「60min」 銀座花伝MAGAZINE Vol.37
# 銀座60min #マイプレシャスタイム #林宗一郎師 能「砧」レビュー
街角のクリスマスツリーが門松に、一夜で変貌する銀座の景色。この街ならではのスピード感は新時代が始まりそうな予感で人々をワクワクさせている。
今の私たちの生活を見回してみると、DX(デジタルトランスフォーメーション)化の波に乗って、自分の時間を有効に使う方向に大きく舵が切られてきたことに気付かされる。IT化やAI化は、企業の利益拡大のためだけに活用されているかの印象を持つが、本来は、私たち人間が使う時間が幸せになるための可能性を創り出しているのではないだろうか。
そう思ってみると、ではこうして空いた時間を私たちは何に使っているのか、何をしていたら自分は幸せなのか、との自問が湧いてくる。
未来を豊かにするための時間の使い方を追ってみた。
銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。
1. 銀座60min マイ プレシャス タイム
銀座で糸の稼業から和小物の店を興し、3代に渡り170年の歴史を受け継いできた呉服屋店主に、ある日「この写真はいいねえ」と撮った写真をお褒めいただいたことがあった。
雨の日に、銀座4丁目の交差点の横断歩道から時計台を見上げるというどこにでもある構図の写真なのだが、たまたま差していたビニール傘が紫色で、そこから覗き見る景色に雨垂れが化粧されて幻想的な写真になっていた。
少し視点がずれていることに美意識を見出すその店主に、1日の中で最も好きな時間はいつですか?とお尋ねしたことがあった。「今日は何を食べようかと、ランチ店をウロウロと探しながら、食べ終わった時に暖簾をくぐると街の景色が目に飛び込んでくる。見慣れた景色が違って見える時間、そういうのが楽しみでねえ」と嬉しそうに話された。
忙しい中でのわずか60分間の昼休みが至福の時間だという。決まった時間に取れるのではないにしろ、誰にでも訪れる時間がお昼ご飯の時間である。心に残る、その人にとっての特別な時間を追ってみた。
いつもと違う舗道で出会う 花の道標
その店主は、本日のランチは美味しいパンにすると決めてたという。あんぱんが美味しいその老舗の前で、長年桜あんぱんを手がけている名人マイスターと今日の出来上がりぶりについて言葉を交わしてから、おもむろに2階のカフェでこの店の「名物パンの食べ放題」にサラダと珈琲を頼むのがいつものコースであるらしい。ほうれん草が揉み込まれたパン、チーズブルーの香りが芳醇なパン、くるみとチーズの組み合わせのパン、色鮮やかなにんじんパン、5種類の豆が散りばめられたパン、お替りしながら焼き立てを食していく。うまい、うまいとつぶやきながら気持ちの良いほど放胆に平らげていく。
食事を終えて店を出ると、鋪道にしばらく立ち止まる。その場所は、店の前に立ち上がる花の道標だった。赤と緑が折り重なるように挿しこまれた花の柱は、確実に4丁目の景色を変えている。歩道に行き交う人々はそれぞれに花たちに触れ、その表情を読み取ろうと顔を近づける。店主はその光景を目を細めて眺めている。
「今日までの生命。明日は違う景色になるこの舗道。愛おしいなあ、といつも変化を眺めるのがたまらなく好きでしてね」
聖夜のために設られた、特別な装いのような花の道標が店主の言葉からいよいよ耀くように目に映った。
歴史の嚆矢に佇む時間
街というのは、様々な人々の視点が行き交う十字路が重なり合って作られている。旅行者とショッピングをする人でも視るところが違う。目的もなく散策したい人には、意外にも道に目を落としながら回遊するのも醍醐味のようだ。
145年に渡り、国産宝石を扱う老舗を営んでいる店主は、「街角」が好きだと話す。
この日も、いつも通う蕎麦屋で好物の鰊蕎麦で昼ごはんを終えた後、マロニエの枝の葉がどっさりとたわわに茂る通りに向かう。ある街角に足を止めて眺める時間を創るためだ。
