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『いのち短し、恋せよ』 銀座花伝MAGAZINE Vol.47

 #  宝石物語     # カルティエ  #  ティファニー #ブルガリ #MIKIMOTO                

「宝石は磨かなければ光らない。人は試練がなければ完成しない」

有名な孔子の言葉だ。
磨き抜かれた宝石たちが世界中から集まるこの街のハイ・ブランド・ジュエリーの店内では、おもてなしの鍛錬を受けたコンシェルジュたちが「宝石の物語」を披露してくれる。熟達したもてなしの姿は、孔子の言葉そのままである。

耳をすましてその声色に聞き入ると、どれだけの多くの人の手が加わってこの街に宝石がたどり着いたのか、どんな困難を乗り越えてきたのかその冒険物語に驚かされる。

銀座の街が一年で一番耀きを増す季節。訪れる人々を輝かせるために街全体が奏でる「人生を讃える」瞬きの一コマをお届けする。

街の散策の中に「人々の生きる」姿を発見する銀座花伝の旅。銀座中央通りに聳えるカルティエ、ブルガリ、ティファニー、MIKIMOTO の本店から世界のハイ・ブランド・ジュエリーが繰り広げるもてなしの極意を辿る。
そこには、「人は宝」を矜持に、人々を輝かせるコンシェルジュたちの熱い想いが溢れている。
「特集 いのち短し、恋せよ ー人生を讃える宝石たちー」をEssayでお届けする。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していく。




1. Essay   『いのち短し、恋せよ』                          ー人生を讃える宝石たちー


プロローグ


「いのち短し、恋せよ少女(おとめ)」

このフレーズを聴くと、黒澤明監督の映画『生きる』(1952年)で、主人公(志村喬)がブランコに乗りながら口ずさむラストシーンを思い出す人が多いかもしれない。

『生きる』は、仕事への情熱がいつの間にか消え失せ、変わり映えのしない毎日を死人のように過ごすだけになっていた男が、死期を宣告されたことで自らの在り方を見つめ直し、本当の意味で生き始める姿を描いた日本映画の名作として名高い。2022年に「生きる LIVING 」というタイトルでリメイク(主演:英国の名優ビル・ナイ)されたことでも記憶に新しい。若き日に黒澤映画『生きる』と出会って大きな影響を受けたノーベル賞作家のカズオ・イシグロが脚本を担当しており、その彼がインタビューで、理想に燃える若者たちが知りたがっているのは、「どうすれば人生を意味あるものにできるか」であり、若者たちにそれを語りかける映画にしたい、と抱負を語っていたのが印象的だった。

話を戻すと、「いのち短し、恋せよ少女」のフレーズの原曲は、1915 年(大正4年)に作られた「ゴンドラの歌」(吉井勇作詞・中山晋平作曲)である。元を辿ればアンデルセンの「即興詩人」(森鴎外訳)の一節をもとにしていると聞く。
当時帝国劇場での芸術座(島村抱月主宰)公演・ツルゲーネフ作「その前夜」の劇中歌として使われたものが、劇そのものの評判は高くなかったものの一般大衆に受け入れられ歌謡曲としてレコードになったという。
その後真の意味でこの曲が復活して不朽の名曲となったのは、黒澤監督の映画『生きる』がきっかけで、歌詞の中の「いのち」が映画のテーマ「生きる」と共鳴して人々の心を動かしたのだと言われている。

ところで「ゴンドラの唄」が生まれるまでには様々な国や地域の文化が係わり合っていることに感嘆する。先ず「「即興詩人」を書いたアンデルセンは北欧(デ ンマーク)の人、翻訳した森鷗外は漢文学と西洋文化(独語独文学系)の二刀流であり、これのドイツ語訳に親しんでいた。そして「その前夜」の原作者ツルゲーネフは西欧文学を知悉したロシア作家、これを上演した芸術座主宰の島村抱月は主に英文学系の研究者、そして最後に作詞者の吉井勇は万葉集以来の大和歌の伝統を受け継ぐ詩人である。このように多くの文化圏の人々の手を経、最後に日本に辿り着いて歌い継がれる名曲が生まれたという訳である。

【豆知識】帝国劇場
伊藤博文、増田太郎、渋沢栄一、荘田平五郎、福澤捨次郎、日比翁助らが発起人になり、大倉喜八郎が采配を振って1911年(明治44年)に設立された西洋式演劇劇場である。1952年までは第二次世界大戦後の米軍による占領期で、1945年10月に戦後の初演として六世尾上菊五郎一座の「銀座復興」公演が催行された。
大倉喜八郎:明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品など多くの企業を興した実業家。大倉財閥の設立者。渋沢栄一らと共に鹿鳴館、帝国ホテルなども設立した。銀座2丁目に大倉本館(Okura Hause)がある。

街の散策の中に「人々の生きる」姿を感じ取ることが、自身の生命力の糧になっている筆者にとって、帝国劇場(丸の内)から銀座への道筋は、歴史を辿りこの街らしいエレガンスを味わえるという点で格別な楽しさがある。

10月も深まると、銀座の街では一年で一番華やかなイルミネーションの準備が始まる。宝石ブランド店が集まる銀座2・3丁目のラグジュアリー・クロスではクリスマス・イルミネーションを点灯する店も出始める。

