見出し画像

第二部 おにんげんさんであそぼう

※全三部構成の今回は第二部になります。第一部からの続きになりますのでよろしければそちらもご覧ください!

はじめに

 今回お話しするテーマはこの二つです。

①人間に価値なんてない
②犯罪者は悪くない、悪い奴も悪くない

 なんか重そうな話だ……って訳ではじめる前にまずはご挨拶させてください。
 どうも私は『神』です。そしてみなさんも今から『神』です。

「……いや、なんでいきなり神のなりきり遊びしなきゃいけんの?笑」って思うかもしれません。

 なぜかって、これを読んでくれるあなたの精神衛生を保つためです。要するにここからは、人間の感情で考えると壁にぶつかる話をするということです。

 なんかこわいよぉっ。゚(゚´ω`゚)゜。!

1.①人間に価値なんてない

 いきなり「人間に価値なんてないよ」って言うと、ゲームのラスボスみたいなこと言い出しちゃった;(´◦ω◦`):と思うかもしれませんがカルト宗教とかじゃないから聞いてー!

 これ結論から言うと、人間は存在するけど”価値”って存在しないよねって話です。それがどういうことか理解するために、まず人間ってどうして生まれてきたのかをおさらいしてみましょう。

 そんなの簡単だよっ(´,,・ω・,,`)

「神が創りたもうたから」
「ちがうよ! 自分が年老いた時に介護してくれる子どもが必要だからだよ」
「いやたぶん泣きながら生まれたってことは、笑って死ぬためなんだ……(´・,,ω,,・`)」

 こんなふうに考えている人もいるかもしれない。確かにこれらを科学的に否定すること*もできません。
 ただ人は偶然生まれてきたんです。それが現在分かっていることです。

*=科学の世界では「~はある」と言えたとしても、「~は無い」と証明することは不可能です。

 例えば「神様なんて質量もないし観測もできないし、絶対にいないよ!」と主張しても「今はまだ確認できていないだけで、未来で見つかるのかもしれない。だから神は”いない”とは言えないよ」となっちゃう。
 他にも『体調不良には汚水がよく効く』という見るからに危ないトンデモ理論があったとしても、科学では「汚水は効かない」とは言えません。だって汚水に含まれる水分には、人間の脱水症状という体調不良に効果があるからです。
 というわけで科学ってのは反証は出来ても否定はできないのです。

 ではここから話が脱線しますが、ぼくはエセ科学や陰謀論、超常現象、オカルトな話が大好きです(´,,・ω・,,`)その中で昔から”シミュレーション仮説”と言うものがあるので紹介します。

 ◇
「俺ら人類って、そう遠くない未来にVRとかの科学技術を使って、地球によく似た『仮想の世界』って作れそうじゃね?」

「は? ってことは『仮想の世界』を作ったら、その中にいる住人はまるでゲームの登場人物みたいに、創り出した俺たちの事を認識できないんじゃね!?」

「はぁ!? ってことは、俺たちの暮らすこの世界は、既に誰かに作られたシミュレーションの世界で、俺たちはそれを認識できていないだけなんじゃね!!??」
 ◇

 こーんなことを心配をするおにんげんさんもいます(´,,・ω・,,`)

 こういうエセ科学とかに対して、オーストリア出身の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)が出した『論理哲学論考』という本の中で解決法を出しています。

 彼はまー天才すぎて哲学だけではなく工学や数学、教育学においても様々な理論を残しているえぐい人なのですが、その本では初っ端から「哲学における諸問題はすべて解決しました^^」と書いてあるヤベー本です。またそこにはこう書かれています。

『およそ語り得るものについては明晰に語られ得る。しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない』

 この言葉は本の中身を一言に要約した感じなんですが、このままじゃ意味が分からんので解説するとこんなことを言っています。

「この世界ってのは、実際に起きて人間が認識できる【事実】だけで出来てンだわ。んで【事実】ってのは全部、完璧に言語化*できるものでしかないんよ。それなのに哲学の問題によくある”愛”とか”善悪”とかさぁ……それって言葉にできねぇじゃん? だからそういうのについて人は語りっちできねンだわ」って感じです。

*=完璧な言語化とは、言葉を説明する際にそれ以上意味を細分化できなくなった状態だと思ってください。
 例:「おはよう」→おはようとは、現代の日本語で朝の挨拶である。→現代とは……。日本語とは……。朝とは……。挨拶とは……。と更に言葉を細かく説明できます。
 それを続けていって、「これ以上この言葉を説明できない」って状態にしたときのことです。面倒くさいね。

 なので例え『神』みたいな神秘的なものがぼくらの世界を創って監視していたとしても、我々はその存在を『完璧に言語化』することは出来ない。
 つまりそれは人間が認識できる世界の『外側』のことなんだから、最初から論じ合う事なんて出来ない、だから黙れ。としました。

 そんなこんなで「これで哲学の問題は全部解決なンだわ。ほかに問題が出てきても全部『論考』で解決できるし、あとのことは哲学者のみなさんにお任せします^^」と言って哲学界から去っていきました(´・ω・`)
 ただその後、「論考の中身、ちょっと間違ってたかも!」と言って帰ってくるんですけどね。

 ちなみにここまで言っておきながらウィトゲンシュタイン本人は「世界の外側はあるよ派」なのがまた面白いところです(´,,・ω・,,`)

2.人は偶然生まれた

 話を戻しまして、『人間に価値なんてない』ってことを理解するために、人は”偶然”生まれてきたという事について解説します。

 まず今日まで人間が生きているのには、歴史っていうちゃんとした理由があります。

 はじめに宇宙という空間が生まれ、その中に恒星である太陽がうまれます。
 自らばかでっけぇ光(熱)を放つ太陽に近い星は、水分が蒸発するほどアッチアチになったり、逆に遠い星は光も届かず冷え切っていました;(´◦ω◦`):

 そんな中、星の表面にある水たまりが枯れない程度で、しかも生命が暮らせる丁度いい気温になる距離に”とある惑星”が生まれます。
 そうして星の水たまり、つまり海の中で生命がとにかくたくさん生まれました。この惑星こそ奇跡の星、”地球”です。

 誕生した生き物たちは地球で生き残るために陸にあがったり、空を飛んだり他の生命を食べて増えてます。多くなってきたら食べ物がなくなるので、次に色々な地域に拡散しては絶滅と進化を繰り返しました。
 ちなみにこれまで地球上に誕生した生物の90~99%は絶滅してるよという説もあります。(もしかしたら99%以上とも)

