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「街の奇妙な出来事」 中編   銀座花伝MAGAZINE Vol.58

#街を救う #謎解き #散策ミステリー #インサイト #ヒエログリフ


秋が始まる、晩夏と初秋の間。お気に入りの場所は、銀座中央通り4丁目にある外階段が見事なビルの5階あたりだ。
日曜日などにそこに登ると、歩行者天国には深緑のパラソルが規則正しく並んでいて、その色は秋の日差しを含んでそこだけ稠密に見える。まるでミニチュアのように往来する人々。犬の散歩を兼ねて、パラソルの下に佇む白髪の女性。秋の風情の着物姿も現れて、逍遥している。

もうじき葉の色が変わるだろう。マロニエ通りを遠くに眺めながら、季節の変わり目の涼やかな風を感じる醍醐味は、この季節ならではだ。


奇妙な出来事が次々にあなたの身に襲いかかる。生き残った街の人の助けを借りて、ようやく2枚の破れた写真のピースが見つかった。3枚目のピースを老舗洋食屋で手に入れようとした時、新たな困難があなたの前に現れる。
「鍵のありか」を探り当てたあなたは、左脳と右脳をフル回転させながら、謎を解き明かそうとする。「あなたの冒険」は、クライマックスに向かう。
果たして、あなたは街を救うことができるのか、希望の先に見えた街の姿とは。


銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。





1. 「街の奇妙な出来事」 中編



あの日から(前回のあらすじ)


美しい街「シルバータウン」はある時、突然時が止まって多くの人々の姿が消えてしまった。偶然その街を訪れたあなたは、今となっては数の少なくなってしまった姿が見える時計修理職人の老人から、「謎を解き明かし救いの鍵を手に入れ、時が止まっている原因を突き止めて取り戻して欲しい」と頼まれ、謎を解く最初のヒントのありかを託された。

 そのヒントから「シルバータウンの全ての者の「願い」が鎖で繋がれ、街の奥深くに幽閉されている。その人々の「願い」を解き放つことによってこの街の時間は動き出すことができる。だが、その幽閉されている「願い」たちは、地下迷宮に隠された謎によって囲われ守られてしまっている。その場所を突き止め、謎を解いて、「願い」たちを解き放たなければならない」ということが分かった。
地下迷宮を求めて当てもなく歩いている時に出会った占い師の老女からそれぞれ一部が破り取られた3枚の写真を託された。これらの写真の破れて失われた部分には「願いの部屋」に辿り着く秘密が隠されており、失われた3枚のピースを合わせると、その部屋を開ける「鍵」のありかが分かるという。


「街を救うため」に走り回ってようやく、2枚のピースをゲットし、3つ目を探し当てようとした時、辿り着いた古い洋食屋は、これまでにゲットした、靴屋や帽子屋とは趣が全く異なっていた。

あなたは、洋食屋の老主人から、「よくここが分かったのう」、「待ちくたびれた。もう来ないかと思ったよ」と言われて面食らった。なぜ、この人は、私がここに来ることを知っていたのだろうか、、、。

「写真を出してご覧」と老主人が言葉を続けた時、呆然としていたあなたは、ハッとして、思わず反射的に写真を彼の前に差し出した。しかも、占い師から預かった3枚の写真全部をだ。

その後、なぜ、3枚の写真全部をここで出したんだろうか、ここでは、洋食屋の古いレジスターの写真を見せるだけでいいはずなのに、私は一体何を考えているんだろう、きっとあなたは自分のした行為にびっくりしたような困惑したような表情をしていたに違いない。


託された3枚の写真



謎は連なりの先

老主人は、差し出された3枚の写真を見下ろしながら、妙なことを告げた。

「これを、ワシが受け取るわけにはいかんのじゃよ。君が、1枚目と2枚目の謎解きをしてそのヒントを導き出した時に初めて、ワシは3枚目を受け取れる、というわけじゃ」

「1枚目と2枚目の謎解きをする? そんな、だって、3枚目の破れた部分の情報が手に入ったら、人々の願いが閉じ込められている場所がわかるんじゃないんですか?」

「占い師はなんと言ったかな?」

「失われた3つのピースを合わせると、その部屋を開ける「鍵」のありかが分かる、と」

あなたは、占い師から預かったメッセージを広げて読み上げた。読み上げながら、あっ?と上擦った声をあげた。

どうも、自分は読み違いをしていたらしい。間違いの一つはピースを3つ合わせれば、一つまたは一連のデザインが現れて、それが部屋のありかを示していると思ってしまったこと。もう一つは、見つかるのは「鍵」のありかであって、人々の願いが閉じ込められている場所ではない、ということだ。
慌てていたとはいえ、我ながら迂闊だったとあなたは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「そうがっかりすることはない。君は実にいいところまで辿り着いた、というべきじゃ。謎解きはここからじゃよ。」