今回はそんな銀座をジュエリーの魂に誘われながら、そこで「生きる人々」と世界の宝石商が奏でる名品を辿る散策を進めてみたい。

「人は宝」とする銀座のおもてなしは、訪れる人々を輝かせるためにあるのだと実感する心和らぐ物語をご紹介しよう。


◆自分の意思で選びとる ーカルティエ女子


大倉本館とカルティエ

暮れ行く足取りの早まった黄昏時に、ぽつんぽつんと店の明かりが灯り始めた銀座2丁目を歩いていると、マロニエ通りと銀座通りが交差するところに聳えるカルティエの建物に辿り着く。このビルこそ、帝劇を創設した大倉財閥の大倉本館(Okura House)と呼ばれる建物で、その1階〜3階にカルティエ・銀座ブティックが入っている。建物の下部は、パリのラペ通りにあるカルティエ本店にならった石造り、上部は日本の障子の組子を参考にした造りだ。
石材に囲まれたウインドウには、ブランドのアイコンであるハイジュエリーピースの時計や宝石が並び、それを一層輝かせるきめ細やかで柔らかい照明が施されている。

【豆知識】カルティエ
世界五大ジュエラーの中でも王室御用達の称号を持ち、英国王エドワード7世によって「王の宝石商」と呼ばれた歴史を持つ。1847年ルイ=フランソワ・カルティエがパリに宝石店を創業したのが始まりである。ナポレオン3世の妻ウジェニー皇后が顧客になり、その後3代目ルイ=カルティエの手腕により世界的なジュエラーにまで成長した。1903年世界で初めて、「貴金属の王」と言われたプラチナをジュエリーとして製作したのがカルティエで、19世紀に流行したアール・ヌーヴォースタイルとは対照的な直線的なアールデコデザインを20世紀初頭に宝飾の世界で生み出した。
ダイヤモンドの評価基準4Cにおける最高品質のみを使用、さらにカルティエの独自の宝石基準を設定している。
*世界五大ジュエラー:「ハリー・ウインストン」「ティファニー」「カルティエ」「ブルガリ」「ヴァンクリーフ・アーペル」

カルティエ 銀座本店

重厚な扉をドアマンが丁寧な所作で開けてくれる。この日は、得意の「散歩」がてら、スタッフとの商品や最近のお客様の様子の情報交換を目的に訪れた。アイボリーとシャンパンゴールドの空間が出迎えてくれるフロアに一歩足を踏み入れる。1階には吹き抜けから7メートルのシャンデリアが下がっていて目も眩むような豪華さだ。日本の屏風をイメージした豪奢なパテーションがアクセントとして置かれているのも心地よい。

カルティエといえば、中でもタンクアメリカンLMイエローゴールドがウォッチとして有名。名前は知らなくとも実物を見れば、「ああこの時計ね」と思い浮かぶほど類まれなフォルムを持つあれである。カーブを描く縦長のケース、そして幾何学的なラインがシャープさと丸みを帯びていて、重厚さとエレガンスさを兼ね備えるとはこういう時計のことを言うのだろうと見惚れてしまう。カルティエ愛好家にして絶品と唸らせるのもよく分かる。

これらウォッチが置かれている2階には、機械式時計のブースも用意されていて、聞くところによるとこの部屋はパリの貴族の邸宅をイメージして設らえたそうで、気高さの中に歴史を感じる居心地のいい空間に仕上がっている。


3リング 愛情、友情、忠誠 

どの年代にも広く愛好家がいるのが、カルティエの定番ジュエリーの代表「トリニティ」である。つながり合う3輪のゴールドリングは、伝統的に愛情、友情、忠誠を表し、ピンクゴールド、イエローゴールド、ホワイトゴールドというアイコニックな組み合わせの上に更にダイヤモンドなどが埋め込まれており、1世紀以上にわたって、ジャンコクトーやマドンナ、英国王室キャサリン妃など著名人にも愛用され続けている。端正で、どこか哲学的な優雅さを纏うスタイルが、時代を超えた人気を得ている源であると言われている。

TRINITY RING ©︎Cartier



「物を持たない」ライフスタイルとハイジュエリー購入

この日の店内は平日ということもあって、1階には海外のカップル3組、海外ファミリー1組がゆったりと宝石選びをしていた。

2022年から続いている価格改定の今後の見通しをスタッフに問うと「2023年3度目の価格改定が10月に行われます」との答え。トリニティは金の含有量が増え、リング内側にも丸みを持たせるなどデザインも改良を施した上で、概ね10%の値上げになることもあり、値上げ前の駆け込み需要が続いているという。店内の海外の客は円安ということもあるのか多くの商品を手に取って楽しげに品定めをしていた。

賑やかに談笑する声が聞こえる店内に、いつの間に訪れたのか、ひとりじっくりとその宝石を見つめる女性が目についた。長い黒髪を緩やかに編み上げ、ぱっつん前髪が初々しい、年代は20代後半から30代と見受けられ、出立ちも麻仕様のロングシャツにジーンズを合わせ、リュックを背負い、足元はホワイトのスニーカーという実にカジュアルなファッションでそこに佇んでいた。

日本人がほとんどいない店内で、その出立ちは簡素ながらどこか凛としていて、気後れせずに宝石と対面している姿が、実に清々しくてかっこいいという印象を受けた。スタッフとも、求めたい宝石についてあれこれ尋ね、熱心にやりとりをしているようだった。

