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本当のクリぼっちってなんだろ(?
画像が見切れているのはご愛敬(?
で、本題()
クリぼっちってなんじゃい
クリぼっち=クリスマスに誰とも過ごさず独りよがりの人
という見解があるらしいですが。
根端はそうじゃないんじゃね?
という謎のことを思ってしまって(笑)
もともとの「ぼっち」という単語は主に「昼食時」に用いられるもので、こう書いてあります。
《「ぼっち」は独りぼっちの略》昼食時に、友達や仲間と一緒にではなく、独りで食事をとること。 学生などが使う俗語。
だそうです。
それのクリスマス版?
でもそれだと「クリスマスのご飯を一人で食べるさみしい人」ととらえるのが正しいですよ? 多分。
そ し て
特に突っかかったのが「独りぼっちの略語」の部分。
俺が思う偏見として独りぼっちでも「孤独」と「孤高」と「鎖国」の三種類がいるように感じて。
孤独が主に使われるぼっちの単語なのだろうと感じながら。
孤独は問題を起こした人が他人から避けられるようになった結果が孤独と感じていて。
孤高は自ら他人を引き離すといった、所謂「一匹狼」ってやつで基本的に周りの人とは仲はいいが群れないといった感じ。
そして最後に「鎖国」は何かしらのきっかけで他人とのかと価値観が合わなくなり、互いに距離を置くことと認識しています。
鎖国の原因はたくさんあるのですが、代表例は「対人恐怖症」や「うつ病」「パーソナリティ障害」といった感じですかね。
で。
それがクリスマスに当てはまるのはどれか、という話。
独りボッチでも家に帰れば学生なら親がいるかもしれないし、社会人でも別の場所で友達がいるかもしれないし。
ただの「一か所の独りぼっち」がクリスマスになっただけだとインスタだLINEだXだで結局連絡とってるのだろうし「クリスマスにボッチ」ではないのでは? と感じてしまう我(振出しに戻る)。
孤高だとしても周りからは嫌われていないことが多いから恋人がいないからってクリぼっちではないし。
鎖国でも引きこもりでもゲームのクリスマス限定イベントに結局走って誰かしら「インターネット上」でコミュニケーションをとるだろうし。
結論!
クリぼっちなんていない!(笑)
リア充≠恋人がいる
というように、クリスマスに一人でも、ゲームをしてなくても買い物とかに行けばいいと思うし。
完全に孤独なら行ったことない店に行ってみるなどの旅をすればいいし。
方法はたくさんあるぞい。
こうやって書くと「じゃあ俺(私)は一人だし家族もいないしゲームもしてないからぼっちだ」とか言うやつかなりいるけどそれはただの屁理屈なので。
俺からしたら結局クリスマスだろうが元旦だろうが誕生日だろうがただの一日に過ぎないから。
その日を特別視するのはいいけど「今日は特別だからふざけていいんだ」とか言ってたらただのアホだしそれこそぼっちになるぞ(笑)