始祖のヒッチハイカー
自分の20代をまとめる上で、一時期ヒッチハイカーだったことは、外せない。このネーミングがシュールなので僕は使う。
21歳〜23歳くらいまで、とにかく全国あちこち、
仲間と一緒に、親指とプラカードと気合で、どこまでもいった。リアルに北は青森、南は徳島まで。総動員数は50人以上。
自分が始めた当初は、もちろん身の回りでそんな狂ったことしてる人はおらず、前情報がほとんどなかった。やり方も、時間感覚も、全て自分の体験で測って、作っていった。
まさに始祖。(進撃の巨人風に)
コロナ時代に突入して、車メインになった僕は、この半年くらいで何度も海老名SAに立ち寄っているが、全くヒッチハイカーを見かけない。誰もやらなくなってしまった。もしかしたらこのままこの文化は失われるのかもしれない。
ヒッチハイカーとして大きく勝負したのは、2014年に15人で東京から神戸までヒッチハイクで行き、フェリーで高松に渡り、2日で四国を一周したという企画。しかもほぼ初対面。
こういう企画が僕を伸ばしてくれた。
この四国の会も含め、数多の伝説をヒッチハイクで作ってしまった為、その全てを語り尽くすことはできないが、やっぱり1番覚えてるのは、初めて1人でヒッチハイクデビューしたときのこと。
日本一周をバイクでして、燃え尽きたというか、もうちょっと変わったことできないかなと模索しているときに、ホリエモンのゼロという本を読んだ。
"東大生の学生証は日本中どこにでも行けるパスポート"
と、言い切り、ホリエモンは東大生の時に全国ヒッチハイクで旅をしてたことがあるらしい。めちゃくちゃ意外。
東大生でもない僕は、
この表現に突き刺さり、
そしてなにかの予感を感じた。
そしてすぐに友達のバターに、
"明日休み?一緒にヒッチハイクいかね??新潟まで"
と、誘ってみた。
その時近くにいたから。
そしたら断られた(笑)
それでも僕は、
自分が予感したことを、
実行せざるを得なかった。
よし、今日、やる。すぐやる!
まず1人でやる。決断した。
夜勤を終え、そのまま近くのSAに突入。そして、1時間仮眠し、ヒッチハイク開始。
8時に沼津で開始した為、24時にここに帰ってくると決めた。なので、16時の時点でどこにいても、必ず静岡に向かうことだけ決めた。
ひとまず西へ。上手くいくのか、どこまで行けるのか、全く手がかりがなく、わからない。
わからないなりにも、少しずつ進んだ。
そして沼津から掛川に到着。
そして!掛川では愛知に向かうカップルに拾ってもらった。
掛川から愛知までの道中、話も結構盛り上がった。
ヒッチハイクでついに県を跨ぎ、愛知に突入。感動もするし、すごく恩を感じた。
そんな中、カップルの目的地である、愛知の香嵐渓に着く手前のところで、車が大渋滞。香嵐渓についたら解散する予定だったのだが、なかなかつかず、だんだんと車内で話すことも無くなり、雰囲気もあまり良くない。
そんな中、助手席に座ってる彼女さんが、
"トイレ行きたい!
もう我慢できない!!"
とのこと。
結構極限みたいだ。
恩を感じていて、なんとか活躍したい自分は、思わず車を飛び出した。近くのトイレがどこにあるのかを確認するために走った。
そしたら走って3分くらいのところにあった。
しかし!
ここまで彼女は走れない。
なんとかならないか、
必死に考えながら、目線を下に移すと、なんと、、
道の脇に放置されて捨てられたボロボロのチャリが。笑
これ、乗れるんじゃない?
と思い、乗ってみた。
案の定乗れた。
これしかない!!!!笑
すぐさまチャリ漕いで車にもどり、車から彼女を下ろして、チャリに乗せ、トイレまで連れていった。
、、間に合った!!!
セーーーフ😂
彼女も、彼氏さんも、
めちゃくちゃ感謝してくれて、
電話番号を交換して、
帰りも乗せてあげるからまた連絡してね👍👍と。笑
すごい展開!!!🤣
その当時、その体験をしながら、これはいつかブログにでもしようと考えてたので、ここで初めて、6年越しに文章化。
そこから自分は、そのボロボロのチャリを10キロくらい漕いで名古屋に突入。
そのタイミングでちょうど16時になっていたので、クタクタで疲れ果てて、電車で帰路に着くのであった。
自分の人生トップ3に入る濃さの一日だった。