漏れ聞こえてくる話から察するに、欲しいトリニティ・リングを求めるために、1年間貯金をしてようやくこの店に来ることができた、ということのようだった。リュックから覗いて見える2台のMac Airから、仕事はIT関係だろうかなどと想像してみたりした。

筆者がその女性の姿を興味深く目で追っているのに気づいたスタッフが、こんな話をしてくれた。

「最近宝石をお求めになる客層が以前とずいぶん変わりました。以前は60代以上の方が多かったのですが、次第に20代から30代の方が増えて、しかも男女問わず自分が日常的に身につけるために宝石を求められる方が多くなった印象です。先日も20代後半くらいの男性が、時計をお求めになりましたが、現在の金融情報にも敏感なようで、将来の金融経済の不安定さから“貯金にはインセンティブがない”と、2年前から価値の確かなハイ・ラグジュアリー・ブランドを購入するように消費スタイルを変えたとおっしゃってました。資産運用の意味もあるのでしょうが、何よりも自分が好きなものを身につけて暮らしたい、今を大事にするというライフスタイルのこだわりからきているようにお見受けました」

真の価値を見極めるために、宝石店に自ら出かけ、会話をし、実物を見て入念に選ぶのもこうした若者の特徴だという。

「一方で環境問題に特に関心が強く、今の社会システムに大きな疑問を抱いているようです。今後社会問題化して、今の暮らしが続くはずがないという危機感もお持ちで、消費を基本としたこれまでのあり方とは対極にある、「物を持たない」「持つなら確かなものだけ」という考え方がベースにあるというお話を聞くと、その堅実さに驚かされます。“いたずらに未来を憂うより、今を大切にする生き方”を選択されているとも聞こえてきます」


「エレガンス」という生き方

その話を聞きながら、エレガンスという言葉が脳裏をよぎった。

エレガンスとは、上品さ、優美さを表現する場合によく使われるが、元々はラテン語 エルグレ[eligere]を語源とする言葉で、『精選する』『注意深く丁寧に選ぶ』という意味合いも持つ。広くは「誰にも流され ることなく、自分の意思で人生の選択をする」という生き方を指していて、本物を一生かけて、 ゆっくりと磨いていく生き方の象徴でもあると言われる。 一生かけてゆっくりと磨いていく対象を選ぶための審美眼を培うためには、本物に出会うことが何より大切である。

筆者が常々、エレガンスという美意識こそが、銀座の生き方そのものだと実感をしていることと、この彼らの選択、いわば美意識とが思わず共鳴したからなのだろう。

一流のハイブランドジュエリー店で、凛として本物と対峙するこの日のカルティエ女子には、本物を見極めて、自分の美意識で選び取ろうという、強い意思のようなものを感じた。限られた予算の中で、自分らしく生きるために審美眼を磨く、そして自分ならではの心の糧にしようという潔さに美しさを覚えたに違いない。



◆「恋」とは魂を迎入れることー詩の本当の意味

カルティエを後にして、銀座中央通りの交差点をブルガリ銀座本店に渡りはじめたところで、ふと足が止まった。マロニエ通りから枯葉混じりに吹く風に例のあのフレーズが聞こえたような気がしたからだ。

「いのち短し、恋せよ少女」

注視したカルティエ女子の美しい横顔に歌のイメージが重なるという、不思議な心の揺らぎが余韻として残っていたからだと思う。

先にも述べたように、ゴンドラの歌のフレーズ「いのち短し、恋せよ少女」(吉井勇作詞)は、アンデルセン作・森鴎外翻訳の「即興詩人」から触発されて誕生したと言われる。作詞家はどの言葉に心を射止められたのだろう、と気になって調べたことがあった。
その箇所は「即興詩人」の「妄想」という章で、主人公アントーニオがヴェネチアに渡る船の上で人生の短さと恋愛の幸福を謳った「俚謡」(りよう/民間で歌い伝えた歌、民謡)を耳にするシーンだ。

【即興詩人より】

朱の唇に触れよ、
誰か汝の明日猶在るを知らん。 
戀せよ、
汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。

ー中略ー

汝の幸を知るものは、唯々不言の夜あるのみ、
唯々起状の波あるのみ。
老は至らんとす、氷と雪ともて汝の心 汝の血を
殺さん為めに。

【ゴンドラの歌】
いのち短し、戀せよ、少女(おとめ)、
朱き唇、褪せぬ間に、
熱き血液(ちしお)の冷えぬ間に、
明日の月日のないものを。

ー中略ー

いのち短し、戀せよ、少女、
黒髪の色褪せぬ間に、
今日はふたたび来ぬ物を。


このように2つの詩を並べてみると、中でも「戀」(恋)という言葉が一際燐光を発しているように感じるのは筆者だけだろうか。この言葉にはどんな意味が込められのだろうか。

民俗学者であり、言語学者である折口信夫は、「戀(恋)」という言葉の原義について興味深いことを述べている。

「戀(恋)とは、本来ただ異性が好きになるという意味ではなく、原義は「威霊あるものを迎える」意味だった。威霊を自分の方へ移させることなのである。思う相手の内部に何か威伏されるべき力を感じ取らなければ恋は始まらない。恋愛感情はしばしば対象を過度に美化したり、神格化したりするが、そうした心理の始原には相手の霊魂を招き寄せると言う意味が横たわっている。」
           (折口信夫全集「古代研究」第二部国文学編より)

