見出し画像

わたし式 「ヌン活」 のススメ 銀座花伝MAGAZINEVol.45

#ヌン活 #英国式の洗礼 #格式と解放 #能 「卒都婆小町」レビュー

銀座が黄昏(たそがれ)に染まる時間が待ち遠しい、熱射の夏陽が続く毎日、通りを歩く人々からそんな言葉が洩れる。うっすらとした影が街に落ち始めると、中央通りのウインドウにスポットライトが灯り、色とりどりのイルミネーションがひとつふたつと輝き始める。この街が一番幻想的な雰囲気に色づく時間である。

「黄昏」とは、古くは「たそかれ」、江戸時代以降に「たそがれ」となったと聞く。薄暗くなった夕方は人の顔が見分けづらく「誰だあれは」が「誰そ彼(たそかれ)」に変遷した言葉の物語を思い起こす。夕方になんだか郷愁を覚えるのは、陽の盛りを過ぎたころと言う意味から「人生のたそかれ」を想像するからかもしれない。

そんな黄昏に近い午後時間の趣向アフタヌーン・ティーの銀座ならではの楽しみ方を、英国式から現代に変転した歴史ともに、今風my formula(わたし式)の「ヌン活」の創り方としてEssayでお届けする。
「能のこころ」では、老残の小野小町の姿を描く名作・能「卒都婆小町」(7/29観世流シテ方・坂口貴信師の公演)レビューを取り上げる。師の見応えのある表現力に支えられた演能の様子を面・装束などの美しい画像と共にお楽しみいただきたい。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していく。



1.  Essay   わたし式「ヌン活」のススメ                                   ー英国格式と解放のアフタヌーン・ティー


◆英国式の洗礼

「仕立て」文化と英国

銀座という街は文明開花の明治以降、西洋文化の洗礼を受けて発展してきた。和装から洋装へ大きく舵をきった時代にその象徴とも言える「テーラー」(仕立屋)が数多く誕生し、現在まで連綿と続く老舗が多いのもこの街の個性といえる。当時次々と創業した「テーラー」では、英国式を学び修行することが主流とされた。日本を代表する創業1930年の老舗「壱番館」(いちばんかん)洋服店も、2代目の店主・渡邊明治氏が英国のテーラー・アンド・カットアカデミーで修行を積み、英国式仕立てを身につけて今もブランドを継承している。

以前筆者が「英国式文化とギャザリング」*というテーマを銀座文化講座として企画した際、2代目・渡邊明治氏に英国での修行の様を講話として伺ったことがある。その中で、日本における仕立ての学びと英国流とは大きな違いがあって随分戸惑われたというお話は大変印象的だった。英国では針を持つ前に美術館、博物館を巡り、絵画、彫刻、工芸、陶器・・・とあらゆる美術品を見学し、英国式はもちろんのこと、広く世界の美意識を徹底して体感させるという修行スタイルだったという。それを身につけないと仕立て修行は始まらなかったので、美意識が職人にとって最低不可欠な教養であることを思い知らされたというのだ。

*豆知識:ギャザリング
 情報収集や人脈づくりのために模様される会合のこと

その美意識を身に刻みながらの修行を終えてから帰国後、洋服の基本である生地を英国から直輸入することに踏み切ったという。今や店頭には1000種類もの生地が並んでいるので、客は好みの生地で世界でも指折りの技量を誇るテーラーによる仕立てを実感できるという訳である。

英国修行で学んだ「皮膚のように体に馴染むスーツ仕立て」の縫製技術を磨き、その魅力に共鳴した多くの文化人たちによって壱番館のスーツは愛されてきた。北大路魯山人、藤田嗣治が好んでこの老舗で洋服を仕立てた話は異に有名である。老舗壱番館が目指す「格式と洗練」、そのコンセプトに伴う品質が芸術界の巨匠たち・クリエーターたちの美意識に大いに受け入れられた証であろう。



英国式お茶会のはじまり

現代社会で、「英国式」というと紅茶文化が馴染み深い。特に午後のお茶時間を表現する「アフタヌーン・ティー」の習慣が始まったのは、19世紀ヴィクトリア時代だといわれる。七つの海を支配し大英帝国を築いた英国が文化的にも経済的にも最も華やかだった時代、イングランドのベッドフォードシャーにあるウォーバンアビーの館に暮らす公爵夫人アンナ・マリア・ラッセルという英国王室の女官まで務めた名門貴族夫人が考案したと伝えられる。(この館は現在開放され、見学可)

1840年代、貴族階級の暮らしは、朝はゆっくりと起きて遅めの朝食(兼昼食)をとり、夜8時から始まるディナーやパーティーまでは食事を取らない1日2食のライフスタイル。その上、女性は〈腰が細ければ細いほど魅力的〉であるとされ、くびれを作るために腰をコルセットで締め付けた上に重いドレスを纏っての日常生活だった。午後4時ごろになるとコルセットの息苦しさと空腹で失神する者が続失したという。

そういうことで、当時この時間は貴婦人たちにとって「魔の時間」と言われていた。アンナ夫人は、この憂鬱で気の滅入る時間になると、メイドに紅茶とクランペット(英国の代表的なお菓子)をベッドの脇に運ばせ秘密の自分だけのお茶を始めることを思いつく。彼女の夫は第7代ベットフォード公爵フランシス・ラッセルで政治家でもあったため客人も多かった。訪問客の中には随伴するご婦人方も多く、一人、二人と部屋に招き入れ、おしゃべりしながらお気に入りの紅茶やティー・フーズを振る舞うようにしていった。その後、ディナーまでの時間にドローイングルーム(女性ゲストがお茶を楽しむための部屋)で、お茶会を催すことが習慣化していったのである。そして、彼女のお茶会を経験した夫人たちは今度は自分主催のお茶会に招待する、と言った具合に茶会スタイルの社交が広がっていったのである。言ってみれば、アフタヌーン・ティーは貴婦人のお腹を満たし心を開放させる、時代の変わり目に現れた新しい社交ステージだったのである。

