連歌町の遊郭建築の面影を堪能し、『料亭の許可証』を初めて見ることができて とても感慨深い気持ちでいっぱいになったあと、そのまま帰るにはもったいなくてそのまま反対側もぶらぶらと歩く事にした。 中川町、旧土井町は戦後赤線地域だった。その名残りなのか今でも『ちょんの間』や『立ちんぼ』の噂があり、裏風俗情報には『30分5,000円』でやれたとかいう嘘かホントかわからないような情報で賑わっている。 メインの通りから一本中に入るだけで、びっくりするような廃墟群が現れる。 どこか不気
福岡県北九州市若松区。 ここはかつて筑豊から運ばれてきた石炭の積出港として大いに栄えた港町。 筑豊は前回歩いた飯塚もそうだが、『伊藤伝右衛門』で有名になった『炭鉱の街』。その筑豊から日本全国、そして世界に運ばれるための港町として若松は栄えていた。 かつては『黒いダイヤ』とも呼ばれ、一攫千金を夢見た男たちが地方からどんどん集まってきて、もちろんそれに伴い色街も拡大していた。 連歌町遊郭は現在の大正町商店街のすぐそばの大黒市場と共栄市場あたりがその場所に当たる。 明治末期以降
♪月が〜出たで〜た〜月が〜出た♪で始まる『炭坑節』は私が小さな頃から盆踊りでの定番曲で、福岡県民なら誰でも知っていたという曲である。 実はこの曲は田川市が発祥とされるが、当時から筑豊がどれだけ炭鉱業で栄えていたかがこの曲でわかる。『花子とアン』で有名になった伊藤伝右衛門邸があるのもここ飯塚市であり、 今回は、この伊藤伝右衛門邸付近(飯塚市幸袋)の遊郭跡を歩いてみた。 飯塚市は江戸時代は長崎街道の宿場町で筑前六宿のひとつに数えられていた。宿場町時代は華やかな遊郭もこの地で栄