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家族の協力がなかったら心の安定は、はかれなかった【ギランバレー症候群の奇跡】16
旦那が119番に連絡をしてくれたとき
7月末、芳子の身体に異変を感じたとき夜も寝ずに心配してくれた。
私が旦那の立場だったら心配性なので冷静でいられなかったかもしれない。
芳子の動けない身体の脇をもちながらすんごい力で居間に移動させた。
救急車を呼ぶとき、病院に行くとき、どんな気持ちだったろうって。
最初の病院は面会がたったの10分でそれでも車で毎日、見舞いに来てくれた。
家から車で1時間以上はかかるであろう。渋滞したらもっとだ。その病院に面会10分なのに(芳子はあんまりその時を覚えていない)飲み物を買ってきて話しかけてくれただろう(具合が悪く記憶が定かではない)ただ、来てくれるというだけで安心だったのは覚えている。
転院先の病院は市外なのでそれ以上かけて毎日お世話に来てくれる。
転院先は市外なのでもっと遠かった。しかし毎日、面会にきてくれて、何を話すという特別なことはしなかったけどずっと寄り添ってくれた。
どんなに心強かったか、心が安定した。だから治療もリハビリも泣き言言わず頑張れたのだと思う。息子も娘も見舞いに来てくれた。
リハビリ病院でも毎日来てくれた(これで合計82日間、毎日来てくれたことになる)
リハビリ病院では芳子のリハビリのスケージュールが毎日変わる為、
それに合わせて来てくれた。ある日は10分だったり、他の日は1時間だったり、毎日、夕方、芳子の明日のスケジュールを写メに撮って送り、クリーニングだの、飲み物だの、おかねの手配だの、かいがいしくなんでもやってくれた。
「OOも休んで、来なくてもいいんだよ」と言った覚えがあるが、彼はとうとう最初の入院から最後の退院まで82回、来てくれたことになる。
「がんばれ」や「辛抱しろ」とか何も言わずいつも黙って励ましてくれた
結婚してもう、何年だ?いちゃいちゃのカップルではないが、特別に何か言い合ったわけでもなく、いつも彼はこころの寄り添ってくれた。
退院して家でひとりになったとき、急に寂しくなった。
今日は日曜日で旦那は休みだが、芳子が昼寝からさめたとき、買い物に行ってて家はしーーんとしていた。
子どもの頃、母が買い物に行ってて昼寝から目を覚ましたとき、泣いて隣のおばさんの家に行ったことがある。今日は泣きはしないがその感覚に似ている。私もお家リハビリや毎日の散歩で身体を丈夫にしなければと思った。
幸せってなんだろうと考えたことが以前、あったけど、心に寄り添って黙ってみてくれているのが幸せなのかもしれないと芳子は感じた。