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#1 フィリピン留学体験記 - フィリピンに行ったきっかけ 就活失敗編 Part1  -

こんにちは!本日も私のNoteをご覧いただき誠にありがとうございます!
こちらのNoteでは、大学卒業後に就職せず、
人生で一度きりの貴重な新卒チケットを投げ捨て、
フィリピンに留学をしに行った無鉄砲な私の体験記となっております。

この記事のつながり
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私がフィリピンに行ったきかっけは、とてもシンプルで、
 ”就活に失敗したから。”
以上です。本日もご愛読ありがとうございました。

と、そんな簡潔にお話ししてしまえば、元も子もないのですよね。
この記事では、私がなぜ就活に失敗してしまっていたのか、失敗からなぜフィリピン留学という道を選んだのかを、お話ししていきたいと思います。

目次
 私の就活が始まるまで
 1,すこし遅れた就活開始
 2,教員採用試験という罠
 3,教育大学進学のワケ
 4,国家公務員教員という縛り

すこし遅れた就活開始

私が就職活動を始めたのは、大学4年の夏休み明け8月ごろからでした。
これを読んで、就活を経験してきた読者や、現在まさに大学4年生のみなさんはきっと「え、遅くない、、、?」という、感想をお持ちになったことだと思う。

もちろん、私もこれについては大いに同意でとてもハンディキャップを背負った就活だったと思っているし、この時期に開始になったには2つ大きな理由がある。
それは、私が教育学部初等教育学科の生徒であった事と、
当たり前の通り新卒で学校の先生になると脳死状態で信じていた事です。

教員採用試験という罠

私は、当初学校の先生を夢見る教育学部生で、大学4年の夏まで教員採用試験の勉強をし、教科書を覚え、過去問を解き、小論文を書き続けるという、就活とは全く関係ないことを頑張っていました。
それに、周りの友達もみんな学校の先生に夢見て共に学ぶ仲間で、就活をしているなんて人は、ほぼいなかったと思う。

そんな必死に頑張っていた勉強のおかげか、なんと私は採用試験の一次試験に合格し、2次試験の通知カードを受け取っていました。
この、教員採用試験についても小話がいくつかあるので、今後Noteにてかけたらなと思う。
2次試験の案内状を受け取り、友達と一緒に喜んでいた私だったがこのときすでに、教員採用試験を辞退しようか悩んでいた。

教育大学に進学したワケ

私は、昔から頭が良かったわけではなく、しかも楽しいことだけして生きてゆきたいという、甘えた考えが根本的にあるような怠け者だった。

大学進学も、絶対に学校の先生になって子どもたちに素晴らしい教育を!なんていう、崇高な夢があったわけではなく、将来よりも、大学生活への憧れが大きく、大学生になったら、彼女が欲しいし、夢のキャンパスライフも楽しみたい!という、目先の私欲にまみれていたため、子どもが好きだったということや、就職先が国家公務員という安定した職業に就けるということも理由の一つだったが、何より一番重視したことは、大学の男女比率でした。

高校は理系大学付属私立で、圧倒的理系分野の高校に進学しており、私自身も国語や、歴史より、数学や物理が大好きな根っからの理系男子だったのだが、理系高校の一番のデメリットは、男女比が8:2くらいであったことでした。

授業はそれなりに楽しく、大好きな友達や、部活動に恵まれ、とても楽しく充実した高校生活を送れていた高校生の私だったが、ひとつとても大きな経験ができずにいました。それは、彼女ができなかったこと

当時の高校は、男子校ではなかったものの私がいたクラスは男子のみという男子クラスでした。頭のできはもちろん、顔も、お話も、これといった強みはなくザコであった私は、当然彼女を作ることがなく、夢のハイスクールライフは終了していきました。

そんな、夢のハイスクールライフがただの夢に終わってしまい、悲しんでいる私が大学進学をするとなったら、やることは一つ。夢のキャンパスライフを今度こそ成功させる!という事でした。
(大学をそんな不純な動機で選んだこと、また大学に対するそのような考えについて、通わせてくれた両親、大学を真剣に選び通っている大学生、また子どもたちのために教鞭をふるっていただいている教師、関係者各位にお詫びを申し上げたいと思います。)
しかし、当時の私からしたらそれはとても大きな、それこそ人生で一度しか訪れないイベントを楽しむための、貴重な、大事な原動力だったのです。

すこし、当時の悔しさから熱がこもり、この章が長くなってしまいましたが、そんなことから、私は男女比が半々ほどで、キャンパスライフを楽しめそうな教育大学進学を進むのでありました。

4,国家公務員の教員という縛り

そんな不純な動機から、教育大学を進学してしまったが為に、教師になるほんの一歩前、次の2次試験を合格したら、晴れて社会人への仲間入り!というときに、本当に私はこのまま教師になってしまっていいのか?という、問いがふと頭によぎりました。

小学校教員というのは基本的には、国家公務員といわれる仕事で一度就職すると将来が安泰ずっと仕事を続けられるという、時代が違えば聖職とも言われるとても、立派な職業なのですが、それは、逆に言うと安定した変わらない生活がそこに待っているというある種の縛りであるとも、私は考えました。

昔から、新しいこと好きですぐに挑戦しては、すぐに冷めて次にいきたくなる楽しいことが大好きな私からすると、将来数十年間ずっと同じ職を続ける覚悟は私にはありませんでした。

もちろん、先生になったって辞めて社会人になったり、好きなことを始めたり出来ることは分かっていますが、私の性格上一度ぬるま湯につかってしまうと、まあいっか。とそのまま抜け出せない茹でガエルになってしまう危険性がとても高いのです。

そこで、先生になってからやめて社会人になるよりも、社会人を経験してから先生を目指す方がいいのではないか?と考えるようになり、その後の教員採用2次試験辞退、という事に話が進んでいきました。

→Part2へ続く

編集後記

本当は、ひとつのお話として就活失敗編を書く予定でしたが、予想より長くなってしまったため、「Part1」「Part2」という形で分けさせていただきました。
後編も、同じくらいのボリュームかと思いますが、就活を失敗した経験や、そこからフィリピンへ飛んだきっかけなどについて、お話をしているのでよければ、読んでいただけるとうれしいです。



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