つまり折口は、「恋」とはその昔、相手の「霊魂を迎え招く」ことだったと言っている。「恋」とはもとは「魂(たましい)ごひ」だったといい、万葉の時代の「恋ふ」は近代の「こがれる」に近い語感ながら、原義はもっと濃い密度のものであったと言うわけである。

「2度とない今日を、魂を求めて生きなさい」

そんな現代語訳が思い浮かぶ。人生を讃える詩に聞こえてくる。
そう語りかけるフレーズだからこそ、時代を超えてなお愛唱される、日本人の美意識に届く言霊が潜んでいるのだと気付いて、胸が熱くなった。


◆エシカル化に取り組む「ブルガリ」


横断歩道を渡り切ったところで、ブルガリタワーのイルミネーション「セルペンティ」に出会うことができる。「セルペンティ」とは、イタリア語で蛇のことで、古代ギリシャ・ローマ時代より「英知」や「永遠」のシンボルとして長い間愛されてきた蛇をモチーフとして1940年に誕生したブルガリのアイコンである。

タワー下に立って見上げると、蛇の瞳がこちらに向かって飛び出してくるような臨場感を覚えてワクワクするのもこの季節ならではである。

【豆知識】ブルガリ
1884年の創業で130年以上の歴史を持つ、イタリアの宝飾ブランド。当初はフランスに追随するデザインが主流だったが、その後フランス様式から一転、ルーツであるギリシャ建築をベースとした古代ローマ様式に回帰し宝石の流行とは一線を画す独自デザインを求め始める。ジュエリーの特徴はクラシカルな雰囲気と色石を使ったスタイリッシュさにあり、ローマの円形闘技場コロッセオからインスピレーションして生まれたB-ZERO1ブルガリ・リングが男女問わず人気。ハリウッド出身のオードリー・ヘップバーンやエリザベス・テーラーがブルガリファンであったことから、瞬く間に世界中にその名が知られることになった。


ブルガリ クリスマス・イルミネーション


店に入るとアンジェロ・マンジャロッティ(Angelo Mangiarotti)デザインの貴重なムラノ製ガラスのハンドクラフト・シャンデリアが天井から出迎えてくれる。そのシャンデリアをぐるりと囲むように配置されたショーケースには、ブルガリが誇る美しく華やかなジュエリーや、卓越したデザインと品質を誇るウォッチが旗艦店ならではの豊富な品揃えで並ぶ。壁面に並ぶ古くからの宝飾の写真とは対照的に、色の魔術師と言われたブルガリの個性的なジュエリーの色使いに度肝を抜かれる。

外観の宝箱をイメージした雰囲気とはまた異なる店内の清々しい空間で、客が途切れたタイミングを見計らってスタッフに「若いお客様が多いですね」と語りかけると、こんな話をしてくれた。

「今、ブルガリでは国際的非営利組織(NPO) 「責任ある高級宝飾のための協議会」の一員として、「エシカル消費」(倫理的社会貢献、環境保全)に熱心に取り組んでいる関係もあって、SNSなどを通じてそうしたニュースに敏感な若い方々が多くの宝石店の中からブルガリを選んでくださるようなのです。私どもの調達、製造、販売、消費これらの一連の流れを目に見える形にして、環境負荷の低減につながる商品化などに力を注ごうと言う姿勢に共感いただけているのかと思っています。」

そういえば、女性の活躍を後押しする「ジェンダー」で、2016年3月8日の「国際女性デー」に「ブルガリ アウローラ アワード」を設立して、文化、芸能、政治や経済、医学など多様な分野からジェンダー活動で活躍する世界の女性たちの表彰などに取り組んでいるというニュースがあった。子供たちへの支援については非政府組織(NGO)セーブ・ザ・チルドレンと組み、特別仕様のジュエリー販売益から2009年以降1億ドル(約137億円)を寄付しているという話も聞いた事がある。

社会貢献に熱心なブルガリは銀座に進出以来、銀座の街との交流にも熱心で、銀座松屋や銀座ハチミツプロジェクトと組んでブルガリチョコレートに銀座ハチミツを使用するなど、地産地消の考えに基づいたブルガリ・イル・チョコレートの「銀座はちみつとレモン」などの生産販売も手がけている。銀座のビルの屋上でミツバチを飼い、採取した「銀座ハチミツ」は他のブランドとのコラボをさまざまに展開しているものの、オリジナル商品になることは決して多くはない。宝石一粒に見立てたこの商品は、銀座の土地文化に貢献したいと言うブルガリの精神の結晶でもある。


      ブルガリ 銀座はちみつチョコレート
        はちみつとレモンのミルクチョコレートガナッシュ、マスカル
         ポーネチーズのホワイトチョコレートガナッシュを2層に重ね、
        ミルクチョコレートでコーティング。1粒1501円(税込み)。



◆「コマドリブルー」の小窓から ーティファニー

ショーウインドウは、そのブランドの商品ばかりではなく、目指す世界観を個性豊かに表現してくれる絵画のようだ。銀座散策の醍醐味は実はここにもある。
とりわけ、ティファニーの小窓は秀逸で立ち止まって見つめると、中から恋するささやきや女性の生き方など、フェミニンな物語が聞こえてくるようで思わず見惚れてしまう。


   物語のあるウインドウ ©︎Tiffany&Co.


