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信じる

「信じる」と聞いてまず思いつくのは胡散臭さだ。
まるでアニメの主人公になったかの様なそのセリフは、目を輝かせ自分を全力で肯定しようとしている様を思い浮かべる。

僕は「信じる」を多用する人のことを信じない。
なぜなら、無責任だからだ。責任を全てその人に放り投げているとさえ感じる。

信じる為には疑わねばならない。


例えば自分が上司の立場だったとしよう。遅刻が多く仕事の爪も甘くミスが比較的多めな部下の言葉を信じれるだろうか。そんな部下の「次のプロジェクトは私に一任させてください」という言葉を丸々信じれるだろうか。

僕だったら断固として信じない。
形としてプロジェクトを任せることになったとしても、優秀な部下を一緒にチームに入れ進捗状況や達成度の途中経過などを細目に報告させるはずだ。

信じる為には普段からの観察が重要だと感じる。
今回の例だと、普段の業務の出来具合や態度がそれ程芳しくない部下には任せれないといった感じだ。
観察→疑い→信じるor信じない という流れになると思う。

上記の例は極端ではあるが、多かれ少なかれ相手を信じる為には「観察」と「疑い」が必要だと感じる。
自分が不幸にならない為にも、日頃から穿った見方をして裏切られないようにしたいものだ。

「全責任は自分にある」と胸を張って言えるように日々を精力的に能動的に生きていこうと思う。

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