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【感性×身体性】イノベーションを妨げる「偽りの理解」を、どう回避するか

9月24-25日、東京・八重洲にて「エッセンスフォーラム2024 - 研究知の社会実装に向けて - 」が開催され、同イベントの2日目には「ジェンダード・イノベーション ー感性が生み出す価値ー」と題したセッションが行われました。
VR・ARやソーシャル・イノベーション、神経美学など、多分野の研究者が一同に会し、ジェンダード・イノベーションをテーマに、感性と価値の関係性、言語化できない経験の重要性、VR技術の活用など、多岐にわたる議論が展開されました。
今回は、同セッションの内容をダイジェストでお届けします。


感性が違えば、見える景色も違う

MC まずは本セッションのテーマとなる「ジェンダード・イノベーション」について、長澤先生よりご説明いただけますか。

長澤 ジェンダード・イノベーションとは、研究開発や製品設計、政策立案などあらゆる分野において、性差の視点を積極的に取り入れることで、新たな発見や革新を生み出す取り組みです。

<長澤夏子さんプロフィール> お茶の水女子大学共創工学部・教授。専門は建築計画学、環境生理心理、建築健康学。建築の利用者の行動、心身の面からみた健康に暮らす住まいの研究を行っている。1995年早稲田大学建築学科卒業、2000年同大学大学院博士課程退学。98−01年早稲田大学理工学部建築学科助手。01−07年理工学総合研究センター。07−09年早稲田大学先端科学・健康医療融合機構(ASMeW)講師。09−15年早稲田大学理工学総合研究所研究員。2015年から現職。2020年から東北大学工学研究科 都市・建築学専攻 教授(クロスアポイントメント)も兼務。お茶の水女子大学ジェンダード・イノベーション研究所にも所属。

例えば、医薬品開発では男性中心の臨床試験が行われてきましたが、女性の生理的特性を考慮することで、より効果的で安全な薬の開発につながります。
また、都市計画や製品設計においても、これまで主に男性が決定や開発に関わってきた歴史から、あらためて女性の視点を取り入れることで、より多くの人にとって使いやすい環境や製品が生まれる可能性があります。

ジェンダード・イノベーションの事例
<関連記事>「個人の差に焦点をあてる」考え方が未来志向の建築と都市を創る

「ジェンダー」と聞くと「女性のための」という印象を抱かれるかもしれませんが、「ジェンダード・イノベーション」は、性差に基づく新たな視点を入れた結果、すべての人にとってより良い解決策を生み出すことを目指しています。
このアプローチは、イノベーションの新たな源泉として、科学技術から社会科学、ビジネスに至るまで様々な分野で注目を集め、実践されています。

MC ありがとうございます。今回は「ジェンダード・イノベーションの可能性」とともに「感性が生み出す価値」についても探求したいと思います。
石津先生、「感性が価値を生み出す」ということについて、日々の研究で感じることはありますか?

石津 感性と価値は、ほぼ同義だと思います。美学では感性的なものの範囲を「美的範疇」と呼びます。

<石津智大さん プロフィール> 関西大学文学部心理学専修教授 09年に慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻で心理学博士号を取得し渡欧。ロンドン大学ユニバーシティ校生命科学部生物科学科リサーチフェロー(09−16)、ウィーン大学心理学部リサーチャー(16−18)、ロンドン大学ユニバーシティ校生命科学部生物科学科シニアリサーチフェロー(18−20)などを経て現職。芸術と美的感性について認知脳科学から研究する神経美学を専門とし,基礎研究とその知見の社会応用に取り組んでいる。

言語で世界をカテゴライズし、曖昧な感覚を「美」や「崇高」といった言葉で区切ることで、明確なシルエットができ、操作可能になります。そこに必ず価値が生まれます。
例えば、スペインの地方文化の例を挙げると、「エスカンシアール」という動詞があります。
これは、シードラ(リンゴ酒)を高く持ち上げてグラスに注ぐ動作を指します。
この一言には、その地方の誇りや食卓の楽しさ、技巧など、様々な価値が含まれています。
つまり、言葉で心のあり方や世界のあり方を区切ることで、その中にいろんな価値が入ってくるのです。

