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ギランバレー症候群の奇跡41
ギランバレー症候群を患ってからというもの、医療の発展、病院で働く医師、看護師、リハビリをしてくださった理学療法士、作業療法士の皆さん、応援してくれた友達、そして忘れてならないのは家族の支えがあったからこそ、心の安定も計れたこと、動けるようになったことを忘れてはならない。
ギランバレー発症前から左腰に鋭い痛みがあり悩まされていました。どうにか治らないかと毎日思って病院に通ってました。
それがギランバレーを発症したら痛みは全くなくなってしまったという事実があります。
自分の身体に何が起きたのかわからなかったです。
痛みの概念が変わり
生死の淵から這い上がってきて、
リハビリを通して今動けることに感謝し、生きているから痛みがあるんだと思えるようになりました。
2024年10月17日
今日はリハビリ最後の日
理学療法はsさんと、作業療法はNさんだ。
最後の日とあってよくやった手先の練習になる棒体操や
病院一周の散歩、レッグプレスなど下肢を鍛える体操をやって、ラストはストレッチをして終わった。このようなリハビリは毎日やっていたのですが、最初の2週間は身体を動かすのがやっとで、エネルギーをたくさん消費していたような気がします。そしてとても疲れた。
リハビリとリハビリの間の休憩時間は至福の時だったのを覚えている。ある人はたったの2ヶ月半と思うかもしれませんが、私は毎日を生きるのが精一杯で早くこの身体で普通の生活に戻りたい、それだけを目標にして日々、過ごしていたと思う。
同室のおばあさんと、夕食前話した。いつものカーテン越しの会話だが、「あなたは幸せよ。身体も治って旦那さんもいて、お子さんもいて、私はひとりぼっち」と言い出した。「Mさんは、月末退院だよ、あと10日ぐらいここにいたらお家に帰れるよ」と話したら嬉しい、ありがとうという言葉が返ってきた。
2024年10月18日(退院日)
おはようございます。
早起きさんです。
何度も夜、目が覚めてしまって、夢ばかり見てよく眠れませんでした。
最初の病院から2ヶ月半、色んなことがありすぎて。胸いっぱいです。
生きるってこんなに大変なことなんだなど、思った次第です。
ギランバレーは私にたくさんのことを気づかせてくれました。
まだまだ課題はありますが日々のなかで解決するでしょう。
これから退院の準備と、
今日で恥ずかしながら55歳になりました。
毎日読んでくださって
ありがとうございました。
私のギランバレーの入院から退院迄を書き記してみました。
41記事に渡り色んなことを思い出し
最後は皆さんに会えて楽しかったです。本当に読んでくださってありがとう。書くたびに心が整理され、
気持ちが安定しました。
ギランバレー番外編も書くことがあるかもしれませんが、これからは日々の想いをゆっくり綴れれば良いかなと思います。
たぶん明日も書くと思いますよw