オープン記念でお出ししたDRCにまつわる話
昨年オープン記念には、虎の子のDRC各種を24本ほどお出ししました。
高いから飲むのではなく、美味しいから飲むのだという方のために、そして開店を一緒に喜んでいただけることに感謝してお出ししました。
ワインにまつわる話を「ウンチク」という下卑た言葉で揶揄しない方に。
その時に飲んでいただいたお客様とこんなDRCにまつわるお話をしました。
「ところで、マイクさん(僕のこと)がいままでで一番感動したワインって何なの?」
そう質問されてすぐにパッと浮かぶのは・・
「僕の場合は、やっぱりDRCですね。サンフランシスコに留学していた娘が友だちと一緒に帰郷してきたとき、開けた1990のDRCが一番感動的でした。まだ少し気骨な部分も残っていたんですが、自宅でママの作った料理とマリアージュさせたワインを家族と共に飲めたので、とても感動的しました。」
「1990のDRC!」お客さまが驚かれた。
「いただき物だったんです。ちょうど良い機会かなと思って開けました。あれが今まで飲んだワインの中で、一番素晴らしかったかな。」
そのあと、目の前のラターシュが開き始めるのを待ちながら、しばらくDRC話で盛り上がりました。
「DRCって、小さな畑なんですよね?」
「ええ、10年ほど前に行ったんですが、本当に小さいです。ちゃんと調べて行かないと絶対に通り過ぎちゃいますよ。」
「どのくらいの?」
「ブルゴーニュワイン委員会(BIVB/Bureau Interprofessionnel des Vins de Bourgogne)のデータだと、1.77ヘクタールです。東京ディズニーランドが51ヘクタールだそうですから1/30程度ですね。」
「シンデレラ城と、その周辺と云う感じですか?」
「そうですね、そんな感じかもしれない。ヘクタール表現すると、随分半端な数値になるんですが、ウーヴレ単位で言うと42ウーヴレ(42ouvree)です。」
「ウーブレ?」
「古い単位を表す言葉です。いまでもフランスの農家では、この単位が普通に使われていますよ。
ウーヴレは、一人の農夫が一日に耕せる面積のことを指すんです。大体430平方メートルが1ウーブレです。1ヘクタールは24ウーブルとして計算するそうです。1ウーブレで130坪です。たいした大きさじゃない。ビルひとつ分ですね。」
「そこにどのくらいの葡萄の木が植えられるんですか?」
「一般的に500本と云われています。昔は一人の農夫が面倒見られる葡萄の木は500本。近代化でその数は飛躍的に伸びましたが、今でも1ウーヴレあたりに植えられる葡萄の木は500本くらい。これは変わらないのです。」
「どのくらいのワインが出来るんですか?」
「1ウーヴレで228リットルくらいが基準です。ボトルにして約300本。・・この228リットルという数字、ぴんと来ませんか?」
「?」
「ヴルゴーニュ樽の伝統的なサイズですよ。ボルドーでは醸造用の樽をバリックBarriqueと言いますが、ブルゴーニュはトノーtonneauと呼びます。1バリックは225リットル。こちらはボトルにしてジャスト300本です。」
「ブルゴーニュ樽は300本ちょうどじゃないんですか?3リットルも余る」
「恐らくですね、これは僕の推測なんですが、ボルドー樽とブルゴーニュ樽は、発想の原点が違うんじゃないでしょうか。」
「?」
「ブルゴーニュ樽は、1ウーブレで作られたワインを納めるために作られた樽だったのだと思います。ボルドー樽は違う。輸出するときのことを考えられた結果、あのサイズになったのではないか・・僕はそう思ってます。」
「というと?」
「ボトルのサイズです。なぜワインのボトルが750ccかというと、これは輸出するときに判りやすい量だからなんです。ワインのボトルを750ccとしたのはボルドーの商人たちなんです。
彼らの主たる輸出先は英国でしたからね、750ccボトル1ダースで、ちょうど2ガロンなんです。300本だと25ダース。計算しやすくしたんです。ブルゴーニュには、そんな縛りはない。自由な発想でボトルのサイズを決めてたから、別にボトルのサイズからの発想をする必要はなかったんでしょうね。」
「でも今はブルゴーニュワインも750ccですよね?」
「はい。200mlがキャール(Quart)。375mlがドゥミ・ブテイユ(Demi-Bouteille)。750mlがブテイユBouteilleと統一されたのは、フランス王朝が確立して統一言語/統一計量単位で国家統一を図ろうとしてからです。そんな昔のことじゃないですね。」
「農夫一人が一日で耕せる面積、1ヴーヴレには通常500本の葡萄の木が植えられます。そこから作れるワインは300本225リットルがMAXです。」
「ロマネコンティの畑は42ヴーヴレなんですよね?ということは・・12,600本?」
「ええ。でもロマネコンティの場合は、6,000本から3,000本の間。平均で年間4,000本程度だそうです。・・まあこれもちょっと算盤を弾くと・・あそこは200人前後の人員で維持してるそうですから、4,000本売って50億程度の利益を見たとして、経費1/3として粗利で34億、単純に一人当たりの粗利は1,600万円位ですね。あまり儲かる商売ではない。・・僕なら、やりたくない。」
「(笑)でもロマネ・コンティ社は別ブランドも持ってますよね?」
「はい。長い間8種でしたが、いまは9種。