英国の上流階級の精髄として定着したお茶会は、飲食を楽しむ以外に、社交の場としての意味もあり、礼儀作法、室内装飾、家具調度、使用されている食器、花、会話、など広い意味での教養やセンス、知識が要求される場として発展していくことになる。この優雅な貴族のスタイルが見本となり、格式の高さを表すお茶会は「ヴィクトリアンティー」と呼ばれてきたのである。この本格お茶会に対し、もっとカジュアルで親しみやすいスタイルを目指す「アフタヌーン・ティー」は私たちの生活の中で潤い時間として広く受け入れられている。


19世紀に貴婦人が生み出したお茶会


◆新時代のアフタヌーン・ティー

ところで、アフタヌーン・ティーには時代が変遷しているとはいえ一応の決まり事がある。客人に多くの紅茶の種類から好みの茶葉を選んでもらい二種類ぐらいのお茶でもてなすのが基本。その上でフィンガーサイズの食物、甘味、詳しくはサンドイッチ、スコーン、そのほか何種類かのスイーツ(マカロンなど)の3つを用意する。特にサンドイッチにはキュウリを入れるのが仕来りである。というのも、キュウリは当時の英国においては栽培が難しく温室でしか育たなかったため、家庭の豊かさを象徴する自慢の逸品という意味があるからだ。

ドレスコードも含めかつては敷居の高かったお茶会のスタイルも、現代ではホテル、レストランを中心にその店ならではの個性的なアフタヌーン・ティーの提供が盛んに行われ、それほど肩肘を張らずにそれを楽しむことができるようになった。

銀座周辺には数多くのホテルやレストラン、カフェがあり、いわゆる「ヌン活」(アフタヌーン・ティーを楽しむ活動)体験の場には事欠かない。そんな中からあえて場所ごとに創意あふれるスタイルのアフタヌーン・ティーを紹介してみよう。


【ホテル版:ペニンシュラホテル東京】

季節のロビー・アフタヌーン・ティー


【中国料理版:REKASAI GINZA】

清朝宮廷料理のアフタヌーン・ティー


【宝石ブランド版:ブルガリ】

ブルガリ アフタヌーンBOX


【カフェ版:銀座ロイヤル・クリスタル・カフェ】

定番の3段式アフタヌーン・ティー・セット


【和カフェ版:HIGASHIYA GINZA】

和菓子仕立て 和アフタヌーンティー


【楽器屋版:NOTES BY YAMAHA 】

限定サマー・アフタヌーンセット



◆ My formula (わたし式)アフタヌーン・ティー

アールグレイの誘惑

紅茶といえば、アールグレイやダージリンをあげる方が多いのではないだろうか。筆者も例外にもれず、アールグレイ愛好家であるが、あのベルガモットの柑橘系の香りは心が揺蕩うようで魅惑的だ。
ブレンドされているベルガモットには、精神を安定させたり、ホルモンバランスを調整する効能があるからだろうか。


筆者が暮らしの中に取り入れているのは、1日の仕事の終わり近く(16時30分頃)のアフタヌーン・ティーである。「アールグレイ パリス」の茶葉をティー・スプーン一杯ティーポットに入れ、約100ccの湯を注ぐ。3分50秒カッチリでタイマーを仕掛ける。茶葉が広がり、特有の潤いのある香りが室内に漂う時間は言いようのない幸福感を届けてくれる。お気に入りのガラス器にロックアイスを多めに入れ、淹れたてのお茶を注ぐと、カランと美しい音色を奏でながら氷が溶けていく。その瞬間は、自分だけのアールグレイ劇場にひたる観客の気分だ。

紅茶が喉を流れる時の口の奥に訪れる甘美な後味を味わう度に、稀なる香りとして正倉院に伝世する「蘭奢待」(らんじゃたい)の物語を思い出す。

「蘭奢の室に入る者は自ら香ばし」

良い香りのする部屋に入る者は、自然に良い香りが身に付くという意味から、良い環境にいて良い友人と交われば、自然に感化されて自分も良い習慣が身に付くことを解く諺だ。延いては周辺を清めておくことの大切さを教えられている気がする。

1日1回紅茶が喉を流れる度にこの言葉を思い出し、その度に身が引き締まる思いも味わう。
外でのイベントや会議のある時以外は、この貴重なひとときを持つように心掛けている。

アールグレイ・パリス 茶葉



英国のお茶時間

英国では、多様なお茶時間を楽しむ習慣があるようだ。さすが「紅茶の国」である。


◆アーリーモーニング・ティー
 朝起きてベットサイドで楽しむ(ベッド・ティ)
◆ブレックファースト・ティー
 朝食時にパンとともに楽しむ
◆イレブンジィズ・ティー
 11時の息抜きに楽しむ(10時のおやつ的)
◆アフタヌーン・ティー
 遅い夕食の前に軽い食事とおしゃべりを楽しむ、少し気取ったてティー・タイム。サンドイッチやクッキー、ケーキなどとともに
◆アフターディナー・ティー
 一日の終わり、眠る前に楽しむ(リラックスできるハーブティなど)
 睡眠前の読書を楽しむ場合には、疲れた目や脳を癒してくれるフルーツティが好まれる。

慌ただしい1日の中でささやかでも時間の融通をつけて、それぞれのティー・タイムを体験してみると、こんなにも日常が満ち足りたものになるのか、とこれらがもたらす「ゆとり感」に驚かされる。



