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あの日あなたが背中を押してくれたから

私が音楽を作り始めたのは、もう15年ほど前になる。最初に買ったのはMTRだった。右も左もわからないまま生のピアノのアナログ音源から始めたが、程なくデジタル一本に移行した。

ボーカロイドが誕生した少し後、流行りに乗ったつもりでIAをお迎えした。ただの合成音声ソフトに過ぎなかった概念に、人格やストーリーが集合知によってどんどん追加されていって、一つの世界観を造り上げていくムーブメントは客観的に見ても、圧巻だった。

ならば私もこの市場で名を上げてやろう、というモチベーションが無かったわけではない。が、後発で参入するには余りに高い壁になっていたのも事実で、そこで活躍出来るほど自分の技術を磨いていけるのか、といえばそこまでの努力は出来ない(偉人たちの膨大な研鑽に敬意を表し、決して「才能」という言葉は使わないようにしている)と感じたのもまた事実だった。

以前も少しだけnoteに書いたことがあるが、創作には多大な感情エネルギーを要する。そこには巧拙の差はあまり無く、形にしようとするその工程そのものに、大きな燃料を必要とするのだ。だからこそ、知的好奇心だけを燃やして作るような創作は産みの苦しみを常に伴う。なかなか形に出来ないまま、客観的なフィードバックも返って来ない。ひたすら暗中模索を繰り返す中で、どうにか初めて世に出せるくらいの作品と呼べる作品を生み出すことに成功した時、私は一つの幸運な偶然に遭遇した。

当時活動の拠点にしていたピアプロで、コラボ(いわゆるコミュニティ機能のようなもの)に作品を投稿した際、好意的な反応を示してくれたのが、この記事のヘッダ画像のイラストを描いてくれた絵師さんだった。私の、いわゆる手癖のような旋律の作りが好みに合ったらしい。私が作った曲を動画として公開するためのイラストを描きますよ、という申し出をいただいた。

ここまで読み進めてくれた方も、是非戻ってじっくり見てほしい。はっきり言ってしまえば、その時の私の作品に対しては分不相応なほどに美しい、息を飲むような見事なイラストだった。

今はもう、別の名義になったのか、商業プロになったのか、もしかしたら筆を折ってしまったのか、私が描いてもらった時の名義では更新されていない。
いずれにせよ、きっと同じ空の下、どこかで元気に、と願うくらいしか出来ないが、今でもそう感じるくらいには私にとっては大きな大きな出来事だった。

そう、紛れもなく大きな出来事だったのだ。当時は何という僥倖だろうかと喜ぶばかりで、その意味の大きさが分かってなかったのかもしれないと、今になって感じるようになった。先述した通り、創作には多大な感情エネルギーを要する。感情を発露する目的で創作に自然と向かうようなこともあれば、それが第三者に起因することもある。あの時、あの絵師さんに出会って無かったら、私はそもそも続けようという気持ち自体が続いてなかったかもしれないな、とすら思う。

さて、主題までの導入がだいぶ長くなってしまったが、今回この話を書こうと思ったきっかけは二つある。
まずは、先日発表した自作曲のテーマにこの時のエピソードを使わせてもらったのが直接的な要因だ。
あまり作詞にノンフィクションを持ち込まないタイプなのだが、今回は色々思うところもあって文字に残すことにした。

↓まだ聴いてない人いたら是非聴いてください、という露骨な宣伝

自分で書いたものに解説を入れるような無粋を自分でやるのもちょっと気が引けるので流石に具体的な引用は控えるが、まあシンプルに言えば、恩を直接返せなかった不義理に対して、ある種の自戒と決意を込めて書いたものになる。
何も言わずに活動を辞めてしまったこと。私のために描いてくれた素晴らしい作品に対して、思うように応えることが出来なかったこと。これはずっと言語化してこなかったが、どうしても心に引っ掛かって消えてくれない後悔になった。

あれほど目を引く美しいサムネイルでも、宣伝も何もしなければ当然人の目には留まらない。自分に自信が無かったなんてのは、後付けの理由にしかならない。拙い曲だけど、世界一素晴らしいイラストを描いてもらったからみんな見てね、と騒いで回ればよかった。そのくらい大袈裟に言って回っても誇大に感じない、素晴らしいイラストだと私自身は思っていた。だが、当時はそこまで思い至らなかった。自分の中で良いものが作れたと思えばそれでいいか、と収めてしまっていたが、あれだけの作品を出してもらっておきながら、多くの人に見てもらう努力をしなかったのはやはり不義理だったと今では思う。