 これにはデスゲーム系の主催者も「さすがに生き残り条件厳しすぎん……?」とドン引きする環境の中、何とか生き残った”種”の一つに、霊長類のホモ・サピエンスという二足歩行の動物がいました。
 これがぼくら現代人のことです。

 というわけで人間は、偶然生まれた地球の中に、偶然生まれて、偶然生き残ってきました。

 そーーんなただの偶然で生まれてきただけなのに、お人間さんってば頭が良いとか悪いとか、正義とか悪だとか、身分が上だ下だと考えちゃう。

 まるで他の生き物や人と違って「ぼくには価値があるんだー!」と言い張るみたいですごく可愛いですよね(´,,・ω・,,`)♡

 ここで何を伝えたいかというと『人間は偶然に生まれてきた』という事実からは、また別の事実が分かります。それが『この世界に価値なんてない』ということです。

 なんてことを言うんだ……。゚(゚´ω`゚)゜。 と思った方もいるかもしれません。
 でも本当なんです。だっていま人間たちが共有している”価値”という考え方は、人間が産み出した概念でしかないから……。

3.”価値”とはなにか

 普段からみんなが使っている”価値”っていうのは、昔の人や現代の他人たちが生み出した概念です。

 つまり『神』とか『上位の存在』のような自分達より優れた完璧な存在みたいなのが基準を作ったんじゃなくて、人が「こういう考え方あると便利じゃね?」と考えたから生まれました。

 それは実際に便利だったし、うまく人間社会とマッチした考え方でした。何でかって、色々なことが楽チンになったからです。

「お米やるから野菜くれ」と物々交換していた頃の経済もですし、政治や個人の考え方でさえ、『価値観』を使えば管理することができました。例えば……

「我々貴族は”育ちも頭も良いから”国を治める! そうじゃない奴は働いて納税な笑」

「やべー頑張った家臣にあげる領地がもうねぇわ。っつーわけでこの茶器には”百万石の価値”があるとする! 千利休もそう言ってるし(言わせた)。これやるから、もっと頑張れよ^^」

「高校生の娘が一度着用したけどほぼ新品です。って言ってから売れば、俺の靴下も誰かの宝物になる笑笑」

「SNS(民意)で叩かれるってことは”悪い”奴だろ。じゃあリンチされても自業自得だよ」

 こうしてぼくらは人や物に価値を与えて広めて、それを他人にも共有させました。こう見ると中々えげつないですね;(´◦ω◦`):

 ただその”価値”という概念を悪いとは言えません。
 だって人間の歴史というのはそういった価値観をもとに出来ているのですから。

 みんなが共有した価値観をもとにしてルールを決めることで治安を良くしたり「この絵には1億の価値がある」と思うようにして経済を回したり、それによって税収が増えて国家の運営が安定したり。

 それらの人類が繁栄するための工夫が悪かったとは言えないし、そもそも善いとか悪いとかっていう価値観も思い込みであって存在しない。だからそれについては神である我々も否定できないと思います( ´•̥ω•̥`)

4.『人間に価値なんてない』まとめ

 人は偶然生まれました。そして「こんな考え方があると便利じゃね?」と誰かが考えて、みんなで共有できる概念として”価値”を作りあげたのです。
 つまりこの世界における価値なんてのは相対的であり、判断する人によって全ての価値は変わるということ。

 このことから人間が絶対的に信用できる価値なんてないよと言えます。だから人間の価値どころか、世界には一つも確かな価値は存在しないんですね。

 それじゃあいまヒューマンが信じ込んでいる”価値”ってなんなんでしょうね(´・ω・`)

 お金や良い暮らし、頭が良かったり運動ができる能力、若くてルックスの良い恋人、素晴らしい芸術、SNSでのバズり回数、有名人の友達やブランド物、勝ち組負け組、正義の名のもとに悪を叩く。
 中国の始皇帝は不老不死という健康と寿命なんかを求めたりもしました。

 人間達にとって、本当にこれらに価値があるのでしょうか。ただ「どーーしても欲しいっ!」という人もいますよね?

 もしかするとそれって、自分のコンプレックスを埋めてくれる他人に自慢しやすい『ステータス』として”価値”が欲しいだけなのかも(´,,・ω・,,`)!?

5.続『人間に価値なんてない』まとめ

 ……ここで話を終えると後味悪いだけなので「じゃあ全ての人や物に価値なんてないって分かったけど、それでどうすればいいの?」ってことについて話します。

 これも結論から言えば、価値なんてのは他人ではなく自分が決めていいんすよ(´^ω^`)

 そこら中にいる人間がこぞって『高い価値がある』と思っていることや、『遵守すべき』だと考える一般的な常識(思い込み)に従う必要は一つもない。
 そんな他人の考えに、自分の人生を浪費する意味も必要もないのです( ‘ᾥ’ )

 ただあなたが”好き”だと感じている物事。つまり自分にとって価値があるものに対してのみ、エネルギーを注げばいいんです。ぼくで言えば人類とか(´,,・ω・,,`)!?

 ……という感じで一応は謙虚に言っていますが、実はこれ、そんな受け身の考え方ではありません。それが分かるような例を出します。

 今あなたには夢中になっている大人気ゲームがあったとしましょう。ではあなたの周りにいるゲームを好きな人たちは、全員があなたと同じゲームをプレイしていると思いますか? 恐らく名前やジャンルは知っていたとしても、全員が好んでプレイはしていない。

 だってそのゲームの面白さに気付いていない、もしくはやってなくて分からないからです。言い換えれば、そのゲームに”価値”を付けているのはあなただということなんです。

「いやバカで笑う。本当に面白いゲームはちゃんとやれば誰でも”面白い”って普通は思うよ」
 こういう反論があったので中々説明が難しい(˘•̥ω•̥˘)! ではこう言えば分かりますでしょうか。

 本当に面白いゲームなんてこの世に無いんだよ。あるならなんでゲーム好きな人が全員それをしないの? って話よ。そうじゃなくて、自分がそのゲームを面白くしてる。面白いと感じて、時間を使うほどの価値を付けられるお前がすげぇんだ( ‘’ )

 ってことです。この”ゲーム”の部分を、スポーツや本、絵、音楽などなど、あなたが好きなものに置き換えてみてください。

 こうすることで”価値”というのは元々そこに在って醸し出しているのを、ぼくらの霊感やセンス(第六感)が感じとるようなものではなく、あなたが物や人に価値をつけているということが理解できるかと思います(´^ω^`)

 要するにすげぇ攻めた考え方なんです。価値があると感じた物にしか自分のエネルギーを注がなくていいんですから。

 だからこそ第一部でも言った、”好き”こそ世界を救う唯一の力だと思ったんですね(´,,・ω・,,`) だって好きって感情は、無限のエネルギーにもなれば、社会の経済活動と、そして文化を育むんです。

