お茶の水女子大学 共創工学部開設記念式典レポート ー 共創工学部が目指す女性人材育成と新しいイノベーション創出 ー
2024年4月、お茶の水女子大学は共創工学部を創設しました。
本学部では、データサイエンスを基盤に、工学の知識・技術を、人文学・社会科学の知と協働させることで、複雑化する社会のなかで多様な課題を解決し経済発展を担い、イノべーションを推進する女性人材の育成を目指します。
学部創設を記念し、6月7日(金)に、お茶の水女子大学講堂(徽音堂)で記念式典が開催されました。
本記事では、アーティストで東京藝術大学デザイン科准教授のスプツニ子!さんと、東京工業大学長の益一哉さんをゲストに迎えたパネルディスカッションや、学部創設に込められた学部長のメッセージなどをお届けします。
新たな工学の形を目指して
お茶の水女子大学が設立されたのは1875年。それから120年後の1992年に家政学部を改組して誕生したのが、生活科学部です。その際に、人々が質の高い暮らしを送ることができることを目指す生活工学講座が立ち上がり、お茶の水女子大学の工学的な研究、教育がスタートしました。
2016年には奈良女子大学と共同運営で、生活工学共同専攻を設立。女子大で初めて、工学系の学位が取得できるようになりました。
工学系学部の素地は30年ほど前から整えられていたものの、お茶の水女子大学で新学部が創設されたのは実に74年ぶりのこと。
そうした背景もあり、大瀧雅寛共創工学部長は式典の冒頭で、学部創設の思いを次のように振り返りました。
「日本は理工系分野における女性の割合は世界的に見てもとても低い状況にあり、OECD加盟国の中でも最下位です。
政府も、科学技術分野の国際競争力を高めるためには、多様な視点、発想を取り入れることが必要であり、女性の研究者、女性の技術者の能力を最大限に引き出す必要があると提言しています。こうした社会的要請に応えるためにも、本学部が創設されました」
これまでの工学部は、最先端の技術開発を社会に適用させることを目的としてきました。
本学部はそれらに加え、社会に必要な課題やニーズを現場から見出し、それらを解決する具体策を考えて社会に実装する学び、情報や工学技術を活用して新しい文化を創出することを目指すといいます。
また、本学部の特徴として、「工学知と人文学、社会科学の知を共創させること」にも触れました。ここで、あらゆる分野の「融合」ではなく、「共創」という言葉を使うのは、それぞれの学問の視点や強みを用いて、必要な知識を引き出す狙いがあるためだそうです。
本学部には、音楽や映像などのアートとの共創を通して、創作支援や表現取得の効率化ツールの開発などに取り組む情報分野専門の教員も所属しています。こうした多様な専門領域の教員のもとで、学生にはAI、データサイエンスを基盤にしながら、アート、環境、歴史などの人文学も工学とともに学ぶ機会を提供しています。
また、カリキュラムにも、理系、文系の枠にとらわれない人材を輩出することを目指す姿勢が表れています。
1、2年次に各分野における専門的な知識を身につけた上で、3、4年次用の共通科目では、分野を超えたディスカッションを推奨。学科、 学年を超えてアイデアを出し合い、分野を超えた学問の共創を実践してもらうことが大きな特徴です。
専門家同士が集まると、その分野に精通している人にしかわからないようなマニアックな話に終始して、専門外の人がディスカッションに参加することができないことが往々にあるといいます。だからこそ、分野を越えて対話し、コミュニケーション力を養うことも重要視しているのです。
「他分野の専門家同士の議論に学生のフレッシュなコメント、疑問が加わり、専門家である教授にとっても、今まで気がつくことのなかった視点を得ることのできる刺激的な議論になることを期待しています」
「決定権をもつ人の違いでジェンダーギャップが生まれる」
続いて、スプツニ子!さん、益一哉さん、それぞれの基調講演では、ふたりから学生への思いが伝えられました。
スプツニ子!さんは、自身の体験を踏まえながら「多様な発想で、世界は変わる - テクノロジーにおけるダイバーシティの重要性」というテーマで、共創工学部の学生たちへの期待を語りました。
スプツニ子!さんの作品のひとつとして、《生理マシーン、タカシの場合。》(2010年)があります。この作品が生まれた背景には、中高生時代から生理痛に悩まされ、イギリスのインペリア・カレッジ・ロンドンに在籍していた時に初めて病院から無料で半年分のピルを処方してもらった体験があったといいます。
「当時、私はピルは避妊のための薬だと思っていたのですが、処方されてからはPMS(月経前症候群)などの症状が軽くなり、驚くほど生活が変わりました。
同時に、 私はなぜ今までこんなに大切なことを知らなかったのかと疑問が出てきて、ピルに関するあらゆる情報を集めてみると、日本のピルにまつわる信じられないような事実がわかったのです」
アメリカ、ヨーロッパ諸国、中国では60年代、70年代にピルが承認されていましたが、日本でピルが承認されたのは1999年のこと。
国連加盟国の中で最後まで承認しなかった2か国は北朝鮮と日本だけでしたが、北朝鮮は日本より5年も早く、承認されました。