謎解きのメンター

頭がごちゃごちゃだー!と両手で頭を抱えながら、しかしあなたは、持ち前の「先が見えなくなったら、切り替える」を思い起こして、胸に手を当てながら自分に落ち着け!と言い聞かせた。

そして、すっと立ち上がり、

「今のお話だと、まず1枚目の破れた場所にあるサインを解読する必要があるということですね。そして、それが2枚目の写真に繋がり、また2つ目のサインを読み解く、、、そうすれば、3枚目の写真を受け取ってもらえるのですね」

理由はよくわからないが、なぜかこの老主人には、何でもかんでも打ち明けて、助けを乞うことが可能なのだ、という確信のようなものがあなたの中に膨れ上がっていった。

「その通りじゃ。なかなか理解が早いね。そして、ワシは自分でその謎を解くことはできないが、今君がワシを信頼してくれるのなら、君の伴走をすることはできるんじゃ。」

「分かりました。」

そう言って、あなたは靴屋で預かった、1枚目の失われたピースが写っている写真だけをを改めて白いテーブルクロスの上に置いた。



「1枚目のピース」の謎を解く



1枚目のピース


「この形は、どこかで見たような・・・・そうだ、見て!エジプトに旅をした時に買ったシルバーの腕環。一目見て美しい、、、とにかく、そう思ったんです」

そう言って、あなたは自分の左手につけている腕輪を外してテーブルに置いた。

「このマーク、確かエジプトではとても大事な象徴だと聞いて、これはデザインもいいしとても気に入って買ったんです」

「なるほど、これはアンク(Ankh。別称:エジプト十字)というエジプトの象徴的なデザインで、現世と来世をつなぐ「鍵」を表しているんじゃ。そして意味は「生きますように」だ。ということは、これは今回の謎解きの重要な鍵であることを示していると言って間違いないな」

「ここに何か、絵文字のようなものが描かれています」
あなたは、気になる部分を指さした。

「エジプトに行ったことがあるのなら、この絵文字の形に記憶があるじゃろ?」

「そういえば、エジプトの王家の墓などの壁画にこれに似た文字が書かれていたような気がします」

「それなら、話が早い。少し、この文字について説明をしよう。」

そう言って、老主人は、厨房と思しき奥の部屋から一枚のパピルス画を持って出てきた。

そして、こんな話を始めた。

「パピルスを知ってるね。草木の茎の繊維を重ねて作る紙の一種で、今から約5,000年前の古代エジプトに世界で初めて登場したんじゃ。パピルス(PAPYRUS)は紙(PAPER)の語源となり、古代エジプトはパピルスと織物の輸出によって世界的名声と富を築いたんじゃ」

あなたは、エジプトではこのパピルスに絵や文字が描かれたというちょっとチープなお土産品がたくさん売られていたこと、実は本物は希少価値があり、かなり高価だと現地で聞かされたことを思い出した。

「ここに描かれているのが、ヒエログリフと呼ばれる超難解な象形文字なんじゃ。エジプトではよく見かけたじゃろ。当時でも一部の神官しか読むことができなかったそうじゃ。天文学、占星術、宗教儀式などに関することが書かれていると言われて来た」