 ◇
「君の考えた〇ってやつ、すげぇいいね。それくれないか。代わりに沢山宣伝するよ」
「かわいい〇だよ、便利な〇だよー。やい、兄ちゃん姉ちゃんどうでぃ一つ買ってみなよ」
「ん? きみの持ってる〇ってなに?笑 へー全然流行ってないんだ。じゃあ価値ないじゃん笑」
「〇を落とし込んだTシャツ作ってみました! 可愛くないですか? 買ってください!」
「私の好きな〇を世界に広めたくて、〇グッズを購入して海の向こうに輸出してるんです」
「俺は〇が好きでこの国まで来た。〇を創造した環境をもっとよく知りたいんだ」
「おかあさん、ぼく〇ってかわいくてすき。どこで生まれたの? 地球? それってどこー?」
 ◇

 こうして”好き”っていうのは、国や時代や負の感情も関係なく、好きだと思った人を突き動かします(´,,・ω・,,`)

 それに”好き”には文化を育む、つまり遺すという力があるんです。
 例えばお年玉だって初詣だって、現代はお金なんて必要な時とかお小遣いとして渡せばいいし、神様なんて信じてないから神社も行かなくていいし、ガチでやる必要が全くない伝統行事なんです。

 それでもぼくらは遺してきました。
 だってみんな、その文化が好きだから。

「みんなやってるから……」ってだけじゃ絶対に残らないんです。だったら『切腹』や『女性の就職としての結婚』は、禁止されたり”道徳的に悪い伝統”だったから消えたのでしょうか?
 違いますよね。誰も心から納得していないし好きじゃなかった、もっと言えば誰にも利益がないから廃れたんです。

 それが分かりやすいエピソードとして剣道があります。実は剣道って歴史上2度ほど消えかけてます。

 まず1度目は1868年(明治元年)に、明治維新で武士という身分がなくなった+廃刀令によって、それまでいた剣道家は全員失業しました。しかしとある剣術道場の偉い人は諦めませんでした。

「見世物! これは撃剣興行っていう見世物だから!」
 そう言ってショービジネスとして復興させ、今まで培われてきた剣術の命脈を守りました。

 ただ剣道がもっとヤベーのは1945年、第二次世界大戦に負けた後です。
 日本はGHQに占領された時「剣道関係者は戦争に加担した」と言われ、剣道組織解散+組織的活動を禁止されます。
 ていうかその時に稽古や試合、段審査も中止させられて竹刀や防具も燃やされました。事実上の国家権力による剣道の全面禁止です
 しかし、それでも好きな人たちは諦めなかった。

「スポーツ! これは戦争推進とかの……なんかそのアレじゃなくて、スポーツだから!」
 そう言ってフェンシングみたいな服装と新ルールにするから試合させてくれとアメリカ軍に交渉を行い、そうやって剣道が消えるのを防いだヤベー奴らのヤベー競技なんです。

 そんな風に”好き”だから、人々が続けたいと思わせる魅力があったからこそ、2度も消されかけたのに遺せたんじゃないでしょうか。
 そしてそういった人たちの努力と魅力は海外にも伝わって、KENDOだけではなくJUDOやアニメ、漫画、Vチューバー、サムライとかニンジャだってたくさんの人に愛されるようになったんです(´^ω^`) だから好きの力ってやべーんです。

 って感じで『①人間に価値なんてない』の解説を終えまーす(´,,・ω・,,`)

 ただみんなに受け入れて貰えるか本当に不安なのは、次にお話する『犯罪者は悪くない』についてなんです……;(´◦ω◦`):

6.②犯罪者は悪くない、悪い奴も悪くない

 今回あなたに『神』になってもらったのはこの話のためです。なぜなら今まで人間社会で必要とされてきた感情正義だけでは、マジでもう脳が処理しきれない問題だからです。

「犯罪者は悪くないよ。悪い奴も悪くないよ」

 こう言われてすぐに納得できる人は多くはないと思います。ですが大丈夫です。今のあなたは『神』なのですから、解説されれば理解できると信じています( ‘ᾥ’ )!

 まずはある事件例を見てもらってから解説していきたいと思います。

 『北海道家族殺人事件』

 ◇

 深夜に仕事を終えた長女(23)が自宅へ戻ると、寝室で血を流して倒れている母(47)と母方の祖母(71)を発見し、警察に通報した。
 母は喉を切り開かれ、祖母は頭や胸などを中心に7カ所刺されており、二人とも死因は失血性ショック死だった。
 またその日、敷地内の離れにいた次女(17)に話を聞くと「寝ていたのでわからない」と供述した。

 なお祖父は既に他界し、父も母とは離婚していて同じ家には住んでいなかった。

 その後、警察の取り調べで次女が犯行を認める
 使用した包丁や軍手、衣類は自宅から5km離れた場所に捨ててあり、長女も証拠隠滅を手伝っていたことが分かった。

 次女は犯行の動機についてこう語る。
「しつけが厳しく、逃れたくて殺した」

 躾について次女の友人と近隣住民の目撃談がある。それは以下のようなものだった。

  • 家の雑務全般(草むしり、雪はね)を一人でさせられていた

  • 祖母の飼犬を毎日17時までには散歩させるよう指示され、学校からはいつも走って帰っていた

  • 次女だけは家ではなく、二段ベッドの置かれた離れで寝泊りするように言われていた

 なお近隣住民から死亡した祖母への評価は「あの人はおかしい」、「誰にでもいつも上から目線だから関わりたくない」といったものだった。

 また長女も取り調べの中で、次女が受けていた仕打ちについて語る。

  • 祖母は就学前の次女が泣くと「子どもは一人でいい。犬猫みたいで嫌だ」と言って口から頭までガムテープを巻きつけた。※呼吸できるように鼻だけは残したが、口元のテープだけだと涙で剥がれるから頭まで巻くと言っていた

  • 祖母は幼稚園児の次女に対し、冬でも裸で屋外に出して水をかけて笑っていた

  • 祖母は次女の食事だけ生ゴミを与えていた

  • それらの行いを、母親は黙って見ていた

 しかし次女が高校生になると、家の手伝いさえしていれば何も言わなくなったそうだ。

 また過去には児童相談所が「虐待の疑いがある」として家に様子を聞きに来たことがあった。
 きっかけは次女が就学前に祖母から足をかけられて転倒し、頭に重傷を負って救急車で運ばれたからだ。不審に思った児相は次女を一時保護したが、母親が迎えにいったことで自宅へ戻した。