「ここはね、日本で初めて電気が灯った場所で、実に感慨深いところ。ほら、渋沢栄一が電気事業会社を創業して通電させたでしょ。今は当たり前になくてはならない電気にもその誕生には第一歩があった。現代になってそこを何気なく通り過ぎる人々を見ながら、時代の進歩に感謝するんですよ」
老舗の店主たちは、歴史の嚆矢(こうし)を何よりも大切にする。それらの遺構を必ず街に残そうと尽力する。
銀座2丁目中央通りに聳え立つ、世界4大宝石ブランドの一つカルティエが入る場所は、旧大倉喜八郎翁が大倉財閥として所有していたビルで、渋沢栄一とも深い繋がりがあった。深いブラウンの大理石には、電気開通の碑が厳かに嵌め込まれている。
ことの始まりに想いを馳せることは、自らの事業の襟を正すこと、と胸を張る店主のプレシャスタイムは、実に真摯な商人の姿そのものであった。
自分を整える時間
意外な人が面白い視点を持って、街を楽しんでいる姿に出会うことがある。柳通り近くで明治時代からの足袋店を切り盛りする女将は、長年職人とともに「そのまま地面を歩いても大丈夫」な足袋作りに勤しんできた。格を重んじる呉服店はこの店の足袋を必ず用いる。
無類のアート好きの彼女は、銀座にある小さなギャラリーを訪ね歩いては名も無いクリエーターの絵を買い、自分の部屋に飾ることを日課にしている。心動かされた絵を壁にかけて対峙していると、不思議と自分が整う感覚が生まれると話す。それは暮らしの環境を創ることにつながり、24時間の中で最も大切にしている時間だという。
「でも、アートって人が描いた作品だけじゃない、って思っているんです。中でもことさら好きなのは、街で見つけた窓越しの風景」
そう言って、自身のスマホの画像を見せてくれた。レトロな交詢社のファザードが、ギャラリーの看板のガラス越しに浮かんでいる。まるで街とこちら側の空間が溶け合っているかのようだ。
そこには、心弾むご本人の心情が映り込んでいる景色が写っていた。
道端で本を読む
創業110年老舗靴屋、お客様の足に最適な靴を提供しているシューフィッターのいるその店は実に居心地がいい。とことんその人の歩きやすさを追求しようとする姿勢には定評があるが、そのおもてなしに驚いたことがある。
古い知人に頼まれてその店を訪れた時の話である。知人が何足も試着している間、「どうぞ靴をお脱ぎください」と言って、付き添いの筆者の靴をさりげなく磨いてくださったのである。銀座にはいくつもの靴専門店があるが、“来客者全ての人の靴を磨く”を当たり前に提供してくれる店はこの店だけである。
シューフィッターの彼のプレシャスタイムは、読書の時間だという。それも、道端で街の空気感を味わいながら歴史物語を読むのがこの上なく大切な時間だというのだ。昼休みは60分だから、松屋銀座でロールサンドイッチと珈琲を買ってお気に入りの場所に座る。
「どんな本でもいいようなもんですが、やっぱり人間に興味があるので、ある人物が苦労して生き抜いてきたというような物語を読んでいると、元気が出て、さあ、午後の仕事も頑張ろうと思えるんですよ」
時々日曜出勤の時には、歩行者天国のパラソルの下にも座ってみるという。お客様の会話が耳に入ってきて、時々読書が手につかなくなったりするが、それはそれで楽しい、と微笑む表情が実にやわらかい。
人生を映し出すウインドウ
銀座で長年一対一での着付け稽古をされている先生の話である。筆者も着付けの学び直しに年に数回通うのだが、生きる哲学と着物の暮らしを提唱されている稀有な存在である。その先生は稽古の半分の時間を使って、美しく生きるとはどういうことか、着物を着ることによって身につく生き方ついて、さまざまなエピソードを語って下さる。着物によって女性として大きく成長された人のお話が印象に残っている。
