万羽前後で推移している[1].日本の自然環境の悪化が心配されているが,飛来数については,それほど変わっていないようである.
ハクチョウ・カモ類の渡りについては,繁殖地と越冬地は分かっているが,繁殖地と越冬地間の経路は明らかでなかった.近年では,ハクチョウの背中に付けた送信機からの電波を人工衛星が受け,地上受信局に送信し,その情報をコンピューター処理することによってかなり渡りの経路が明らかになってきている[7].コハクチョウについては,3月下旬から春の渡りが始まる.東北・北陸の越冬地から北海道西部へ渡った後,サハリン,アムール川河口付近を経由して,オホーツク海を越え,ロシア東部沿岸に上陸する.内陸部を北上し,それぞれの繁殖地に到着し,長期滞在する.秋の渡りは,9月下旬から10月上旬にかけて始まる.それぞれの繁殖地からオホーツク海を縦断後,サハリン付近を経由して本州に渡り,10月下旬から11月中旬にかけて東北・北陸の越冬地に戻る.カムチャッカ半島を経由した個体も確認されているが,多くの個体は春秋共に,北海道-サハリン-アムール川河口付近-ロシア東部という経路を利用している[8].
冬の優雅な使者と言われるハクチョウであるが,高病原性鳥インフルエンザというやっかいな問題がある.2008年の4月中旬から5月上旬にかけて,秋田,青森両県にまたがる十和田湖畔,北海道の野付半島及びサロマ湖畔において,斃死又は衰弱したオオハクチョウからH5N1亜型の高病原性鳥インフルエンザウイルスが検出された[9].毎冬,多くのハクチョウやカモたちが鳥インフルエンザウイルスを運んで日本にやって来る(呼吸器と消化管に感染した状態で).しかし,これが家畜に移って問題になることはなかった.鳥インフルエンザウイルスはハクチョウやカモたちと共存し,安全なウイルス(低病原性)なのである.それに対して,高病原性鳥インフルエンザウイルスは,自然界では無害なウイルスが,人間が作った“養鶏場”という高密度で家畜を飼育する状態で,急速に感染を繰り返すうち変異して凶暴化した(家禽,特に鶏に対して)特別なウイルスである[10]. 「密」は鶏にとっても良くないのである.高密度で家畜を飼育しないように,国際的にはアニマル・ウェルフェア(AW=快適性に配慮した家畜の飼養管理,新聞報道では動物福祉として紹介されていることも多い)の考えが重要視されている[11].しかし,我が国ではアニマル・ウェルフェアに対する生産者,消費者等の理解は必ずしも十分ではないようである.日本も加盟するOIE(国際獣疫事務局)は,2017年から採卵鶏のアニマル・ウェルフェア基準「アニマル・ウェルフェアと採卵鶏生産システム」の策定を進めてきた.こうした国際的な動きに対して,日本養鶏協会と国際養鶏協議会は,国内の採卵養鶏の飼養方法にも大きな影響を与えかねないとして,合同で「AW対策協議会」の立ち上げを決めるとともに,2018年11月12日には吉川貴盛農林水産大臣に,適切な対応を求める要望書を提出した[12].適切な対応とは,簡単に言えば,国際的なアニマル・ウェルフェア基準の策定案に反対し,基準のレベルを上げないでほしいという要望である.2019年9月の3次案では,日本だけでなくアメリカなどの意見も入れて,かなりレベルが下げられた(ゆるい)ものになっている.日本ではケージによる高密度な飼養が一般に行われているが,この飼養方法を変更することは,養鶏業者にとって大きな金銭的負担になる.適切な対応をとってもらうために日本養鶏協会の特別顧問であったアキタフーズの元代表が行ったのが,農林水産大臣であった吉川氏に対する現金の提供である.吉川氏は議員辞職しているが,この他にも政策金融公庫から養鶏業界がお金を借りやすいようにも働きかけをしている.大臣室で二度も金銭の授受が行われていることからみて,罪の意識が相当希薄だったのではないかと思う.罪の意識というより,養鶏業者にとって,為になることをしてやったのだ,という感覚なのかもしれない.従って,この種のスキャンダルは,なくならない.狭いケージによる密な飼養方法によって,卵は,物価の優等生と言われるように安定して低価格を維持してこられ,消費者も恩恵を受けてきたというのも事実である.平飼い卵が増えてきてはいるが,値段は少し高い.贈収賄のみが問題として取り上げられ,アニマル・ウェルフェアについてはほとんど報道されていない.消費者にも,アニマル・ウェルフェアに対する理解が必要ではないかと思う.アニマル・ウェルフェアは,産業利用される家畜動物だけでなく動物園や水族館などで飼育される展示動物,研究施設などで使用される実験動物,一般家庭で飼われる愛玩動物,さらには野生動物にも適応されるとするのが国際的なコンセンサスである.多くの動物は人間の利益のために動物本来の特性や行動,寿命などが大きく規制されていることが多い.こうした利用を認めつつも,それら現場で動物の感じる苦痛の回避・除去などに極力配慮しようとする考えがアニマル・ウェルフェアである[13].実験動物の分野では,以前と比べればかなり改善されてきたように感じるが,国際レベルから見ると十分とはいえない.アニマル・ウェルフェアの他に,この種の問題をより複雑にしているのがアニマル・ライツ(動物の権利),動物保護,動物擁護,動物愛護といった考え方,またそれらを主張する団体による活動がある.それぞれの考え方,主張は微妙に異なっているが,これらを主張する団体の多くは,水族館などでの,イルカやオットセイ,アザラシのショウ,闘牛,闘犬,闘鶏なども問題視している.一部の動物愛護団体などでは,動物園,水族館も動物虐待に当たるという[14].反捕鯨で過激な行動を取る海洋環境保護団体シーシェパードは有名である.捕鯨もまた,厄介な問題である.