若松の赤線地帯を歩く
連歌町の遊郭建築の面影を堪能し、『料亭の許可証』を初めて見ることができて
とても感慨深い気持ちでいっぱいになったあと、そのまま帰るにはもったいなくてそのまま反対側もぶらぶらと歩く事にした。
中川町、旧土井町は戦後赤線地域だった。その名残りなのか今でも『ちょんの間』や『立ちんぼ』の噂があり、裏風俗情報には『30分5,000円』でやれたとかいう嘘かホントかわからないような情報で賑わっている。
メインの通りから一本中に入るだけで、びっくりするような廃墟群が現れる。
どこか不気味で、でも懐かしさもあってまさにdeep。
この風景、飯塚でも見たけれども廃墟のそばに生活感あふれる長屋が共存していることが異様で、『ああ、なるほど。ちょんの間は今だにやっているのかも・・・』と納得させられるような圧倒的な昭和感なのだ。
ちょっと怖くなったので、大通りの方へ戻ろうと思い歩いていると、サイドに石の加飾がついたカフェー建築の名残りのような建物が・・・
今でもとてもオシャレ。
赤線地帯はそのまま風俗街へと変わっていっている場合が多いけども、残念ながら風俗にも転身できなかった人たちにも生活があり、完全にアンダーグラウンドな状態で密かに売春を続けていくしかなかったのは事実である。今でも時々違法風俗店摘発のニュースが流れるけれども、今回若松を歩いてみて『ずっとこの商売(売春)でやってきて、違法になった途端街ごと廃墟になるんだなあ・・』と。
これは仕方がない事なんだけど、進化できないものは排除されるかリスクを冒して細々と違法な行為でお金を稼いで生きていくのか・・・
今も夜な夜な、一人で歩いている男性に声をかけるおばあさんがいるとかいないとか・・・
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