「おばあちゃんやお母さんからひどいことをされているの?」
 これは児童相談所の職員が家庭訪問した際の質問だ。しかし長女と次女は、ドアの向こうには祖母と母がいる可能性があり、恐怖で何も言えなかった。
 相談員が帰ったあと祖母からは「またあいつらが来るようなことがあればただじゃ済まさない」と二人共きつく言われた。

 裁判所はこの事件で次女に懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡す。その理由として「子どもの頃の虐待といえる日常生活を余儀なくされた影響が大きい」ということだった。

 なお次女の供述の中に、犯行のきっかけとも言える話があった。それは長女が交際中だった男性との同居を望み、家族に打ち明けたところ祖母からは罵られ、毎月3万仕送りするなら出て行ってもいいと言われたことだった。

 その日、次女は長女から「もう家を出ていく。縁を切りたい」と伝えられた。次女は出て行ってほしくないと言えずに黙っていたが、それから二人は、祖母と母がいなくなったらという妄想話で会話を弾ませた。

 おばあちゃんもお母さんもいなくなったら、好きな時間に眠って、物音を気にしないで起きたい。事故死に見せかけられないかな。強盗に入られて二人だけやられればいいのに。殺し屋を雇おうか。

 その会話の中で次女は、長女にも母と祖母を殺害したいという気持ちがあったことを知る。そうして次女は事件前、電話で友人に家族殺害の意思を伝えた。
 友人からその殺害理由を問われると、彼女はこう答えた。

「自分とお姉ちゃんの自由のため」

7.人間視点で見る

 ではまず『神』ではなく今まで通り人間視点で事件を見ていきましょう

 初めにぼくが言った「犯罪者は悪くない」という言葉。これはきっと半分アタリで半分ハズレなのでしょう。

 この事件で確かに次女は人を殺めはしましたが、判決には懲役3年に対し執行猶予5年がつきました。その5年の間に再び逮捕さえされなければ服役させられることはありません。

 これは法を司る人間からは「殺人は罪であり前科もつくが、少なくとも服役させるほど”悪くはなかった”」と解釈された判決だったと考えて良いでしょう。ただ、法というルールがそれを許さなかっただけです。

 ではこの事件で本当に悪かった人は誰なんでしょうか。

  • 祖母

  • 抵抗しなかった次女

  • 虐待を見ていただけの長女

  • 異常に気付いてあげなかった周囲の人たち(児童相談所や父親も含む)

 当時インターネット上ではこのような意見がありました。ぼくが安心したのは、圧倒的に祖母と、次いで母親が悪いという意見が多数だったことです。

 個人的には助けられなかった児童相談所も悪いんじゃないかなーと思っていました。しかし調べていくと児相は、何度も虐待はやめるように通告していたようです。
 これは彼らが出来る範囲内で最大のことをしています。一時保護というのは、親が罪から逃れるために弁護士を通して「虐待はない。これは拉致であり越権行為だ」と騒がれるために現実的には難しいとされています。

 でも、やっぱりどう考えてもやっぱり母と祖母が全部悪い。この二人がまともなら、ほんの少しでも優しい気持ちを持っていたら、こんなイヤな事件は起きなかった。

 しかしもうこの件でクソみてぇな悪いやつらは死んで、次女も虐待から自由になれた。
 彼女は虐待されていたと認められた事で、医療少年院に保護されそれからは就職のための支援を受けながら自立していきます。

 そうして普通の人たちと同じように、誰に怯えることもなく、やっと自分のための人生を生きられる。
 ……人間視点での話はこれでもう、終わりなんです。

8.神視点で見る

 ここからは感情を抜きにして、この事件で『”悪い”のは本当に母と祖母なのか』『誰が悪いかを決めたら問題が解決したのか』ということについて話します。

 日本の司法と民意では、母と祖母を”悪い”として次女は自由になれました。ですが彼女の苦しみは終わってはいません。だって心に受けた苦痛が消えることはないから。

※暴行や暴言などの虐待をされたり、虐待行為を見てしまった子どもの脳は、部位によって平均に比べ約6%萎縮したり約14%肥大するということが分かっています。それによって知能指数や性格にどれだけの影響があるかは分かってはいませんが、確実に脳に異常が起こってしまうことは分かっています。

 また判決が出たこの日に、日本全国で虐待がなくなったわけでもない。なぜならこの母と祖母、二人と同じような人間は世間には無数にいるし、これからも生まれてくるからです。

 要するに虐待に苦しむ人間は、誰一人自由になってないし減っていないんです。
 それじゃあどうすればいいのか? だからこそ人類は、誰も”悪くない”とすべきだと主張します。

 現代の悪者探しのような「誰のどんな行いにどれだけ責任があったか」という事を問題の焦点にしていては、永遠に『犯罪』という問題の根本が解決することはないからです。

 その理由をこれから解説します。
 ……繰り返しますが、人間の感情で読むと胸糞悪くなるだけなので、理性だけで読み進めてください。では、よろしくお願いします。

9.”悪くない”その理由

 まずはじめにこの事件の母と祖母、二人は苦しんでいたとぼくは断言します。なんでかって人の痛みが分からない人間が、人の優しさの上で成り立っている人間社会を平穏に暮らすことは無理だからです。

「あの人はおかしい」
「誰にでもいつも上から目線だから関わりたくない」

 これは祖母が近隣住民からされていた評価です。ていうかこれ、隣との距離も近すぎる訳でもない地域の、しかも関わりが希薄になっている現代での話ですよ。

 こんな嫌われ人間が小中高と学校に通おうが、会社に勤めようが、家庭を築こうが誰にも好かれない。
 どんなコミュニティに入ろうとしたって、馴染めるわけがないんです。どこへ行っても煙たがられて追い出されるだけだ。

 また彼女らは、虐待をする程度には人の痛みが分からないかもしれないんです。それはつまり、自分が相手にどんな不快なことをしているのかも分からない。

 これの本当に最悪なところは、そんな自分の何が悪いのかも分からないってことです。だから彼女たちの態度は誰にも理解してもらえないし、どこでも仲間外れにされていく。

 ……もしかすると彼女たちは包丁で刻まれ死にゆく中で「次女にはあんなに良くしてあげたのに、なんでこんな酷いことを……」と考えているかもしれない。
 むしろこの思考になる方が彼女たちにとっては自然だし、おかしくないと思います。

 何が言いたいかと言うと、こういう人に”一般的”な社会性や他者をおもいやる心を持てと言う方が不自然なんです。

 もちろんそれが人を傷付けていい理由にはならない。でも、虐待をする一つの要因になり得たんじゃないかと考えられるからです。
 また、この視点を持つことでぼんやりと見えてくることがあります。

