僕が描く、まあるい社会
とあるトークイベントに行った際、演者の方がこのようなことを言っていた。
弱い「個」が自分が本気で見たい“風景”を伝えると、それはすごく大きな力になる。
この言葉がすごく印象に残った。
そんな言葉を信じて、僕が本気で見たい“風景”を「#こんな社会だったらいいな」に合わせて書いてみようと思う。
僕が本気で見たい“風景”、それは、まあるい社会。まあるい社会と言っても、なんだそれ?となってしまうから、自分なりにお伝えしたい。
まあるい社会っていいな、と思ったきっかけ
あれは僕が中学生だった頃、学校内ではRADWIMPSが大人気だった。ただ、RADWIMPSが好きな子たちはイケイケな男女が多かったため、イケイケでなかった僕はどうもRADWIMPSのことを好きになれなかった。
でも、イケイケな生徒に憧れる面もあり、恥ずかしながらRADWIMPSの曲を1曲試しに聞いてみた時に感じた、“ビビッ!”とした感覚が今でも忘れられない。
誰も端っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろう/有心論
たまたま聞いた「有心論」という曲のこの歌詞にはびっくりした。鳥肌がたった。
でも、僕の中では「RADWIMPS=イケイケな男女が聞く」という謎の方程式ができてしまっており、どうもRADWIMPSのことは今でも好きになることができない。
ただ、まるの中に端っこは存在しないという大切なことをRADWIMPSは僕に教えてくれた。
これが、まあるい社会っていいな、と思ったきっかけ。
でも、まあるい社会ってなんだろう?
僕は理学療法士という資格を持っている。簡単に言ってしまえば、リハビリを提供するお仕事。僕は理学療法士として働きながら大学の通信教育部に入学し、障害者福祉の勉強をしていた。
そんな中、ある講義に出席したとき、講師が僕ら生徒に錯視の絵を1枚見せてくれた。その絵の中には、異なる色の四角形がいくつか描かれていた。そして、その絵を用いた講師の言葉に、僕は転職を決めてしまうほどの衝撃を受けた。
「異なる色のように見える四角形、実は全部同じ色なんです。ただ、背景の色が異なることにより、実は同じ色の四角形も違う色に見えてしまうんです。これって障害や生きづらさを抱えている人も同じですよね?人として変わりはないけど、周りの影響を受けることにより違いが際立ってしまう、この四角形のように。そう考えると、その人に障害があるわけでなく、違いを際立たせている背景こそが障害なのかもしれません。」
確かにそうだよな、僕はそう思った。そして、僕は障害者と言われている方々に関わる理学療法士を辞める決断をした。そのくらいの衝撃だった。次に僕が選んだのは、障害者と言われる方々に関わる方々(障害者雇用を担当する企業の人事部)へ関わる仕事だった。講師が言っていた、背景の部分に関わりたいと思って。
そんな“障害”を背景に感じることは日常茶飯事にある。どうしても僕たちは他人に対して、「〇〇な人」というラベルを貼りやすい。ただ、それはラベルを通して見ているから「〇〇な人」と決めつけてしまっているだけで、常にその人が「〇〇な人」とは限らない。そんなことを身をもって感じた一件がある。
職場でミーティングをしていた時、中々自分の意見を言わない人がいた。もしかすると、その人は「意見のない人」「考えがない人」のように周囲から思われていたかもしれない。でも、個別で話をした時にその人は自分の考えをいろいろと僕に話してくれた。
正直、「意見のない人」「考えのない人」そんな風に僕もその人を見てしまっていた。でも、それは違っていた。ただ、意見を言いづらいミーティングの進め方になっていただけ。そんなことに気が付くことができた。
次はポストイットに意見を書いて意見交換をする方法に変えてみた。すると、その人からたくさんの意見が出てきた。「意見のない人」「考えのない人」と思っていたのが、まるで嘘かのように。
このときに思った。「〇〇な人」なんてものはなくて、「〇〇な人」というものは周囲が作り上げるものだなって。環境によって「○○な人」というものはガラッと変わる。周囲が作り上げる「〇〇な人」というラベルに生きづらさを抱える人がたくさんいるんじゃないかということに。
このような事ってたくさんたくさん世の中に溢れているんだと思う。今は精神障害・発達障害と言われる方々に関わることが多いけど、この方たちはきっと「〇〇な人」というラベルを貼られやすい。でも、「〇〇な人」というラベルを外して、考えることができる世の中になれば“まあるい社会”に近づくんじゃないかと思う。
僕はそんな違いを際立たせる背景に関わり続けていきたい。そして、そんな“まあるい社会”をまずは僕の周囲から作っていきたい。それがどんどんどんどん広がれば、ものすごくいい社会になると思っている。そんなの綺麗事だよと思われるかもしれない。その通り、綺麗事なのかもしれない。
でも、これこそが、僕が本気で見たい“風景”。
そんな“風景”を見てみたいなあ。
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