「こういう自分で生きていく」 銀座花伝MAGAZINE vol.10
#こういう自分で生きて行く 覚悟のある生き方
◆ おうちDE銀座◆
・部屋の中に銀座が浮かぶ ー 銀座香
銀座は銀座中央通りをはさむように、美しく名付けられた通りが縦横には
りめぐらされています。ことさら、花の香りが漂うような通り名といえば
「すずらん通り」と並んで「花椿通り」などが有名です。街路樹の名前がつくのは、「マロニエ通り」、「柳通り」です。ところで、通り名はついていませんが、初夏に開花する花が見事でそこを歩くだけで季節感を満喫できる通りがあります。「銀座松屋通り」(通称ハナミズキ通り)では、花の開花にあわせてハナミズDAYSが開催されて、ふらっと通り界隈の老舗に入るとシャンパンが振る舞われたり、バーカウンターでお香の御稽古ができたり、プチ贅沢を味わえる仕掛けが用意され、感性をよびさましながら銀座を実感できます。
ハナミズキDAYS/「香十」店先
銀座をおうちで体験する
コロナ禍の中で、極端に人気がなくなった銀座中央通り。人間がいなくな
ると不思議ですね、街の香りが湧き上がって感じられます。「銀座中央通
りの香り」って? 「銀座裏路地の香り」って? 香りの説明はなかなか
難しいですが、例えば【日本の香り】と云えば【畳の香り】、【能楽堂の
香り】といえば【檜や竹の香り】と、連想できるイメージ、場所、にそれ
ぞれに香りがあります。
今日は『銀座中央通り』の香りで
日頃必ず立ち寄る、銀座三丁目のガス灯通りの「香」の老舗で、イメージ
に合う「銀座中央通り」の香りをえらびます。銀座を象徴する銀座中央通
りといえば“開放感”。週末の歩行者天国で広い通りの真ん中に立つと、「空が大きいなあ」と感じて思わず深呼吸したくなるような軽やかな気持ちになりませんか。東京の中でも大都会の銀座で「広々とした草原にでも出かけた様な、清々しい気分」になれるすてきな場所。忙しく下を向いてせかせかと歩いていると気づくことができない、心がゆったりしている時にだけ発見できる空気感です。そこに、優雅なブランド店からの甘い香りが立ち上がり、高級感を含んだこの場所だけの香りが漂います。
香りを持ち帰る
銀座の香りを持ち帰って、好きな香皿に立てます。古来より浄化する力が
あると伝えられる白檀には清々しい世界観が広がる感じ、人間味を感じる
木蓮、金木犀や蜜柑がまじりあった秋の香りも載せて、漂わせます。なかなか銀座に出かけられない時には、銀座が自宅にやってきたような感覚を楽しめます。【嗅覚】は五感の中でも最も記憶に近い感覚だといわれますが、その助けを借りて部屋中に浮遊する銀座時間が心の浄化と、失いがちだった季節感を届けてくれます。夏の終わりから秋にかけては、帰宅して部屋を暗くして、一日の疲れを癒す貴重なひとときになっています。
秋の夜長に
中秋の名月の夜は、 【源氏物語】で読まれた月と心を表現した歌、沈香
、白檀、甘松を融合させた優しい香りを焚くのが毎年の習わしです。その
名を「香十 高井十右衛門 1575」。特に月を愛でる和歌との相性は抜群で、生活の中に祈りを届けてくれます。おうちで銀座をあじわう、自然をあじわう、秋の風情を味わう・・・時分なりの空間づくりに香は欠かせません。
10月そろそろ夏の単衣も衣替え。薫衣香(くのえこう)を入れてしまうと
防虫効果もあり来年気持ちよく着られるとは、昔からの知恵だとか。この虫
除け効果は天然香料でできている香だからできる平安時代からの習わしと
として現代に伝えられています。洋服にも勿論使えて、香りを移すという日本文化のすばらしさ、もっと取り入れたいですね。
自然のめぐみ
日本のお香の奥深さには驚かされます。海外のフレグランスと違って、古来の自然の営みの中で生まれた植物から出来上がっているお香。
六国五味(りっこくごみ)の香道で用いられる香木は自然の偶然がつくりだすものでその微妙な香りの違いを伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、真南蛮(まなばん)、真那伽(まなか)、佐曽羅(さそら)、寸聞多羅(すもたら)を産地にちなんで名づけ、「六国」と表現していると言います。