 それはこの母と祖母には、知的ハンディキャップや認知機能の弱さなどの理由から、人を傷付けていることが理解できなかったのかもしれないということ。
 もしくは彼女らも、親から虐待を受けて育ったことによる経験がそうさせたかもしれない。そもそも二人には子どもを育てる能力が遺伝されなかったのかもしれない。
 ただしそれら全ては今のところ可能性なだけで、分からない。

 警察も裁判所も医者も、世界中の誰一人としてなぜ虐待と事件が起こったのかは分からないんです。
だからこそ、彼女らのような人間はなぜ虐待をするのか、調べあげて詳らかにしたいと考えます。

「人権課題に関係する人間は、生育環境や遺伝、または脳(形質・機能)に類似がある」

 第一部でぼくが出した仮説です。ここで言った”関係する人間”というのは、苦痛を受ける被害者だけでなく、加害者にも何かしらの理由があると考えているからです。

 それはどういうことなのか、具体的にイメージして頂くためにここで一度、あなたの家庭で想像してください

 Q.あなたの母は、幼稚園児の頃のあなたが車道で遊んでいても、轢かれるまで放っておきますか? また、理由もなくあなたを攻撃してくる人を黙って見ていますか?

 ……正直、聞くまでもないですね。だってあなたのお母さんは、あなたに対していかなる不運も暴力も許さない
 ましてや極寒の日に服を剥いて外へ連れ出し、水をかけて笑ったりしない。食事として与えた生ゴミを吐き戻すあなたを罵倒し、泣いていようが手で押し込んでむりやり飲み込ませるなんてことは、決してしないんですよ。

 これを実際に行った祖母と母に、こうは思いませんか。

「そんな奴、人間じゃない」

 それなんです。その観点が必要なんです!利益もないのに他人を害するような、我々にとって理解も共感もできない未知の生物だからこそ調べて『記録』するんです。
 次女の母と祖母には、その異常行動を起こす何かしらの”原因”があったんじゃないかって。

 もしかすると二人は、そんな事をしなくては生きていけなくなっていたのかもしれない。それほどの理不尽と苦痛を抱えて育ってきたのかもしれないんです。

 しかし我々は悲しいことに、『犯罪』という人間が引き起こしている問題に対して常にこう考えます。
普通の人はそんなことしない。悪いことをするって不快だし怖いし、理解できない。だから存在しないで欲しい」

 否定はしません。その通りです。みんな悪い人なんて存在しないでほしいと思ってる。犯罪なんて誰もしないで欲しいと思っているはずなんです。
 でも、この感情だけではずっと今のままです。

 だからこそ、そんな祖母も母も”悪くない”として、虐待をする原因をつぶさに調べ上げる。その方法が『記録』なんです。

 人類は感情を超えた”理性”で行動しなければ、犯罪の問題解決には至れないんだー(˘•̥ω•̥˘)!

10.”悪くない”その理由 2

 ここからは母と祖母が”悪くない”とした後の、もう一歩進んだ先のことも伝えたいと思います。

 それは「事件で亡くなった母と祖母を”悪くなかった、きっと何か原因があったはずだ」とするのと同時に、彼女らを産み出したその両親や環境も”悪くない”とする必要があるということです。

 人間社会を真っ当に生きていけないような祖母を産み育てたその両親や、もしも障害者だったとしても調べることが出来なかった当時の価値観や環境にも、”原因”があったと考えるんです。

 そして原因が分かったとしても、もちろんそれも”悪くはない”と考えなくてはいけない。

 どうしてこんな風に考えないといけないかって言うと、そうしなきゃ今までと変わらないからです。
 過去の原因のどれかを”悪い”と断定して、責任を押し付けていたら結局裁判で裁いて、そこで話が終わるから。

 だって人は完璧なんかじゃないのに、そんな完璧ではない人が生み出した子育て方法も法律や社会だって、当たり前のように完璧なんかじゃない。

 それなのに人間はずっと昔から続く『司法制度』や『判例』という価値観に従うべきだと、根拠もなく「これが昔から続く当たり前だから」で納得してしまっている。
 まるでぼくらのような神に仕える信者みたいですね(´^ω^`)

 そうしてどんな事件に対しても、人が認知できただけの事実と、ごく浅い表層に見えた因果だけを取り上げて、誰かを悪者として断罪する。

これ、もうやめにしやしょうよ(´,,・ω・,,`)

 だって人類には、起きてしまった良くなかったことや悲しいことを『記録』して、原因を見つけ出しもう二度と起きないよう改善できる。その努力をすることができるんですから。

 その努力を本当に実践した医学の歴史話があるので紹介します。ペストというアジアとヨーロッパで大流行した病気の話です。

図:ペスト医師の版画(1656年)。布で全身を覆い、マスクの下にはゴーグルを着けている。マスクのくちばし部先端には、『瘴気』を吸わないように香辛料や香料を詰め込んでいる。
それが当時のペスト予防法である。なお手に持っているのは死体に触れないで検視するための杖。

 14世紀には世界人口の1/4を減らしたとされる黒死病(ペスト)と呼ばれた流行り病は、当時『瘴気』という悪い空気が原因だと思われていました。
 しかしそんな中、1894年に日本からペスト調査団として香港に向かった北里柴三郎(1853-1931)が「ペストは菌だ」と発見しました。

 どうやって発見したかと言うと北里は「ペストの症状って、炭疽症とかいう”菌”が原因の病気と激似じゃね?」と考え、その仮説を確かめる研究を始めました。
 当時は人を解剖するってことは中国だとめちゃくちゃタブーで見つかると命の危険もあったので、香港政庁に協力してもらいバレないようにこっそりです。

 そんなこんなでペスト患者から血液を採取したところ、見た事もない菌を見つけます。それがペスト菌でした。
 しかし菌を発見してすぐに、日本の調査団からペストに罹った者が次々と出てしまいます。ペストで亡くなった方を解剖していたからそりゃあね……(´;ω;`)

 そこで今の一万円札の肖像画にもなっている福沢諭吉は、北里柴三郎の偉業と調査団の状況を知り、学問の発展のためにも死なせちゃダメっしょ!? と思って「スグカエレ」と電報を送ります。だって後々にペストを治療可能にする抗生物質だって最初に見つかるのは1928年です。当時はまだ治療法もありません。しかし北里はこう考えました。