長澤 おもしろいですね。今のお話を伺って、同じ言葉を使っていても、女性と男性では見えている景色が違うのかもしれないと思いました。
もちろん性差だけにとどまりませんが、まずはそういったことに気づく必要があります。
そのためには、開発やデザインのチーム、被験者のバランスをとることが大切ですよね。

石津 私はイギリスで研究していた時、異なる言語や文化背景を持つ人々に対して実験を行う難しさを感じました。
例えば、「美しさ」というスケールは比較的文化を超えて通じますが、「崇高」や「優美」といった日常的にあまり使われない言葉を他言語の人々にどう提示すればいいのか。
完全には伝わらないなと、いまだに苦労しています。

鳴海 感性の言語化の難しさでいうと、私たちの研究室で、電気刺激で辛味を再現する実験をしている学生がいます。

<鳴海拓志さんプロフィール> 東京大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学専攻・工学部機械情報工学科(兼担) 准教授 1983年生まれ。2008年東京大学大学院学際情報学府修了。2011年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。2011年東京大学大学院情報理工学系研究科助教、 2016年より講師(情報学環兼担)を経て、2019年より現職。バーチャルリアリティ(VR)や拡張現実感(AR)の技術と、認知科学・心理学の知見を融合することで、人間の感覚情報処理の仕組みの解明と、その特性に基づいて知覚や認知に効果的に影響を与えることが可能なインタフェースを開発する研究に取り組む。

日本人は唐辛子とわさびの刺激の質的な違いをすぐに区別できますが、イタリア留学中の学生が実験したところ、イタリア語には「辛い」を表す言葉が"piccante"しかなく、わさびと唐辛子の違いを言語化できないことがわかりました。
感じるものがあっても、適切な言葉が見つからないこともあるんです。
カテゴリーにして議論できないと、その価値を表現できない。汲み取ることができないんですね。

イノベーションは「身体性」がないと生まれない

MC 大室先生、全国各地でイノベーション創出に携わっておられますが、立場の違う人たちにどのように気づきを促していますか?

大室 言語だけでは、気づけないことがたくさんあります。

<大室悦賀さんプロフィール> 長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科 研究科長 1961年 東京都府中市生まれ。一橋大学大学院商学研究科博士後期課程満期退学。一般企業、行政を経て現職。専門分野はソーシャル・イノベーション。社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャル・ビジネスをベースにNPO、企業、行政の3つのセクターを研究対象として、全国各地を飛び回り、アドバイスや講演を行っている。著書に『ソーシャル・イノベーションの創出と普及』、『ソーシャル・ビジネス:地域の課題をビジネスで解決する』など。

例えば、起業は頭で行うものではありません。やりたいことがあるから起業する。研究も同じですよね。
説明のために理屈を語ることはありますが、根底にあるのは「面白いからやっている」だけだと思います。
困難なことばかりですが、それが楽しくてしょうがない。言語で説明していたら、面白い人たちは出てこないんです。
学生には恋愛の例で説明します。本当に好きになるのは頭で考えてするものではなく、その人と一緒にいたいという感情や身体的な反応が大切です。イノベーションも同じで、身体的な側面を使わないと生まれません。脳科学的に言うと、言語野を使えば使うほど、イメージを捉えられなくなります。
男性は特にその傾向が強いです。左脳を使えば使うほど、右脳は使えなくなります。

一方で、認知症の人や言語障害のある人は右脳がよく働き、繊細になります。絵画が上手になるという研究もあります。
言語から来る差異ではなく、感覚から来る差異を使わないと変化は起きない。脳が身体の感覚を抑圧しているので、脳を止めると身体の感覚が出てくるんです。
具体的に言えば、女性起業家の支援で、男性のスタートアップの方法論を当てはめてもうまくいきません。女性は右脳や身体的な感覚を使える人が多いので、そこを活かした方が起業しやすいのです。

