勉強の本質をもっと知って欲しい人の話
突然ですが私は大学に入ってから「言語」に非常に強い興味を持っています。
もともとは浪人時代にお世話になった英語の先生が非常に本質を突く授業だったことがきっかけです。
私が高校の頃までずっと嫌いだった「英語」は浪人時代のたった1年であっという間に得意分野になり、今では本当に大好きな分野です。
しかし、私がもし仮に浪人していない世界線があったとすれば私は今でも英語に苦手意識を持ったまま大学生をやっていたこと間違いありません。
つまるところ、今のところの私の人生において予備校の先生は非常に大きな存在感を放ち、多大な影響を及ぼしたということです。
彼女のポリシーは「極限まで暗記しない英語学習」
英文法の授業は最低限のライン以外は本当に暗記はありませんでした。
ではどうやって覚えたのか、それはある程度の法則に則った理論です。
英文法は(というかどの言語の文法においても)核となる本質があって、それを基軸にあらゆるニュアンスを言葉で表現するために派生しているのです。
そのため、基軸を徹底的に覚えたあとはそれを応用していくだけなのです。
一般的な英語教育では徹底した暗記学習が求められます。
しかしながら暗記であれば、応用も難しいですし、一部分でも何かが記憶から欠落した時に非常に致命的になります。
しかも彼女の脱暗記の英語学習は英単語にも及びました。
多義語などは根底のニュアンスからあらゆる方向に派生した結果生じたものだと理解することが大事になるということを知りました。
例えばpleaseという言葉は誰かにお願いする時の文頭に登場するイメージですが、「喜ぶ」「喜ばせる」という意味も存在します。
そして根底にある本質は「喜ぶ」の方で、命令文で使うと「これをしてくれると嬉しいです!!」みたいなニュアンスが伴うことになります。
例) Please call me Ginga!!(私をGingaと呼んでください)
そうなるとわざわざ2つの意味を個別のものとして理解する必要はなくなります。
そしてこれが理解できると、細かい使い方までマスターすることもできます。
さっきのpleaseの例だと、この言葉に「喜ぶ」というニュアンスが伴うので「否定的なお願い」には使わないのです。
例えば「静かにしてください」も"Be quiet."と習います。
そこにpleaseは使いません。
こうした理解もより効率的に行えるのです。
これが本当の英語の本質であり、言語の本質なのです。
そもそも人が普段使いする言語なので、それほど難しく作られているわけがありません。
そう思うだけで英語というものへの眼差しが変わると思います。
英語の例をかなり長く引っ張りましたが、こうした教育を受けることで「好奇心」が発生します。
これは暗記という営みでは発生しないものです。
英語を理論で説明することでAというものとBというものの繋がりを理解できた時の爽快感、感動は間違いなく大きいのに、現代の英語教育ではこのプロセスが欠落しているように感じるのです。
暗記による「つまらない英語」を学ぶことで英語を嫌いになってしまい、興味が失せていくのです。
それでも授業は続いていくから学校の勉強は「罰ゲーム」かのような扱いを受けることになるのです。
唐突に主語が大きくなりましたが、これは英語だけに言える話でもないからです。
例えば数学も、公式という名のある一定のテンプレートに従って数をはめることだけ覚えてもなんの楽しみもありません。
その公式の意味するところはどこにあるのか、それを理解できないとただの「数はめゲーム」になってしまうのです。
私はこの「数はめゲーム」が嫌いで文系になった節はあります。
「これに対する答えを得るためにこういう経路を辿って計算をする」ということを理解していなければ数学は苦痛以外の何者でもありません。
国語も英語と同様のところがあります。
つまり学校の勉強は「本質」を教えていないのです。
だから勉強から好奇心を燻られないのです。
勉強の本質に自力でたどり着くことはかなり困難です。
その点で私は非常に恵まれた場所で浪人生活を送れたと思いますし、そういう道をたどって大学生をできていることが大変幸せです。
おそらく好奇心は人間であれば誰もがもちあわせているものでしょう。
そうでなければ私は今言語に夢中になることはありません。
結局「好きこそ物の上手なれ」なのです。
よく大学の友達に「言語にハマるってヤバくない?勉強好きかよw」などと言われますが、それはこれまでの学習機会において勉強の本質を教えられていないから飛び出すセリフでしょう。
私はもうそのセリフは言われ慣れたので気にしていませんが、私は趣味として言語を勉強しているだけです。
そのセリフは趣味と勉強が同列に居ないことを端的に示しています。
どうか勉強がひとつの趣味であることが普通のことになって欲しいと私は切に願います。