【豆知識】ティファニー
1837年、チャールズ=ルイス=ティファニーがニューヨークで創業。ティファニーの代名詞イエローダイヤモンドの発見以来、米国初のダイレクト・メール・カタログを発行、現在も「ブルーブック」の名で受け継がれている。1835年に掲げられたアトラス クロック(直径約2.7m)は現在でもニューヨークシティ最古の公共時計として57丁目と五番街にあるランドマーク、本店の入り口上部に設置されている。1961年ハリウッドの名作「ティファニーで朝食を」(オードリーヘップバーン主演)がニューヨーク本店が舞台になったことをきっかけに、「ダイヤモンド キング」としてアメリカの宝飾の代表格となっていく。リンカーン大統領、パブロピカソなどに愛好された。ティファニーブルーは「コマドリの卵の色」を用い、「春のコマドリは幸せを呼ぶ鳥」に因んで、幸せを呼ぶ色としてティファニーの象徴になっている。創業時から現在まで続く化粧箱(外箱):ブルーボックスは現在も世界中で憧れの的であり、また、Tスマイルシリーズのネックレスは、現代の若者をはじめ幅広い年代で愛好されている。

2008年に11月に日本を代表する建築家・隈研吾師によるダイヤモンドのファセット(カット面)に着想を得たファザードデザインに生まれ変わった銀座ティファニーのビル。
1階には緩やかなカーブが施された柔らかな雰囲気の中に、Tシリーズなどアイコニックなダイアモンド・ジュエリーが並んでいる。2階へ緩やかな階段を上るとモダンとラグジュアリーを兼ね備えた空間が広がっていて、まるでアートギャラリーのようだ。

小さなブースの中からは、担当者からゆっくりと商品の説明を聞きながら会話する人々の声が聞こえてくる。ここではスタッフは格式を備えながらも、実にリラックスした表情をしているのが特徴だ。

お客様を応援する 豊かな感性

ゆったりと円を描くショーケースを覗いていると、スタッフがこんな話をしてくれた。

「随分前からですが、毎日お守りのように小さなダイヤモンドを身につける生活スタイルが当たり前になってきました。ブラウスやシャツの襟元を開いた際や、タートルネックの上から着けてもとても愛らしいものです。年代は選びませんが、やはりビジネスウーマンにはスーツから覗いても品がいいので、絶大な人気なんです。この「シングル ダイヤモンド ペンダント」と呼ばれるネックレスは、洗練されたプラチナチェーンの中央で一石のダイヤモンドが優美に輝く仕掛けで、着脱せずにお風呂にも入れる優れものでもあります。」

実際に身につけてみると、まるで一粒の光の雫が肌の上で揺らめくようで、確かにさりげない美しさがある。

「ダイヤの大きさや、チェーンの種類なども色々お選び頂けるので、その時間を大切にじっくりご提供したいといつも思ってるんです」

と、20歳台後半と思しき笑顔が美しいそのスタッフは、軽やかな笑みを浮かべた。

接客の様子を見ていると、面白いことに気づいた。客の好みのヒアリングでは実に多方面から、例えば、仕事での服装から、化粧の有無、趣味のこと、プライベートの服装、ピアスやリングにアクセスし、手の表情にまで気を配って、相手が望んでいることを一緒に引き出そうとしている。宝石を売ると言うよりも、客と好みのイメージを探し当てるゲームを楽しんでいるかのようである。
さらに驚かされるたのは、お客様の世代に即したものを中心にしながら、流れによってはネットフリックスの話題の映画についてや、料理のこと、最近のW杯のバスケットボールやラグビーの話まで取り込むというとてつもなく広い話題の持ち主であるということである。この「寄り添い」「発見する」おもてなしは、このスタッフが継続してきた真摯な研鑽はもとより、人間性によるところが大きいのではないか。
まるで、お客様の人生を応援しているかのようなスタンスなのだ。

ブランド店において「人は宝」と言われるが、心情豊かなスタッフが存在するティファニーの感性は、おしゃれで物語性のあるショーウインドウにも息づいているのではないだろうか。

帰り際、先程のお客様が、コマドリの卵の色、「幸せを呼ぶブルーの化粧箱」にパールホワイトのリボンをかけたティファニー・ボックスを大事そうにかかえて店を後にする姿を見かけた。きっと彼女の胸の中には、今幸せがたっぷりと詰まったのだろうな、と微笑ましく思いながら見送った。


コマドリブルーのBOX   ©︎Tiffany&Co.


