若松の連歌町遊郭跡を歩く。
福岡県北九州市若松区。
ここはかつて筑豊から運ばれてきた石炭の積出港として大いに栄えた港町。
筑豊は前回歩いた飯塚もそうだが、『伊藤伝右衛門』で有名になった『炭鉱の街』。その筑豊から日本全国、そして世界に運ばれるための港町として若松は栄えていた。
かつては『黒いダイヤ』とも呼ばれ、一攫千金を夢見た男たちが地方からどんどん集まってきて、もちろんそれに伴い色街も拡大していた。
連歌町遊郭は現在の大正町商店街のすぐそばの大黒市場と共栄市場あたりがその場所に当たる。
明治末期以降、石炭輸送の中継地が 芦屋から若松へと移行するに従って東町から連歌町へうつり、若松にある『連歌町遊郭』は最盛期で100軒を超える料亭があったという。今で言う中洲のような歓楽街として賑わっていた。この商店街自体はもう遊郭の名残はほとんど残っていない。
少しだけ、当時の面影を彷彿とさせる建物があった。
『連歌町遊郭』は最盛期で100軒を超える料亭があったという。今で言う中洲のような歓楽街として賑わっていた。
その代表格が現在も営業している『料亭金鍋』である。登録有形文化財にもなっている。
格子がとても美しい。蝙蝠の形の窓がとてもモダンである。
現在も元気に営業中である。テイクアウトのお店もあった。
豪華な店構えが当時の料亭の繁栄を物語っている。
『料亭 福岡県公安委員会』と書かれた『許可証』
明治5年、政府による「芸娼妓解放令」芸娼妓及び遊女屋の改廃業の徹底が図られたが、元芸娼妓の困窮や旧遊女屋主人たちの嘆願もあり、明治6年「芸妓並貸座敷渡世内規則」を制定し芸娼妓の自由意志 による稼業継続が許可された。その後、「貸坐舗規則」 及び「芸娼妓規則」を達示し、『貸座敷営業』 が許可される地区が設定された。同時に、芸娼妓の営業にはそれぞれ警察への登録と鑑札の所持が義務づけられる事となる。
今も当時のままの建物が残っているのは大変貴重で、当時いかに絢爛豪華だったのかが想像できる。当時のままの味を堪能して見たかった・・・
(続く)