これだけ日本におけるピル承認が出遅れたのは、「承認したら女性の性生活が乱れる」、「女性が悪用する可能性がある」という意見が多く出てきたことが背景にあります。一方、男性のED(勃起不全)治療に効果・効能のあるバイアグラは、1998年7月に申請されてからわずか半年で承認されました。海外では、処方後に100人以上の死亡例が米食品医薬品局(FDA)に報告されていたのにも関わらずです。
「私はこの事実に気づくまでテクノロジーやサイエンスが人類にとって公平に重要な課題を解決してくれると思っていたのですが、現実はそうではありませんでした。
テクノロジーやサイエンスだけではなく、政治、ビジネスの世界で誰が決定権をもっているかでジェンダーギャップが生まれることを、18歳で感じました。テクノロジーやサイエンスにおける多様性の視点がいかに大切かを思い知らされた体験となりました。
《生理マシーン、タカシの場合。》は、せめて男性が生理を体験できるようになれば相互理解が生まれ、生理にまつわるの課題を男性も考えるようになれば、世界が少しでも平和になるのではと考えて制作した作品です」
それから20年が経過した今、お茶の水女子大学で共創工学部が設立されたことに社会の変化を感じ、「とても感慨深いものがある」と続けました。
「女性の生理が語られることは、タブーではなくなりましたが、働き方、政治、教育の分野などで大きな変化が起きています。こうした現代において必要とされる、多様な学問の掛け算ができる人が圧倒的に不足してることを感じています。
あらゆる学問の掛け算ができる女性人材が、共創工学部から生まれることを期待しています」
続いて、益一哉さんは「未来を先送りにしない」というテーマでメッセージを伝えました。
「学生の皆さんに新しい領域にどんどん挑戦して欲しいと思っているからこそ、多様性をめんどくさがらないことが大切だと思います。
同一性の高い組織であれば簡単に伝わる話も、多様性のある組織では一向に進まなくなることもあります。
皆さんも専門性を高めていけばいくほど、専門外の人に自分の研究や考えを共有することにめんどくささを感じる場面もあるかもしれません。
同一性の高い組織で物事を進めた方がハレーションは少ないかもしれませんが、多様な意見に耳を傾け、異なる意見が活発に交換された先にしか、新しいものは生まれません。多様性を受け入れることの難しさ、大切さを忘れないでいただきたいと思います」
共創工学部で学ぶ学生たちの未来
式典の後半では、スプツニ子!さん、益一哉さん、共創工学部文化情報工学科佐藤有理助教、共創工学部共創工学部人間環境工学科秋元文准教授によるパネルディスカッションが行われました。
ここでは、共創工学部の研究成果が社会にどのように実装されるか、本学部で学んだ学生が将来社会でどのような役割を担っていく可能性があるか、本学部の教員二人に投げかけられました。
佐藤有理助教は、哲学と情報工学を組み合わせ、人の思考・推論・意味理解について研究しています。
「具体的な技術としては、画像とテキストの自動翻訳を成立させるAI技術が関連します。この技術の社会的貢献としては、例えば視覚や言語に障害をもつ方に向けて、これまでとは異なる方法で情報を伝えるサポートができる可能性があります。
例えば、芸術作品の視覚情報を言語情報に翻訳するときに、表層的な内容だけではなくて、美しいとか崇高だという深いところまでいかに再現できるか。そうしたことにも挑んでいきたいと思っています」
秋元文准教授は、材料工学を専門に研究しています。医療現場や生物学の研究現場で活用できるユニークな生体材料の開発、作った材料の構造・物性評価を行う際には、異分野の研究者との共同研究を行っています。
「私は薬学部で学んでいたのですが、卒論を行う際に出会った共同研究先の研究所で、医学部、工学部の学生と一緒に研究を進めることを経験しました。研究をスタートした早い段階から様々な分野の人とアイデアを交換してきた経験が今も生きています。
ひとつではなく、興味の赴くままに学び、さまざまな専門性を持つことは、その人の独自性になります。複数の専門性を持った上で違う分野の人たちとの対話を重ねることが、もの、こと、人を接続し、思いもよらぬ形に発展することもあると思います。
本学部生には、そういった機会を創出するハブ人材としての役割を世の中で担ってもらうこと、そして、自分らしさを発揮しながらイノベーションにつなげる力を得て欲しいと期待しています」
古い構造ではなく新しい環境への挑戦を
式典では、在籍している学生が本学部を選んだコメントも紹介されました。
「女子の多い工学部に行きたかったから」、「ただものづくりをする工学よりも、人や社会からの視点を考慮した工学を学びたいから」、「物作りが好きで工学系に進みたいと考えていたが、ナッジ(行動科学の知見から、望ましい行動をとれるよう人を後押しするアプローチのこと)による解決に興味があり、そのためには社会学的な知識も必要だと思うから」、「サイエンスコミュニケーターを目指していて、専門知識や分類を超えた幅広い知識、コミュニケーション力、実践力を身に身につけたいから」
本学部への入学を志望した学生たちが、在学中に学問の専門性やコミュニケーション力、実践力を身につけて社会へはばたけば、日本のイノベーション発展も加速するでしょう。
学外からも大きな期待が寄せられています。
【お茶の水女子大学共創工学部 HP】
共創工学部|お茶の水女子大学 (ocha.ac.jp)