そう言えば、象形文字の知識がなかったので、その意味を読み解こうとは全く思わなかったなと、当時のことをあなたは思い出していた。

「ところが、この超難解な文字を読み解いた人間がいたんだ。それが、シャポリオンという後に「エジプト学の父」を言われる人物じゃよ」


ヒエログリフを解明したシャポリオンの手稿



豆知識 シャポリオン
1806年、フランスのグルノーブル・アカデミーに驚くべき論文が提出された。驚くべきとは、第一に著者が弱冠16歳であり、そして第二に、その若者が極めて大胆な言語学に係る提唱を行ったことだった。
 彼は、古代エジプトの言語が、アフリカのコプト語という形で受け継がれていると主張した。その見解は完全に正しかったわけではないが(コプト語は古代エジプトの言語と同一ではなく、そこから派生したもの)、後にそれが19世紀最大の学術的な謎の解決に貢献することとなる。その若き学者の名は、ジャン・フランソワ・シャンポリオン。1790年、フランス南部の町フィジャックの生まれで、古代の言語に興味を持ち、ギリシャ語、ラテン語、アムハラ語(セム語派の言語で、エチオピアで使われている)、中国語、コプト語を学んだ。
 ナポレオンによるエジプト侵攻から1年後の1799年、アル・ラシド(イタリア人とフランス人からはロゼッタと呼ばれていた町)に近い要塞を修復していたフランス兵が、建物の一部の石にエジプトの古代文字であるヒエログリフが刻まれていることに気づいた。それは古い建造物から移設されたもののようで、そこには、ヒエログリフだけでなくギリシャ語ともう一つの文字(現在ではデモティック、または民衆文字として知られている)が書かれた石碑のようなものであった。ヒエログリフは、古代エジプト王朝が滅んだ後は次第に使用されなくなり、4世紀末には完全に消滅した。それ以降、この文字を読んだり書いたりできる者はいなくなった。そのため、18世紀末の学者にとってヒエログリフの解読は悲願になっていた。ロゼッタストーン(縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。古代エジプト期の暗色の花崗閃緑岩でできた石柱)発見が大きな引き金となり、紆余曲折紆余曲折を経て、シャンポリオンはついに、ヒエログリフの解読に成功する。


謎を解く言葉

あなたは実に興味深いと、ワクワクしながらそのパピルス紙に描かれている象形文字の列を覗き込んだ。

「シャポリオンという人が、この難解な文字を読み解いたんですか、、、すごいですねー」思わず謎解きをするのも忘れて、見入ってしまうあなただった。

「ところでじゃ、ここにはな、シャポリオンの偉業を基に作成された、ヒエログリフをローマ字に変換する表があるんじゃ。」

「えぇ!なんて、素敵なの!? 絵文字をローマ字に変換することで意味が分かるようになるんですね」

あなたは、この難解な絵文字を読み解く表があると知ると、その好奇心を抑えきれずに飛びつくように言葉を拾い始めた。

「えーと、最初の絵は、、、、「I」ですね。それから、次の絵は「S」、次はまた「I」、、、」

「続けて」

老主人は励ますように、あなたのそばに立ち、語りかけた。

「え、続きは、「N」、「O」、、、繋げると「ISINO」になりますね」

「それから、「S」、「I」、「T」、「A」」

「全部繋げると、「イシノシタ」となるわ」

「これはどう考えても「石の下」と言っているんだと思います!」

あなたは突っ伏していたテーブルから飛び上がるように跳ね起き、老主人に向かって叫んだ。

「あの、ここに石はありませんか!? この絵文字は「石の下」に何かがあると言っているに違いありません!」


古代エジプト文字 変換表


秘密の石

「石・・・・・」

老主人は、困惑して顔をこわばらせながらぶつぶつ独り言を呟いて、厨房らしき方へ逃げるように行こうとした。あなたが彼に続こうとすると、老主人は立ち止まり、

「ここから先へは入っちゃいかん」とあなたを制止した。

「そんな、だって一緒に探さなければ、、時間がかかりすぎるでしょ」とあなたは老主人を押しのけて、黒曜石でできたきらきらと光る重たいドアを身体中の力を込めて押した。


「?これは一体・・・・・・」あなたは室内奥にある鏡に映ったあなたの後ろに立つ人物を見て絶句した。


ウインドウアイ

呆然と佇むあなたの背中でその人物はこう言った。
「ウインドウアイ」って知ってるかい?

あなたは「い、いいえ、し、知りません、、、」と驚きのあまり喉を詰まらせながらそれだけを答えるしかなかった。

「今見ているこの世界は、ウインドウアイの世界なんじゃよ。ウインドウアイっていうのは、この世の中ではブライアン・エブンソンという人の短編小説でよく知られているんじゃが、どういうものか、簡単に説明しておこう。君は、深く物事を知ると、特別の力を発揮できるタイプじゃからね」(笑)

 ーひとりの少年が、家の外から見るのと内から見るのとでは窓の数が一つ違うことに気づき、それを妹と探っている内に妹が外からしか見えない窓に呑まれてしまう。ところが、母をはじめ周りの人間には「だって、あんた妹なんていないじゃない」と言われてしまい、生涯妹の消滅という欠落を抱えて生きるという話だ」