またその香りを味覚に置き換えて甘(あまい)、辛(からい)、酸(すっぱい)、苦(にがい)、鹹(しおからい)という「五味」に例えてもいます。「香道」は研ぎ澄まされた感性で香りを聞き分ける世界でも類を見ない歴史ある精神文化です。
家で焚いても自然だから体にも優しい、心も浄化されるというところが、閉塞感のある時代だからこそ、ますます求められているようです。
自然からできている香(香十「原材料」資料より)
◆能のこころ◆
第八回「坂口貴信之會」 「砧」能舞台レビュー
コロナ禍により能公演が中止されて来たなかで、ようやく新たな一歩として開会に漕ぎ着けた観世能楽堂能舞台。時は2020年9月19日。感染対策のため座席は市松配席で半数に制限されましたが、会場には演技者たちの「待ちに待った日」を迎えられたことへの高揚感と、会話を差し控えて祈るような気持ちで着席する観客の空気感が相俟って、かつてないほど荘厳さがあふれていました。
限られた人数での開催のため「希望しても観られない」方々はどれほど口惜しい思いをされたことか、想像に難くありません。そうした方々のために、当日の坂口貴信師の舞台の模様の一部を、当日幸運にも観賞することのできた方々の感想とレビューを通じてご紹介します。
・研ぎ澄まされた悲哀感に、感動!ー皆様のレビューから
《記名レビュー》 恋しさが仄見えるー心揺さぶられる舞台
《記名レビュー》 生死を行き惑う姿を観るー美しさ
《レビュー解説》
・「心」の動きが鮮烈、名舞台
ー「砧」名場面にみる坂口貴信師の凄さー
*《砧》あらすじは、【銀座花伝MAGAZINEVol.8】をご覧下さい。
文責:岩田理栄子
静まり返った観衆。「いよいよ」と固唾をのむのが分るような静寂の中、「砧」が始まります。
幕際の魔法—はじまりに秘技を観るー(前場から)
シテの独白
アシライ出シで気配を消して現れる妻:シテ(坂口貴信師)。幕際の橋掛りの三の松で、正面に向いて謡い出します。目の前にいるのに遠くから聴こえるような孤独感のある澄み渡った声。その声にのって、情愛はあるのに、本来仲の良いものが離れなければならない冷えた切実さが、聴く者の胸に迫ります。人の心をつかむのは声の音量ではなく、シテの心の動きであることを実感する場面です。
たった一言で全ての思いを表出(前場から)
面を伏せて思い悩んでいたシテがツレ(夕霧:侍女)の訪問を聴いて面を上げ屋敷内に通すシーン。着座し対面するシテとツレ。着座したシテの孤独感をあらわす僅かな面の動き。着座の中では本当に心の内を表すのは至難であろうと想像しながら見入ります。動きのない中だからこそ、面の角度、佇まいで心情を汲み取ろうとする観客の集中力が高まります。
「いかに夕霧」
この一言に妻の心の全てが籠っているかのような豊かな声の表現。夫や侍女に対して内から湧き上がる怒りを抑えながらも、妻として年上の女の強さが毅然と光る一言。妻の抑えた感情と謎めいたツレの返答のシーンを地謡が盛り上げます。夫に疑念をもつ妻の孤独が心の中で大きな固まりに膨らみ、そこに心がとらわれてしまう経過が見事に表現されています。
・2、3分の奇跡 「砧」対座シーン(前場から)
砧の作り物(つくりもの/砧その物を表現したシンプルな舞台装置)は、「妻の心情の凝縮」です。その象徴性を表現するような、無紅紅緞(紅の入らない織りの種類)で飾られた白水衣を丸棒に巻き付けたもの。後見(こうけん)※が舞台の脇座に据えます。
置かれた「砧」をはさんで座るシテとツレ。ここで、シテが砧に向き合うまでの2、3分間 。観客の座る脇正面席からはシテの背中しか見えません。ほとんど動きがありません。ところが、感情を留めて間を創り妻の心象風景をにじみ出させる演技がその後ろ姿にあります。そして、「砧」を打ち始めるその瞬間の光るような所作。後ろ姿から奇跡のようにしっかりと感じられる心の動きが創る所作に、ドキッと魂を持って行かれるような心打たれる名場面だと感じます。(注釈:この場面では「砧」を打たない、と坂口先生からご指摘を頂きました。この記事は筆者が脇正面からの印象として「打つ」ように見えた表現である点にご留意下さい)
その心象風景を邪魔しないように、ささやくような低い音で地謡が謡います。