◆「奇跡という名のおもてなし」
  ー銀座 MIKIMOTO


「本日もご覧になりますか」

担当の真珠コンシェルジュがすっとそばに近寄ってきて声をかけてくれる。

銀座4丁目銀座中央通りに聳える白亜のミキモトビル。4万個のガラスピースが埋め込まれた華やかなハザードをくぐって店内に入ると、白い大理石の1階フロアーが広がる先に手すりのシックに装飾された螺旋階段が美しく昇り上がる光景に出会う。

自慢の真珠の首飾りは、この一階フロアにはひっそりと1点奥ゆかしく鎮座しているのみだ。一見、宝石店とは思えないシンプルで透明、閑靜でありながら、重厚さと気品を兼ね備えた空間が広がっている。
螺旋階段の奥には、ミキモトの創業者・御木本幸吉翁その人を彫り出した大きな銅板レリーフが嵌め込まれている。

この日、真珠コンシェルジュがささやいた「ご覧になりますか」とは、実は真珠のことではない。

銀座ミキモトは、世界で初めて半円真珠の養殖に成功したことで知られるが、その後1902年(明治35年)、多徳島に研究室を立ち上げ研究を重ね、本格的に真円真珠の養殖に成功したのは2年後の1905年(明治38年)だった。現在では長年にわたるMIKIM0TOの真珠研究の統合施設として「ミキモト真珠研究所」(三重県)を開設しており、そこでは、真珠養殖そのものに関する研究はもとより、真珠を取り巻く海洋環境の保全活動などにも力を入れている。豊かな自然環境の保全への永続的な養殖事業のために排出物ゼロを目指したゼロエミッション型養殖を推進し、真珠を採取した後に残る貝殻や付着生物を土壌改良剤や堆肥(コンポスト)に活用する事業も進めている。これらは真珠養殖のオリジネーターとして、真珠を育み海や自然との共生を目指すMIKIMOTOの矜持でもあるのだ。

【御木本幸吉の海・真珠への想い】
天然真珠は、1000個の貝の中に1個見つかるかどうかの偶然の産物である。幸吉の故郷である三重県・伊勢志摩の海では、希少で高価であるがゆえに天然真珠が乱獲され、母貝となるアコヤ貝の絶滅が危惧されていた。「故郷の海を、真珠を守りたい」という思いから、幸吉はアコヤ貝の保護と増殖のために真珠の養殖を決意するに至った。赤潮による被害や資金難に直面しながらも、幸吉は不可能といわれた「人の手による真珠の生成」を今から130年前にかなえたのだ。ミキモトのサステナビリティー活動の礎を築いたのは、ほかならぬ幸吉自身である。幸吉の志を受け継ぎ、「ミキモト真珠研究所」は今なお、自社だけでなく養殖真珠産業全体の持続的発展に貢献する大きな成果を上げている。


ミキモトが海洋保護と改めて向き合うきっかけとなった、純日本産の健常アコヤ貝が発見された福岡県・相島(あいのしま)。この島で育まれるアコヤ真珠は真珠層が緻密で巻きが厚く、大粒。相島養殖場の開設5年を経て、高品質なアコヤ真珠を安定して生産できるようになり、2013年より製品化に至っている。




水を描く 自然を守るー 挾土秀平氏の世界

自然といえば、「水」「土」「光」が自然の美意識の基本となるが、日本文化の振興にも力を入れるミキモトは、特に土壌「土」に注目し、日本を代表する左官職人・挾土秀平氏(はさどしゅうへい:NHK大河ドラマ「真田丸」タイトル作品など土を使ったアート作品を手がける日本を代表する職人)による「波形仕上げの交錯仕上げ」作品が、螺旋階段奥の踊り場の大壁いっぱいに展示されている。

「最初地球は水だけでした。波は永遠の水の象徴であります」

挾土秀平氏がその思いを渾身に込めて作り上げた作品からは、土を素材としながらも、まるで夜明けの湖に漂う静粛な波形がそのままに表現されていて、見つめていると「生きる」鼓動が伝わってくるようである。

「地球に生かされている、そんな実感が伝わってきますね」

一緒に作品を見上げるコンシェルジュの言葉に、皮膚から共鳴が沁み入るようなそんな感動を覚えた。

螺旋階段で出会えるこの「土」の世界に魅せられて、筆者が時々鑑賞させていただくことをコンシェルジュはご存知で、この日もその時間を創る手伝いをしてくださったのだ。


©︎挟土秀平「平波形仕上げの交錯仕上げ」(一部) 



本物の真珠に出会う瞬間を創る ーおもてなしの極意

この日は、お客様から結婚されるお嬢様の真珠選びについて相談を受け、随行する役目も担っていた。当日知ったのだが、今「MIKIMOTO真珠」の需要は大変なもので、海外からの引き合いが押し寄せ在庫ゼロの状況だと言うのだ。来店するお客様に現在真珠の取り扱いが難しいことを陳謝するスタッフの光景を観て、心底驚いた。

コロナ禍が落ち着いてきた今年2023年夏前から、円安が重なって海外からの観光客がその品質の高さを求めて押し寄せるようになった。入荷する先から売れてしまう状態が続いていて、こんなことは初めてだとコンシェルジュも困惑の表情を隠さなかった。10月末から価格改定が予定されているから、駆け込み需要も手伝ってまさに MIKIMOTO真珠の緊急事態である。

そんな中でも、普段と同じように落ち着いた様子で3階のブースに筆者たちを招いてコンシェルジュが丁寧に商談に応じてくださる姿には、銀座のおもてなしの尊厳が溢れていて感謝の言葉しかない。

