母のミンチ 私のミンチ
免治が思い出させてくれた
母のあの料理と
私から娘たちへ、娘たちから少年少女たちへ伝えるぱぱっとごはんのこと…
免治
免治を作りたくなった。
葡式乾免治はマカオの代表的な家庭料理で、日本の雑誌やグルメ旅番組でもよく紹介されているマカオの代表的な家庭料理だ。
とエラそうに言い切ってはみたけれど、実はマカオで食べたことはない。
十五年ぐらい前にマカオを旅したときは、アフリカンチキンの食べ歩きが目的だったから、免治は全く眼中になかった。
ところが突然、そうだ!免治作ろう!
となり、某日、自分好みのレシピで夫とのランチに作ってみた。
マカオでは家庭の数ほどレシピがあるという。
だけど複雑で手のかかる料理ではない。
挽き肉を炒めて味付けをして、ダイスに切って揚げたじゃが芋と合わせ、ごはんの上にかけ、目玉焼きをのせれば出来上がり!
家庭によって使う調味料の種類とスパイスが少し違うぐらい。
こうして、うちの定番料理がまたひとつ増えた。
母のミンチ〜さつま芋牛ミンチ丼
免治を作って食べながら、母が作ってくれた 然もないあの一品を思い出したのは、決して母がマカオの出身だとかマカオに住んでいたことがあるというのではなく、ぱぱっと作れて満足できる挽き肉を使った家庭料理~母の味~というキーワードからだ。
三十九歳で夫を亡くし、その翌年、明治生まれの厳格で気位の高い姑を看取り、地方の町の本家の長男の嫁(しかも亡くなった父は一人っ子)としての立場だから背負うものも多かったであろう四十歳の母は、働くようになる。
そのころよく作ってくれた料理がさつま芋牛挽き肉丼だ。
なんと言ってもそれは1960年代の話で、しかも田舎、コンビニも気の利いたお惣菜も冷食も電子レンジもまだないころで、日々の食事は家庭で作るのが主流の時代。
牛挽き肉は素早く火が通るし、どうしてじゃが芋じゃなくてさつま芋なのか、それは単に畑で収穫したさつま芋のシーズンでごろごろあったからで、今様に言うならアルモンデ料理だったのだろう。
趣味人でたくさんの習い事をしていた母は料理よりおしゃれをするほうが好きで、祖母が料理のほとんどを仕切っていたこともあったから、手の込んだものは作らない。
姑を介護し看取り、子どもたちに食べさせるためにちゃちゃっと作った料理、これは母のミンチだ。
さつま芋と玉ねぎと牛挽き肉、最後にぽんっと落とした卵!
少し甘めの中国地方特有のお醤油がすべてをまとめ、ほの甘い記憶となって蘇る。
兄が大学を卒業して就職し、母は仕事を辞め、再び習い事三昧の人生。
不思議なことにこの料理は私が高校生のころまでの限定料理で、それ以後母が作ってくれた記憶はない。
先日、兄に母のこの料理の話をしたら、まったく覚えていないという。
ともあれ、これが私の母の味だ。母を懐かしむとき、思い浮かべる味だ。
私のミンチ〜納豆ミンチごはん
ならば私のミンチって?
それは即答できる。
家族はそれを納豆ごはんとよんでいる。
「今日は納豆ごはんよ」というと娘たちも夫も大喜び、こんなに簡単な料理でみんなが笑顔になるのだから、すごいぞ!納豆ごはん!
1978年、NHKの番組で、町の中華料理店の主人が家族の晩ごはんに作った料理が納豆入り挽き肉炒め、その組み合わせが面白くて、翌日には早速作っていた。
それを少しずつうち流にアレンジして、うちの納豆ごはんができる。
今日は簡単なごはんにしたいというときのお助けレシピだから、結婚して家族を持った働く母である娘たちもよく作っているようだ。
1988年ごろ家族で暮らしたソウルで初めて知った韓国産粉唐辛子やコチュジャンはそれ以降、うちの食卓には欠かせない調味料になり、納豆(ミンチ)ごはんにも必ずたっぷりと添えるのがうち流。
1993年から数年間家族で暮らしたカイロで出会ったモロヘイヤは、帰国してから愛すべき大切なモロヘイヤのお味噌汁となる。
少年少女たちの大好物で、これも私の大切なレシピだ。
然もない一皿が人々をつなぎ
人々の生きる力にもなる。
料理の力は偉大だ。
*追記
note 創作大賞2024 レシピ部門 中間選考通過
29作品の中で、私の二作品も選ばれました。
いつも読んでくださるみな様、ありがとうございました。
この結果で十分嬉しいです。
記録として記載しておきます。
2024/10/26