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軽々と文理越境してみたいよね

僕たちはなんだか文系/理系という枠組みに縛られ過ぎています。そうは思いませんか、皆さん?

そもそも文理は高校のカリキュラムと大学受験というシステム上の都合上、便宜的に設けられた枠組みに過ぎません。そんなただの枠組みに文系/理系という便宜的な区別のための名称が作られて、そこにアイデンティティを持つ人もいるので不思議なものではあります。

インターネッツを見れば自分は文系だから〜できないとか、理系だから感情的にならない、とか書いてあるんです。もうね、アホかと。馬鹿かと。当たり前ですが、高校のときの僅かなカリキュラムの差で人格や能力に差が生まれたりはしません。たとえばインド哲学科の学生が解析接続できなくて数学科の学生ができるからといって、数学科の学生が感情的にならないわけが無いんです。

いつから社会的に文系/理系にこういったイメージが付与されたのか僕は知りませんが、実際の人となりは話してみないと分かりません(当然ですね)。文系/理系という縛りは、大袈裟に言えば重すぎる装備であって、人の思考能力を奪っていると言ってもいいです。

実際のさまざまな社会的問題も、文理どちらかで解決できるものなどひとつまみもありません。たとえば環境問題ひとつ取り上げてみても、大雑把に言って物化生地、数学、法学、政治学、社会学、社会科学、人間科学など文理を越えた多くの学問を動員しなければ解決できません。

それにも関わらず文系/理系で何かを判断してしまうのはとてももったいないことです。

更に不満を申し上げるなら、高校一年生、16歳の少年少女に文理選択をさせて、それで進路が大体半分に狭まるというのもおかしな話です。もちろん文理を変える手立てはいくつかありますが、現実的にさまざまな制約があります。その制約の多くは入試科目ですね。一度文理選択すると変えられないという所も含めて、入試科目やカリキュラムといったことに関して、高校も大学も、もっと柔軟になるべきです。特に大学は教育機関ではないのですから、尚更全学的に文理の壁を失くすべきでしょう。

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