「や、今はペストが広がるのをやめさせる方が優先すべきじゃね? まだ舞える────」

 というわけで彼は帰りませんでした。そうしてペストで亡くなった人の家にはネズミの死骸も多くあったと報告を受け、そのネズミからも血液を採取します。

 予想は当たりペスト菌を見つけだした彼は、ペストを止めるには消毒とネズミ駆除が有効だと発表します。
 かくして香港のペストは収束に向かったのです。

 こうして北里から学べるように、人間は過去の記録を使うことで現在の分からないことや新しい脅威にだって立ち向かうことができるんです。

 だから人権課題とか犯罪を犯すのって何が”原因”だったのかを調べるために、まず『記録』しようや。
 それに過去に猛威をふるったペストと同じように、犯罪者の類似傾向は見えてるんですから。実はそれが遺伝や脳の形質・機能という話なんです。(第三部の境界知能についてで説明します)

 そして人類にはそれができるんだと、信じています(´^ω^`)

11.ぼくは人類に恋しています

 第一部でもぼくは人類に恋していると伝えました。そして「全人類を幸福にしたい、不必要な苦痛を受ける人に”人生の意義”を与えて、生まれてきたことを肯定したい」とも。

 それは不運にも人権課題にさらされ、幸福を得るチャンスがない者だけでなく『悪人』『犯罪者』とされている人間もなんです……( ´•̥ω•̥`)

「なんでそんなヤツまで幸福にしてやりたいの?」

 こう思われるかもしれません。確かに過去に悪いことをしたという経験を語ってお金を稼ぐ人もいるし、被害者がいるのに犯罪を自慢したりする人もいる。
 犯罪に関する話はどれも胸糞悪いことばっかりかもしれません。

 ただこれは、自分が道徳的な人格者と呼ばれたいからでも、もし自分が犯罪者になった時に擁護されたいわけでもない。ましてやこんな事を言って誰かを不快にさせたいわけでもないんです。

ぼくが人間を嫌いだからです(´^ω^`)
 知らない人なんて、近くにいるだけで怖いです。

 もちろんどんな人間にも必ず良い部分があって、ぼくに対してはそっちではなくイヤな部分を見せているだけだと分かっています。
 それに世の中には”良い人”の方が多いことは知ってるし、好きな人もいます。でも、特定の人にイヤなことをする人ってのは、一定数この世界に存在し続けています。

 ぼくを小中高と身体的、精神的、性的にいじめた人たち。適応障害になる要因になったモラルハラスメント上司や取引先のパワハラ。そして家族のはずなのに未だに「家の中に他人がいる」と思ってしまうくらい、ぼくに無関心だった父。また両親に気付かれないようにぼくを殴り続けた兄。

 そんな人達が、いまも生まれては新たに子どもを作っています。


でも、そんな彼らだって”悪い”わけではないんだ
その行動に至る何かしらの原因があったはず。
その原因が”良くなかった”だけ。ただ、それだけなんだ……

 憎んだり、間違っていると糾弾するよりはそう考えた方が、ぼくと同じような苦しみを味わった人たちと、そしてこれからその苦痛を受けるだろう不運な人を救えるかなって思ったんです(´^ω^`)

 そうしてもしも"良くなかった”原因を突き止められて、未来で苦痛を受ける人が減ったり苦痛を与える人が減れば、それは自分にとって嬉しいし良いことなんです。

 ていうかそうしないと、附属池田小事件の宅間守元死刑囚やぼくのように、いくら歳を重ねても苦しみが消えない人間が生まれ続けるんだ。゚(゚´ω`゚)゜。

 そしてその原因を見つけ出す方法。それこそが『記録』です。
 犯罪者や、倫理的に悪と見なされることをした人をサンプルとして調べることで、なぜそういった行動をしたのかという原因を見つける手がかりにできるんです。

 以上のことから『犯罪者は悪くない、悪い奴も悪くない』というのはそのまんまの意味で言っていました。

12.『犯罪者は悪くない』まとめ

 では『②犯罪者は悪くない、悪い奴も悪くない』をまとめます!

 犯罪に関わる人間を”悪い”と言っている今のままでは、決して問題は解決はできない。なんでかって裁判で判決を出せば、何をしても死ぬか服役するかお金を払うだけで『罪を償った』となり、「はい、この件はもう終わり! 閉廷! 解散!」となってしまうから。

 それじゃあまた同じような境遇の人が生まれて、同じように誰かに”良くない”ことをしていくだけ。その歴史が現代までずーーっと繰り返されている。

 そんな負の連鎖を止めるためにも、『なぜその行動をするのか』という原因を見つけ出し、そもそも事件が発生しないようにしようよ。
 その方法が第一部でも言っていた仮説検証です。繰り返しになりますが、問題の原因が分からないならちゃんと『記録』して統計的に問題解決を目指そうよ! って感じでした(`・ω・´)

 ちなみにこれが実現すれば、未来では国益にもなります。
 大雑把な計算ですが、現在の受刑者を一人養うのに、施設運営費や人件費を含めて年間約300万円かかると言われています。また平均的な勤労者は年間約100万円を納税していて、それに被害者も生まれないとなったら、年間400万の節税+被害者が生まれないというね。

 そんな政府にとっても平和に暮らしたいぼくらにとってもマジで望ましいことが起きます( ˘•ω•˘ )

 だって刑務所に入らなきゃいけない人間が未来で10人でも減れば、それだけで年間3000万の経費が浮いて、しかも働いてくれれば年1000万円の納税が見込めるってヤバない? しかも被害者もでないし。

 これすっげぇお得じゃん。
 その浮いたお金でディ〇ニーランドみたいに日本のゲームメーカーさんが集まるテーマパーク作って流行らせようよ(´,,・ω・,,`)!
 そこで世界最高スープカレー決定戦を開いて審査員したいです!

 というお金の話はさておき、被害者と一緒に加害者を減らしたい。だからこそ『犯罪者は悪くない』と考えて、人類全員で共有する必要があると考えました。じゃないと苦しみの連鎖は決して終わらないから……。゚(゚´ω`゚)゜。

 ずっと暗い話でイヤな思いをさせてしまってごめんなさい。第二部はこれで以上です。

 読んでくれて本当にありがとうございました。次の第三部は人間に戻って、これらの事が分かった上で我々は具体的に何をすればいいのかについて話します。

補足 『犯罪者は悪くない~』という主張への自己批判

  1. 誰かの凶行でお前の家族を亡くした時、その犯人を許すのか?

  2. 被害を受けた遺族らに対しても、犯人は悪くないと目の前で言えるのか?

  3. 人権団体から金を貰うのが目的か?

  4. 犯罪者を刑務所に入れる必要がないということか?

  5. 知的障害や認知機能が弱い子供は産まれない方が良いということか?

  6. ようするに「罪を憎んで人を憎まず」ってことでOK?

