⑭あっさりと聾告知
はじめに
この日記は聴覚障害と発達障害を併せ持つ息子の超・・・濃かった子育て振り返り日記です。
すべてがかけがえのない経験に変わり、本当に多くを学びました。
前回の続きから
息子の耳は、生まれた時から片側の外耳道が閉鎖していて、もう片側は開いていた。
果たして開いている方の耳は聞こえているのだろうか。
出産後での実家の暮らしで息子の聴力に疑いを持ち、母と何度かドアの開け閉めで反応があるかどうかテストをしてはみたが真相はわからなかった。
この時の詳しい話は
それでもなにより赤ちゃんとしての世話に追われる毎日に加え、
最も背骨の奇形が心配だったし、
それに最初の受診は鼻の奇形のことで相談する形成外科で、
さらに目の動きもなんか少し気になるし、、
「聞こえる?聞こえない??」という心配以外の心配に埋もれていた。
素人考えだが、
ふさがっている方はあまり聞こえてないんじゃないかなあ、、、でも開いている方の耳は少しくらい聞こえているんじゃないかな?
と一途の望みを少し持っていた。
現に音がした時こちらを向くことがたまにあったし、
本当のところはわからなかったけど、今思えば「聾」の世界というのが自分の全くの想定外の世界であったようなそんな感じだった。
聾告知
息子が6か月になった頃、神奈川県立こども医療センターの耳鼻科にてABRなどいくつかの聴力の検査をはじめて受けることになった。
ABRは眠らせてから脳波を取ることで聴覚に障害があるかどうかがわかる検査である。
検査結果が出て診察室に呼ばれた。
担当はメガネを掛けた若い男の先生だった。
「重い難聴です。絶望的で施しようがありません。聾です。」
えっ。。。。?
医者は現実を伝える使命があるのはわかるが。。。
もうちょっと、ほんの少しのかけらでもいいから、、、なにか少しでも希望の持てるような言い方は出来なかったのだろうか。
その時の先生の名前も顔も雰囲気も耳鼻科の先生がつける頭に付いている丸い鏡も今もビジュアルを覚えているので私にとってかなりショックな瞬間だったに違いない。
とにかくなんだかあっさりと「絶望的な事」を言い渡されたような雰囲気だ。
よく頭が整理されないまま家路に向かった。
夜、夫の実家で義母やヨシの兄弟に報告した時、大泣きした。
医者には心のある告知を願う
ずっと後の話になるが、聾学校へ通うようになって他のお母さんたちの告白を聞くとやはりわが子の聾宣告の場面というのは皆、かなりの衝撃で、子供と一緒に死のうかと思ったといった話を聞いた。
皆、うすうすはわかっていたことなのだろうが、医者にピシャリと現実を突きつけられると正直うろたえてしまう。
私も確かにショックはショックだったけれど、幸か不幸か他の障害の部分も心配だったせいか、子供と一緒に死のうかまでは思わなかった。
医者が両親に現実を伝える使命は当然ある。
しかし人は言葉によって元気づけられたり、言葉によって殺されたりするのだ。
両親が赤ちゃんの現状を把握するのは大切なことだが、告知の言葉の選択によって両親がどう受け止め、今後赤ちゃんの育児に前向きにあたっていくか。をイメージして伝えてほしいと切に願う。
しかししかし。。。
「聞こえない」ってどういう世界なんだろう?
イメージがわからない。
今までどおりに話しかけたり、
音の出るガラガラで遊んではみるものの
「あ。これも聞こえてないんか。。」と虚しい気持ちになった。
想像ができない。
その時の私たちには当然ながら
普通の、「聞こえる両親が聞こえる赤ちゃんを育てる方法」しか知らないわけで、突然「聞こえてない」と言われても、この時点では今まで通りの接し方でやっていくしかなかった。
聾教育は早ければ早いほどいいというので近くの聾学校の乳幼児部を病院から紹介してもらう事になったが、息子の場合は形成の手術が終わってからの方がいいでしょうという話になった。
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