安定聖1を1000人走らせてみた玉の間シミュレーション
序文
さて、しばらくの間はリーグ関係で遅滞していた、溜まったタスクの消化に努めますということで、もうタイトルそのままなのだが、以前少しだけ書いた「1000戦単位だと結構実力と結果がブレちゃうよ」という話題を出した時にもらったリクエストを、重い腰を上げてシミュレートしてみた。
前提
・同じ実力のプレイヤーを1000戦×1000回玉の間豪1原点からスタートした場合のポイント推移を追ってみる(※変数の初期値0なのに1000まで繰り返すという社会人1年生みたいな手違いで1001人になりました。これでIT業界10年目、という本当にあった怖い話という体裁でお送りして参ります。)。
・全てのプレイヤーは玉の間で1着28%、2着26%、3着24%、4着22%の結果に落ち着く、平均着順2.4、安定雀聖1のバランス型とする。
・素点のバラつきは考慮しきれないので、トップは4万、2着は3万、3着は2万、ラスは1万とする。順位点の依存度バカ高いルールなのでまあそんなに影響与えないでしょうという気持ち。
・1000戦消化前に雀傑に落ちた場合は、その試行についてはその時点で終了とする。
という感じで、まあ言ってしまうと前提を読む必要すらない、素材の味を楽しむタイプのシミュレーションである。本来的にはトップ寄りの人とか連対寄りの人とかラス回避特化の人とか色んな人が混在しているのだとは思うが、その割合とかもわからないので一旦これで。
結果発表
もったいぶっても仕方ないのでもう結果を貼ろう。
さて、これを見てどんな印象を受けるだろうか。私の個人的な感想は「意外過ぎるくらいに実力通りに収束しているな」である。なんと適正段位の±1段で全体の7割を占めている。
そしてそもそもこんじゃんけつ153名のほとんどはスタート間もなくド下振れを引いてあえなく即落ちしてしまったパターンなので、これを個人の視点で考えた場合、もう一度玉の間に戻って下位15%を再度引かなければ、今度は大体期待値付近まではいける計算になる。各個人が2~3回アタックすればかなり期待値付近に集中するだろう。
ちなみにいきなり脇道に逸れるが、魂天がゼロだったのは1000戦という区間が短過ぎた影響だろうと思われる。いつか2000戦でやってみようかなとも思ったが、あんまり意義が無さそうなのでやらないかも。。。
もう一つ、あまり論旨には関係しないのだが、最高段位も記載しておこう。
ちょうど全体の3分の1にあたる334人が期待値通りの聖1という結果だった。334人である。な阪関無。そんな話は置いといて、雀豪3の分布が1000戦終了時と大きく乖離しているところを見ると、やはり適正段位まで辿り着いた後はそこそこの割合の人が跳ね返されるということなのだろう。
考察
さて、ここまでで話を終わってしまってもいいのだが、自分の「感覚」との乖離についてもせっかくなので書いておこうかと思う。机上の計算だとこんなに安定、集中するはずの安定段位に全然人が安定しないのは何故なのだろうか?私は大きく分けて2つの理由を思いついた。
①メンタルはナマモノ
人間はメンタルで実力が上下する生き物なので、単純な確率の乗算では求められない部分が多分にある。
②実力がナマモノ
麻雀というゲームの特性上、メンタル関係なく、一時的に「本当に弱くなる」パターンがあるのでそれが影響している。
段位戦の戦績を左右するのは「下限底上げ力」
まず①についてだが、これは「メンタル」と大きく括ってしまったが、そもそものその対局に割ける脳味噌の処理能力自体が場面で変わる人は実は結構いると思う。私自身がそのタイプなのだが、絶対に負けられない一発勝負の試合が続くと、終わった後に信じられないほど疲弊していることがよくある。以前四象戦のベスト8まで残った時は気絶するように寝てしまい、次の日に支障を来したくらいにはダメージが残ってしまった。これは裏を返せば日常の段位戦でいかに手を抜いてしまっているか、という話にもなってくる。メンタルというよりはもはやフィジカルの話に近いかもしれないが、自分が自分の中のベストに近い品質を出せる限界点を自分で認識しておくのも重要だと思う。
また、文字通り「メンタル」、つまり精神的なコンディションの打牌への影響度も人によって大きく異なる。以前誰かが統計を出していた「ラスを引いた次の対局の成績が明確に悪化している」といった事実は人間の精神がいかに脆弱であるかを示していると思っていて、これを「改善しよう」というのは結構無理な話なのではないか、というのが個人的な感想だ。どちらかと言えば「ラスを引いたらその日は強制終了」のような具体的アプローチでの制御の方が功を奏するだろう。