「ワシは、これまで洋食屋の親父のように見えたじゃろうが、実は『そこにない』者たちの代表なんじゃ。じゃから、この部屋の中にいる人にはワシの本当の姿が見えるのじゃ。」

さっきまでコック帽をかぶっていた老主人の頭には、いつの間にか考古学者みたいな、まるで映画のインディージョーンズに出てくる探検家のような擦り切れた帽子が乗っていた。

「さあ、正体がバレたら仕方がない。先を急ぐことにしよう。まず、石とは何か、ということだが、、、」

あなたは事の展開に追いつけない頭をブルブルと横に大きく振りながら、気を確かにしようと努めた。落ち着いて深呼吸をしてみると、鏡の横の方に黒い大きな塊が置かれている。石?黒曜石?

「おそらく、「石の下」というメッセージの石とは、このことを指しているのじゃろう」

そう老主人は落ち着いた声色で言った。

石らしき物は近くに寄ってみると、高さが1mを超える大きなもので、どこかで見たことのある黒い石版のような形をしている。え?まさか?とあなたは口に手を当て、息を呑んだ。

「そうじゃ、お察しの通りこれはロゼッタストーンじゃ。ロゼッタストーンは、紀元前196年にプトレマイオス朝エジプトのファラオ・プトレマイオス5世によって出されたカノポス勅令(2つの言語、3つの種類の文字からなる)が書かれた石碑じゃ。フランスのナポレオンの遠征中の1799年にフランス軍によって発見されたのじゃが、その後フランス軍をエジプトから駆逐したイギリスの手に渡り、現在は大英博物館にあるんじゃ。」



ロゼッタストーン




「な、なんで、そんな遺跡がここに、、、、」

「いいかい、ここはウインドウアイの世界じゃよ。」

とあなたを嗜めて、老考古学者は話を続けた。

「さて、君は、石の下とは何を指すと思う?」

「このロゼッタストーンを持ち上げて、その下敷きになったいる何か、、、、、
を探せってことでしょうかね」

「(笑)いやぁ、流石に、老ぼれたワシと君とではこの石を持ち上げることは不可能じゃなぁ。ところで文字が3層に分かれていることに気づかないか?」

「確かに、、、上段と、中段、下段、それぞれはっきりと違う文字で、分かれています」

「この石碑には、上から順番にエジプトの「神聖文字」であるヒエログリフ(エジプト語)、筆記用のヒエログリフだと言われるデモティック(エジプト語)、そしてギリシア文字(ギリシア語)で、同じ意味の文が書かれているんじゃ」

「あ、本当に一番上はさっき習った象形文字でできているヒエログリフだから、変換表から読み解けば読めそうな気がします。中段はさっきのとは似てるけど細かい部分が違っていて、、、」

「さて、メッセージにあった『石の下』をもう一度考えてみよう。」

「あ、それはもしかして、下段に書いてある異なる文字のことを示したかったのでしょうか!」

「そうなんじゃ。つまり、答えは、下段の『ギリシャ文字(ギリシャ語)で書かれている』と解釈してよかろう」


ロゼッタストーン ギリシャ語部拡大



「二番目のピース」の謎を解く


「やっと一番目のピースのメッセージをクリアできたわ!私たちが探している場所のヒントはギリシャ語で示されているということですね。見た瞬間にはアラビア語かな?なんて勘違いしていたので、分かってよかった」

「そうじゃね。さて、2枚目のピースを出してごらん」

あなたは心が少しソワソワするのを感じながら、2枚目の古いミシンの写真をロゼッタストーンの上に置いた。

古びたミシンの前に置かれていたのは、U字型のオブジェだった。



U字型のオブジェ


オブジェの2箇所には次のようなギリシャ文字が刻まれていた。

老考古学者は、大きな拡大鏡をその文字に近づけて、ゆっくり頷いた。


ついに、謎の扉が

「これがギリシャ語と分かれば、解読方法はありそうですね」

あなたはいささか声色を弾ませて、頷く彼を見上げた。

老考古学者のウインドウアイの部屋には、壁一面にファイル用の深い海の色をしたキャビネットがびっしりと並んでいた。老考古学者は北の面に向かい「ελληνικά」の文字が刻印されたファイルを宙に浮かせた。どうもここには、彼の記憶や思いつきやあらゆる概念をファイル化したものが収められているようだ。

「ελληνικάはギリシャ語という意味で、その辞典じゃ。これをこのロゼッタストーンの上において開いてごらん。そして手を乗せて、このオブジェにある文字一つ一つを思い描いてみるんじゃ。」