ー母親が突然亡くなった直後、残された着物の前で茫然自失になった方がおられました。家庭環境が複雑だった彼女にとって、母親だけが心の頼みでしたから、それはそれは生きる希望を失ったようなものです。父親が着物を不用品として処分しようとしていることを知り、慌てて持てるだけ抱えて家を飛び出され、私のところに駆け込んできたのです。“着物を着られるようになりたい”と。一度も着物を着たことがなかった彼女が、母の形見を身につけて生きていきたいと願う真摯な姿に胸を打たれました。着物の所作に隠された躾の秘密、心を大切に注ぐことの意味を着付けを通じて身につけていくその姿勢に、私自身が彼女の成長に立ち会えた幸せに心が震えたほどですー
着物を「纏(まと)う」と「着る」のとでは全く違うという。着物には身につけた姿にその方自身の人となりが全て見えてしまう、という不思議な力があると話される。その方の生きている姿勢そのものが映し出されるからでしょう、と感慨深げに教えてくださる訓話にはいつも魂が清められるような感動を覚える。
そんな先生にご自身のプレシャスタイムについて伺ったことがある。街のウインドウが好きで、ガラスの向こうを覗き込む時間が何より楽しいといい、日に一回は必ず稽古の合間に時間を創ってあちらこちらに足を運ぶ。 着物は和の柄こそが正しいと思い込まれている方も多いが、実は銀座ではややモダンなデザインの着物の方が映える。街に美しく映える着物を纏うのがその街に生きるということ、という言葉には力がこもる。 街の色を創るウインドウに映えるかどうかが大切ですね、との話は日頃からモダン色の和装が多い筆者にとって、嬉しい共鳴できる美意識だった。
銀座で最も美しいウインドウだと推奨される場所にご一緒してみた。交詢社通りにあるバーニーズニューヨーク界隈だ。季節ごとに変わる物語のあるウインドウには、独自の美意識とユーモアが詰まっていて、道ゆく人々の眼を楽しませてくれている。
「何かを語りかけてくれているようですね」
先生の眼を細めて佇む着物の後ろ姿は、初めて宝箱を開けた少女のような、初々しさに溢れていた。
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忙しい毎日の中で、自分が自分でいられる時間は意外に少ない。だからこそ大切にしたい、という銀座の人々の鼓動が聞こえてくるような話の数々である。
24時間は皆に与えられた共通のもの。
あなたは「自身が幸せになれる時間」をどう創っているだろうか。何をしている時が一番幸せだろうか。
新時代は自分の時間をいかに豊潤に見出すことができるのか、そこを問われる時代になるのかもしれない。
2. 能のこころ 佇まいの美妙に出会う 能「砧」 ー林宗一郎の会 東京公演 11/29 公演レビュー
シテの佇まいの美しさは、百済観音を思わせた。
能「砧」(きぬた)は、世阿弥が自身が考える幽玄の世界を描ききった晩年の自信作と言われている。世阿弥は幽玄について「只美しく柔軟なる体」と定義したが、果たしてそれは具体的にどのような姿をいうのだろうと、筆者はずっと気になっていた。
観世能楽堂における観世流シテ方・林宗一郎氏によるこの日の「砧」でその答えに出会った気がしたのである。 この「砧」の中で林師により醸し出された美しさは、能という、表現において直線的な動作が支配的であると言われているものに添えられた、えも言われぬ「柔らかさ」によるもの、そうだ、これはまさに「百済観音」の姿のようだと感じたのだ。
ご承知の通り、百済観音は多くの飛鳥仏が厳粛な雰囲気を持つ中にあって、厳かというよりもアルカイックな口元の表情と8頭身に近い痩身の直線と曲線が織りなす流線によって、柔らかな美仏の代表として多くの人々に愛されている。
演者・林宗一郎師のDNAは京都の雅な空気感の中にある。京都で「謡」をつないできた京観世五軒家のうち唯一残る林喜右衛門家の十四代当主である。2017年に早世した父・十三代林喜右衛門当主の跡を継ぎ、低音の明瞭な謡と気品ある舞姿を今日に継承している。若くして当主の重責を担われている師の佇まいには、京都の雅の風情そのままに、公家の内裏雛のような気品が漂っているかのようである。
