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見わたすかぎり人生

 私はどうしても映画のタイトルに毎回突っかかってしまうのだが、この「見渡すかぎり人生」という言葉はなんとなしに好きである。しかし実際のイタリア語の使われ方は違う。よくお年寄りが若い子に、

「まあ、あなたはTutta la vita davantiだから(人生まだまだこれからだから)」という意味合いだ。

”Tutta la vita davanti"(見わたすかぎり人生)は、昨日も紹介したPaolo Virzi監督の2008年のコメディドラマ映画である。実はこの映画は、noteのスージー・ワイさんの記事を読んで思いつき再見したものだ。(勝手にすみません)そうこの映画はこれまたイタリアらしい、高学歴ワーキングプアを題材としたお話である。

 イタリアでずっと社会問題になっている「高学歴者の就職難」はおそらく日本より深刻だ。日本と違い、大学卒業のための試験が大変難しく、やっと卒業しても、イタリアはコネ大国。履歴書をいろんな会社にばら撒くが、そのような仕方の就職活動で採用される確率なぞ1%もないと言われている。それに手に職という意識が強い。「医者」「弁護士」「エンジニア」(あと余談だが貴族も)は家の表札に輝かしく書かれている。(それを見て、意外にイタリアは階級社会がいまだに見え隠れしているなと最初は驚いた。)親が子供に一番なってほしい職業はEngineer(エンジニア)というのはよく映画にも描かれている。しかし医者も余っているらしい。(その大量の医学生に資格を持たせ、コロナ対策に動員するなどの話もあり、かなり批判を浴びていた)高学歴者は海外で仕事を見つけるようになるので、人材流出の問題にもなっている。(それが移民排斥運動につながっていたりする)

 映画のあらすじとしては、ローマの大学の哲学科を110点満点で卒業した優秀なマルタが、大学の研究員にそのままなろうと思っていたが叶わず、やはり例に漏れず就職活動に紛糾していた。しかしひょんなことからあるシングルマザーの子供の住み込みベビーシッターを引き受けることになり、また彼女の紹介で郊外にある聞いたこともない企業のコールセンターに就職することになる。その企業がまるで新興宗教のような、社員に高いノルマを課して洗脳し、おかしな機械を年寄りに売りつけるという悪徳商法の極みのような会社だった。この会社の中でマルタだけは常に疑ってかかっていて、それでもクビにならないよう懸命に働き続け、やがて好成績をおさめるようになるのだが、やはりこの会社の在り方は間違っていると意識を改め、この会社の不健全な体制を外部の労働組合にリークする。だんだんと会社の実態が明るみになっていき、最後に大事件が起こる。

 同時にこの映画のもう一つのテーマ「非正規雇用」の問題もイタリアではよく取り上げられる。イタリア人と話していると"precariato<非正規雇用>"という言葉はよく耳にする。(あとSciopero<ストライキ>も頻出100単語)この映画でも"Precariato Marta"と、まるで”Precariato"が肩書きかのように紹介され、本人は引っかかりつつも、いや確かに私は高学歴だけどPrecariato Martaだわと言わんばかりに、自分でもそう自己紹介し始める。

 出演俳優に触れると、これは私の好きなイタリア俳優目白押しの映画で、ミカエラ・ラマッゾッティはやはりカメレオン女優(歓びのトスカーナを見ると同一人物と思えない、役作りがすごい)だなと思う一方、Elio Germano(エリオ・ジェルマーノ)のカメレオンぶりも凄いの一言である。Valerio Mastandrea(ヴァレリオ・マスタンドレア)はやさ男、ダメ男を演じたらピカイチで、マストロヤンニの次にマスタンドレアと私は勝手に思っている。

 「Tutta la vita davanti」というセリフは映画の中で2回出てくる。一度は主人公のマルタのお母さんが、大学の研究員になれなかったと愚痴をこぼすマルタに対して

「何いってるの、あなたは人生まだまだこれから(Tutta la vita davanti)でしょ」という。彼女のお母さんはラテン語の先生をしていた地元でも厳しくも優秀な先生として評判だった人。しかし末期がんで今は病院に行くか、家のベッドで寝込んでいる。それでも決して弱々しいそぶりを見せず、いつも周りの人を笑わせ、メイドの影響でマリファナをやり始めたり、タトゥーを入れようとしている、なんだか全く別の人みたいな「まだまだ第二の人生これからよ」、と楽しんでいるようにも見える。

もう一度この言葉が出てくるのは、マルタがコールセンターで見知らぬおばあさんと話しているとき。マルタは顧客と話すときには毎回住所を調べ、彼らの自宅の地域に自分もあたかも縁のある人だというような話をでまかせで言い、顧客との関係をグッと近づけるという技を編み出し、それを巧みに使ってこのおばあさんにも親近感を持ってもらおうと「近くの○○小学校に行っていた」と嘘をつく。するとおばあさんは「孫と同じ小学校だ」、というので話が盛り上がり、「けど孫は自殺してしまったのよ」、と告白される。「あなたの声はとても良い人って感じがするわ」とも言われ、彼女の境遇を気の毒に思いいつつ、マルタは罪悪感に駆られる。

「あなたたちはTutta la vita davantiだからね。力になってあげたいわ。私はその商品は買えないけど顧客名簿を二十人分作ってあげるわ」

と言われてもとても悪い気がして、マルタはその申し出を断ってしまう。

お母さんに言われたときは「自分の子供は優秀なんだから」と期待の意味も込められていたが、このおばあさんに言われたTutta la vita davantiは見ず知らずの彼女をどんな人でも根本は良い子なのよと、だから大丈夫よ、と大きく包んでくれるような言葉であった。

 そして最後、小学校に通うマルタがベビーシッターをする女の子は、将来なんの仕事をしたいの?と聞くと

「哲学をやりたい」というのだ。

お母さんがあんなろくでなしで売春マガいのことをやっているにもかかわらず。そしてそんな仕事につけなさそうな学問をやりたいという。やっぱりTutta la vita davantiなのだ。そんな勇気が出る、明るくなれる、これまたそんな爽快ムービーであった。

 余談だが、私が少し懸念するのは、日本の大学の場合あまりにも”就職予備校”みたいになっているところである。(なのでイタリアの就職率と比較しても、ちょっと事情が違うかなとも思う)大学では本来ならばそのようなことを考えずに、全くの濁りなく自分の研究したいことを純粋に研究してほしい。自分の目先のことを考えたことばかりやっていると、見えるものも見えなくなってくると思う。

>>高学歴ワーキングプアが題材の他のイタリア映画。これはもっとコメディ。

Paolo Virziの他の映画>>


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