あなたは、老考古学者が宙に浮かせたファイルを両手で受け取り、丁寧に石の上に置いた。

心なしか、老考古学者の声が遠くに聞こえるような気がした。そして、次にはこれまで彼と共有していた時空があたかも減衰して消えようとしている、そんな悪寒に似た感覚を背筋に感じながら、あなたは、彼の言う通り本の上に手を置いて、オブジェに刻まれている8文字をパッシャと写真を撮るように焼き付け、それから目を瞑って頭の中で強くイメージした。全身をそのことを成し遂げるために集中させた。


πύργος ρολογιού
κεντρικό


5分も経っただろうか、目を開くとあなたの目の前に言葉が浮かび上がっていた。ゆらゆらと空中に浮かぶその文字を凝視して、それからあなたは抑えきれない興奮によって両手でバンザイをするようなジェスチャーをしながら、思わず叫んだ。




            

「三枚目のピース」


「『時計塔 中心』って言う文字が、はっきり見えたわ!!!」

「すごいわ!全ての秘密が解けたような気分よ!!!」


「ね、私たち、謎の解明に近づいているんだわ」


そう言って、振り向いて老考古学者の同意を求めた。
だが、さっきまでいたはずの彼の姿はなく、その上ぎっしり詰まっていたギリシャ語のファイルも、キャビネット諸共色が薄くなり輪郭が消えていこうとしていた。

あなたは、呆然として、まるで映画の地上の全てのものが消えて無くなろうとする消滅シーンを見たときのあの恐怖心が沸き上がり、大きな目眩に襲われ気を失ってしまうのだった。




老主人の伝言

瞼を開けると、天井に古いランプの形をした小さなシャンデリアが見える。そうか床に倒れているのか。頭を揺すりながら、起き上がり周囲を見渡してみる。するとなんとそこはあなたが紐階段を伝って窓から転がり込んだ、あの洋食屋の店内のようだ。少し痛みを感じる頭の右側を掌で抑えながら壁を見つめると、店主の若い頃の肖像画や、シミのできた壁紙はあの時見たままのようだった。

「私、戻って来ちゃったんだわ。『時計塔 中心』と言う文字を見たとたんに、、、、。ここはもう、ウインドウアイの世界ではないんだわ。」

フラつきながら白いクロスが掛けられたテーブルの前の椅子に辿り着きへたへたと座り込んで、ここでの出来事を振り返ってみた。

2枚のピースを辿って分かった「鍵」のありか。まずはその時計塔を探そう。そして、「中心」とは具体的にどこなのか。3枚目の写真の失われた部分にきっとその答えがあるに違いない。

待てよ、1枚目と2枚目の謎が解けたら、3枚目を受け取ってくれると言ったあの老主人はどこに行ってしまったんだ。

謎解きのメンターの姿を見失ったあなたは途方に暮れた。窓ガラスに雨音が、ぽつ、ぽつと打ち始めて、心細さがどんどん増して行く。

「でも、あの老主人ならこう言ってくれるはず。『よく辛抱強くここまで頑張ったね』と。そして、必ずや見識のある高潔な彼のことだから、きっと約束を守ってくれるはずだわ」

迷走するようにあれこれ考え続けていると、ため息が漏れた。
白いテーブルクロスの上にマッチ箱が1つ置かれていることにふと気づいてそれを手に取ってみる。破られた写真にあった、明治時代のガス灯と馬車のデザインのマッチだ。妙に郷愁を誘うマッチ箱を見つめながら、少し感傷的になったあなたは、「100年もの長い間、この店は続いてきたんだわ、、、、あの人はウインドウアイの老考古学者としてだけではなく、この世界では老舗洋食屋の主人としてこの店を守るために、身を粉にして腕を振るい続けてきたに違いないわ」とつぶやいた。
周りのビンテージものの椅子たち、テーブルに掛けられた円形で綺麗に洗濯された真っ白なテーブルクロス、どこか布の風情が残っている壁紙も、この店と主人がずっとこの街とその歴史を見守ってきたことを物語っていた。
そういえば、壁紙というのは明治時代に初めて日本に入って来て、その当時はドイツ製のものが使われたが、戦後は、ホテルなどを中心に布製の壁紙が主流になったと雑誌で読んだことがある。まさか100年前の創業時の壁紙を今も使い続けているとは考えにくいが、当初の雰囲気が残っていることから、丁寧に修繕を重ねて使ってきたに違いないと思われ、愛おしい気持ちになった。

