日本人はなんで顔を出さないの?
「前置き」
ある韓国人の女の子と話をしていた時に「確かに笑」と思って笑ってしまったことがあった。
それが「日本人はなんで顔を出さないの?」という疑問。
本当にその通りだと思ったし、「そりゃ日本人の俺でも思うんだから、世界中の人から同じ事を思われているだろうな」と思った。
「本文」
彼女は日本に来て半年ほど経過した頃ではあったが、日本語上級クラスを受講できるほどトップクラスの頭の良さだったので、日本語での会話も問題無く、細かな所まで話し合いができた。
そんな彼女と話し合った中で盛り上がったのは「日本人ってなんでこんな事をするの?日本人の不思議な所」というテーマで話し合った時である。
彼女は日本人の不思議な所としてまず一番に挙げたのが
「日本人は顔を出さない。あれが不思議でしょうがない」というのだ。
私が「どういうこと?」と詳しく聞くと、
「例えば学校で始めましてをした後に連絡先を交換するでしょ? その時にプロフィール写真に自分の顔を載せていない日本人が多いと思うの。
例えばだけど、インスタグラムを交換した場合、女の子ならみんな自分の後ろの頭とか後ろ姿しか写っていない写真を挙げている人が多い。プロフィール写真で顔を載せていないなら、投稿の中にその人がどんな人かを知ることが出来る投稿があるのではないか?とプロフィールに行くと、景色や食べ物の写真だけだったりするの笑 顔が写っていてもすごく加工してあったり、何かの物に隠れていたりして、明確に顔が写っている写真が一枚も無い。
私達も加工はするけど変に顔が隠れるようなエフェクトとかは付けたりしないんだよね。私が女の子だから女の子と連絡先を交換する事が多くて分からないけど、日本人の男の子は女の子よりより顔が見えない? 私は同じ感じだとおもうんだけど。 あれなんで?」
と答えたのだった。
上記の内容をわかりやすく解説すると、
現代の若者(20代前後)は、初めましての際にSNSを交換する場合、多くの人がインスタグラムを交換する事が多い。それには
・写真などの投稿などによってその人のパーソナリティを知る事が出来る
・ラインのように一つのアカウントしか作れないということが無いので、(インスタならアカウントを複数作ることができる)心理的にも、ラインよりも簡単に連絡先を交換しやすい
などの理由が挙げられる。
もちろん交換した後は相手のアカウントを見に行くが、多くの場合「プロフィール写真もしくは投稿に顔など「その人の人となりが分かる写真」を載せていない日本人が多い」と言うことを彼女は疑問に思っているということだった。
もちろん「その人の人となりが分かる写真」を載せていない韓国人がいないわけではない。しかしその場合、全体公開アカウントになっている場合が多く、非公開アカウントであっても「その人の人となりが分かる写真」を載せていない人は日本人よりも少ない印象を感じると言うことだった。
日本人から絶対数が多い印象を受けるということなのだと思う。
この意見を聞いて、私はこの子がいう意見に100%共感できた。
というのも本当にその通り過ぎるからだ笑
日本人は見事に自分の写真を載せている人が少ない。
これは私の経験上も言えるし、この記事を読んでくれている若者なら共感してくれる人もいるのではないだろうか。
それはインスタグラムだけではない。個人的な見解だが、あまたあるSNSの中でそれが一番顕著に見られるのは「出会い系アプリ」ではないだろうか。出会い系アプリにいる日本人の女の子のプロフィール写真を見ると、多くの場合でまともに顔が写った写真が無い(マスクで隠す、後ろ姿など)。
基本的には一ミリも顔を見せずに、連絡を取っている間に良いと思えば後から顔を送りますという人も多く散見される。(少なくとも私がやっていた3年前はそうだった)
ここからは私の意見になるが、韓国人の女の子が言うようにSNSを使っているのに「なんで自分の顔を載せないの?」と思うシーンは確かにある。
しかしこの話をする際に分かっていて欲しいのは、別に誰でも見られるネットの海に顔を載せることが正しいと言いたいわけではないし、投稿していない人のアカウントが悪いなどと1ミリも思ったことはないということだ。
実際、留学生を見ていても「外国人だから」みんな投稿しているわけでは無く、写真を1枚も載せていない人はいる。