My formula (わたし式) お茶時間のススメ


◆自分スタイルを表現する アフタヌーン・ティー

ある日、30代のOLからこんな相談を受けた。

「この秋結婚することになって、あまり形式的でない両家の顔合わせをしたいと思うんです。ホテルに個室を取ってフルコースのお食事をするという形は、今は昔。手作り感のある、双方の両親への感謝とともに、自分たちの人となりを知ってもらう時間にしたいのすが、何かいい方法はないでしょうか」

最近は結婚式も簡単に済ませ(あるいはやらないで)、新たな人生設計に沿って大切なお金は使いたいと考える若いカップルが増えているという。さらに男女ともに仕事を持っているのが大半になった現在、豪華な結婚披露の「形式」よりこれから目指す自分たちのライフスタイルをこの時点から実行しそれを親に見てもらおうとする姿勢が定着してきているのかもしれない。

なかなか素敵なセンスだな、と思った筆者は、My formula (わたし式)のアフタヌーン・ティーを自分たちで作ってみたらどうかと提案してみた。

銀座の街を歩きながら、両親に思いを伝えるおもてなしの形を探り、イメージを膨らませ具体化していく、それは新たな時間とお金の使い方を辿る小さな旅にも似ている。彼女は「いいですね!」と身を乗り出した。ワクワクが抑えきれず次々とアイディアが浮かんで来る体験をしているようだった。

◆アフタヌーン・ティー 要素の素材集め

銀座は世界中のパン、スイーツなどが集まる街である。そこから、自分らしい要素を美意識とコストを考慮しながらチョイスしていくのだが、先ずは、会場選びの課題がある。

自分のルーツに寄り添う

彼女自身が卒業したミッション系の大学に古くから遺されている「館」があり、現在はサロンとして卒業生に貸し出されていることを見つけ出した彼女。その一室を借りようと思うと言う。古めかしい洋館建てながら、その部屋は大きなダイニングテーブルが置かれた広々とした作り。気持ちがいいのは、地続きで青々とした庭が目の前に広がっているというから、まさに今回のようにじっくりと静かな環境でお茶会風におもてなししたいという企画にベスト・マッチングな場所であろう。卒業生価格で使用料金もリーズナブルで嬉しい、と満足な様子だ。両家の親と自分たちの6名、サイズ感もぴったりだ。

食台は和モダンで

さて、アフタヌーン・ティーの食台というと三段トレイが定番であるが、これは英国時代にサイドテーブルの上など狭い場所に多種類の軽食や菓子を置くために考案された実用的なスタイルだった。大きなダイニングテーブルでは、それよりも平面の和モダン・トレイの方が好みだという彼女に、「日本の御盆(和風トレー)」を活用してはどうかと提案した。

そこで、尋ねたのは銀座8丁目の金春通りにある陶器専門の老舗「東哉」である。女将は食卓コーディネートのプロなので、春夏秋冬の膳の選び方、箸置き、汲み出し、向付、鉢、皿の組み合わせ、加えて和食器と洋食器のアレンジ方法などを優しく指南してくれる。お盆の種類を実際に見てイメージを掴むことを勧められる。この時に大切なのは今回のような特別なイベント用に購入するのではなく、今後自分たちの生活スタイルでも使い続けられるお盆を選ぶこと、というアドバイスだった。客人用にかつては別に取り揃えるのが常識だったが、現在は生活をコンパクトにすることが若者のスタイルである。日常使いできる御盆を選ぶことが肝要だというわけだ。

そこで、ビジネスシーンでも定評のあるIL LUPINEO PRIME(イル・ルピーノ・プライム)のアフタヌーン・ティーを参考にしてみたらどうかと提案してみた。直径21センチ縁あり白いプレート風の陶器は、今後も自分たちの暮らしで使えそうと、それに似たトレー(御盆か皿)を探すことに決めたと言う。



イル・ルピーノ・プライムのアフタヌーン・スタイル


素材を集める

アフタヌーン・ティーにおける食べ物、甘味は、前述したようにサンドイッチ、スコーン、焼き菓子の3要素で構成する。食膳トレイのサイズに合うように1つ1つの要素の候補を探し出してみることにして、銀座にある専門店をスタート点に、デパ地下まで丹念に辿ってみた。

*サンドイッチ*

銀座の名物サンドイッチといえば、銀座木村家のオーロラソースを纏った「カツレツサンド」。なかなかの美味ではあるが、アフタヌーン・ティーでは、スクエア(正方形)+キュウリが決まり事。そこに絞り込み、街の中を探し回る。

ミヤザワの「たまごサンド」をはじめ多くの名店に名物のたまごサンドがある。どれも魅力的だが、正方形はないので採用できない。専門店・銀座サンドイッチの「卵とカツのサンド」は長方形だが、半分にカットされほぼ正方形なので候補になる。
銀座松屋、銀座三越、GInza Sixの食品街を回遊していると、海外ブランドのパン屋を見つけた。中でもヒットしたのは、フランスの伝統食店DALLOYAU(ダロワイヨ)スクエア・サンドイッチである。フィンガーフードに最適な大きさで、キュウリも入っていて、これは合格だ。

サンドイッチにスイーツ感覚も併せ持たせたいなら、銀座千疋屋の「フルーツサンド」。自慢のメロンといちごがふんだんに盛り込まれたサンドイッチは、長方形が半分にカットされ、ほぼ正方形。見た目的にも可愛いいチョイスしたい逸品だ。

サンドイッチの類の別のバージョン、ミニハンバーガーも形状の楽しさで入れたい逸品だ。食膳に立体感が出ておすすめである。こうした変化球は、通販サイトなどで購入することができる。