京都の美意識のDNAがもたらしたと思われる、百済観音を想起させるような「美しい柔らかさ」を感じさせる能の正体を追いながら、11/29「林宗一郎の会」東京公演において上演された「砧」の舞台レビューをお届けする。
文責 岩田理栄子
◆詩情豊かな前場
『砧』(きぬた)は 室町時代の作品だと言われる。 世阿弥による能楽書『申楽談儀』(さるがくだんぎ)に曲名が出ており、『糺河原勧進猿楽記』*(ただすがわらかんじんさるがくき)には音阿弥による上演記録がある。
「砧」物語とは
夫の留守宅を守る妻の焦燥感、届かぬ愛の悲しみ、忘却への怨み、そうした生々しい人間的な苦悩を詩情豊かに描いている。
「砧」とは、木槌で着物の生地を打って柔らかくしたり、艶を出したりする道具のことであり、この作品では、秋の扇と共に忘れ去られた主人公の女性の寂しさと忘れ去ったものに対する恨みを表徴している。
『古今和歌集』や『新撰朗詠集』、『和漢朗詠集』などからの引用がなされた詞章が、晩秋の物悲しさを表現して、作品世界に奥行きを与えている。
奥深い悲しみを表現する 和歌の妙
ワキである都にいる芦屋何某が、侍女夕霧を呼んで「訴訟のために都にいるが、こちらに来てすでに3年も経ってしまった。随分長い間故郷を留守にしている。この年末には筑前芦屋に帰るから、先に帰って妻にそのことを伝えて来なさい」と命じる。夕霧はその名を受けて九州に旅立つ。筑前の国芦屋の里に着き、何某の邸で案内を乞うと、橋掛かりから、何某の妻が登場する。妻は、人を通して案内を請う必要のない夕霧を「こちらに来なさい」と招き入れる。
シテ(妻): それ鴛鴦*の衾*の下には。立ち去る思ひを悲しみ。比目の枕
の上には波を隔つる愁ひあり。ましてや深き妹背の中。同じ
世をだに忍ぶ草。我は忘れぬ音を泣きて。袖に余れる涙の雨
の晴間稀なる心かな。
と人目も草も枯れ果てた田舎の暮らしのつらさを訴える。
その妻の心を「思い出だけが残り、昔のことは跡形もなく変わってしまったのだ。人の世に偽りというものがなければ、言葉は嬉しいものだが、すぐ帰るという夫の言葉を頼りに待つ私の心はおろかな心だ」ー
と謡う。
シテの林師の謡には、妻が憔悴している様が沁み漂っている。弱々しく命の灯火がゆらめいているような声色である。
物悲しさと怨恨が響き合う 砧の段
シテ 宮漏高く立ちて 風北にめぐり
隣砧緩く急にして 月西に流る
地謡 蘇武が旅寝は北の国
これは東の空なれば
西より来る秋の風の
古里の軒端も心せよ
おのが枝枝に嵐の音を残すなよ
今の砧の声添えて 君が其方に
吹けや風 余りに吹きて松風よ
シテが切なく心中を吐露するシーンは、静謐という言葉がふさわしいほどに止まった時間が一コマずつ流れていくかのようだ。特に、「東の空なれば」の詞章とともに左上に面を向けるさり気無い所作が胸に迫った。ほんの僅かとも言える動作にもかかわらず、その美しさに目を奪われたのだ。失われた愛に縋るように思いに耽る情景を一瞬で切り取る妙技からくる感動なのだろうか。
シテ:その夢を破るな破れて 後はこの衣
たれが来ても 訪ふべき
来て訪ふならば 何時までも
衣は裁ちも更へなん
夏衣薄き契りは忌まわしや
君が命の長き夜の
月はとても 寝られぬに
いざいざ衣打たうよ
かの七夕の契りには
一夜ばかりの狩衣
天の川波立ち隔て 逢瀬かひなき
浮舟の
梶の葉もろき 露涙二つの袖や
萎るらん
水陰草ならば 波うち寄せよ泡沫・・
実に美しい詞章である。
過ぎ去る季節を数えながら、夫の心が離れていく予感を抑えきれずに放心していく妻の心情がひたひたと伝わってくる。季節の移り変わりが映像として浮かび、観る者を秋の黄昏の世界へ誘って(いざなって)没入させてくれるかのようである。