1)ロマネ・コンティ 1.77ha/4,000本前後
2)モンラッシェ 0.66ha/2,700本
3)ラ・ターシュ 6.1ha/20,000本
4)リシュブール 5ha/12,000本
5)ロマネ・サン・ヴィヴァン 5.3ha/20,000本
6)グラン・エシェゾー 3.5ha/10,000本
7)エシェゾー 4.7ha/20,000本
8)ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ キュベ デュヴォー・ブロシェ
9)コルトン 3ha/8,000本 です。
モンラッシェは白。コルトンは2008年から始めてます。 モノポール(独占所有)は、ロマネ・コンティとラ・ターシュの2ブランドです。」
「グランクリュだけじゃなく、村名ワインも造っているんですか!」
「はい。でも生産年度は少ないです。フィロキセラ渦で畑が全滅した後に発売されたのは、1999年、2002年、2004年、2006年、2008年、2009年、2011年の7回。葡萄はロマネ村にあるDRCの畑の若い木から採ったものを使ってるそうです。2010年代はまだ一度だけです。
ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ キュベ デュヴォー・ブロシェは、だいたい20万くらいで買えると思いますが、タマが少ないから中々見かけることがないですね。」
「ロマネコンティの葡萄も使ってるのですか?」
「いえ、ロマネコンティの葡萄は使用していないそうです。ラターシュの若い木が多いそうです。」
「キュベ デュヴォー・ブロシェというのは?」
「ドメーヌの創業者であるジャック・マリー・デュヴォー・ブロシェのことです。今のオーナー、オベール・ド・ヴィレーヌ氏の曽祖父です。とてもアクティブな方で、1930年代に、良い年に限って若木から採った葡萄でキュベを作っていたんだそうです。今のオーナーがそれを復活させたのが、これです。」
「マイクさんは飲まれました?」
「はい。機会あって1999を。印象はちょっと気骨なラターシュという感じでした。」
「ときどき、ロマネ・コンテイなんてたいしたことないという人がいるけど、マイクさんはそうは思わないんですね?」
「あはは♪いますね。うちにもいらっしゃる。
そんなふうに言われた時は、いつも実はワインは1万円を超えると、美味しさと言う尺度では殆ど大差は無くなってしまうんです・・とお話してます。
1万円と10万円の差は1000円と10000円ほどはないです。ましてや10万円と100万円の差は、それほどない。」
「それ。きついなぁ。マイクさんの言ってることの裏よむ人なら、たいしたことないなんて言わないだろうなあ。」
「実はですね。DRCほどニセモノが出回っているワインはないんです。裏付けのないDRCは大抵ニセモノと疑っていいほどなんです。」
「よくその話、聞きますね。」
「はい、なので僕は国内で買うときは正規代理店であるファインズのものしか買いません。フランスで買う時も十全の注意を払って購入します。なので今回お出ししているのは、すべてファインズから直接いれたものなんです。」
「なるほど・・たいしたことない話をする人のワインがファインズ経由のものかどうか知りたいところですね」
「ところでですね、DRCのニセモノで一番出回っているのは何年だと思います?1945年なんです。」
「世界大戦の終わった年ですね。」
「そうです。この年は、DRC最大受難の年で600本しか作られませんでした。」
「戦争のためですか?」
「そうなんです。ヒト・モノとも欠乏して流石のDRCも呻吟するしかなかったんですね。それにブルゴーニュは大戦時ナチスドイツの管理下にありましたから、生産者は虎の子のワインを好きなように簒奪され、蚕食され尽くしたんだそうです。生産者もレジスタンスと見做されるとその場で射殺されたそうです。」
「ひどい話ですね。」
「はい・・ほんとに。それともうひとつ、フィロキセラ渦です。DRCは辛うじて自根木として生き残っていたんですが、それも叶わず、この年1945年の収穫時の後、全ての葡萄の木は抜かれてしまいました。なのでDRCは1946年から1951年まで、ワインの生産をしていません。」
「(ため息)」
「1947年の春に植えられたのは、根は耐フィロキセラ種、その上に前の年に抜き取った葡萄の木から元気の良い古木を接木したものです。全くの若木からではなかったので、これを1952年に再スタートの第一回目としてリリースしています。
したがって1945年のDRCは最後の自根木ということになります。」
「ほんとに貴重なんですね。価格もすごいのでは?」
「そうですね。まあ、実にニセモノが多いので、お買いになるなら充分出どころを確認してからにしたほうが良いですよ。ちなみに2011年のクリスティーズのオークションで、USDで123,899ドルで落札されたことがあります。1500万円くらいですね。」
「ホンモノですか?」
「このオークションに出品されたのはDRCのオーナーであるオベール・ド・ヴィレーヌAubert de Villaine氏が出元で、彼が2007年に同じくクリスティーズのチャリティオークション用に提供したものでした。これなら間違いないですね。」
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