ダロワイヨのスクエア・サンドイッチ



銀座千疋屋 フルーツサンド



KURUMESI   ミニハンバーガー



*スコーン、クロテッドクリーム&ジャム*

Roddas のプレーン・スコーンは、少し大振りだがスコーンらしい風味と奥深さが魅力。一人1個あれば十分な充実感だ。


Roddas のプレーン・スコーン


スコーンを引き立てるクロテッドクリームには、やはりこだわりたいので、同じくRoddas のコーニッシュ・クロテッド・クリームがおすすめである。

Roddasのクロテッドクリームはデパ地下でも購入できる


ジャムはなんといっても銀座千疋屋のプレミアムジャム、これのフルーティーさに敵うものはなかなかないと思っている。

銀座千疋屋 プレミアムジャム


*焼き菓子*

可愛い焼き菓子のいくつかの種類を、1箱に詰め合わせてあるアンリ・シャルパンティエの焼き菓子セットは、アフタヌーン・ティーにサイズ感といい焼き加減といいピッタリ、さすが神戸発の焼き菓子屋らしい格式と美味しさが盛り込まれている。一箱あれば、6名分は十分に賄えそうだ。


アンリ・パルシャンティエ 焼き菓子セット プティ



*マカロン*

焼き菓子ではないが、楽しさを演出するフィンガーフードといえば、マカロン。フランス・マカロンの代表老舗店はLADUREE(ラドゥレ)は、可愛さの王道だ。
銀座和光のマカロンは冷凍品で日持ちが良さそうだが、サイズがかなり大きい。世界中の洋菓子店の多くがマカロンを手がけているが、日本産だとブールミッシュ銀座本店は、フランス菓子の王道をいく老舗だと言える。こちらのマカロンは、種類を五種類に絞って提供されている。フランボワーズ、ヴァニーユ、シトロン、ショコラ、ピスタチオ、甘味、酸味のバランスが抜群で絶妙なハーモニーだと評判が高い。日本産らしい優しさがその色目に宿っているので気品を感じる。男性で甘味が苦手な方にも喜ばれそうである。

ブールミッシュ マカロン


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

素材探しを終えて


My formula (わたし式)アフタヌーン・ティーの素材探しをほぼ終えたところで、彼女に感想を聞いてみた。

「日本式のトレーである御盆がとても日本的な丁寧さを表してくれて、そこにフードや甘味を置くだけで、小さなもてなしの膳が出来上がるんだな、と感動しました。サンドイッチ、スコーン、焼き菓子も、マカロンまで、どういう気持ちでこの品を選んだのか、招いた両親に語ることができるのが、何よりも良いところだと気付きました。実際に見て回ってサイズや色目などの違いが分かったことで「もてなしのセンス」まで学んだ感覚が残ったことが驚きです。
結局、御盆は御盆風の縁のある陶器にしました。これからの自分たちの暮らしに活かしていけますから。この体験をしてみて何より両親の顔合わせの時間を手作りできたことは、最高の思い出です。」

街にはアフタヌーン・ティーが溢れている。ホテルやレストランでは宅配「アフタヌーン・セット」も提供し始めた。彼女のように自分の手で自分のアフタヌーン・ティーの世界を用意しようと思う人はまだまだ少ないだろう。時間と手間がかかるから、現代の多忙社会ではそんなの無理!と一蹴されるかもしれない。だが、銀座の実用的で美しく、また美味しいピースを集めて、感謝の気持ちと思い出を手渡そうとする、このオンリーワンのおもてなしに筆者は小さな感動を覚えた。種々の視点を以って挑戦した彼女の美意識は、これからのおもてなしの物選びの1つの基準になっていくのではないか、とそんな新鮮で楽しい衝撃を覚えたのである。

秋になって催される彼女の手によるアフタヌーン・ティーのおもてなし。それぞれのご両親はどんな反応をされるだろう。今から、その感想を聞くのが楽しみである。




2.  能のこころ 「卒都婆小町」レビュー
ー老残と憑依 坂口貴信師の妙々たる表現力ー


猛暑の中、S席が一般販売を待たずして完売したという大入り満員の観世能楽堂。会場は熱気に包まれていた。幸流小鼓方・飯田清一師が主催する「飯田清一の会」(7/29)に結集した、野村萬斎(三番叟)、梅若桜雪(一調/笠之段)、観世清和(一調/勧進帳)という大スターたちが共演するという番組ラインナップにも感激したが、なんといってもこの日の目玉は観世流・シテ方坂口貴信師が勤める「卒都婆小町」(そとわこまち)(一度之次第)である。
この作品は、観阿弥・世阿弥親子の作品と言われている。誰にでも訪れる「老」をテーマに、かつて栄華を誇った絶世の美女・小野小町の零落から悟りの境地に至るまでを、変化に富んだストーリーで描いた名作である。

能において「老女物」(4番目物)は別格の難しさのある演目と言われる。その中にあって100歳の乞食風情の小町と僧が禅の世界を垣間見させる「卒都婆問答」、その後の小町に恋焦がれ死した深草少将の霊が小町に憑依する瞬間の衝撃の場面、その他いくつもの山場を坂口師がどのように演じるのか、期待が膨らむ舞台のはじまりである。

観るものを唸らせた、坂口貴信師「卒都婆小町」能舞台のレビューをお届けする。

                         文責:岩田理栄子

あらすじ
高野山での修行を終えた二人の僧(ワキ・ワキツレ)が下山して来ると、一人の老女(シテ)が現れる。歩行の疲れから道端に坐り込む彼女だったが、何と彼女が腰をかけたのは卒都婆であった。これを見咎め、立ち退かせようと説教する二人。ところが老女は、その言葉尻を捉えつつ反論しはじめ、そのうち二人を言い負かしてしまう。実はこの老女こそ、かつて美貌と才覚とを誇った、名高い小野小町のなれの果てであった。
華やかな昔に引きかえての、今の零落ぶりを語る老女。しかしその時、老女はにわかに狂乱し、うわごとのように小町を慕う思いを口にする。それは、小町の体に取り憑いた物の怪の、恨みの言葉。物の怪は、自らを小町に弄ばれた深草少将の怨念だと明かすと、小町のもとへ通い続けた九十九夜、そして思いを達成するまでに一夜を残して亡くなってしまった口惜しさを語るのだった。
やがて、小町は狂いから醒めて後世の成就を願うことが人の道であると悟りの道に入ろうと志していく。