私がもう一度音楽をやろうと決めた時、このいつまでも消えないささくれのような感情を顧みて、私なんかが、とか、微力ながら、とか、後ろ向きな言い訳を添えて作品を出すようなことは、もう二度としないと決めた。
先にこう言っておけば、「無反応」という最大の恐怖に対する自己防衛は出来る。これは創る側の人間は誰しも経験しているし、共感出来るところだと思う。しかしそんなものは、自分の決意の妨げにしかならない、というのもまた事実なのである。どんなに反応が薄かろうが、心無い人間の嘲笑を買おうが、自信を持って人に勧める。この恐怖心を乗り越えなければ、自分の技術を上げていこうというモチベーションにも繋がっていかないし、そして何より、一緒に創ってくれた方々に対して、不誠実だ。

力が欲しい、と思うようになった。世界を変えるほど、とまではいかなくてもいい。私が応援したいと思った人の未来を、少しだけ良いものに出来るくらいの力が欲しい。この際手段は何でもいいのだ。幸い現代は全くの素人からでも色んな表現手段を選べるくらいには便利になっている。

自身がクリエイターなのか、ファンなのかと言えば、きっと後者なんだろう。誰かのために、というモチベーションを創作の原動力にして今は生きている。推しが生きがい、といった表現を耳にすることが多くなったが、これはきっとこんな情動から来ているんだろうな、ということも理解出来るようになった。

さて、ここでこのテキストを書き始めたきっかけの二つ目を紹介したい。
あまり回りくどい表現をしても仕方ないのでシンプルに言おう。氷織さんである。

知らない人のために記事を引用しておく。こちらを書いた方である。

読んでない人は読んでほしい。読んだことある人も今このタイミングで再読すると味わいがあるので是非もう一度。
大変失礼ながら、熱狂的を飛び越して、狂気すら感じる推しへのエネルギー。個人的にこの記事に受けた影響は実はかなり大きい。

創作は、技術に走らず、感情の奔流みたいなものをそのまま発露させた作品こそが非常に良いものになりやすい。ドラマティックな構成で、読んでる方もドキドキするような見事な筆致に絶句した。

本当にジャスティンビーバーになっちゃうんじゃないのこの人、とぼんやり思うことは何度かあった。そして本当にジャスティンビーバーになっちゃったね、と思わされた直近のニュースに感化されて、この記事を書こうと決めた。当人は否定していたが、すぐにあれほどの祝福が集まるのは、それだけの認知を集めていた証左でもある。

たまたま書いてた曲のテーマがリンクしたのは(そもそも制作の大半は先月以前なので)ただの偶然だったが、翻って自分で書いた詞を改めて読むと、氷織さんのストーリーに被るところがあるように見えるのが怖い。「この歌詞自分のことが書いてあるんですけど!」みたいな話はこういうところから生まれるんだろうな、と感じた次第だ。

さて、何ともまとまりの無い文章になってしまったが、この、ある種書き手である氷織さんへの憧れのような感情こそが、今回の本当の主題なのだ。

推しは推せる時に、とはよく言ったものだ。

報いたかった。あの日こんな私に声を掛けてくれたあの人に。

今でも心から感謝している。あの日あの時私をあなたが肯定してくれたから、今の私に繋がっているというその事実に。

それすら言えない環境になって改めて身に染みる。推しは推せる時に推せ。

きっと世の中には、私と同じような後悔を抱えている人が山ほどいるんだろうと思う。言葉にするのが難しかったり、気恥ずかしかったり、言葉にしてしまうことで逆に真実から遠ざかってしまうような微妙な感情を抱えていたり。それが、言葉と感情の関係性の難しさでもあり、人間という生物が背負う足枷だとも思う。

でも、そんな時に、心を奮い立たせるために思い出すのだ。「私がジャスティン・ビーバーにでもなんでもなるから、世界に知ってもらってくれ。」なんてカッコイイ台詞は出て来なくてもいい。ただ、自分が味方であることを、応援している誰かを肯定していることを、はっきり言葉にするだけで、相手を、そして他ならぬ自分を救うことが出来る。

「言わなくても暗示的にわかることだとしても、他人から見てわかりにくいものははっきり言っておいた方がいい」。こんなこと、プログラムを書く時には簡単に分かることなのに、どうしてコミュニケーションだと迷ってしまうんだろう。それなら技術者らしく、こう覚えておけばいいか。

推しは推せる時に、明示的に推せ。

あの日背中を押してくれたあの人と、言葉にする勇気をくれた氷織さんに感謝と敬意を込めて、結びとしたい。

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