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下町音楽夜話 Updated 008「ニッパーくん:愛すべきビクターのワン公」

東京の下町に限ったことではないが、むかしは商店街などを歩いていると、きまっていくつもの人形に出会った。実にアナログな宣伝手段だが、認知度は高かった。有名どころでは薬局の店先にはケロヨンやゾウのサトちゃんが、不二家の前にはペコちゃんがいた。そしてレコード屋さんの前には必ず犬がいた。そう優しい目をした、あのニッパーくんだ。日本ではあのビクターのワン公と言った方が分かり易いかも知れない。蓄音機のラッパから、亡くなった以前の飼い主さんの声が聞こえてくるので、不思議そうに首を傾けているテリア系の犬である。音楽というもののよさを端的に伝えるこの犬の物語は、欧米各国で様々に伝えられており、真相はかなり深い霧の中である。しかしこの犬に心を奪われた人間の何と多いことか。インターネットで検索すると、何十万件ものサイトが出てくるので驚かされる。

ニッパーは1884年にイギリスのブリストルで生まれている。最初の飼い主は風景画家のマーク・ヘンリー・バラウドという。ニッパーはご主人が突然亡くなるまでの3年間をともに過ごし、その後息子さんと一緒に従弟の画家フランシス・バラウドに引き取られる。フランシスは1889年に蓄音機を覗き込むニッパーを描き、「ヒズ・マスターズ・ヴォイス」というタイトルを付ける。フランシスはこのタイトルの由来を明言していないが、一般的には自分を可愛がってくれた前のご主人の声が聞こえてくるので、ラッパの中を不思議そうに覗き込んでいるのだということになっている。

しかし世の中にはいろいろ言う人間がいるもので、蓄音機の形式が時代に合っていないだとか、フランシス・バラウドは正しい蓄音機の使い方を知らないだとか、歌手でもないのに前のご主人の声が残っているはずがないだのと言う。しかし、大英博物館に所蔵されている原画は、一般に普及している円盤式蓄音機の絵の下に、塗りつぶされた円筒式の蓄音機がくっきりと浮かび上がって見えるのだそうである。つまり最初に犬のマークの意匠登録をしたイギリス・グラモフォン社のライバルにあたるエジソン社の「録音再生機能がある」円筒式の蓄音機が、最初に描かれているのである。

1899年、当時のイギリス・グラモフォン社の社長オーエンが、宣伝に使うために自社の最新式の蓄音機をフランシス・バラウドのもとに持ち込み、もともとあった絵の描き直しを要求し100ポンドで商談が成立したことまでは明らかになっている。その後1901年にアメリカでは、犬の絵の商標権を持っていた人間がビクター・トーキングマシン社を設立し、このトレードマークは一気に全世界に広まっていくことになる。我が国では忠犬ハチ公の美談に押されたか、「愛すべきビクターのワン公」程度の認知度だが、よその国では圧倒的にニッパーの方が有名であろう。一方で、国によっては不浄の動物であったり音痴の代名詞であったりして、犬のトレードマークはレコード会社にとって扱いが難しいようである。

1981年、タワー・レコードがまだLPレコードの時代だった日本にやってきて、音楽好きを驚かせ、喜ばせたときのことはよく覚えている。あまり好きではなかった渋谷の宇田川町へしばらくは通ったものだ。ペラペラの輸入盤が丁寧に扱われていない印象が強かったが、それまで見たこともない盤が大量に売られており、ショックを覚えたことも事実である。タワー・レコードでは同タイトルの新盤が何十枚も並べられていたが、それまではどの店でもせいぜい2・3枚がいいところだったように思う。だいいち近所にある小さなレコード屋さんで買う方が一般的で、目的のものがあればラッキー、なければ注文して数週間後に入荷などという買い方だった。自分がレコードを買い始めた頃は、注文するなどということが知識として頭になかったので、レコードは本当に一期一会だったのだ。

その後、ヴァージン・メガストアやHMVが進出してきて、こういったメガストアは一般的なものになっていった。そして、いつの間にか音楽そのものが大量に生産され、大量に消費されるものになってしまった。ダウンロード販売や定額配信サービスが一般的になった昨今、残念ながら大量廃棄されるCDの問題も現実となってしまった。決して昔の方がよかったと言う気はないが、ある一枚のレコードをじっくりと眺めながら、買おうか買うまいか悩むということがなくなってしまったことは残念だ。クリック一つで買えることは確かに便利ではある。しかし、その一方で、思い入れが薄くなっていることも事実ではなかろうか。もちろん繰り返し聴く回数も確実に減っている。死ぬまでにもう一度すべてを聴けるかというと、物理的に無理な枚数を保有している自分の行動も褒められたことではない。

自分が最も音楽に夢中だったのは、おそらく中学生の頃だろう。親の手伝いなどをして小遣いを蓄え、清水の舞台から飛び降りる思いで買ったLPレコードは宝物以外の何物でもない。5千枚あまりあるCDはすべて手放せても、悩みに悩んで、それでも無理をして買ったピンク・フロイドの「おせっかい」や、レッド・ツェッペリンの「フォー・シンボルズ」のLPなどは絶対に手放せない。当時、そんな悩める中学生の姿を、十条駅前にあったレコード店の入り口脇から、ニッパーの小さな目が見ていたわけだ。ニッパーの頭を随分撫で回したのだろうか、手触りまで憶えている。しかし今では自分も専門店的な中古盤店に年数回行く程度で、それ以外はウェブ通販に頼っている。気軽に海外からお取り寄せできることは本当に有り難いが、行きつけのご近所さんがないことは本当に残念である。

小さなレコード店の経営は当然厳しいだろう。自分が時々覗いた店も随分無くなってしまったが、京都のようにレコード店が増えている町もあることがせめてもの救いか。そういった小規模店舗で、将来様々な思い出とともに懐かしく思う音盤を入手している近所の子供たちがいるのだろうか。自分の人生のBGMとなる音楽を、育った街で手に入れ、夢中で聴く。そしてそれぞれの愛すべき思い出が形成されていく。そのこと自体のよさというものは、もう昔語りの中にしかないのだろうか。もし子供の頃からウェブ・ショップやリアルでもせいぜいメガストアの世界しか知らないのでは、ちょっと寂しい気もする。インターネットやメガストアのせいで物を大事にしない人格が形成されるとまでは言わないが、一枚のレコードを大切に愛でる術を教えてあげたい気はする。HMVも「ヒズ・マスターズ・ヴォイス」を名乗るのであれば、若者たちにその趣旨を伝える工夫をして欲しいとも思う。ちなみに我が家では、HMVのイヴェントでもらった縫いぐるみのニッパーくんが、実に優しい目をして暮らしている。

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(本稿は下町音楽夜話086「ヒズ・マスターズ・ヴォイス」に加筆修正したものです)

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