◆「老残  小野小町」を生き写す 見事な謡・声色


鼓の会にふさわしく、「卒都婆小町」出だしの大鼓・亀井広忠師と小鼓・飯田清一師の音色の重なりは、時に淡く、時に重く、鑑賞者を寂寥たる小野小町の世界に誘う。目を閉じて、聞き応えのある鼓の共鳴に身を委ねる。

観る者を別次元へと誘う大鼓と小鼓の競演の中、脇正面最前列で聞き入っていた筆者の背後に、突然ふっと近づく老女(小野小町)の気配が。そして今にも命の灯火が消え入りそうな弱々しさを漂よわせ、橋掛かりに音もなく立ち尽くしていた。

呟くようにその老女は謡う。

小町:身は浮草を誘ふ 水身は浮草を誘ふ 
   水なきこそ悲しかりけれ

  (はかないこの身は浮草のようなもの、水に漂う浮草のような、はかなく老いたこの私を、今や誰も誘うことのないのは悲しいことだよ)

弱吟なのに息遣いはどこか強く、体から声が漏れているような響きすらある。弱々しさの中に華やぎの声色が重なるように体感できるから不思議だ。実に奥深い謡の表現である。

本来はうらぶれた出立ちであるはずであるが、能舞台に現れたのは、青みを帯びた面をつけ、その色と調和するような古式の縹色(はなだいろ)の水衣が実に美しい老女。
後から続く謡の詞章にある破れ蓑、破れ笠姿・・・それらと併せて、かつて絶世の美女として栄華を誇った人物とは思えない零落した様を演者の所作に探すのが、能の鑑賞の醍醐味である。


                   ©駒井壮介


写実的な運び

老女の歩みはノロノロと頼りなげだ。その風情を表す(足)運びは、地面を探るように時間をかけてなされる。能における運びの特徴とも言える「つま先を上げるすり足」ではない。地面を捕らえる歩き方で、片足、また片足とゆるり、ゆるりと、途中息切れでも起こしそうな速度で表現していく。
特に、左右の足の間に杖を置く仕草が、年老いた小野小町そのものになり切っているかのように感じられる。

この静かな運びのシーンを目にしながら、5月に開催された国文学者・林望氏と坂口貴信師による世阿弥講座(築地本願寺能楽講座②)の中での言葉を思い出した。坂口貴信師ご自身が力説された「その昔、能はすり足ではなく、もっと写実的な表現でした」と話されたその意味である。観阿弥、世阿弥の能が申楽だった時代には、現実そのままを舞台上で演じていたが、時代の変遷とともに武士の式楽という位置付けがなされるようになり、能の演じ方は変わっていったというのだ。次第に武家の格式を重んじる能文化が形作られると、運びの所作も「つま先を上げるすり足」に変わってきたという訳である。
現代の私たちが目にしているすり足の運びは、実は江戸時代以降に演じられていた型であるという。時を遡って、室町時代の申楽のあり様が、目の前で生きた再現として浮かび上がっているようだった。

写実的な表現、まさに妙技である。


                                      ©駒井壮介


卒都婆に座る

道行(みちゆき)が終わり阿倍野松原に着くと、老女は疲れ果て苦しいと呟きながら近くに横たわる卒都婆(「仏の姿」とこの世を形作る「五大=地水火風空」を表したもの)に腰をかける。
舞台上では、卒都婆は鬘桶(かずらおけ)と呼ばれる黒い円柱形の椅子によって表現される。見落としがちなさりげない所作ではあるが、老女がそこに腰をかけるシーンは、見応えがあった。被っていた笠を取り左手に持ち、右手で杖をつきながら鬘桶の前に行き腰掛けるという、一連の動作を後ろを振り向かず、しかもよろつくような風情をかもしながら行うのである。さて、どうやって座るのだろうと凝視していると、後見(林宗一郎師)がシテ方の後に近づき蔓帯(かずらおび)を直すように見せながら、さりげなく位置をリードしている様子が見てとれた。舞台上で行われる鮮やかな連携プレイと老女の風情を崩すことなく、見事に座ってみせる坂口師の危なげのない所作は実にスマートであった。

 

                                       ©駒井壮介



◆「卒都婆問答」

この作品は、「老」をテーマに、人生の根幹を考えさせるような組み立てになっていて、その哲学的、宗教的な深みが魅力である。
それを最も感じられるのが、いわゆる「卒都婆問答」と言われる老女と僧侶とのやりとり(問答)の場面だ。

敬うべき卒都婆に腰掛けている老女を咎め、仏の道を教え諭そうとする僧侶に対し、かつての才知の片鱗を示し「仏の慈悲とはそんなに浅いものではない」と逆に説き伏せていく。叡智を宿した老女の凄みさえ感じる名シーンに魂が揺さぶられる思いがした。

僧 :それは順縁に外れたり(良いことをして仏縁を結ぶことから外れている)
小町:逆縁なりと浮むべし(悪事を契機に仏縁を結ぶことでも救われる)
僧 :提婆が悪も(だいば:人名、釈迦の弟子の悪も)
小町:観音の慈悲(観音の慈悲となり)

