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「古代裂蒐集の旅」 (その四)

 遺跡紹介③ボロブドール このヒンズー教の仏塔の遺跡はインドネシアのジャワ本島中央部、南側にある有力なローケツ産地ジョグジャカルタ市の近郊に位置する。現在のは数年前ユニセフの基金に依り組立てが完成した状態で、私の行った当時は、風雨や大木倒壊で崩れかかり、最上段まで登るのは足元がぐらついていた。日本の賠償で完成した近代的なホテルに依頼した案内役のガイドは綺麗な日本の標準語を使い、説明のレベルも高度で、私の推測では王家か王族の出ではないかと思った。恰々私が遺跡見学に回る時間が遅くなり、ひどく崩れて了っていたプランバナンと言う仏塔を見てからボロブドールに着いたのは、夕方だった。

一番最上階の石に座り込み、落日の中で小一時間四囲の森林の色合いが太陽の傾斜で刻々と変化する美しい景観に堪能していると、案内人である彼は静かな口調で、「遺跡見物は早朝か夕方に訪れるもので、太陽が真上にある時間は変化に乏しく面白くない。」と言う説明をし、偶然にこの時間になったのに「貴方は専門家だ。」と、すっかり褒められてしまった。ボロブドールは、戦前オランダの植民地であり、数世紀前にオランダ人に依り、大密林の下から発見された歴史を有して居り回教の強烈な布教に依り、ヒンズー教徒の大多数は改宗し一部信徒がバリ島に逃れたと言う。

 私の古代裂蒐集の旅も、1980年に慢性肝炎を患い、同87年11月悪化入院、現在は次第に快方に向かって居る状況ですが、一時中断を余儀なくされました。多数のお客様にご心配お掛けし私事乍ら厚く御礼申し上げます。

 やっと各地の戦乱も終熄の気配になり中近東で未入国の地へ入れる楽しみが出来て来ました。古代裂ご愛好の方におすすめ申し上げる古裂と遺跡のある所は数ヶ所ありますが、特筆す可き国はトルコであり、東洋・西洋の接点であるイスタンブールであると思います。所蔵品の各種別の博物館・宮殿・そしてあの迷路の様な大バザール。まずは只々圧倒されます。百聞は一見に如かずと昔から言われていますが、とても表現・説明する言葉もなく、集中力の減じた現在の私は今回はこれまでにさせていただきます。

[平成元(1989)年 春/村田悳次 記]
※昭和47(1972)年 春に訪問した回想録です。


ボロブドール(1972)


プランバナン(1972)