 上に羅列したのは、自分の主張に対する自己批判をまとめていきました。こうして自問自答していったことも書いておきます。その自己弁護を見て貰えれば理解が深まり納得しやすいかなーと思ったりなかったりです。

 というわけでこの中に「たしかにそれ、聞いてみたかった」的な興味のある批判があったら見ていってください(´・,,ω,,・`)

1.誰かの凶行でお前の家族を亡くした時、その犯人を許すのか?
 当たり前ですが「いいえ」と即答します。ぼくは一生その犯人を許さないでしょうし、警察が見つけなければ自分で探します。
 もし犯人が捕まって死刑にならず服役したとしても、出所してから少しでも調子に乗ってたらぜったいに嫌な気持ちになります。

「じゃあ『犯罪者は悪くない、悪い奴は悪くない』なんて自分が出来ないこと言うなよ笑」

 そういった指摘に関しては、初めから論点が違うんです。
 ぼくは個人的な感情としては決して許さないだけで、”悪くない”とすべきだって主張し続けますよ。

 だってこの話の目的は、犯人を許す/許さないとかの感情の話ではなく、加害者と被害者を減らし最終的には消し去るための考え方として『犯罪者は悪くない』と言っているんです。

 ちなみに自分に不利益を与えた人間にやり返したいと思うのは当然のことです。誰かが幸せに見えるだけで嫉妬するのも当然。だってそれこそが本能(遺伝)だからです。

 もしもそういった「他者を攻撃する」、「利益を奪おうとする」という遺伝子がちゃんと後世に伝わってこなければ、そもそも現代まで人間、生き残ってないです。
 まだ社会のルールもあやふやだった頃に好きなだけ他の生き物や人間に食い物にされて死んでるっしょ。

 今は『みんな仲良くしようね』とかのルールがあるからあんまり考える人は少ないけど、人にはそういう他者を踏みつけてでも自分を存命させたり、種を存続させるために自分の利益を追求する遺伝子があるんです。
 だからこそぼくらのご先祖様は、人間とかいうやばい動物集団の中でも生き残ってきたんだと考える方が生物らしいし納得いきますよね(´^ω^`)
 まぁこの遺伝の話については誰も調べられたことはないからあくまで予想なんですけどね笑笑

2.被害を受けた遺族らに対しても、犯人は悪くないと目の前で言えるのか?
 言うわけがない。けどやっぱり、この考え方は変わらないし必要だと思います。
 だって起きてしまった犯罪は無かった事にはならないし、犯罪者がいるから事件は起きるじゃないですか。

 ぼくは誰かに起きてしまった不幸を、せめて他の人には味あわせたくない。ではそのためにはどうすれば良いか。犯罪者を生み出さないようにするには何ができるのか。

 その方法が『記録』で、そこに至るに必要な考え方が犯罪者は悪くない、悪い奴は悪くないというものなんです。

3.人権団体から金を貰うのが目的か?
 違います。ぼくの目的は人権課題の関係者や犯罪者、そして被害者という不運ってだけで苦しんでいる人を減らしたいだけです(´・ω・`)

 というかこの質問で本当に聞きたいことは「人権団体とかいうよく分からん金儲け集団になりたいだけじゃないの?」といった所でしょう。こう言いたくなる気持ちは分かります。

「マイノリティ多様性表現の自由を認めろー! 認めることで他の人に制限や苦痛はあるのかもしれないけど、認めろー! これが守られるべき────”人権”だァー( ‘ᾥ’ )!!wwww」
 こんな学生の内輪ネタみたいなノリの、まだまだ未発達な『おにんげんさん』って感じの時代が現代です。

 ですので本気で金儲けを考えていたら、まずはぼくをいじめた人達を民意の名のもとに明るみに引っ張りだす方が効率的です。
 別にその人達がぼくを苦しめた証拠も証言も必要ないんです。向こうが「いじめなんてやってない」と言い張ろうと、全く問題はありません。だって今の流行にのっかって”人権侵害を許さない”と、声を上げることが目的だからです。

 本当の事を言えばいじめとか差別って、『あった』か『なかった』を証明することは不可能です。
 ここでもし誰かがとち狂って『人権侵害の基準』なんてのを決めてしまえば「自分は~~をされて、こう感じたから被害者だ」と言うだけで、全ての人間を加害者にでっちあげられる。

 つまり金を稼ぎたいならそれをすればいい。
「今までいじめや虐待を受けた人を救いたい」と言ってとち狂っちゃえばいい。そうして”人権活動家”とか”人権保護団体”という名のルールメイカー(決まりを作る側)になるんです。
 そこからは「誠意を見せろ」と言って暴れる『被害者ビジネス』が始まる。……マジで現代の被害者+活動家の組み合わせって相性良すぎて食いっぱぐれないし、ジャンルと規模次第ではノー〇ル平和賞の候補にもなれるよっ(´^ω^`)

 それでもぼくがそうしないで、偽名で活動する理由はやっぱり、お金が沢山あってもぼくの苦しみを消すことはないからです(´;ω;`)

 ていうか自分や地球や動物を被害者だと言い張って、誰かや何かを”間違っている”とか”悪い”ことにして責任を追求しても何も解決しない。だってそう言って指摘している側が”正しい”ことの証明にはならないから。

 だから、例えぼくに対して良くないことをした人たちでも、断罪したいわけじゃないから活動家・被害者ビジネスもしないし、実名で活動もするつもりはないんです。

4.犯罪者を刑務所に入れる必要がないということか?
 違います。むしろぼくの仮説が正しかったとした場合、該当する人には服役してでもトレーニングしてもらった方が本人にとっても周りにとっても苦痛が減ります。

 なぜなら『記録』したことぼくの仮説が正しかったとしましょう。すると、一度犯罪をして捕まった人物はまた同じようなことをする可能性が高いとも言えるからです。

 ちなみに認知機能が弱かったり、知的ハンディをかかえる人が医療少年院に多くいたという事実を受けて、彼らの再犯を回避するためにコグトレ(認知機能トレーニング)というものを考えて支援する人もいます。
 著書『ケーキの切れない非行少年たち』で有名な宮口幸治先生をはじめとするコグトレ研究会様です。

 個人的にはこの団体の研究が人権課題を解決したり、再犯を防止させる一つの手だてになってくれる可能性が高いと思って勝手に期待しています。

5.知的障害や認知機能が弱い子供は産まれない方が良いということか?
 違います。では例をあげて、友人の家庭に知的障害の子どもが生まれたとします。それを知ったことで多くの人がこう考えるでしょう。