MC 年齢の問題や経験の差だと思っていましたが、感性や情熱の向け方の違いがあるのかもしれませんね。

安藤 先ほどの「言語では理解できない」という話に関連して、なぜ起業したいのか、なぜ研究したいのかというときに、意思や思い、パッションが根底にあるという話がありました。

<安藤健さんプロフィール> パナソニックホールディングス株式会社 マニュファクチャリングイノベーション本部 / ロボティクス推進室 室長 早稲田大学理工学研究科、大阪大学医学系研究科の教員を経て、2011年パナソニック入社。ロボティクスの要素技術の研究開発から事業開発まで幅広く取組む。大阪工業大学客員教授などのアカデミア活動、日本科学未来館ロボット常設展示監修や経済産業省、日本機械学会、ロボット学会など各種委員も歴任。Note(https://note.com/takecando/)など各種メディアでの発信多数。

その手前に、もう一つあるのではないかと思います。それは体験や経験、文脈といったものです。
例えば、私たちが開発した「コケロボット」というプロジェクトがあります。これは、苔の生態的特性をアルゴリズム化し、ロボットの動きや反応に反映させたものです。

UMOZ(Umwelt of Moss with augmented-rhiZoid)

苔は種類によって湿度や光の条件などの好きな環境が変わりますが、そういった特性をロボットの動きに反映させています。
このロボットを展示や実験で体験してもらうと、面白い現象が起きます。多くの参加者から「体験後、帰り道で苔が増えたように感じた」という感想を聞くんです。
実際には増えるはずがないのですが、体験によって世界の見方が変わったのです。
適切に設計された技術体験は、人々の感受性を高め、新たな気づきをもたらす。なので例えば、VRで異性の体験をすることで、創造性や世界の見方が大きく変わる可能性もあるのではないでしょうか。

鳴海 その通りですね。私は「経験の力」を信じているからこそVRの研究をしているのですが、同時に経験を適切に位置づけないと失敗する可能性もあります。
例えば、男性が女性の経験をするVRを体験しても、それだけで女性のことを完全に理解したつもりになるのは危険です。
実際、妊婦体験キットを使った男性に対して、女子学生から強い批判がありました。
「これだけで女性の経験をわかったつもりにならないでください。毎月の生理や妊娠中の様々な苦労など、一部の体験だけでは全体を理解できません」という指摘です。
経験することは非常に重要で、世界の見方を変える力がありますが、それを適切に位置づけないと大きな誤解を生む可能性があります。
「女性はこうなんだ」と簡単に結論づけてしまうのは、イノベーションの妨げになります。

ジェンダーは、感性を育む「身近なテーマ」

MC 経験をイノベーションにつなげ、適切な他者理解や社会変革につなげるためには、どうすればいいのでしょうか。

石津 直接の答えにはなりませんが、関連する事例を紹介します。
2015年に欧州で経済難民の問題が深刻化した際、自国民に難民への共感を促すためにVRを使ったプロジェクトがありましたが、すぐに終了することになりました。
VRで難民キャンプの様子を見ることで「こんな過酷な環境にいるんだ」と理解した気になってしまったんですね。
実際の匂いや寒さ、本当の辛さはVRでは伝えきれません。偽りの共感が生まれてしまい、問題の解決にはつながりませんでした。
このような分断の問題は様々ありますが、ジェンダーの問題は常に身近に存在しています。だからこそ、ジェンダーの問題に取り組むことで、他の分断を超える方法を見出せるかもしれません。
身近にアプローチできる問題として、ジェンダーは重要な位置にあると思います。