シテ柱※での謡 ークライマックスへー
シテ「音信の。稀なる中の秋風に。」
地謡「憂きを知らする。夕べかな。」
シテ「遠里人も眺むらん。」
地謡「誰が世と月は。よも問はじ。」
いま、砧を打って夫へ思いを届けようとしている妻も、「遠里人」には届かないことを直感し、美しい月影も妻にとっては孤独感の象徴だ、と謡います。
この「砧」作品のもっとも能らしいところは、砧を打つ対座シーンのシテの「心の動き」をシテ柱まで身体を移動して謡い、表現することです。
シテ柱の前で謡い出すとき、不思議なことに能舞台の空気密度が急に高くなるように感じます。これはシテ柱には神霊が宿るから、と伝えられることからかも知れません。脇正面から注視できるほどの距離で頭上に降り注ぐ謡は、シテの表情が生き生きと迫りその心情の繊細さが手に取るように響き、見手の心を揺さぶります。
「牝鹿の声」(妻呼ぶ鳴き声) や 「梢から散る一葉」、「軒の忍草」その後の妻の身を暗示させる不吉な言葉が並びます。
地謡による「宮漏高く立ちて。風北にめぐり。」の謡。
鼓の音もなく、とりわけ高音で変幻自在に謡う地謡。謡の中でも最も注目して欲しい聴かせどころだといわれます。
「隣砧緩く急にして月西に流る。」幕方面を見た瞬間、大小鼓がアシライを打ち始め、いよいよ前場のクライマックス「砧之段」へと盛り上げます。
・能の最大の魅力を引き出す 「砧之段」
美しい和歌に彩られたこの場面を体験したくて、この舞台に足を運ばれた方も多いのではないでしょうか。世阿弥が「末の世に知る人有まじ」と語った自信作の秘技を伝える名場面です。
「音を感じて下さい」-坂口貴信師の言葉を思い出します。 (銀座花伝MAGAZINEVol.8 「砧の秘技」より)
生舞台を観賞するまでは、「本当に美しい日本語が醸し出す風情」に酔いしれることを想像していました。ところが動かないと想像していたシテの動きの細かく繊細なこと。正確には動きはないけれど型が沢山盛り込まれている、ということでしょうか。正面を向く、脇座(砧)をみる、ツメル、サシ、ヒラキ、などなどの所作を詞章の区切りに併せて繰り出し、一秒たりとも所作の無い場面などないのです。下手をするとその動きに目を奪われ、音が聴こえて来ない。だからこそ、目に見える部分にとらわれずに「音に耳を澄ませて感じてほしい」と坂口師は言われたのだと気づき、唸ります。
シテとツレが打ち続ける「砧」。この作品の中で唯一のリアルな場面に、美しい詞章が重なって行きます。ほとんど実際に砧を打つ音は聴こえません。詞章だけが空間に流れる演出です。イメージ(観念)の世界を大切にする本作の意図から、極力観客が静止したシテの姿の中に妻の思いを投影させることができるようにするための仕掛けであると感じました。
「希望」と「迷い」の間で揺れ動く淋しい情景が舞台全体を覆います。
「舞っては駄目」
これも「砧」の極意として、坂口貴信師が語った言葉です。
体は動いていない、なのに型が多くある。「お客様からどう見えるか」の要素が「見える部分ではなく」「見えない意識—つまり心」で演じる難しさに挑戦されているのだとしみじみ感嘆し、貴重なその瞬間に立ち会えた喜びを感じないではいられません。別の言い方をすれば、大上段に身体を使い演ずる能とは対局にある、「思索と祈りの能」の美しさを体感できた歓びといえます。
花のある“間狂言” —野村萬斎のかたりー
ワキ(蘆屋某)の下人が登場して、妻が亡くなったこと、その経緯を語る「間狂言」。今回は、野村萬斎師による貴重な語りです。朗々とした存在感のある声、没入感を呼び起こす流れのある語りでこの作品に花を添えるアイのすばらしさ。華やぎが空中を舞うような贅沢な至福の時間です。
風情を醸し出す 美しい装束
シテの前場は、中年の女性を表す面に、年配の風情を漂わす「無紅」(いろなし)で登場します。動きが少ない中で、憂いを帯びた品格のある面が、面の動きをクローズアップする所作と相俟って、妻の悲しさを引き出します。坂口師の面の動きの角度の妙技からでしょうか、心無しか茫洋とした「心ここに在らず」的な浮遊感さえ感じさせます。
TOPICS /後見による物着(ものぎ)