「知的障害の子が生まれて可哀想」と。またその思考をすること自体が差別だと糾弾する人もいます。

 でも、どちらも違うんです……本当に可哀想なのは、知的障害の子どもが生まれただけで”平和な暮らし”という人間にとって当たり前の生活すら想像できない現代の貧困な『価値観』なんです(´;ω;`)

 今までだって調子が良くない人には『医療』を、身体が不自由な人には『技術』を、知的ハンディの人には『支援』を、そして彼らの家族には『制度』を。
 そうして誰もが人間らしい生活をするための職業選択する自由、つまり『未来』ってのを考えてきたじゃないですか。

 みんなが幸せになろうとする方法は、ずっとずっと前から考えてきてるんです。
 だから知的障害を持って生まれた子がせめて「健常者が羨ましい」なんて悲しい思いをしないよう、障がい者だろうが平和に暮らせる方法を考えればいいんすよ。

 では改めて、友人の家庭に知的障害の子どもが生まれたと聞いたとします。
「あいつらは自分の子どもを絶対幸せにしたいと願っているよなァー。だから俺も、あいつらとその子が幸せになれるようにできることを協力するかァー」

 こんな感じで良いっちゃないですか。どんな人間も、両親や自分一人の力だけで育つわけじゃない。ぼくらだって内閣総理大臣だってそうです。日本という国を維持する人がいたから育ったんです。
 つまり誰の子だろうがはじめっから国民全員で育ててるんだから、今さら支援が必要な人が増えようがいくらでも対応できるんですよ(´^ω^`)

6.ようするに「罪を憎んで人を憎まず」ってことでOK?
 NOです。ぼくが孔子さんっぽく言うと『罪も憎まず人も憎まず』です(`・ω・´)

 どうしても憎む先を見つけたいと思ったら、ぼくにとってその相手は自分になります

 小学生の頃ぼくとは別に、同じクラスの女の子もいじめられていました。
「くさい」
「きもい」
「黙っていて何を考えているか分からない」

 こういった心無い言葉を、クラスの男子だけではなく学年全体の男子が言っていたように感じていたのを覚えています。
 そういう攻撃を目の前で見てしまった時はすごくイヤな気持ちになったけど、止めたりはしませんでした。

 そうして迎えた卒業式、やはり彼女は来ませんでした。中学校もぼくと同じだったのですが、もちろん普通には通えていなかった。
 ぼくはしばらくそのことを忘れていましたが、ふとこの記憶を思い出した時に、心苦しい気持ちと共にこう考えていました。

『あの時は”子ども”だったから仕方ない……いじめを止められない方が普通だ』

 これは罪悪感から自分を守るための言い訳です。犯罪心理学で言う所の合理化という防衛機制(心を守るための防御技みたいの)の一つで、人間なら自然とやっちゃうものなんです。

 でもその言い訳をしたときに気付いたことがありました。

「……だとしたら俺はいつまで”子ども”でいていいんだ? というより俺は、いつまで子どものままでいるつもりなんだ……?」と。

 だっていじめ問題は今も根本は解決されていないし、今日もどこかで起こり続けています。
 たぶん自分の住む町でも。なんたって国内屈指のいじめシティ北海道旭川市ですから。

 こうして『あの時は子どもだったから仕方ない』と罪悪感を覚えながらも、何一つ解決に繋がるような行動をしていない自分がいました。
 ……おかしいですよね、自分も過去にいじめられてて辛かったはずなのに。


 ここからは”もしもの話”です。もし、ぼくよりもずっと年下の子どもが、学校で人をイジメて楽しんでいたとします。しかしそんなことは忘れて、順風満帆な日々を過ごし育ちました。

 その人が今のぼくと同じ年齢になった時に、夕食を食べているとテレビから重々しい口調でニュースが流れてきました。

《中学生の男子が電車に飛び込み自殺。残された遺書にはいじめの文字が》

 それを見て、自分がやってきたイジメのことを思い出し、ほんの少しでも”罪悪感”を覚えるような人間に育っていたとしましょう。
 その時もしかしたら、心の中で苦しんで、こう考えるかもしれません。

あの時は”子ども”だったから仕方ない


 おい!!!! それでいいのかよ、俺ぇ(´;ω;`)!!!!

 なんで俺はいじめを受ける苦しさを理解しているのに、いじめられている人を見て見ぬふりをして苦痛を与えたのに、自分が生きてるうちに解決方法の一端すらも残せないで、そのくせ、苦しさだけは次世代にしっかり継がせて繰り返させて……そんなん、俺が苦しんできた意味、ねーじゃん(´;ω;`)!!!!!


 ぼくは結局、自分の苦痛に意味が欲しいだけなんですよ。誰かが苦痛を受けないよう考えて救うことで、自分が受けた苦痛には意味があったと納得したいんです。
ただ自分が救われたいだけなんです。自分ばっかり考える幼稚な子どもなんすよ。でも、だからこそ活動しようと考えたんです。

 人類はいくつになっても子どもです。でも、自分が関わってきた苦痛を含む問題だけは、そのままにしていてはダメなんです。

 関係者として、その問題に理解ある者として、責任を持って解決方法を探る。そこだけは絶対に”子ども”でいちゃダメなんです。

未来の子供達に、自分が受けたのと同じ苦しみを味あわせたら
ダメなんですぅーーー。゚(゚´ω`゚)゜。!!!!


 この前見た雑誌で、なんかの事業に成功した社長さんがこう言っていました。

「学生時代はイジメを受けてきたが、その時の逆境のおかげで自分は成長できた」

 とっても素敵な言葉だよね(´,,・ω・,,`)
 でもそうやって、”苦しみ”は必要なことだったと、自分の気持ちを無視して過去を正当化するのって、未来ではもういらないんです。

 むしろ聞いてみたいんです。そういう人って、自分や親戚、友人の子どもに『自分と同じ境遇の人生を送らせたい』と考えているのかって。

 そうはならないんです。いじめも虐待もハラスメントも、受けた方が良かったことなんて一つもなかった。少なくともぼくには、自分と同じ苦しみを味わってほしい人なんて、一人もいなかった。

 ……本当はぼくだって、『あの時の苦痛はぼくだけの宝物(´^ω^`)!』と言って肯定して、自分を楽にしてあげたいです。でもこの経験と気持ちは、一生だれにもあげません。誰にも共感させたくないし、理解もしなくていいものだと思っています。

 そして出来るなら、今まさに苦しんでいる人を、もしかしたらあなたかもしれない人を、苦しみを受けた”最後の一人”として終わらせたいと願ってるんです。

 ここまで見てくださってありがとうございました。第二部はこれで話を終えます。次の第三部でおわりになるので、どうか最後までよろしくおねがいします。

いいなと思ったら応援しよう!