能の所作は型、すなわち決まり事の連なりとしてなされていくが、熟練によって考えなくてもその所作は備わり行うことができるようになるのだと聞く。しかしその上に絶え間ない心理描写を現さなければならない。じっとしながらも「心の動き」までも見せなければならない、という高位の昇華が求められるとか。
シテ:文月七日の暁や
八月九月げにまさに長き夜
千声万声の憂きを人に知らせばや
月の色風の気色 影に置く霜までも
心凄き折節に
砧の音 夜の嵐悲しみの声 虫の音
混じりて落つる 露涙
切々とした謡と共に所作と所作の間に訪れるしばしの静の瞬間。そこに言い知れぬ心の動きが現れる。林師の佇まいはその余韻の中にこそ美を見出しているかのようであった。動作が止まった瞬間の姿の美しいこと、それは長ければ長いほど、ずっと観ていたいと思わせるような目を逸らすことができずに凝視してしまうような至福の時間である。
表情が目覚める 能面「深井」
前場のシテの能面は、「月の深井(近江作)」林喜右衛門家所蔵である。
公演後に林師は「今回前場で用いた深井の面について」こんな説明をしてくださった。
「用いた面は中年の女性を表す能面で、とりわけこの「深井」は若く美しく見える顔立ちが特徴です。近年林喜右衛門家で手に入れた面ですが、ここ数年は使われた様子が無く、表情が眠っていました。舞台で使う度にその表情が目を覚ましてくれているという感覚があります。窪みが浅く、中年とはいえ若さを感じさせてくれるので、夕霧(ツレ)が使う小面の可愛らしさとの対比が砧という曲をより引き立ててくれていると思います」
面が創り上げた「東の空を見上げる」表情になぜあれほど感動したのか、その理由が分かったような気がした。中年とはいえ若くて美しい「深井」が能楽師の呼吸によって深い眠りから覚め命を蘇らす瞬間を見たからではないだろうか。そして、中年を思わせる面でありながら、「若くて美しく見える」、そうした面を選択された林師の感性、更にはまさに面と能楽師が一体になったような自然な動きの林師の所作によるところもあるのではないか。
深い眠りから覚めた能面が能楽師の呼吸によって命を蘇らす瞬間に立ち会ったような驚きでもあった。
通常用いる深井は、人生の辛酸を舐め尽くした心情の深さや、憂いのある沈んだ表情を持ち、落ち着いた女性に用いられるが、今回はその表情にこの面特有の若さや美しさに伴う透明感が加わり、それは「希望」と「迷い」に揺れ動く心を表現することに深みと鮮明さを与えているように見えた。それに対し、侍女夕顔の面立ちは若い女のもつ笑みを感じる小面で、その対比が主役である妻の姿をより一層美しく際立たせていたのかもしれない。
ほろほろ はらはらはらと
いづれ砧の音やらん
「砧の段」で妻と夕霧が二人で舞台中央に座する場面がある。それぞれの面の表情が実に鮮明に観て取れるシーンである。
ここでは、まさに夕顔の顔は陰影を含んだ不安定に思い悩む妻の表情を際立たせる役割をしていて、一服の清涼感を湛えた絵画を見た想いがした。
「この年の暮れにも御下りあるまじきにて候」と都よりの伝言に立ち尽くす妻。
シテ:怨めしや せめては年の暮れをこそ
偽りながら待ちつるに
さては はや 真に変し果て 給ふぞや
思はじと思う心も弱るかな
地謡:声も枝野の虫の音の乱るる草の花心
風狂じたる心地して
病の床に伏し沈み終に空しくなりにけり
橋がかりに消えていく妻と死にゆく時間が絶妙につながるシーンは、置き去りにされた者の切なさが極まり思わず手を合わせたくなるようだった。
流麗さを際立たせる装束
「装束は身体の上に着るのではなく、いつも身につけるもの」だそうである。白洲正子の言によれば、「いうなれば、自分自身を能の装束の中に入れる」そういう感覚で身につけるのだという。
能では「装束」であって「衣装」とは言わないのがこの理由からである。面もメンではなくオモテと読むのも同様の理由からであろう。
