日本の女性差別について思う所
先日、YouTubeで外国人が日本の女性差別が酷いと言っている動画を見て思う所があったので個人的意見を書いてみようと思う。
単刀直入に言えば、私は日本には女性差別はないと考える。ミクロな視点で見れば差別を受けた経験がある人はいるだろうけども、社会的風潮としての女性差別はないと考える。
なぜなら、そもそも日本人は男性だとか女性だとか以前に、個人というものを重要視していないから。日本人は個人がいて社会が成り立っているという考え方よりも、まずコミュニティがあって部品としての個人がいるという考え方が大好きなのだ。究極的には個人の思想や人格など全く尊重されない。こういう事を言うと気分を害する方もいるかもしれないし、否定する人もいるだろうが、私にはそうとしか考えられない。もうこれは女性差別がどうこう以前の問題ではないだろうか。日本の女性差別が問題だと言っている人は良い人なのだろうが視点がずれていると言わざるを得ない。
私は学者ではないので、詳細な統計を取ったわけではない、が、日本人が個人を重要視しておらずコミュニティを守ることを至上と考えている状況証拠はいくつもある。
まず直近の出来事で言えば、コロナワクチンの接種。ワクチン接種をしない人をまるでキチ〇イのように袋叩きにするという風潮が昨今ではあったが、これがまずおかしい。そもそもワクチン接種に法的義務など存在しないし、第一、具合が悪くなったら自己責任だと言う、そのくせ接種をしないのは非常識だとも言う。要するに「都合の悪いことは自己責任にしろ、でもお前に自己決定権はない」ということを何の疑問も持たずに口にする人が大勢いるのだから始末が悪い。
さらに少し昔の話を例にするなら、特攻隊の突撃もそう。「零戦に乗って敵に突撃してこい!それが男らしい行いだ!」というのである。要するに「みんなのために死んで来い」という事だ、もう個人も何もあったものではない。しかもコミュニティのために死ね!というのが戦時中特有の考えではなく普遍的な国民性なのだから、ますます始末が悪い。しかもそれを自覚していない。
さらにさらに例を挙げると昔の嫡子相続もそう。嫡子相続を女性差別だと考えている人が大勢いるのだろうが、私に言わせれば絶対違う。嫡子相続というのはコミュニティを守るために、争いが起こらないようにするための制度であって女性差別云々とは関係ない。最初から誰が相続するか決まっていれば争いは起こらない、実力主義や能力主義で家督を決めていては血で血を洗う争いになってしまうという思想。争いを起こさないための制度と言えば聞こえはいいが、要するにやってることは個人の無視である。
書こうと思えばまだいくらでも例は挙げられるが、キリがないので、もうこの辺でやめておく。要するに問題なのは女性差別ではなくて個人の軽視である。日本人が性根を叩きなおさないといけないのは、いわば「非国民の論理」である。「個人はコミュニティのために存在し、時にはそのために死ね!お前の意思なんぞ知らん!」という考えである。ここの所を日本人はよく鑑みた方が良いのではないだろうか。
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