僧 :槃特が愚痴も(はんどく:人名、釈迦の弟子の愚かさも)
小町:文殊の知恵(文殊の知恵となる)
僧:悪と云ふも(悪というのも)
小町:善なり(善である)
僧 :煩悩と云ふも(煩悩というのも)
小町:菩提なり(悟りとなる)
従僧たち:菩提はもと(菩提はもともと)
小町:植木にあらず(植木ではなく)
僧 :明鏡また(明鏡もまた)
小町:台になし(台にあるものではない)

地謡:げに本来の無一物なき時は、仏も衆生も隔てかし
・  (まことに本来の無一物の時は、仏も衆生も別れてはいない)

・  ※「菩薩は〜別れてはいない」部分は、中国の禅僧、六祖慧能(ろくそえのう)による仏教の教理を示す言葉からとっている。

小町:我は、この時力を得。なほ戯れ乃歌を詠む
  (私はこの時力を得て、なおも戯れに歌を詠んだ)
極楽の内ならばこそ悪しからめ。
           そとは何かは。苦しかるべしき
(極楽の中にいるなら悪いことだろうが、外ならば卒都婆を敷くのも悪くなかろうよ)

高野山(真言密教)で修行を積む僧呂に向かって、禅宗の教義を持ち出し論破し戯れの歌まで詠みあげる姿は、自分の思うがままに自信に満ち満ちて生き抜いてきた小野小町そのものが表出している感がある。
落ちぶれても、備わった教養と気位だけは失わない気丈さが滲み出ている。
坂口師は、謡の奥に潜む小野小町のこうした人間性をも、細やかな声質の変化によって表出させてみせた。まさに、小野小町が乗り移っているのではと感じさせる驚きの場面である。


◆動から静への落差の衝撃 

小町:歌を詠み詩を作り
地謡:酒を勧める盃は。寒月。寒月袖に静かなり
   まこと優かる有様乃何時その程にひきかへて
   頭には。霜逢を戴き。嬋娟たりし両鬢も。膚に悴けて墨乱れ
   宛轉たりし雙蛾も遠山の色を失う。
   百歳に。一歳足らぬ九十九髪。
   かかる思ひは有明の影恥かしき我が身かな

 (酒を勧める杯を持つさまは、天の川や月を袖に静かに宿すようだった。本当に優雅だったその有り様は、いつしか変わってしまい、頭には霜にまみれた草のような白髪を戴き、艶やかで美しかった両鬢(りょうびん/両耳の上部の整えられた髪のこと)は、痩せ衰えた肌に墨のようにまとわり、ふくよかな丸みを帯びていた眉も、遠い山を思わせる美しさを失った。100年に一年足りない九十九髪(つくもかみ/白髪:百から一を抜くと九十九になることから)だ。この私が照らされる影も恥ずかしい姿となったものだ)

小野小町の今の落ちぶれた姿を僧と地謡が謡い尽くす。背負った袋には垢まみれの衣、破れ蓑、破れ笠、「路頭にさすらひ、往来(ゆきき)の人に物を乞う」乞食になった・・・と。栄華と零落を二度に渡り繰り返す表現も、老いることの悲しさ、盛者必衰の理(ことわり)、人生の無常など、この作品に横たわるテーマをこれでもかと描く。


                     ©駒井壮介


憑依の瞬間 ー声質が変わる

そして、

地謡:涙をだにも抑うべき袂も袖も荒場こそ。
   今は路頭にさそらひ。
   往来の人に物を乞ふ。
   乞ひ得ぬ時は悪心。
   また狂乱の心つきて。
   声変わりけしからず

(涙を抑える袂や袖すらない。今は路頭にさまよい、往来の人に物乞いをする。貰えなければ、悪心が起こり、また、狂乱の心が募り、声も変わっておかしくなる)

この地謡を受けて、それまで深く沈んだ思索的だった小野小町の声が、いきなり欲望剥き出しの声に変わる。


小町:なう 物賜べなう お僧なう
  (ねえ、何か頂戴よ、お坊さん、ねえ)
僧 :何事ぞ
  (どうしたのだ)
小町(少将):小町が許へ通はうよなう
       (小町のところへ通おうよ、ねえ)

ついに、深草少将が小町に憑依し狂乱の体を露にする。瞬間の迸る声に、観客にはっと覚醒させられるような衝撃が走る。

声の音量を変えずに音質の変化だけで表現したシテの表現力、この一節こそがこの作品の聞きどころだと言われる所以である。


                     ©駒井壮介


◆報いと因果の苦しみ ー物狂いの舞と悟り

狂乱した小町は、深草少将の霊に取り憑かれる。深草少将はかつて小町に想いを寄せ、百夜通えば、恋を成就させてあげようという小町の言葉に従い、九十九夜までは通ったが、一夜を残して死んでしまう。

シテ小町は物着で水衣を長絹に変え、烏帽子を付け、深草少将の姿となる。そしてかつての少将の百夜通いの様子を演ずる。

小町(少将):軒の玉水。とくとくと
       (軒から、冷たい水が滴り落ちる日でも、早く早くと)
地謡:行きては帰り。帰りては行き一夜二夜三夜四夜七夜八夜九夜。
   豊の明の節会にも。逢はでぞ通ふ鶏乃。
   時をも変へず暁の。榻 乃はしがき百夜までと通ひ往て。
   九十九夜になりたり
 

   (行っては帰り、帰っては行きを繰り返し、一夜二夜三夜四夜七夜八
    夜九夜、と日を重ねた。豊の明りの節会にも出ることなく、小町
    には逢えないけれども、時を違えることなく通い詰めた。鳥のな
    く暁に、榻(しじ:牛車に付属する踏み台にも使う道具) に日
    数を刻み、百夜までだと通い、九十九夜になった)