日本は,2019年6月30日をもって国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し,同年7月1日から大型鯨類を対象とした捕鯨業を再開している.30年以上も前になるが,私はドイツのベルリン自由大学のゲストハウスに住んでいた.ここでは,いろんな国からの研究生が生活していた.台所は共用で,ある日スウエーデンの女性と一緒になった.「日本では,クジラを食べるのか?」と,その女性は聞いてきた.私は,食べると答えただけでなく,「とても美味しい」とまで言ってしまった.その時の彼女の顔が忘れられない.今までの友好的な態度が一変してしまった.固有の食文化を,外から文句を言われたくないと思うが,そうはいかない.水産庁は,食習慣・食文化はそれぞれの地域におかれた環境により歴史的に形成されてきたものであり,相互理解の精神が必要である[15].としているが,話はそう簡単ではない.シーシェパードには米国で最大の動物の権利もしくは動物愛護団体「PeTA=動物の倫理的扱いを求める人々の会」に所属していた人物も含まれていたことがあり,海洋の環境保護に加えて動物の権利,動物愛護の主張が重なり一層複雑になっている.これらの団体の主張は,菜食主義者(ベジタリアン)よりもさらに徹底して,卵や乳製品の摂取にも反対するヴィーガン(厳格な菜食主義者,絶対菜食主義者)の主張とも一致するところがある.日本ベジタリアン協会は,ヴィーガンを「動物に苦しみを与えることへの嫌悪から動物性のものを利用しない人」と定義している[16].私は,アニマル・ウェルフェアの考えには賛成であるが,極端な団体の主張には賛成しかねる.極端な団体の主張は,科学的な根拠に基づいた主張というよりは,個人的というと失礼かもしれないが,個人の嗜好,思想といった面からの主義・主張が強く感じられる.水産庁は,相互理解の精神が必要であるというが,私にはお互いの理解は不可能のように思える.相互理解は無理だとしても,自分と異なる意見や立場を尊重する寛容の心を持つことは,可能ではないかと思う.しかしながら,寛容の心も,お互いが持たなければならない.せめて,「相互に寛容の精神が必要である」とでもしてもらえないだろうか.
[1]環境省 第 51回(2020 年1月)調査における都道府県別・調査種別観察数(暫定値) https://www.env.go.jp/press/files/jp/113829.pdf (確定値はまだ未発表)
[2]環境省 ガンカモ類の生息調査の対象種識別ガイド http://www.biodic.go.jp/gankamo/seikabutu/data/report/IdentificationGuide_bypage.pdf
[3]見分けてみよう!コハクチョウとオオハクチョウ https://simanenoikimono.com/hakucho/
[4]「渡り鳥から見た地球温暖化」中西 朗著に対する国立環境研究所 永田尚志の書評より
[5]「冬の使者」コハクチョウ飛来 滋賀・草津の琵琶湖岸,例年より2カ月早く https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/390012
[6]早くも“冬の使者”飛来 コハクチョウの越冬地・安曇野 例年より6日早く https://news.yahoo.co.jp/articles/6e57fbd69a82cdc77ad2da4382b75ad7799dabaf
[7]環境省 ハクチョウ・カモ類の飛来経路及び移動状況について https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/bird_flu/migratory/dabbler.html#02_satelite
[8]環境省 IV. 高病原性鳥インフルエンザと野鳥について(情報編)IV. 高病原性鳥インフルエンザと野鳥について(情報編)https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/bird_flu/manual/pdf/4jyouhou.pdf
[9]伊藤壽啓,1. 高病原性鳥インフルエンザと野鳥の関わり.ウイルス 第59巻第1号,pp.53-58,2009.
[10]正しく理解しよう 鳥インフルエンザ https://www.wbsj.org/activity/conservation/infection/influenza/infl20051109/
[11]農林水産省 アニマルウェルフェアについて. https://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/animal_welfare.html
[12]http://keimei.ne.jp/article/日本の実状に適したaw(アニマルウェルフェア.html
[13]石川 創 動物福祉とは何か 日本野生動物医学会誌/15 巻 (2010) 1 号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjzwm/15/1/15_KJ00006772024/_article/-char/ja/
[14]「動物園は虐待」と主張の愛護団体女性 ネコを飼っていると明かして議論に https://www.j-cast.com/2015/07/22240868.html?p=all
[15]水産庁 我が国の捕鯨についての基本的考え方 https://www.jfa.maff.go.jp/j/whale/w_thinking/
[16]https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィーガニズム
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