長澤 そうですね。人口の半数を占める女性の視点がこれまで十分に活かされていなかったのは本当にもったいないことです。
ジェンダーの問題は二分法だけでなく、グラデーショナルな課題もあります。他者の視点を考えることの重要性を、ジェンダーを通じて学べるのではないでしょうか。
これは将来的に、民族や文化の違いによる分断の問題にもアプローチする良いステップになるかもしれません。ジェンダーは誰もが共感できる身近なテーマだと思います。

鳴海 石津先生の指摘は非常に重要で、共感には「認知的共感」と「情動的共感」の2種類があると言われています。
情動的共感は感情が高まることで、認知的共感はその立場に置かれた人の経験を頭で理解することです。

VRは情動的共感を生み出すのに強力です。
例えば、黒人差別の体験をVRですると「こんなひどい差別を受けているのか、許せない」という感情が生まれやすい。
しかし、「では具体的にどんな支援ができますか」と聞かれると、なかなか答えが出てこない。

先ほど大室先生が言語的なものと身体的なものの話をされましたが、VRの場合は逆に身体的な部分が強すぎる傾向があります。
そこで私たちは、子育てしながら働く人の経験を共有するVRコンテンツを作る際に、2つの工夫をしました。

1つは、異なる視点を複数入れることです。子育て中の社員の視点だけでなく、その上司の視点も入れました。仕事の締め切りと子育ての両立に悩む部下と、重要な取引先への対応に追われる上司、両方の立場を体験できるようにしたのです。

もう1つは、VR体験後に必ず当事者との対話の時間を設けることです。
VR体験だけだと感情的な共感で終わってしまいますが、当事者と話すことで認知的な理解が深まります。
例えば難民の方と直接話すと、感情的には少し距離ができるかもしれませんが「このような人々をケアすべきだ」という理性的な判断につながりやすくなります。

私たちのワークショップでは、職場の全員にVR体験をしてもらい、その後でディスカッションを行います。すると、部下は上司の大変さを、上司は子育て中の部下の苦労を理解し、お互いの立場について議論しやすくなります。
共通の経験があることで、自分の状況も語りやすくなるのです。
実際に5社ほどで実施し、1ヶ月後に追跡調査をしたところ、「明日から何をしようと思いますか」という質問に対して、最も多かった回答は「もっと話を聞こうと思う」でした。
これが最も正解に近いと思います。

状況は人それぞれなので、「子育て中の人には優しくしよう」といった一般論ではなく、個々の状況を理解しようとする姿勢が生まれたのです。
異なる立場の人々の相互理解を促進し、コミュニケーションを活性化させる上で、このようなアプローチは有効だと考えています。

石津 とても勉強になりました。感性には個人で楽しめるものと、人との繋がりの中でしか起きないものがあります。
この2つが時に拮抗することがあります。個人、1対1の関係、家庭、組織、地域など、様々なレベルでこの2つの感性をどう調和させ、最適なバランスを取るかが課題だと思います。
最終的には対話が最も大切で、そのためには場所と時間が必要です。それをどう作っていくかが重要だと感じました。

鳴海 ジェンダード・イノベーションという言葉を聞いて最初は身構えましたが、お話を聞いてみると意外と身近な話題だったと感じました。
既に取り組んでいることもあれば、これから考えていかなければならないこともあると気づきました。ただし、言葉を知っただけで「もうジェンダード・イノベーションをマスターした」と思い込んではいけません。
これからどう解像度を高めていくか、何を具体的に考えていく必要があるのかを日々考えながら研究を進めていきたいと思います。

<エッセンスフォーラムとは>
「あらゆる研究「知」が、自在に社会と混ざり合う機会を生み出す」をミッションとした、株式会社エッセンスが開催するフォーラム。昨年に続き、2024年も2日間にわたり「エッセンスフォーラム2024 - 研究知の社会実装に向けて - 」を開催。
2日間で1467名(のべ2392名)が参加し、共催パートナー、協力機関、協賛企業と共に日本最大の招待制の研究者ビジネスカンファレンスとなった。次回は、2025年9月に開催予定。
https://esse-sense.com/forum2024

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