「色々お見せしたいのに、こんな状況で申し訳ありません。創業者の御木本翁が存命でしたら、大変な大目玉を食うところですね。(笑)」

と場を和らげながら若い女性への真珠知識の指南とばかりに、この美しい養殖真珠がどのような経緯で生まれたか、世界が魅了する品質の高さがどこから来るのか、環境と真珠との関わりなど、柔らかな口調で丁寧に説明をしてくださった。彼女にとって初めて聞く真珠が生まれ育っていく物語は琴線に触れたとみえ、高揚感を持って耳を傾けている。

すでに金曜日の営業終了時間が迫る頃になっていた。その時、コンシェルジュの元に一本の電話が入った。

「少々お待ちいただけますか」

我々に向かって言葉を置き、電話を切るか切らないかの内にブースを飛び出して行った。


奇跡 命の輝きを放つ「真円真珠パールネックレス」


10分ほどすると、コンシェルジュが息を切らして戻ってきた。

「お待たせいたしました。
ちょうど今、1点だけ入荷があったと連絡が入りまして、店頭に出すとすぐに売れてしまいますので、とにかく抑えてこちらで観ていただこうと思いまして・・・」


高貴なベルベットトレイに載せられて登場した宝石は、ネック下と鎖骨の間に美しく収まる長さの「Mikimoto Premium 」のパールネックレスだった。留め金のプラチナ細工が見事な精緻さを持って輝いている。覗き込むと、隣の真珠同士の光が重なり合って特別な光を放つような、息を呑む美しさだ。
その美しさを決定づけるのは、色・形はもちろん、表面のなめらかさ、光沢、“巻き”と呼ばれる真珠層の厚みまで。さまざまな要素を独自の厳しい品質基準に基づいて選び抜かれた真珠だけが、ミキモトのパールとなる。
MIKIMOTO真珠の中でも、厳格な品質基準を満たした真珠の中から、ひときわ強く輝きを放つものだけを選び抜いた逸品だとコンシェルジュから説明があった。

早速、身につけてみると色白で透明感のある彼女の肌色に実によく馴染んでいる。サイズもピッタリである。それは新しい人生を讃える宝石として相応しい品格を備えていた。

一段と輝くこの宝石を手にして、こんなことがあるのかしらと、半ば手に入れることを諦めかけていた彼女の頬はその奇跡に紅く染まって高揚して見える。彼女の求めていたのは正にこのような少し小ぶりの愛らしいサイズのパールネックレスとピアスのセットであったようだ。

筆者が、
「このような素晴らしいパールネックスをご用意下さり、なんとお礼を申し上げたらよいか。さぞかし無理をして下さったのではないでしょうか」

と労うと、
「とんでもございません。お客様の熱意がパールを引き寄せたのだと思います。しかも最高品質のパールがめぐってきたことは、なんとも奇跡的です。ご紹介できましたことが本当に嬉しいです」


「母が MIKIMOTOパールは一生ものだから、と話してくれていた意味が今日は本当によく分かりました。」と感慨深げにパールを見つめる彼女の姿に、本物に出会った瞬間人はこんなにも生命力あふれる幸せな表情になるのだと、こちらまで胸が熱くなった。


MOMAに世界を代表する真珠として展示された、MIKIMOTOパール



エピローグ

ホワイトパールの見事な化粧箱に納められたパールネックレスとピアス。中央には、「結婚記念」の英文字と日付が刻まれたプラチナ・プレートが納められていた。

真珠の手入れの仕方の丁寧な指南が終わって、最後に現在海洋では何が起きているか、真珠が育つ海洋を大切にすることが環境を保全することなので、養殖から出た排出物を廃棄しない、再生利用するためにパールをつなぐ絹糸も開発して現在はそれを使用していると言うお話もあった。

「創業者・御木本幸吉翁の功績を私どもがもっと伝えなくてはならないのですが、長年語り継いできたコンシェルジュも引退などでめっきり少なくなって参りました。御木本翁は、ご存知のように二宮尊徳翁の教えを心の糧にして困難な養殖事業を成功させてきました。中でも尊徳の「推譲」の精神の体現ともいうべく、地域社会へも様々な貢献をしてきました。自らの資金をもって志摩の道路改修を行い、自らもその工事に従事しましたし、現在でも伊勢の真珠島には「海の二宮尊徳たらん」とその心意気が、大きく書き記されています。そうした熱い思いを私どもも、真珠をお届けするおもてなしを通じてこの銀座を訪れてくださる皆様にお届けしたいと思っております」

創業者の魂を必死で受け継ごうとするコンシェルジュの姿に、御木本翁の遺した真珠文化とおもてなし文化の偉大さに頭が下がる思いがした。

そして、コンシェルジュは別れ際に彼女に向かってこう言葉を添えた。

「どうぞこの幸せを届けてくださったご両親に感謝する心を大切に」

【豆知識】二宮尊徳の「推譲」
二宮尊徳の報徳の思想のうちの重要な概念。二宮尊徳は荒れた農村を再建した再建王で有名だが、その中心的な思想が「推譲(すいじょう」。分度をわきまえて、儲けの半分を社会のために分けて独り占めしないこと。(二宮尊徳「報徳記」)

↓特集「御木本幸吉のエレガンス」その生涯と美意識



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コンシェルジュに見送られながら、店を出るとすでに日は暮れていた。