私も投稿を1枚も載せず、誰のアカウントかもわからないインスタグラムを使っている時期があった。しかし大学になって様々な人と触れ合う中で、外国人の友達が増えて行くにつれて、「これじゃだめかも!」「今の自分を変えなければ!」と思うようになった経緯がある。
なので、「単純に嫌だ・興味が無い」という感情があるのに投稿をする必要性はないと思う。
しかし
・「出会いを求める」ことを目的にしているアプリのプロフィールで顔が全く分からない。
・鍵アカウントになっていて、自分で誰を許可するかコントロール出来ている状態で交換したインスタグラムの中に「そのアカウントが誰の物なのか分かる写真が一枚も無い」
というのは不思議というかおかしな話だよなとは思う。
それならアプリをやらなくていいし、別に連絡先を交換しないでも良いよね?と思ってしまうのだ笑
男性の立場で言わせて貰えば、アプリで顔を出してない人は「本当に出会う気があるの?」「男側課金してまでやるのが出会い系アプリってもんだけど、これならやらんでいいよなぁ」と素直に思ったのだ。というか「男側で顔を出してない女の子のアカウントに興味を持つ人一人でもおるんかな?」という気持ちが正直なところだ笑
また、アカウントを交換してからしばらくその人と会わない場合、多くの場合で名前と顔を忘れてしまうことが多い。もし自分の人となりが分かる画像があれば、それを防ぎつつ、相手に自分に対する興味を持続させる事ができるのではないのかと思うのだ。
もちろん「周囲の友達に出会い系アプリを使っていることがバレたくない」とか、「プライバシーの問題で」など「顔や自分のことが分かる写真」を隠す様々な理由がある事は分かる。同年代で顔を写すことが嫌いという女の子に出会ったこともある。
しかしその部分にある意味「日本人らしさ」が出ていると思うし、出さないことによって非常に損をしている部分もあるなと個人的には感じる。
ここからは上記で話した「損をしている」と思ったある一つのエピソードを最後にして終わろうと思う。
今回のテーマを書くきっかけになった韓国人の女の子は投稿している写真のクオリティがとても高い。それはなぜか。
「スマートフォンを持った時から写真を撮る習慣を続けているから」だと彼女は言う。
彼女いわく、韓国では中学生のころから周りのみんながスマホを持つようになっていったらしい。私もスマホを持てるようになったのは高校1年生になったときなので、二つ年下の彼女が中学からスマホを持つのは理解できる。しかし、「日常的な習慣」として自撮りを初めとした「写真を撮る習慣」が男女ともにあったというのは日本人の感覚とは違うことを感じた。
私も写真を撮ってはいたが、アクティブにSNSを多用し、SNSの為の写真を撮ったりするような環境が日常的にあったというのは、日本人よりも大人というか「ませてるなぁ」と素直に思った。
(※1 私が進学校に通っていて、全体的に同年代の周りよりもおとなしいというか子供だった事実は否めない。大学に入って様々な人と付き合う中で、私がいかに「本当に学生だけ」を謳歌しているピュアな存在なのかを理解する事になった。)
「写真を撮る回数が多い」というのは単純に「撮影技術の高さ」に直結する。
実際、直近行った韓国旅行で撮った写真や動画をこのNOTEに投稿しようと思って自分で見返した際、「動画ブレ多すぎ(カメラ移動させすぎ)・撮るべき写真撮ってなさ過ぎ・顔を上手く撮影できてなさ過ぎ」など、自分の撮影に関する能力が非常に低いことを思い知らされたのだった。
「プライベートな写真を載せなくて良い環境」は、「載せる必要がある環境」よりもあきらかに写真を撮る回数が減少する。このことは撮影技術に差が生まれることに直結する。写真は単純に記録を残す意味でも必要だが、SNSでビジネスをする際にも使える技術にもなり得る。実際私は写真の技術のヘタさを痛感させられて、「スマートフォンを持った時から自撮りをする習慣」が無かった私は、同じスマートフォンを持っていたはずなのに非常に「損をしている」なと思ったのだ。
また撮影した「写真を他人に見せる・外にアウトプット」していくことで、その写真が本当に良かったのかを、SNSにおけるリアクションや実際に会った友達などから聞くことで、よりクオリティが向上していく。