今回前場で用いられた装束は、林師の父上が砧を初演した時の唐織と聞いた。林家に伝わる時代を超えた逸品の荘厳さ、気品と麗しさが響きあう実に美しい装束であった。
「茶色の段がぼやけないように、扇と鬘帯の紺色で全体を引き締めた取り合わせになっています」
確かに扇と鬘帯が差し色となって、茶色のグラデーションをさらに引き立てている。こうした細部にも自らのセンスを折り込んでいる。会場には若い方々が他の公演に比べて多いと感じたが、特にサラリーマンや海外の方が目立っていた。林師の感性に引き寄せられ、美意識に触れにきたのではないだろうか。
◆歌の心で救われていく 妻の亡霊(後場)
音もなく橋掛かりに立った、後シテ(妻)は微動だにしない。ひそっと現れた白い装束を纏い杖を持った亡霊は、まさに死界を思わせる風情である。気配を消しているにもかかわらず、内から燃えるような情念がほとばしる。
後場の面は、泥眼(河内作)観世宗家所蔵である。
後シテ:三瀬川沈み果てにし 泡沫の
あはれはかなき身の行方かな
標梅花*の光を並べては
娑婆の*春をあらまし
面の形相は亡霊の情念を放出していて身震いするような迫力を持つ。「白眼部分が金色に塗られていることで心の乱れを表している面です。青白い肌の色は、血の気も失せるほどの地獄の責めを受ける砧の女の恨みの深さを物語っています」と林師は面の持つ秘力について後に説明してくださったが、なるほどシオリ(泣く所作)が重なるシーンではことさら表情が複雑に変わっていた。
幽玄をまとった姿
世阿弥は能の世界で「幽玄」を表現したかったと伝えられるが、具体的には冒頭で述べた「ただ美しく柔軟なる体」と合わせて
鬼神をも和らげる歌の心
を指すのだと解いている。
その心を表したものが能に登場する「別世界に棲む人たち」、すなわち亡霊であるのだという。その人たちの舞う舞はしたがって幽玄であるに違いない。別世界に棲む人である妻の亡霊はそのままで幽玄な存在なのである。
その言葉通り、続くシテの謡には責苦に喘ぎ救われたいと願う思いが迸る。
後シテ:真如の秋の月を見する
さりながら我は邪淫の業深き
思ひの煙の立居だった
安からざりし報いの罪の
乱るる心のいとせめて
獄卒阿防羅殺の
笞の数の隙もなく
打てや打てと報いの砧
怨めしかりける
因果の妄執
地 謡:因果の妄執の思ひの涙
砧にかかれば涙はかえって火焔になって
胸の煙の焔のむせべば
叫べど声が出でばこそ
砧も音もなく 松風聞こえず
阿責の声のみ
恐ろしや
重なるシオリのシーンが胸に迫る。次第に早い舞が始まる。
地 謡:帰りかねて執心の面影の
恥ずかしや思ひ夫の
二世と契りてもなお
松の松山千代までと
かけし頼みは徒波の
あら由なや虚言やそもかかる
人の心か
後シテ:鳥てふ
おほをそ鳥も心して
地 謡:うつし人とは誰か言う
草木も時を知り 鳥獣も心あるや
げにまこと例へつる 蘇武*は
旅雁に文をつけ
万里の南国に至りしも
契りの深き志 浅からさりし
故ぞかし
君いかなければ旅秋夜寒の衣
うつつとも
夢ともやめてなど思ひ知らずや
絶望しきった妻の亡霊が現われて夫の不実を責め立て、観る者に妻の執心が迫り来る。情念を表現する中で、大きな舞姿とともに扇を鳥が羽ばたくように広げて回転させる所作は、失われた愛情への無念さを最大限に表しながら、しかし心根の強さと善良さをも含んでいるかのようで、その後の妻の心の救済への暗示を示すかのようである。そしてあの柔らかく、体に力が入っていない優美さが伝わってくるのだ。
「体心捨力」の美
世阿弥が、「女体表現の能姿」のあり方について、「気高い幽玄な能であるからこそ、技巧を尽くしても節も細かくして全て美しくするのがよい」と度々芸書の中で述べている。即ちそれは「体心捨力」を旨とすると。
心を体として力を捨てる
そもそも幽玄は美しくはあるが弱いのではない、外に出る力を捨てるために、それだけの力は全部内に籠る事になる、とその意味を解いているかのようである。