帰る道道、少し興奮した表情を見せながら彼女はこんな話をした。

「今日は本当にいいお話をたくさん聞かせていただいて、勉強にもなり心がいっぱいになった思いです。ありがとうございました。実は最近結婚祝いにと、私を可愛がってくださった父の親友から世界中の著名なアートデザインの本を贈って頂いて、それもとても嬉しかったのです。嬉しいことが重なりました。そこには一言こんなメッセージが添えられていました。

『いのち短し、恋せよ、少女』

言葉のうつくしさと共に“人生を謳歌しなさいよ”という熱いメッセージとして受け止めたのですが、今日はことさら感謝の気持ちでこの言葉が身に染みます」

図らずも、このフレーズとの巡り合わせに驚いてしばらく彼女を見つめていた。

「ところで、この詩って誰のものでしたっけ?」


あどけなく尋ねる彼女に、筆者はこの歌の長い顛末を語り始めた。                                    

ミキモト銀座本店



2. 銀座情報 

 NEXT映画にしびれる10日間                           ー東京国際映画祭2023  〈 10/23〜11/1〉ー


世界中から次世代の映画が集まる、東京国際映画祭(TIFF)が日比谷、銀座、有楽町エリアを舞台に開催されている。日本最大の映画祭には、海外からの出品作品も多彩で連日「TOHOシネマ」(日比谷)、「シネスイッチ」(銀座)、角川シネマ有楽町」(有楽町)、「国立映画アーカイブ」(京橋)をはじめ「帝国ホテル」、「三越劇場」と多くの会場に広がり上映されている。街は国内外から大勢の映画ファンで賑わいを見せている。


TIFFポスター

コンペティション部門国際審査委員長に映画監督ヴィム・ヴェンダース氏を迎え、オープニングでは2023年カンヌ映画祭において役所広司が最優秀主演男優賞を受賞した「PERFECT DAYS」(監督ヴィム・ヴェンダース)が記念上映された。この映画は、「パリ、テキサス」や「ベルリン天使の詩」などの傑作を世に送り出し続けた監督が、彼がリスペクトして止まない俳優・役所広司を主演に迎え、東京の公共トイレ清掃員の日々を描いた作品だ。

【豆知識】ヴィム・ヴェンダース                   1945年、ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。1970年代のニュー・ジャーマン・シネマの旗手であり、今日の映画界を代表する映画監督のひとりとして知られている。『パリ、テキサス』(84)や『ベルリン・天使の詩』(87)などの数々の映画賞に輝いた劇映画のほか、『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(11)、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(99)、『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』(14)、“Pope Francis: A Man of His Word”(18)などの斬新なドキュメンタリーも発表している。2022年、日本美術協会より高松宮殿下記念世界文化賞を授与された。ヴィム・ヴェンダース・グラントを通して革新的な映画創作における新しい才能を支援する活動にも取り組んでいる。


銀座 老舗映画館「シネスイッチ」でも上映
 

本年の目玉は何と言っても、日本映画の巨匠・小津安二郎監督生誕120年を記念して、小津作品20本がTOHOシネマや角川シネマ、国立映画アーカイブなどでまとめて鑑賞できることだ。デジタル修復された名画を大画面で見られるとあって、海外ファンをはじめ若者達が改めて「日本の美意識」を体現
している「東京物語」「彼岸花」「浮草」など時代を超えて語り継がれる小津安二郎の世界観を堪能している。


©︎松竹株式会社

↓特集「小津安二郎の世界」-日本人の忘れ物ー



アニメ部門で脚光を浴びたのは、2023.2月公開「BLUE GIANT」(監督・立川譲)。アニメ、ジャズなどというジャンルを超越した見事な音楽性の高さに多くの人々が感動し、観客の声に押されてこの秋から早々にリバイバル上映されている話題の名作である。「音が見える映画」との呼び声も高く、絶対音感のピアニスト上原ひとみによる新しい音づくりに基づくアニメーションとその熱い芸術性が注目を浴びている。


10/27「BLUE GIANT」プレミアム上映会 立川監督トーク

この10日間に上映された作品の中から、映画界の未来を託していきたい映画人に贈られる「黒澤明賞」は、今年は中国のグー・シャオガン監督とインドネシアのモーリー・スリヤ監督の二人に贈られる。

その他新人監督賞「Amazon Prime Videoテイクワン賞」、エシカルの基本理念を作品に生かした「エシカル・フィルム賞」など各賞は、最終日11/1に発表されることになっている。


屋外上映会(日比谷ステップ)の様子



3.編集後記(editor profile)

銀座には世界中の多業種の企業が、「我が社を代表する逸品」を見てくれとばかりに、自慢のウインドウを披露した旗艦店を展開している。その中で最もその表現の豪華さを誇っているのが、国内外のブランドの宝石店である。

外観から眺めると、その栄華さに気後れする人も少なくない。だが、一歩店内に入り、スタッフやコンシェルジュと会話を交わすとそのブランドが長年求め続けている美意識に触れることができる。やはり「人こそが宝」なのだ。

実は、私たち客が求めているのは、宝石という「物」だけではなくて、こうした人々との交流であり、唯一無二のおもてなしの心なのではと実感する。

そして一方で、こんな思いも深くした。

「人は何も所有できない。
 全ては、天から借りているだけ。」

そう考えると、今手に入れようとしている宝石の真の価値が見えてくるような気がするのだ。

本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
          責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊
  


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