何気なくマッチ箱を開けてみると、マッチ棒が3本が入っている。思わず1本をシュッと箱の横で擦って、炎が点いた方を天井に向けて掲げてみる。夜の帳が降りようとしていた部屋の中がぼわ〜とオレンジ色に染まったかと思うと、予想外に大きな燃え盛るような炎が現れた。綺麗だわ・・・。瞬く間にその炎は大きくなった。外炎はことさら明るい灯を放ち、、内炎は、オレンジ色のスペクトルのせいか最も輝きが強い。そして炎心は最も暗い、酸素供給がないためだろうか。

その炎を見つめていると、炎心の暗い部分の奥に何かが白く光った。その白い部分は鏡のようで、そこに誰かの背中が映って見えた。その瞬間、炎はふっと消え去った。

あなたは、燃え滓を手にしたまま、恐る恐る振り返ってギョッとして目を見開いた。
ここを訪れた時に、飛び込んだあの窓が開いていて、ガタガタギーギー音を立てている。白いカーテンが静かに揺れている。その前に視線を移すと、一人の人間がこちらに背中を向けて座っているではないか。

人物の横に怖々近づいた。

「え? 何、、、、」


と絶句した。それは老主人その人だった。

こんなにも、彼の背中が細くなってしまって・・・・。白いシェフの制服の外からでも分かるほどの衰弱ぶりに、さっきのウインドウアイでの謎解きで、彼は精力を使い果たしてしまったのではないか、そんな想像が頭をよぎった。どちらが彼の本来の姿だったのか今では知りようもないが、愛していた店と街のために命を懸けて謎解きに力を注いでくれたのだ。

彼は、店で一番の木製のヴィンテージの背もたれのある椅子に緩く腰をかけ、少し左に傾きながらも、両腕をしっかりとアームに乗せて、まるで生きているかのようにシャンとしていた。さっきまで、あなたに謎を解くヒントを施していたメンターが石のようになって存在している様は、まるで廃墟となったギリシャ神殿で人物坐像に遭遇した冒険家が味わったような恍惚と喪失感とをそこに見るような幻想をもたらした。その途端、またあなたは気を失って、床に倒れ込んだ。



どれくらい時が経ったのだろうか。

冷気を微かに含んだひそやかな風が、すーっとあなたの頬をなぞった。それはどこか海の香りを含んでいた。そして、あたりは人気のない静寂に包まれていた。

我に返ったあなたは自分に向かって「腰を抜かしている場合ではないわ。」と気を取り直し「命をかけてまで謎解きに力を尽くしてくれた老店主の思いに報いなればならない」と気持ちを奮い立たせた。

彼の立派な髭を蓄えた顔を足元から見上げながら起きあがろうとすると、一瞬ふっと彼の口元が笑みを浮かべて緩んだような気がした。さらに顔を近づけようとした時、彼の左手にあなたの肩が触れ、ふっと彼の掌が目に入った。

「あっ、、、、、」

それは紛れもく100年レジスターの写真の失われていた部分が写し込まれている写真だった。しっかりと左手に握られている。
失われていた部分の日本語の詩のようなものに、あなたの目は釘付けになった。


控えめな薔薇は棘を出す。
 慎ましい羊は脅しの角を出す。
 けれど、白い百合は愛によろこぶ。
 棘も脅しも彼女のかがやく美しさを
 汚しはしない」

あなたは、この美しい詩が時計塔の「中心」が何かだと理解した。

手から写真を抜くと、間もなく老主人の身体は海の香りを漂わせる液体に変わって、タイル目地の床に流れ落ち、染み込んで消えて行った。

あなたは床を見つめながら、覚悟を決めて写真を胸の内ポケットに押し込んだ。そして、「必ず、この謎を解いて街を救ったら戻ってきますから!」と叫んで店を飛び出した。



さっきまで大降りだった雨が上がって、よほどスッキリした空気になるはずなのに、なぜか街は淀んだ空気に覆われていた。謎を解く期限が迫っているのではないか、直感的にあなたはそう感じて頭をフル回転させながら小走りに時計塔の方角に足を進めた。