後場では、シテの面に泥眼、装束は白練壺折(死に装束)、「亡者」を意味する杖。透明感のある装束の美しさに眼を奪われます。そこには、ある種の威厳と仰々しさが印象づけられ、崇高ささえ漂います。極端に動きの少ない作品だけに、シテ、ワキ、ツレそれぞれの装束をじっくり観賞できるところが、もうひとつのこの「砧の見どころ」だと実感します。
花の光を並べては 世阿弥の詩心—後場の詞章
弔いの燈火、そして秋の名月によって、極楽に導く仏の教えを表しているようです。杖をつきながら登場した後シテ(妻の霊)が橋掛り一之松で正面を向いて謡いだすとき、シテ妻は美しい思い出に幸福感を感じることもなく、導いてくれる善き教えに立ち止まることもなく、夫への執心から逃れられない、恨んだ罪により地獄に落ちる・・・永遠に砧を打ち続ける罰を与えられたかのような有様を表す詞章が続きます。
全く救いのない心情の中に、キラリと光る詞章があります。
「花の光を並べては」
暗い場面の中で、何と美しい表現でしょうか。
世阿弥が描きたかった妻の心象風景のすべてがこの言葉に込められているように感じます。坂口師の澄み渡った声の表情が胸にせまり、思わず目頭が熱くなる瞬間です。
道明らかになりにけり 成仏のエピローグ
ワキの前に遂に詰め寄ったシテは、がっくりとしてシオリ(泣く所作)をします。このシーンのシテの心情が恨みを晴らすことではなく、成仏を遂げたいとの思いであることが伺い知れます。
後シテの亡霊となった妻は、ワキ夫に復讐をしようと思った訳ではなく、心の離れた夫に自身の恋慕の思いを届けようとしました。それが伝わらなかったことを儚んで死んだ妻は、夫の無関心・不実を恨んだだけでした。決して妻を忘れた訳ではないが、いつの間にかお座なりにしてしまった夫。夫婦の間の気持ちのギャップが永久の別れへと追いやる悲劇の余韻が最後に強く残ります。気持ちが通じ合わなくなることを嘆いての落命、現代にも通じる切実な「こころの物語」がそこにあることを思わずにいられません。
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能楽堂を後にする時、能通とおぼしき男性が連れの方と交わす言葉。
「彼は、能楽界の救世主だね」
まさに同感。じわっと共鳴できた嬉しさが込み上げます。
最後まで、一糸乱れることなく、高い集中力と研ぎ澄まされた心で演じきられシテ方坂口貴信師の「砧」。どんなに身体の動きが少なくても、心の動きのありようによって美しい能が表現できる、人々の心に迫る細やかな心情・風情を伝えきることができるーそんな眩しい奇跡を体感できたひとときでした。
今後の観世流シテ方 坂口貴信師の公演
◆銀座情報◆
・老舗応援 Face Shield 寄贈いただきました!
日本文化を銀座から元気にする【銀座花伝】プロジェクト活動を応援くださる企業様から感染防止対策用のFace Shieldを寄贈頂きました。
寄贈企業 株式会社BURAN 御担当 三枝要子様
この場を借りて、ご厚情に対し心より感謝申し上げます。
頂いたFace Shieldは、「銀座の老舗に頑張ってほしい!」のメッセージを込めて、ご縁のある老舗のご店主宛送らせて頂きました。
この他にも老舗料亭や呉服店、和菓子屋さんなど皆様から「元気を貰いました」と感謝のメッセージが順次届いています。
◆編集後記(editor profile)
老舗店主に「こういう自分で生きていく」という覚悟を伺った時、こうした境地に達した人物は、きっと天地からこぞって応援してもらえるのだろう、と「覚悟を持つ」人の尊さに感じ入りました。
銀座商売は昔から「徳」を売る商売と言われてきました。その商品の物語をお客様に情熱を持って語り、職人や素材の素晴らしさを伝える。最近になって「モノからコトへ」というワードが販売戦略によく使われるようになりましたが、もともと銀座はその極意で発展してきた対面重視の「商業の檜舞台」です。
ネット販売だけに舵を切り、生業を捨て貸しビル業だけに方向転換する老舗がここへきて増え続けています。銀座商いに生き続ける「美意識」をどう商いに活かすのか、その方法を試行錯誤しています。
本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子