林師の所作の中に百済観音を感じたのは、そうした能の奥義を辿る崇高な道筋に触れたからではないかと思う。
地 謡:法華読誦の力にて
法華読誦の力にて
幽霊正に成仏の
道明らかになりにけり
これも思へば仮初に
打ちし砧の声の中
開くる法の花心
菩提の種になりにけり
苦海に彷徨い、妄執に苦しみ、悲しみに沈潜する妻の亡霊に手向けられた法華経。その功徳によって妻の魂が救われていく場面で物語は終わる。全編通じて重苦しい心を表現しているにもかかわらず、どこか希望を感じるのは、砧の織りなす音色と和歌の風情が響き合って心が洗われていくからに相違ない。
舞い終わったシテが、扇を静かに降ろしてじっとその場に佇む。その時間は永遠にも感じられた。渇き切った妻の心に一輪の花が咲いていくイメージが見えるような佇まいである。白い装束に光が射したように見えたのは、筆者だけだっただろうか。心の奥底に残る美しい余韻に永いこと酔いしれた。
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◆注目の銀座能情報
◇GINZA de petit 能 2023.1.14 / 観世能楽堂
90分で能一演目だけを上演するという画期的な能舞台のあり方を提案する、京都で活躍する観世流シテ方 林宗一郎師による「petit能」。本物と手軽さ感が同居する舞台は、「分かりやすくて、楽しい」と大変好評です。
今回の新春演目は、能「雷電」。
菅原道真が学問の神様として生まれ変わる、その誕生の物語を太平記・北野天神絵巻を典拠として描かれた作品です。
寿ぎのひとときにふさわしい、飛翔感あふれる舞台をお楽しみください。
チケット申込 →「観世ネット」あるいは「電話」(03-6274-6579)にて
◇「読んで味わう世阿弥と能」 築地本願寺銀座サロン ①講座/実演技 坂口貴信師✖️林望氏 2023.2.21
2020年より開講の築地本願寺銀座サロンの能楽講座。前回の坂口師による「世阿弥 風姿花伝」の朗読と実演に続き、今回は「風姿花伝」の訳者として活躍される国文学者の林望先生との対談を交えた、贅沢な講座である。
会場参加、リモート参加(見逃し配信あり)いずれをか選択して受講できる。
↓【詳細お申し込み】
3.editer note
今、この文章を書いているカフェの奥のカウンターには、数人の若者たちがいて、何やら言葉少なにマスターと話をしている。
かなり暗い店内の落ち着きが好きで、よくノートPCを持ち込んでは記事を書くことが多い。寡黙な店主は、こちらから話しかけない限り話しかけてこないのもこの店が気に入っている理由である。
そんな口数の少ない店主が話しかける話題が一つだけある。
「今朝はできてますよ」
というお知らせだ。
いつもは店主一人で切り盛りしている小さな店だが、時々、奥様だろうか、エコバックに荷物を入れて店に運んでくる姿を見る。
ごぼうケーキを創る名人で、出来上がると数限定で届けにいらっしゃるという情報までは何とか聞き出していた。その味は、土野菜のごぼうでできているとはおよそ想像できないほど澄んだ甘味なのだ。一度、食してからはその味の虜になり、“今日はできているかしら”と心待ちにするようになった。
主人がなぜこの店を開いたのか、なぜ珈琲屋だったのか、なぜ銀座だったのか、多くの人は知らない。時々、打ち合わせで銀座の店主をお連れすることがあるが、「こんなところにこんな店があったのか、知らなかった」と口にされるところを見ると、銀座人にもあまり知られていないのだろう。
しかし不思議な時間が流れる店であることに違いない。会話がないことの心地よさだろうか、筆者のプレシャスタイムを作ってくれている。
幸せになれる時間を重ねつつ、自身の生命を輝かせる生き方をしたいものである。
本日も最後までお読み下さりありがとうございます。
責任編集:Ginza Teller 岩田理栄子