謎を解く「鍵」を探せ

目の前には、歩き始めた時よりもさらに黒さや重さが増した曇り空に突き刺すように石造の時計塔が聳えていた。ネオ・ルネッサンス建築とでも言おうか、荘厳さと優雅さがないまぜになった中に、アイアン・グリルの窓枠がアール・デコ風に植物の形状でデザインされている。これまで見知っていたものをはるかに超える巨大さに圧倒されそうだ。しかも入口の大理石の扉は、とてもではないが女性一人に開けられる重さではなさそうに見える。

「とにかく何としてでも中に入らなければ、「中心」も見つかりはしないんだけど」と呟きながら、何日も謎解きに集中して考え、歩き続けてきた脳が今にも停止しそうになっていたあなたは、時計塔の入り口につながる石階段に力なく腰を下ろしていた。
「あー、頭が働かない・・・・。謎解きはとてつもないエネルギーが要るんだわ」。考えてみたら、こんなに左脳を使って、集中して物事を考えたことがなかったわ。疲れ果ててしまった・・・・どうしよう、・・・・もう少しなのに・・・・気力まで失せて行くようだわ・・・・」


空を見上げると不気味なほどの暗雲が立ち込めている。力なく空から視線を大きな時計に移す。時計は長針と短針が重なってちょうど12を指して止まっている・・・。時計盤の周囲に金属のレリーフが取り付けられてる・・・。

おや、レリーフの造形が百合のように見える。

「百合、、、」確か、洋食屋の老店主のくれた写真の中にそんな表現があった。内ポケットに仕舞い込んだ写真を取り出して、ゆっくり細かい字を目で追った。

「控えめな薔薇は棘を出す。
 慎ましい羊は脅しの角を出す。
 けれど、白い百合は愛によろこぶ。
 棘も脅しも彼女のかがやく美しさを
 汚しはしない」


「白い百合」があそこに!

そして、もう一度、声をあげてその詩を読んでみた。時計に届く大きな声を絞り出して叫んだ。

しかしながら、あなたはとんでもないことが起きそうな予感を感じていながら、ひどい疲労感から、体を動かそうにも動かなくなり、睡魔に襲われて項垂れるのを止められなくなってしまった。身体にはねっとりと重い空気がまとわりついている。街の重い空気の感触の中で、目に見えていた通りや建物の風景、そしてさっきまで起きていた出来事があたかも多数のタピストリーにひとつひとつ織り込まれ、それがスライド写真のように次々に切り替わりながら、あなたの脳の中を駆け巡った。そのうちにそれらは、あなたを覆い始めた。すると突然怒涛の如く大量の海水が押し寄せ、あなたを飲み込んで行った。



インサイトの世界へ

街の中に怒涛のように海水が流れ込み、時計塔の近くにいたあなたに向かって大きな波が押し寄せ、あなたを一気に飲み込んでしまった。

さっき地上から見上げた時計塔の時計盤が、水面のすぐ下に見えている。あなたは水中の渦の中でくるくると回転しながら、なぜ水の中にいながら息ができているのか、と自問し続けていたが、そのうちに気づいた。洋食屋の老主人に謎解きのメンター力を伝授してもらったことが生きているようだ。そんな左脳が問うようなことを考えていたら、鍵のありかからはどんどん遠去かって離れてしまうのだわ。右脳を使わなければ。理屈は捨てよう、この理不尽な状況を受け入れよう。

「そうよ、こんな時こそリラックスして、今起きていることに身を任せよう」

そう決意したあなたは、水の動きに身を任せることにした。


あなたは、どこかこの何かに包まれている感じは、母の子宮の中とか、黄泉御世の国の中とかにいる時のものだろうか、などと妙な想像をしてみたりした。「そういえば、この街は昔は海の中にあったとガイドブックに書いてあった」と、この街を訪れる前のことを思い出して、それが現実になっただけ、面白いじゃないの!と思ったりしていた。

そうしているうちに、不思議なことに、あれほど疲れ切っていた身体は妙に軽くなり、まるで、身体の細胞に違うエネルギーが注入され、別の次元で「生きている」という感覚が芽生えて来た。

随分と長い間流されていたからであろうか、ゴン!という音がして何か硬いものにぶつかった。閉じていた目を開けると、目の前に時計盤。それは、直径が10メートルもありそうな大きさだった。

あなたは、思考のほぼ消え去った頭脳の右側にある感覚を奮い起こして、「ココハ、トケイバン、ユリノハナ」と微かに残っている記憶の断片を唱えてみると、神経回路がピクッと反応し、手足が動くようになった。そこで、焦点の定まらない目で百合の花の部分に近づき、指で丁寧になぞった。

