言ってしまえばそれまでだから。

私は容易に何かを口にしない。明確な意見を口にしない。思いつきで発言することはない。会話においては、皆の意見に耳を傾けつつ、確実なことのみを口にしたい。そういうスタンスだ。現実には難しいのだが。

口からこぼれ出るまでは、その者の思考はあくまで漠然かつ抽象的な思考でしかない。それに言葉という形を与え、発する。その瞬間、その者から抽象的な思考は消え失せ、明確な形だけが残る。思考が固定化される。それが嫌だ。

私の中には、これほどまでに深い思いが詰まっているのに、それをわかって欲しいのに。言葉にすると、何も伝わらない。いやむしろ、私の中の神秘が暴かれていく。おまえがが重苦しく抱えているこの感情は、たったこれだけの、取るに足らない、くだらないものだと。あっさりとした原因とありきたりな反応、それだけだと。看破されるのが惨めで仕方ない。

いや、世間一般の人はそれで喜ぶのだろうか、「悩みが解決された」と。「モヤモヤを感じたらとりあえず全て書き出してみましょう」と推奨されているのだから、そうなのかもしれない。しかし私は、安っぽい熟語に私を語らせたくない。「青春」だの「色恋」だの「思春期」だの「反抗期」だの、そんな言葉に私の内を代弁させて、「あーね」と勝手に納得されるのはゴメンだ。

私はそんな言葉が嫌いだ。結局こんな凡庸な言葉しか紡げない私が嫌いだ。

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