小町(少将):あら苦し目まひや
      (ああ、苦しい、目眩がするよ)
地謡:胸苦しやと悲しみて。
   一夜を待たで死したりし。
   深草の少将乃。その怨念が憑き添ひて。
   かやうに物には狂はするぞや

  (胸が苦しいよと、悲しみながら、あと一夜を通い通すことなく、死ん
   でしまった。深草少将のその怨念が憑いて、このような物狂いとなっ
   たのだよ)

計り知れない少将の無念、その憑依によって苦しむ小町。少将を揶揄し死なせた悪事への報いか、あるいは少将の復讐劇か、重くて複雑な心情を描く最後のクライマックスである。


                     ©駒井壮介



◆一瞬の静まり 溶ける憑依の妙技

格好は少将のまま、老婆(小町)に戻っていく見せ場だ。一瞬の静寂の中で、憑依が解けて少将が消えていく場面、装束は少将でありながら、元の小町(老婆)の心情を表現しなければならないという、さぞかし難しい演技が求められたに違いない。

最後、謡い囃していた舞台が一瞬静まり返り、すっと小町から深草少将の霊が消えて行くかに見える時間が訪れる。栄華も滅びも、恨みも喜びも全てが消え、空の世界がそこにはあるかのような表現だ。小鼓の「ホー、ホー」の掛け声、静かに「ポン、ポン」と鼓を打つ音が響くと、悟りの境地に小町の心象が移ろって行くかのようだ。鼓の会ならではか・・・、鼓の音色で空間や心情を表現できるのだと改めて実感した名シーンだった。

特に感動的だったのは、悟りの世界に到達した小町の表情である。世阿弥が一瞬を切り取ったとも伝えられる、たった6節の詞章で結末を迎える場面。小町の面は少し上を見上げる。「所詮 表面の美しさなどいずれは失う」そんな境地が小町に宿る場面。所作の動線が心穏やかになった小町の心底を表し、深い呼吸の中でふっと柔らかさが備わる、その場面に救われた思いがしたのは筆者だけだろうか。

地謡:これに就けても後の世を。
   願ふぞ真なりける。
   砂を塔と重ねて黄金の膚こまやかに。
   花を仏に手向けつつ。
   悟りの道に入らうよ。悟りの道に入らうよ。

   
   (このようになってしまったことに鑑みて、後世の成仏を願うことこ
    そ、本当の人の道である。砂を集めるように小さい功徳を積み、塔
    と成して、仏の黄金の皮膚を磨くように細やかに仏に仕え、花を仏
    に手向けながら、悟りの道へ入ろう、悟りの道へ入ろう。)

その少し上を向いた面の表情には、今は忘れ去ってしまったかつての栄華を極めた頃の小町を思わせる優美さ、そして「老残」の葛藤と苦しみを受け入れた者が持つ潤いを見ることができた。
そして合掌する横顔に優婉(幽玄)を発見して、清爽感を覚えた。


                                      ©駒井壮介


                                      ©駒井壮介


                                       ©駒井壮介


鑑賞を終えて


「まるで小野小町が乗り移っているよう」「これほど静かな舞台はない気がしました。なのに、変化に富んでいて見応えがあって」「鼓に聞き惚れた」「老婆だから、声が小さかったのはそのせいですね。観客に伝えるご苦労、この作品が難しいと言われる意味が分かった気がします」「乞食風情とはいえ、装束や面が美しかった」・・・・・

卒都婆小町の余韻の残る会場のあちらこちらから、そんなささやきが聞こえてきた。

国文学者の林望氏は世阿弥講座(前出)において、芸能書「風姿花伝」(花伝第7 別紙口伝)を紐解きながら、次のように語られた。

「物真似が能の原点とはいえ、形だけ“似せようとしてはいけない”と世阿弥は説いている。
 例えば、老人物を演ずる場合に、年寄りらしくしようと思うと素人芸になってしまう。年寄りは、体の動きが半拍遅れがちになりながら、心の中では華やかさを持っている。よく観察する、当事者に話を聞くなど探求し真髄を掴むことが最も大切である。
 つまり、『本質を真似ろ、形を真似るのではない』と世阿弥は力説している。ここが要である」


同じく、坂口師も「女」を演ずることについて、「能では、品(しな)を作ることは最も毛嫌いされる」とし、それらしい「仕草」で体裁を作ることだけはやってはならない、と芸術論を述べられていた。今回の老残・小野小町には、その点を肝に銘じて観察し、磨き上げた所作の妙技の数々が盛り込まれていた。実に充足感のある発見の多い舞台を堪能することができた。

「老」「女」「物狂」これらを複層的に表現しながらも、ことさら「老」と云う難しいテーマを、中世の日本文化の人物にフューチャーしながら物語としてシンプルに面白く創り上げた点で、観阿弥・世阿弥親子の深い洞察力にただただ驚き、感動した至福の時間ともなったのである。

 

【坂口貴信 公演情報】


室町時代から伝わる演能「蝋燭能」に出会う、またとない機会が銀座にやってくる。「坂口貴信之會」(9/16 in 観世能楽堂)において蝋燭能「通盛」がいよいよ上演される。

舞台周囲にいくつも置かれた蝋燭の揺らぐ灯りの中で、わずかな光に目を凝らしながら装束の錦糸銀糸の表情を感じる醍醐味。ほのかな灯の中で観世流・シテ方能楽師・坂口貴信師の面の動きや所作も闇の中に浮かぶような幽玄さを濃く照らし出す。かつて蝋燭が屋内の照明だった時代を想像し、見えない部分に相形を探す感性を研ぎ澄ましながら、能を楽しむ空気感を体現できる稀有の能舞台のご案内。

第11回坂口貴信之會

と き:令和5年9月16日(土)13:30開演(12:50開場)
ところ:観世能楽堂(GINZA SIX 地下3階)