大きな百合のレリーフの蓋が右に大きくスライドし開いたと思った途端、あなたはその空洞に回転しながら吸い込まれて行った。



「鍵」を手に入れる

流れ着いた先は暗い海の中のようだ。音も、色もない世界。そこであなたは漂いに身を任せていた。

その時誰かがあなたの手を握った。無感覚になっていたあなたの意識が一瞬覚醒して目を開いた。左脳は使えないのに、意識だけはまだ残っているようだ。視線を横に向けると、手を握っているのは小さな少女で、遠くの燈の見える場所を指差して、そこへ行こうと目配せした。
「あなたについていくわ」と瞬きで意思を伝えると、周りの水が燈に向かって動き始めた。

遠くにあった燈がどんどん近づいて来る。百合の花の大きな雌蕊が光り輝きながら大きく揺れている。
少女は、自分の手でその雌蕊の茎を掴んで静止させ、その光の中を指さした。

「ここだ」と言っているのだ、とあなたは直感して、あらん限りの力を振り絞って雌蕊の奥に手を差し込んだ。手の先にあった、硬いものをあなたは「鍵だ」と確信し、そして、気を失った。




希望の向こう

気を失いながらも、あなたは「鍵」を握りしめたまま、暗い穴蔵から大きな大河のような広大な流れの中にいた。
あなたの身体の脇を、大きな鯨が通り過ぎようとした。なんだか不思議なことに、その鯨は静かな幸福感に包まれているようで柔らかいエネルギーを纏っていた。

「この鯨について行ってみよう」

そう意識すると、その鯨の周りに、多くの人たちが自分と同じように目を閉じて両手を体に寄せたまま、流れていくのが見えた。


そこを流れて行く人々の顔を見ると、

「あ、時計修理の老職人さん、靴屋さん、、、帽子屋の女主人、洋食屋の老主人、、、」

それは、あなたの旅の途中で出会った、謎を解くために力を貸してくれた人々だった。

「最初は、街を訪れた人々が消え、いよいよ今になって街に住む人々が消え始めた。最後まで街の砦となって頑張っていたあの人たちも、街から消えてしまおうとしている。もう時間がない」

絶望感で胸が押しつぶされそうになった。

「あの人たちの願いも、みんなの願いが閉じ込められているその部屋に向かっている。きっと、みんなが向かっているこの先に、中心があるはず。まだ、希望はある。間に合うはず!」

意識の薄い頭の中で、右脳だけが「意思」を持っていることを確かめながら、やっと手に入れた街を救う「鍵」をあなたはもう一度握りしめた。

                    次号 「後編(完結編)」に続く




2.編集後記(editor profile)

ある古刹での話だ。
京都の奥深い山裾にあるその寺は、訪ねる人も少ない寂れた風情だった。迷い込んだようにその門を入った筆者は、誰に案内されるわけでもなく、迷路のような廊下を辿るうちに、室町期の雪舟の墨絵襖を見つける。廊下に正座していると、誰もいないはずの背後から優しい語り声が聞こえてきた。

「襖を開けてみましょう」

そう言って、その山水画が左右に静々と開いていくと、その向こうに見事な青もみじが現れ目を奪われた。さらに驚いたのは黒光りした床に映り込んだ若葉色を深くした色との響き合いの絶技だった。思わずその流麗さにため息が漏れた。

知らず知らず、青もみじに近づこうと前に進んで行って驚いた。近づくと、実木の青もみじは目の前に確かに見えるのだが、さっきまでの床の写り込みが消えてしまっている。目の前には、実際の青もみじだけである。魔法にかかったような驚きで呆然としていると、また後ろから声がした。

「床に写り込んでいた青もみじは、実木では見えない高いところからの光と色が映り込んでいるのです」

そうか、見えないわけだ、廊下から正座している視点では見えない色が床に映り込んでいたのか。

そして、その住職らしい人物はこう言った。

「見えないところにあるものを観る、それが奥義です」

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銀座の街を歩くとき、この時の体験が頭を擡げる。それから、表面に見えるところ以外の見えないところを観ることが街の真の理解につながると実感することが多くなった。

夏目漱石などが小説に登場させた、時計や宝石の老舗「天賞堂」のかつての主人がささやいてくれた言葉がある。

「見えないところを磨く、それが銀座の真意です」

それ以来、街を観る感性が変わった。

本日も最後までお読みくださりありがとうございます。

           責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子


〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊


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