これはまさに「英語勉強においてカリカリ机で勉強していても英語を話せるようにはならない」が、「実際に英語を使うことによって筆記レベルが劣っていても発音や耳が良くなり話せるようになること」と同じことが言えると私は思う。
結局、今回の例における一番の問題は「写真を撮るクセが普段から無い事」によって、「写真撮影のクオリティがレベルアップしない・他人と圧倒的な差がついていく」
この原因は「アウトプットの回数が圧倒的に劣っていた」ことにある。
と私は結論づけた。
このような背景には、良いも悪いも「日本人特有の文化や考え方」が影響しているように思う。
※1 で記載した内容にリンクするが、日本は賢くなるためには勉強のみ行なうことが大切で「賢い人は勉強しかしていない」という価値観が浸透しているように思う。
私の実体験として、大学で知り合った海外の賢い人々(本当にトップクラスのやつら)はそろいもそろってみな「遊び人」だ。
日本人の賢い人達は「ガリ勉」で、海外の賢い人達は「遊びと勉強両方」というイメージは、
彼ら(海外の賢い人達)も完全に同意していた。
彼らは「一番賢いやつは一番遊んでいる」と言うが、私から見ても本当に事実なのだ。要は「メリハリ」がすごい。
普段は遊びまくっているのに、テスト1週間になるととたんに遊びに行かなくなり、文字通り朝から晩まで寝ずに勉強するようになるというのが海外の賢い人々だという事実を、海外の賢い人々から教えて貰った。
多分本当にトップクラスのやつを見たこと無い人が見ると度肝を抜くんじゃないかと思う。そして「自分って何してるんだろう」と絶望させられる。少なくとも私はそうだった笑
(だいたいそういうやつに限って音楽・アート・言語の才能もあったりするから余計に腹が立つ笑)
少し話が脱線してしまったが、「進んでやらないことによる損」はどんなことでも言えるのではないだろうか。
実際、スマートフォンを定期的に数十万円も使って新しいものに更新すると、そのたびにカメラの機能がアップグレードしているのに、持っている私自身はその機能を使い切れていない。これは何の為にスマートフォンを持っているのかと言うことを毎回突きつけられる。
そして「何もやっていない」やつが「進んでやっている」人に文句を言うのは全くのお門違いだろう。武道館に立ったこともないやつが、武道館に立つまでになったアーティストに音楽面でとやかく言うなら、自分自身も武道館に立って肩を並べてから堂々と言わなければならない。
そうでなければどこにでもいるただのしょうもない人間と言えるだろう。
なんでも堂々とした振る舞いが良い経験や技術を運んでくれるのだと私は考えている。
「まとめ」
私としては、人によってそれぞれの考え方があるので「自分の人となりが分かる写真」を載せていなければダメなどと思っていない。しかし本音を言えばインスタを交換した際に何も載っていないと気持ちが冷める一面があるし、せっかくこんなツールがあるのに(両親の世代はやりたくてもそんな環境が無かった)自分を残さないのももったいないなぁと素直に思う。
何よりこの考えに至っているのは、何でも積極的にやらないと、「多くの場合で損をする」もしくは「年を取ってからやっとけばよかった・・と後悔する」ことを今までの人生で学んでいることが大きい。
「進んでやらない損」を無くして、「進んでやることによる得」を人生の中でたくさん増やしていきたい。
そして最後に私の個人的な考えを述べる。
みなさんは「もし明日死んだ時に自分に何が残るのだろう?」と考えたことはあるだろうか。ほとんどの人間は死んだら何も残らないだろう。記憶として保存してくれている友達や親がいなくなったらそれはもう0なのだ。
それが嫌で私は「歴史に名前を残したい!」という人生の目標がある。
とまぁ、私のように馬鹿げていて大それたことを言わなくても、今のSNSには文字・写真・動画として自分の存在を残してくれる画期的なものがある。まずは日常からそれらを使わないわけにはいかないだろう。
フランス人のある友達に言われた。
「~!(私の名前)Don't be shy! Be more confident.」
まだまだ小心者でビビりな自分に気付かされた。
本当に海外の友達から学ぶことは多い。
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