というわけで①についてはざっくりとしたまとめになったが、メンタルだったりフィジカルだったり要因は色々だが、本来のパフォーマンスが発揮できない状態で打ってる人は結構いて、そこをコントロールするだけで実は結構成績が良化するのではないか、という結論になりそうだ。
これは完全に余談且つ個人的感想だが、天鳳強者の人たちは揃ってこの「下限」が圧倒的に高レベルにある気がしている。もちろん上限というか通常時の実力も強いのだが、厳しい展開が続いても何時間打ち続けてもほとんど内容がブレないイメージがある。逆境でも飄々と打てるような骨太な打ち手に私もなりたいと憧れている(もしかしたら実際は表に出さないだけで、無言で壁を殴ったりマウスを投げたりしているのかもしれないが)。
筋肉痛は筋肥大のサイン
さて、ここまで駆け足で書いてきてしまったのでお察しかもしれないが、私が今回の記事で一番書きたかったのは②の話である。麻雀は、かなり打ち慣れて経験のある人でも、何かを変えようとするとほとんどの場合で一時的に弱くなったりバランスを崩したりするよね、という話だ。
特にこれは外部的刺激によるケースが多いと思うのだが、誰かに教えてもらったり、AIの牌譜を見たり、自分とは異質な情報を取り込んで打牌に反映しようとすると、チグハグになって弱体化する瞬間がある、というのは多くの人が経験していることだと思う(私が不器用なだけだったらごめんなさい)。
そもそも麻雀の学習は、引き出しを増やすこと、引き出しを開けてみること、引き出しの中身を整理することの3つのサイクルで成り立っている。引き出しを増やすことと開けてみることはそのまま座学と実戦、すなわち帰納と演繹と言い換えてもいいかもしれない。演繹を繰り返すうちに帰納時点の条件付けが誤っていたことに気付いて中身を入れ替えるとか、頻繁に開けてはみるものの、思ったほど影響が出ないので奥の方にしまい直すとか、そういった整理を実戦を通して行うことになる。
この「整理」をバランス良く行うのがとにかく難しい。大胆な捨象は常に微細な欺瞞を伴うが、捨象せずに個別具体化しようと思うと分岐がとんでもない数に増える。実例を見てみよう。
「平和ドラ1は全部リーチ」
なるほど、覚えやすくてわかりやすい。だが、これももちろん僅かな欺瞞を含んでいて、誰かが三元牌を全部ポンしていてもリーチした方がいいのか、など極端な事例を考えれば当然リーチしない方がいい、どころかテンパイを取らない方がいいような場面だってある。
つまり、「平和ドラ1をリーチすべき状況」という線引きは現実には存在するのだが、あまりに打ち得のために「線引きなんて考えない方が間違いが少ない」というのもまた事実であり、実際にここに線引きを持とうとして追加で引き出しを増やすと「開け間違えて本来無かった失着が増える」というケースに遭遇するようになってしまうのだ。
これが「一時的に弱くなる」の正体の一面だと私は思っている。特に使う頻度が少ない引き出しは開け間違える確率も高くなる。あまりに使わなければ「捨てる」ことも選択に入ってくることがしばしばある。
一度整えたバランスを変えるのは本当に難しい。元々考えようと思えば考えることが飛躍的に増えるゲームだ。考え過ぎて本来最も気を回すべき自手を間違えてしまって本末転倒、なんてこともよく出て来る。
ただ、それでも変化を恐れないことが重要なのではないか、というのが今回の私の結論だ。新しいことを取り入れることで短期的に(比較的長期に及ぶケースもあるかもしれないが)弱くなるとしても、大きく変えようとしなければ強くなっていけない、というのもまた事実なのである。細かいチューニングと反復練習だけでももちろん少しずつレベルは上がっていくし、ハイレベルなフィールドになればなるほど動かせる幅は減ってくる。それでも、抜本的なところを揺らしてみる、挑戦してみるという意識を失うと人は成長機会を大きく制限してしまうのではないか、と私は感じるのだ。
※尚、あくまでこの先も大きく成長が見込める私を含めた未熟な層向けの話なので、「大きく揺らして強くなる」みたいな余地が無いトップレイヤーは読者想定してないので悪しからず。
成績が汚れるのは誰だって嫌なものだ。畢竟我々ネット打ちは、目の前だけでなく過去も含めた「それ」を良くするために打っているのだから。故に、本能に抗って自己を変えるという意識が無ければ、変わっていくのは本当に難しいのだと思う。
いいじゃないか、負けが続いても、成績が汚れても、打ち続けるうちが全て成長の途中だと思えばいい。大きな筋肥大がキツい筋肉痛を伴うように、統計上ちょっと考えられないような負け方をした時こそ胸を張るのだ。
「下振れですか?」と問われたら、「いいえ、筋肉痛です」と即答できる。そんなマインドでこれからも頑張れるように、気持ちを新たにしてまた段位戦の日々に臨みたい。そんな気持ちになれるシミュレーション結果だった。