演 目:お話  林 望 (作家・国文学者)
    仕舞  「道明寺」  坂口 信男
        「殺生石」  観世 三郎太
    仕舞  「実 盛」  観世 清和
        「邯 鄲」  観世 嘉正
-----------------------------------------------
    蝋燭能 「通 盛」  ツレ 谷本 健吾

               シテ 坂口 貴信

鑑賞券のお求めは↓



3.銀座情報

真夏の風物詩 金春祭り「路上奉納能」


2023年8月7日、3年ぶりに金春路上能が銀座の街に帰ってきた。銀座8丁目にある金春通りは、朱色の提灯の鮮やかさとともに能楽囃子の音色が響き渡り、古式床しい江戸文化の香りに包まれた。

今年、銀座金春祭りは第39回を迎えた。江戸の文化と深いつながりのあるこのエリアは江戸時代に思いを馳せるにはうってつけの土地柄だ。

徳川家康は江戸幕府開府後、秀吉の始めた保護策を継承して能楽を幕府の儀礼を司る「式楽」に指定した。能楽四座(観世、金春、宝生、金剛)は銀座に屋敷を拝領し、観世太夫は現銀座2丁目ガス灯通り、金春太夫は現銀座8丁目、金剛太夫は銀座7丁目周辺に屋敷を構えたと伝えられる。(「国花万葉記」1963年による)各流派は幕府直属の能役者として、知行、配当業扶持を与えられ、将軍家や諸大名から手厚い保護を受けることになる。
中でも、金春家は、1627年(寛永四年)に屋敷を拝領した際、現在の銀座8丁目6.7.8番地全体を占めるほど、流派の中でも最も広大な敷地を受けていたようである。(江戸図「武州豊嶋郡江戸庄図」1632年)

その後、この屋敷は麹町善国寺谷(千代田区麹町3・4丁目)に移転したが、明治時代になるとその跡地には、芸者衆が集まり花街として発展をしていく。歴史の名残りのままに「金春芸者」(こんぱるげいしゃ)と名付けられ、明治政府の高官らが新時代の伊吹でこの街を盛り上げていった。

土地の記憶「江戸伝統文化を銀座に残したい」との熱い思いをもつ地元金春通りの店主たちが力を合わせ、1968年に金春能を路上奉納として甦らせたのが「金春祭り」のはじまりである。白洲正子が愛した呉服店「伊勢由」、魯山人が通つめた鮨の「久兵衛」、小津安二郎が通った陶器専門店「東哉」、家康と共に江戸にやってきた江戸調味料「三河屋」、寛永期創業「金春湯」など、歴史のある名だたる老舗の店主たちがこの祭りを長年に渡り支えてきた。

金春宗家が自ら銀座の路上で舞う路上能「奈良金春」は、室町時代以来金春流が奈良・春日若宮の「おんまつり」に上演している作品で、平和祈願や泰平を喜び合うおめでたい楽曲である。2023年は、延命冠者(えんめいかじゃ)大倉彌太郎師、父尉(ちちのじょう)金春安明師、鈴之段(すずのだん)大蔵吉次郎師、弓矢立合(ゆみやのたちあい)金春憲和師、高橋忍師、金春穂高師が披露された。

「はじめませ」の能奉行の掛け声と共に、謡や笛、鼓、太鼓の音色が銀座のビルの谷間から夕暮れ空高く響き渡る様は、江戸風情そのままの感動を観る者に与えてくれる。


金春通りの桟敷席は満席


       厳かに舞われる 「父 尉(ちちのじょう)」 ©金春円満井会



4.編集後記(editor profile)


哲学の祖と言われる古代ギリシャの哲学者・ソクラテスは、「不知の自覚」を唱えたことで有名である。「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」と言う有名な教えだ。現代から遡ること二千四百年前、人間はどう生きるべきかを探究し続け、突き詰めたところ「より善く生きることこそ、人生の意味」だと説いた言葉は、時を超えて私たち現代人にも大きな影響を与えている。

年齢を重ねるごとに、自分が知らないことがいかに多いかに気づき、頭(こうべ)を垂れることが多くなる。それでも、先を歩く人間は次の世代のために少なからず持っている知恵を伝えて行く務めがあるのだろう。

今回、若い世代のライフスタイルを「わたし式 アフタヌーン・ティー」を探し求める小さな旅の中で体験する機会を得た。振り返るとそれは「温故知新」の体験とも思えた。歴史が辿ってきた慣習や教えを現代に呼び出し、新しい時代に生きる新たな視点を提案していく。そして生きる縁(よすが)を結んで行くと言う瑞々しい生きた学びであった。

感銘を受けた「卒都婆小町」能舞台では、かつて絶世の美女であった小野小町の老残と悟りに触れることによって、「私たちは老をどう受け止めて生きるのか」と言う哲学的な問いを突きつけられた思いがした。能の創生者・観阿弥、世阿弥は今から7百年も前に、類まれな人間への洞察力を持ってこの名作を世に送り出したのだ。今に残る名作を鑑賞する度に、脈々と時を超えてそれを演じ継承してきた、歴代の能楽師たちの情熱に頭が下がる思いがする。

現代において、歴史的な貴重な学びを受けとった私たちにできることは何だろう、とふと考える。

知識とは、物を知ること。
知性とは、それを使って相手を幸せにしようと思うこと。
教養とは、その知性が本物かどうかを疑うこと。

「知性」とは、知識を使って相手を幸せにしようと思ことだと言う。それを聞いて、なんと美しい言葉だろうかと感銘を受けた。
「知性」を身につけようとすることが、「善く生きること」。人生の道の先に光を見出したような思いがして、心が熱くなった。

                                   本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
          責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊
  



いいなと思ったら応援しよう!